Fate/Kaleid Schmetterling 作:ひでぶ
凛は玄関ホールへ降りる階段を下りながら、自戒するように両手で頬を打った。
ここは並行世界である。士郎や桜が凛の記憶にある通りに生きてきているはずもない。世界の状況も凛の世界とはまるで違う。この世界の凛や士郎、桜がどんな道をたどってきたかすらわからない状況で下手に感情を暴走させたら不振がられるだけである。記憶喪失という隠れ蓑はある物の、これ以上並行世界の歪みを広げないためにも“遠坂凛”という役割を演じると決めた以上はそれを全うするべきなのだ。
「……とりあえず
木造りの扉を開いて、凛は地下室の中に踏み入った。一見したところ、室内の様子は元の世界の工房とあまり変わらない。凛の右後方、唯一の出入口である扉のある南側の壁には柱時計があり、その奥の片隅にはエクササイズの道具がごちゃごちゃと固められている。
また、彼女の両側にある壁にそって巨大な本棚が一本ずつ配置されていた。本棚同士の間隔は彼女が両手を広げても届かないぐらいに広いが、部屋の構造上奥に長いので、本棚に挟まれるような格好で中央に向けて進んでいく。蔵書に目をやりながら進んでいたが、その中には彼女が見たこともないようなものも並んでいた。
「やっぱり、ところどころ違うのね」
歩きながら凛は思わずひとりごちる。そして、ちょうど部屋の中央にあたる場所に差し掛かったあたりで足を止めた。屈んで、丹念に床を観察してみる。
しかし、彼女の世界で儀式のために刻み込んだ大きな魔法陣があったはずの場所には、染みひとつ見当たらなかった。床から目を逸らして、視線を部屋の奥に投げると、大きな木造りの机が彼女の目に映った。その上には、やはり見覚えのない資料が乱雑に置かれていた。歩み寄り、資料を手に取って目を通してみる。
中に記されていたのは、得体の知れない昆虫のような姿をしたモノについてだった。間違いなく“虫”についての研究資料である。
「ん~。さっきの士郎がしていた話の要点をまとめただけのモノね、これ」
さらっと流し読みをしてみたものの、士郎から聞いた以上の物は出てこない。
「ほかに何かないかしら」
もう少し詳しく情報をまとめた物はないものか、と凛は机の周辺を物色してみる。しかし、
「さすがにない、か……」
目当ての物はついぞ見つからなかった。代わりに彼女の視線を釘付けにするものが、ずらりと机の上の収納箱の中に並べられている。
「…ここの世界の私は随分宝石の備蓄が多いのね。うらやましい限りだわ」
遠坂凛は宝石魔術の使い手である。宝石魔術とは、想念を込めやすい貴重な鉱石に魔力を込め、秘術においてその石の属性や、蓄積された年月を利用する魔術である。宝石の種類は多種多様であり、物によって性質や、年月、属性が異なる。それ単体でも込められた魔力の量によっては十二分な効果を発揮するが、無限大ともいえる宝石の組み合わせによってさらに効力を増す。
非常に汎用性が高く、物さえあれば非常に扱いやすい魔術なのだが、宝石である以上それは当然高価なのである。加えて言うのならば、この宝石、用途によっては使い捨てである。
―――使い捨てである。
ここは凛的にだいぶ重要なポイントだ。それ故に、この魔術はとんでもない金食い虫であるといえる。だからこそ凛は金銭のやりくりに苦労しているのだが、この世界の“凛”はそういう訳でもなさそうだった。
「――それにしても、桜が、ね……」
凛の世界においても桜は周囲の環境から怪物に変貌せざるを得なくなった過去がある。だが、そうなる可能性があったのは聖杯戦争という一大儀式が行われていた時のみのはずだった。この世界でも聖杯戦争は経過している以上、桜が変貌する機会はすでに過ぎ去っている筈なのだ。ところが、この世界には虫憑きというイレギュラーが存在していた。
夢を歪められた、という事から、桜の精神状態が決して良好とは言えない状態であろう事は容易に想像ができる。そしてそれは間桐の家から飛び出して行方不明であるという現状が、彼女の予想が的中しているという事を示していた。
いずれにせよ、元の世界で一度は士郎と共に目を覚まさせたのである。今回が出来ないなんて言う道理はあるまい。たとえ並行世界であっても、桜には幸せであってほしいと思う気持ちは本当である。桜とは、会って話さなければなるまい。ただ、
「ほんと、分からないことばかりだわ」
つぶやいた凛は、額に手を当てて考える。
“虫”という異物を抱え込んだ世界。“虫”とはなんなのか。始まりの三匹は一体どのようにして現れたのか。虫憑きは夢をかなえるとどうなるのか。この異物を抱え込んだ中で、あの“戦争”はどのような結末を迎えているのか。“遠坂凛”がいつから虫憑きだったのか。どんな能力を持っていたのか。この世界の人間関係はどうなっているのか。特環の目的はなにか。
「何より、私はどうやってここに来たのかってことよね…」
凛の口から、思わず深いため息が漏れる。
魔法使いでもない凛が、並行世界に移動しているという矛盾。一応、第二魔法、“並行世界の運営”のもどき程度ならば凛にも使えないことはない。だが、もどきではこの事態はあり得ないのである。
じっくり考えるいい機会と考えた彼女は、この事態の原因であろう実験ミスを思い返す。
あの実験は宝石剣、限定的ではあるが第二魔法を行使することのできるそれのミニチュアを使って行ったものだ。彼女がミニチュアを使うことにした理由は、オリジナルの宝石剣を作るには資金も時間も足りなかったためである。そして、将来に行うであろう実験の予行演習的な意味合いが強かったからだ。
限定的な力しか持たない宝石剣をさらに縮めたミニチュアではあるが、並行世界を覗く程度の事は可能であり、実験の意義は十二分にあった。
そうして準備を整えた凛は実験を決行したのだ。ミニチュアは歪みを作ることに成功し、一瞬だがどこかの世界線の映像を映し出して、破裂した。彼女はその余波の直撃を受けたのだ。これが世界を移動した原因と考えられる。
だが、ここでいくつか疑問が生まれる。一つは、いくら弾け飛んだ余波の直撃を受けたとはいえ、第二魔法の限定的な力しか持たない宝石剣のさらにミニチュアの力なのだ。
それでは、どう考えても人一人を別の世界線に飛ばすことは不可能に思える。だというのに現に並行世界に移動しているのだ。制御できてないとはいえ第二魔法が成功してしまっている。ミニチュアでは確実に出力不足だというのに。いや、オリジナルでもおそらく無理だろう。
二つ目の疑問として、ここの世界線にいた遠坂凛はどこにいったのか。凛がこの世界に現れる直前あたりまでは、“遠坂凛”があのホテルの一室にいたであろう事は状況から考えて間違いないだろう。
魅車から見せられた監視カメラの映像や、士郎が凛を守ろうと“かっこう”に向かって行っていたという事。何より、あの悪魔が凛程度に逃げる隙を与えるとは思えない。その上、あの状況からして、かなりホテル周辺を固めたうえで突撃してきていた可能性が高い。とてもではないが逃げおおせられる状況ではない。
もし、“遠坂凛”と接触できる可能性があるのならば協力を仰ぎたいが、今の今まで接触がない時点でこちらの遠坂凛も何らかのトラブルに見舞われているのであろうとは推測できる。それが世界からの修正か、それとも凛と同じように別世界に飛ばされたかは定かではないが。
妥当なのは前者だろう。世界は同一の存在が同時に存在することを許さないからだ。凛がこの世界に来た時点で存在を抹消されたという事は十分あり得る。だが、どうにもそれは釈然としない。いや、どちらかというと後者の方に彼女の理論は傾いていた。
その理由として、映像で見た“遠坂凛”の”虫”の光。あれにどこか既視感を覚えていた凛だったが、冷静に考えてみればあの光は宝石剣が放つそれと非常に似通っているように感じたのである。あの”虫”が、第二魔法を使えないことは確実であるものの、凛と同じく真似事ぐらいならできるという可能性はないわけではない。“虫”などという得体のしれないモノが魔法の真似事をするだなどという事態を、魔術師として認めたくはなかったが、もし本当に真似事が出来ていたとするのならばある仮説が成り立つ。
監視カメラに映っていた“凛”があの時、”虫”の力を用いて並行世界を観測しようとしていたとしよう。魅車の言葉が真実なら、凛が実験を行っていた時間とさして変わらない時間帯にそれが行われていたことは分かっている。
もしそれが、全く同一のタイミングであったとするならばどうか。お互いに似た性質の実験を行っており、その上で意図せずにお互いの世界を観測しようとしていたのなら、その影響は無視できないものになるはずだ。疑似的な魔法の行使によってお互いの世界を覗きあう。これはその世界同士のつながりを強めるには十分な行為である。
それに加えて、凛は実験ミスを犯し、その余波を受けている。もし、その時“遠坂凛”の”虫”にも同様のアクシデントが起こっていたとするならどうなるか。実験ミスによって発生した歪みの炸裂を同時に受けることによって、元々強くなっていた世界同士のつながりが “穴”に変わってしまったとは考えられないだろうか。そして、お互いに余波を受けて気絶し、“穴”に倒れこんだのだとすれば。お互いに入れ替わるようにして世界移動したということになるだろう。
正に天文学的な確立でも引き当てていないかぎりありえない事だ。だが、出力不足の問題や“遠坂凛”の行方不明の問題は解決する。だが、ぬぐいきれない違和感もまた残る。
いくら真似事でしかない虫の力とはいえ、並行世界を覗けるほどの歪みが炸裂したことになる。となると、凛が目覚めたあのホテルの一室は、もっと“ズレて”いなくてはおかしい。下手すると“何でもあり”な空間となっていてもおかしくはないというのに、あの部屋にはそういった異常が感じ取れなかった。これはかなり致命的な矛盾だ。
結局、いくら考えても結論は出ない。だが、この答えを導き出せないということは、永遠にここに留まるという事を意味していることに直結する。元の世界にいる、あの危なっかしい連中をいつまでもほったらかしにはできない。元の世界に帰るためには何としてもこの謎を解明しなければならないだろう。
またしても深いため息が凛の口から零れた。
「……そろそろ戻らないと」
凛がラウンジに戻ると、相変わらずソファに座ったままだった士郎が顔を上げた。
「! ……遠坂。もう、いいのか?」
「ええ。さっきは、ごめんなさい。ちょっと理解に感情がおっつかなくて」
「いや、大丈夫だ。それに記憶がない以上それは当然だろう。それとあらためて、一番近くにいたのに桜を守ってやれなくてすまない」
士郎は、沈痛な面持ちのまま謝意を述べる。
「なに自分を責めてんのよ。第一、私だっていたはずでしょ。でも桜は守れなかった。私にも責任はあるの。士郎。あんたはいつも自分だけでしょい込もうとするけれど、これはあんただけの問題じゃないわ」
この件は二人の問題である。それをはき違えてほしくなかった凛は語気を強めて訂正した。すると、士郎は口元をゆるませた。
「そうだな。絶対に桜を連れ戻す。二人でだ」
「で、桜に何が起こったのよ。今後のためにもそうなった経緯が知りたいわ」
凛の問いかけに、士郎は神妙な面持ちで頷くと、桜が虫憑きになった日について語り始めた。
「―――こんなところか」
語り終えた士郎はどこか気まずそうな顔をしていた。だが、凛はやめやめ、とばかりに両の手を打った。
「はいはい。さっきも言ったでしょ。抱え込むなって」
「……ああ、分かってる」
「分かってないっての。いい? “私達”で桜は連れ戻すし、始まりの三匹にツケは払わせるわ。この私に喧嘩を売った事の意味を教えてあげなくちゃいけないもの。士郎だけに任せるなんてありえないわ」
ここに来て凛は自身の明確な意思を表明する。競争相手を周回遅れにし、刃向った相手は反抗心をなくすまで徹底的に叩き潰す。やるからには徹底的に、という彼女の信条からして、始まりの三匹を完膚なきまでに捻り潰すことはもはや規定事項であるといえる。
ただ、懸念事項があるとすれば、桜が虫憑きになる以前から不審な行動をとっており、現在も消息不明であるという間桐臓硯の存在だ。桜を真の意味で開放するというならばあの吸血鬼を打倒することが絶対条件となってくる。その臓硯の所在がつかめていない、いや、いまだに冬木の地に帰還していないという点が違和感なのだ。
なぜなら、あの聖杯に執着し、日の光を嫌う老魔術師が聖杯戦争の地をほっぽり出して他のことにうつつを抜かすとは考えづらいからである。何より、桜は間桐にとって鍵となる存在だ。是が非でもこの地で自身の手元に置いておきたいはずだろう。しかし、現に両名とも冬木には帰還してきていない。あの臓硯に限って桜を見つけ損なう、ましてや手綱を握り損ねるなどということはあり得ないはずだ。そこから見ても、臓硯が今の今まで戻ってきていない理由というモノがあるとみて間違いないだろう。
ただ、それが何であれ自身のやることは変わらない。と、凛は士郎に目を移す。衛宮士郎と共になら、桜を救うことは不可能ではない筈だ。必ず、やり遂げて見せる。
そんな凛に、目を細め、どこか眩しそうに笑う士郎の姿に彼女は頬を膨らませる。
「なに笑ってんのよ」
「いや、記憶を失う前のお前も似たようなことを言っていたからさ。やっぱり記憶がなくても根っこは変わらないんだなと思ってさ」
「そりゃそうでしょ。記憶が全部吹っ飛んだとかならいざ知らず、結構限定された部分が消えたって程度なんだから。人格形成を覆す程のモノじゃあないでしょう」
「まあ、それもそうなんだけどさ。でもやっぱり安心したんだ。遠坂自身、自分の記憶が正しいかは曖昧だって言ってたしな」
どうやら士郎は、凛の状態をだいぶ気にかけていたようだ。いや、それも当然か。自身の身近な人物にこうも立て続けに異変が起こっていれば当然不安になるだろう。
「まあ、確かにそうね。私も、今の自分が前の“私”とおなじだと自信をもっては言えないわ」
実際、記憶喪失なんて生半可なものではない訳だが、凛はそれを告げるつもりはない。ただ、と彼女は口を開く。
「それでも私は私よ。他の何者でもないわ」
「ああ。お前は確かに遠坂凛だよ。間違いない」
どこか満足げに士郎が首肯する。それにどこか気恥ずかしくなって、凛はつんと視線を逸らし、はぐらかすように話題を変えた。
「何にしても今後の予定を定めないとね。始まりの三匹か、桜のこと、“私”は何かつかんでいたと思う?」
「表面的なことなら少しは分かる。“影法師”って噂を追っていたからな。不審な欠落者が相次いで発見される事件が多発してる。で、“影法師”はその付近で目撃されたっていう影の怪物の噂だ。桜は影の虫を使役していたからな。確証はないけど、噂の出始めた時期的にもまずこいつは桜で間違いないと思う。でも多分、“遠坂”はこれより深いなんらかの情報は持っていたと思う。正直、最近のお前は、かなり胡散臭い行動をとっていたからな」
「胡散臭い? どういうこと?」
凛の問いに、士郎は僅かに首をかしげ、唸る。
「なんて言ったらいいかはわからないんだが……。端的に言うなら不用心になった、ってところか。元々遠坂は、特環をかなり避けていた。あいつらに見つからないようにかなり気を張って行動していたんだ。協会の目もあるしな。だから、表だって聞き込みを行おうとはしなかった。情報を集めるにしても、基本使い魔を飛ばしてそれと感覚共有して行う偵察に努めていたんだ。それが最近になって、急に表だって聞き込みをし始めた。しかも過剰にな」
そこで士郎は一度言葉を切ってこちらを覗った。しかし、凛は無言で先を促す。それにしたがって、彼は再び語を継いだ。
「聞き込み相手には魔術で暗示をかけては記憶を消すんだけれど、それでもどうしたって痕跡は残っちまう。ただでさえ、虫憑きであるお前は感知タイプに引っかかるって可能性があるってのに。だから、こんな方法じゃいつか特環に怪しまれて捕まるぞって俺は警告したんだけど、お前はやめなかったんだ。だから、お前が捕まった時も、記憶が消えたって聞いた時も、なにか作戦があっての事なんじゃないかと俺は思っていたんだが……」
「……なにそれ。でも確かに、それで“私”が何も考えてなかったって言うのは、あり得ないと思うんだけど……」
凛は話を聞いたうえでの率直な意見を漏らした。
「でもこうしてお前は記憶喪失なワケだし、真相は分からない。でも多分“遠坂”は、特環と接触する必要があったからあんな行動をしたんじゃないか? どうして接触したかったかはわからないけどさ」
「まあ、そうでしょうね。そうじゃなきゃあまりにも間抜けすぎるし。結果はご覧のとおりだけれど」
言いながらどこかばつが悪くなり、凛は肩をすくめる。この状況の一端を作った可能性が高い人間としては少しばかり心苦しい。
「でも、やっぱりあの場ではああする以外にどうしようもなかっただろうしな。記憶があるにしてもないにしても、特環とは協力関係になっていたんじゃないか?」
どうやら、士郎は既にこのことは割り切ってしまったようである。その姿に、自分も踏ん切りが悪い、と内心凛は笑う。
しかし、それを表に出すことなく、彼女は答える。
「そうね。でも多分、“私”は素直に協力して平穏を保とうとしていた訳じゃなさそうね。桜か、始まりの三匹の情報のもっと深いところを知る為、だとか。もしくは…」
「桜か、始まりの三匹と、特環が深く関わっているかもしれないってつかんでいたからってとこか」
「へえ、今日は血の巡りがいいじゃない。珍しいわね、士郎?」
「む。俺だってきちんと考えてるさ。今の状況で考えるのを止めたらまずいってことくらい、分かってるぞ」
凛の言い分に、士郎はむっと口をとがらせた。それが面白くなり、もう少しからかいたくなったが、彼女はぐっとこらえて話を進めに行く。
「はいはい。ちょっとからかっただけよ。まあ、どちらにせよ、特環の内部から調べていくっていう事は間違ってなさそうね」
「そうだな。
それは、士郎の言う通りだろう。魅車は共闘関係を結ぶ代わりにこちらの縛りを緩めている。さしずめ、首輪はつけたものの、リードは付けずに放し飼いにしている犬、と言ったところか。
理由はないが、もし魅車が本腰を入れてこちらを縛りにかかってきたら、おそらく手詰まりになるだろうという確信がある。だからこそ、魅車がこちらをただの犬であると思っているうちに行動するべきだ。そうして特環内でも確固たる地盤を作り上げてしまえば、魅車も容易に手は出せなくなるだろう。そうなれば、思う存分桜や始まりの三匹について探れるようになるはずだ。
「でも、調査に身を入れるとなると、土地の管理がネックになってくるわね」
「そうか。セカンドオーナーとしての役割があるのか。魅車の奴、これがあるのを知っているから縛りを緩くしたのか?」
「どうかしら。その気になれば、士郎に管理を預ける事だってできるわけだし」
凛の台詞を真に受けたのか、士郎がかすかにたじろいだ。
「その気になってもらっても困るぞ……。この土地の管理の管理が俺に務まるとはおもえないしな。第一、俺はここに留まっているつもりもない。桜をお前にまかせっきりにはできないからな」
「まあ、土地の管理自体はそんなに難しい事じゃあないわ。教会の人間もある程度協力してくれるし。ただ結局、あんたを冬木に縛り付けるのは、あんたの性質上無理だって分かってる。助けなきゃいけない人間がいるにもかかわらず、それに手を差し伸べずにのうのうと土地の管理をするなんてことがあんたにできるわけがないもの」
「……それ、褒めてるのか?」
士郎が頬を描きながら、怪訝そうな顔をする。
「呆れてるのよ」
凛は心底そう思いながら、口元をひくつかせた。
「なんにしても、“私”がもし本気で調査をするつもりだったなら、何か当てがあったはずよ。土地の管理をしながら調査できる方法か、土地の管理を任せられるような人物のどちらかがね」
「でもそれ、どうやって探すんだ?」
「そんなこと、わかるわけないじゃない。でもやるしかないでしょ。でないと前にすすめないもの」
「……そうだな。やるしかない」
士郎は難解なパズルにでも挑むかのような顔でうなずいた。
「ところで遠坂。お前虫についての記憶が消えてるってことは自分の虫についてのことも覚えてないのか?」
突然のその言葉に、凛の思考が僅かに硬直する。ここまで来て、彼女は肝心なことを忘れていた。“遠坂凛”は虫憑きなのだ。彼女の役割を背負うという事は、虫憑きとしての役割も担うという事に他ならない。今の今まで特環についての話をしておきながら、そんなことにも思い至らなかった自身の“うっかり”に頭を抱えたくなる。
ただ、それをおくびにも出すわけにはいかず、脳みそをフル回転させながら彼女は平然を装い、答える。
「……そうね。記憶にないわ」
「そうか。……そういや遠坂、お前"虫"はだせるのか?」
士郎はさらに凛を追い詰めてくる。本人にその気はないのだろうが、彼女としては冷や汗ものである。ああ、まるで自身が針だらけであることを知らないままに、他者にじゃれてくるハリネズミのようだ。
返答のない凛をどう思ったのか、どこか不安そうに士郎は彼女の顔を覗き込んでくる。
「まさかおまえ、出せなくなってるのか?」
その純粋な気遣いに、後ろめたさを覚える。だが、それとは反対に彼女の口は即興の言い訳をすらすらと口走っていた。
「そもそも、その”虫”の出し方っていうモノがよくわからないのよ。虫を呼ぶのって、魔術回路みたいに何か精神的なスイッチを入れたりしないとダメな類のモノなの?」
「そこからか……。そんな話は聞いたことないな。第一、俺は虫憑きじゃないから詳しいことは分からない……。でも、もしかしたらそういう物なのかもしれないな。分からないとだせない類の物か」
士郎は腕をくんで唸ったものの、一応は納得をしたようだ。
「何にしても、これは保留ね。でもこれ、できるなら特環にも知られたくないわ。虫が出せなくなったって知ったらどういう行動をとってくるか読めないし」
「そうだな……。確かに特環に知られるのはまずいだろう。虫を意識しても呼べない虫憑きだなんて、モルモットにしようとしてきてもおかしくない」
魅車ならやりかねない、と凛は考えたところで、そういえば、と彼女は思い至る。
「ところで士郎、私の虫ってどんな能力を持っていたの?」
「ん? そうだな、身体に任意の宝石の性質を表すのが能力だったと思うぞ。魅車に見せられた監視カメラ内の現象はちょっとわからないけど」
その言葉に、凛の頭が一瞬沸騰する。
「……なにそれ。信じられない。絶対それいろんなものを犠牲にしてるわよ。運とか、寿命とか、魔力とか……! って犠牲にしてるか。虫憑きになってる時点で」
最後に思い出したように付け加えた台詞に、士郎が目を伏せてうつむいた。
「なに辛気臭い顔してんのよ。多分“私”は気にしてなかったでしょ。宝石魔術を扱う魔術師としては、他の魔術師より大きくリードできるような代物なんだから。私ならあるものは利用するわ。犠牲にしたものよりも何倍も大きい利益を得るためにね」
世界が違うとしても、“遠坂凛”ならそうするだろう、と考えたことを口にする。
「ああ、そうだったな。お前は」
「そういうこと」
そう、胸を張るでもなく、さらりと彼女は頷いた。
しかし、どうにも体が重い。思えば、この一日は並行世界に移動したあげく、謎の組織に拿捕され、挙句その組織と共闘する羽目になった、などとまるでB級映画のシナリオをなぞっているかのような得難い体験ばかりをしている。体が休養を求めるのも当然か。
加えて、深夜二時ほどからほぼぶっ通し。ひもきることのなかったイベントのせいか、ラウンジの出窓からは見える外は完全に朝模様である。世間はもうとっくに朝食をとっている時間帯だろう。朝の陽ざしが目にいたい。
「なんにしても、今日はもうお開きにしましょう。お互い疲れてるでしょうし。明日、早ければ今夜。特環から何らかの接触があるはずだから。それからゆっくり考えていきましょう。急いては事を仕損じるってね」
士郎も同様のことを考えていたのか、首を縦に振った。
「……わかった。それと、特環の局員なら明日の学校で接触してくるかもな。監視班かはわからないけど、それらしい奴を見たことがある」
「あー、そっか。学校があったか。今日は日曜日だもんね。すっかり忘れてたわ。今日はいろいろ起きすぎてたから日付の感覚がなくなってた。それにしても、監視班か。私もそこに所属することになるんでしょ?」
「そうだな。監視班っていってもかなり特殊な立場になりそうだけど」
何やら思いつめた表情でぼやく士郎。それを眺めながら、凛はあくびを噛み殺しながら立ち上がる。
「まあ、明日になってからのお楽しみってやつね」
「楽観的だな、遠坂」
「ま、煮詰めすぎても仕方ないでしょ。それじゃ玄関まで送るわ」
手をひらひらと振って凛は口元を緩める。それを、士郎はどこか不満そうに半眼で見返しながら立ち上がった。
未だにまどろんでいるように薄暗い玄関ホールは、肌を切るように冷たい空気が満ちていた。その寒さに思わず身を縮めそうになるのをこらえつつ、凛ははにかんだ。
「それじゃあまた明日あいましょう」
「ああ、またな。遠坂」
士郎もまた、頬を緩め、片手を挙げると、扉を押し開けて去って行った。
「……”虫”か」
士郎曰く、宝石の性質を表すという“遠坂凛”の"虫"。ふと、凛は顎に手を当てた。地下室で考えたことがひょっとしたらひょっとするかもしれない、という考えが頭をもたげたのである。任意の性質を表す、という事は宝石剣の鉱石の配合具合を虫が表現することが可能であるのではないだろうか。もし再現できていたとしたなら、あの映像に映っていた大きさ、形の宝石剣など、一体どのような効果を生むのか、凛には想像もつかない。
だが、そこにこの事件の鍵があるのではないだろうか。とも彼女は思う。
「……つかれた。お風呂入って寝よ」
夜更かしがたたってごわごわの髪を撫で梳きながら、踵を返した凛はバスルームへと向かう。結局その日、彼女は日付が変わるまで深い眠りに落ちていた。
しかし、凛には考察役や解説役が似合いますね。流石に原作でも全編通して出番のあるヒロイン。適応力が違います。