Fate/Kaleid Schmetterling   作:ひでぶ

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ムシウタが完結しました。岩井先生、今まで本当にお疲れ様です。素晴らしい作品をありがとうございました。切なさ、もどかしさ、やるせなさ、絶望、希望、燃え、萌え。いろんなものが詰まった作品です。毎年、新刊を今か今かと待ち続けてきた過去を想うと、こみあげてくるモノがあります。ムシウタと言う作品と出会えて、本当に良かったと思っています。
前置きが長くなりましたが、七話です。


第七話 接触

 ジリリリリ、ジリリリリ。

 

 これは、何の音だっけ。けたたましく鳴り響くそれがなんであるかを思い出せず、凛はもどかしさに身じろいだ。

 

 ジリリリリ、ジリリリリ。

 

 うるさい。人が気持ちよく惰眠をむさぼろうというのに、なんだというのか。

 

 ジリリリリ、ジリリリリ。

 

 「っあぁ、もうっ」

 

 飛び起きる。飛び起きた凛は、人の安眠妨害をするそいつに思い切り正拳突きをお見舞いしてやった。すると、そいつは一際大きい叫び声をあげておとなしくなった。妨害者がいなくなったことで再び彼女はベッドにもぐりこんだ。断末魔を上げておとなしくなった彼女の安眠の妨害者の名前は、目覚まし時計といった。

 

 ジリリリリリリリ。

 

 あれ、これは何の音だっけ。明滅する蛍光灯のような頭で、凛は考える。前のけたたましい音に比べ、随分控えめな響き。あれ、まえの音ってなんだっけ。うるさくて、どうしたんだっけ。あれは、

 

 「あああああぁぁぁぁぁぁああっ!」

 

 飛び起きた。彼女は飛び起きて、ベッドの棚に手を伸ばす。しかし、いつもそこにあるはずの目覚まし時計は、そこになかった。視線を周囲へ走らせると、鈍器で殴りつけたかのように見る影もなく破壊されたソレが彼女の目に飛び込んでくる。

 

 まずい。いまは何時だろう。そう考える凛の耳に再び、控えめな音が拾われる。久しく聞いてないが、これは呼び鈴の音ではないのか。この家に人が訪れることは基本的にない。この洋館の雰囲気に近所の住民はおびえているのを彼女は知っている。だが、さっきから鳴っていたのはこの音だろう。

 

 しかし、誰か。訪れる可能性があるとすれば業者か、彼女の妹の桜ぐらいである。とりあえず凛は応対することにして、着替えずに寝たため皺のよった服をのばし、手櫛で適当に髪を整えながら階下に降りる。館に立ち込めた冷気に身を震わせつつホールにでると、足早に玄関扉に歩み寄った。ホールにある大きな柱時計に目をやると既に七時十五分を回っていた。

 

 これは、まずい。遅刻コースである。疲れで体にがたが来ていたとはいえ、丸一日寝て過ごすとはとんだ失態である。彼女は思わず額に手を当て、肩を落とした。そこに、おそらく再三であろう呼び鈴が鳴り響く。せかすようなその響きに、今出るわよ。と心中彼女は毒づいた。

 

 「どちらさまです?」

 

 扉の前で立ち止まり、向こう側にいるであろう人物に問いかける。まあ、どうせ桜か業者のどちらかだろうが。

 

 「あ、俺だ、遠坂。反応がないから本当に何かあったのかと思ったぞ」

 

 扉越しに返ってきたその声に、一瞬思考が停止する。その声は知り合いの声だった。しかし、間違っても妹の声ではない。芯の通った真っ直ぐでやや低めの声色。それは、衛宮士郎のモノだった。

 それに、凛は思わずうめき声をあげて、再び額に手を当てた。

 

 すっかり忘れていた。ここは並行世界であるという事を。寝ぼけていた頭を一振りして、彼女は扉を開ける。

 すると、玄関先にはいつもの仏頂面をたたえた衛宮士郎の姿がそこにある。

 

 「で、なんでわざわざ迎えに来たのよ、士郎」

 「なんでって。いやこれが普通だったろ? ……まさか忘れたのか?」

 

 うろたえたように問いかけてくる士郎。その姿に、まずったか、と彼女の背を冷や汗が伝う。どうやらこの世界での士郎と“凛”は学校に共に登校しているようだ。彼女の世界の士郎は学校に行けるような状態ではなかった上に、桜の存在があったためこの事態は想定外だった。

 それをごまかすように凛は笑みを浮かべる。

 

 「ああ~。そうだったわね。ごめん少し寝ぼけてるみたい。士郎は先に行っていいわよ。私と出ると遅刻するかもしれないし」

 「そうか? それなりに早くきたつもりだけどな」

 「女の子にはいろいろ準備があるのよ」

 

 士郎の鈍さに僅かに眉をひくつかせながらも、凛は答える。

 

 「ああ、お前の弁当なら俺が作ってきてるからそこは大丈夫だぞ」

 「……まあいいわ。ちょっと待ってなさい。すぐ済ませるから」

 

 士郎のズレた考え方に僅かに肩を落としながらも、しぶしぶ凛は引き下がった。

 

 「ああ」

 と、のんきな調子で返す士郎をしり目に凛は踵を返す。

 

 彼女は家の中に引き返すとホールを横切って洗面所に向かい、顔を洗った。時間がないので化粧水などは使わない。男臭く冷水を顔に浴びせる。冬の水道水は肌に突き刺さるような冷たさを帯びており、いい気付け代わりとなった。

 

 「全く……」

 

 衛宮士郎という男は凛の知る限りでは近年まれにみる主婦根性の持ち主である。迎えに来るだけでなく、弁当まで作ってきているとは。士郎は世話焼きの性格に加え、嫁入り修行でもしたのかといわんばかりの家事料理なんでもござれというハイスッペクさも相まって、並みの女子を遥かに凌駕する女子力を誇る。うん、あいつはどこかに婿入りして主婦をやるか、家政婦にでもなった方がよいのではないだろうか、とあきれ交じりに彼女は苦笑した。

 

 朝食を作っている余裕もないので、素早く歯磨きを終わらせると、凛は洗面所を出た。

 二階の部屋に戻った彼女は、化粧台の前でブラシを使って適当に髪を整え、いつも通りツーサイドアップに結い上げる。寝間着を脱ぎ捨て、制服に袖を通し、鞄の中をチェックする。月曜の用意が入っていることを確認すると右手に鞄を持ってから凛は部屋を出た。階段の踊り場に置いてあるポールハンガーにかけてあった赤いロングコートを外して羽織る。

 

 そうして、再び玄関口に戻る。これらの所要時間は十五分ほど。まあ、まだ十分間に合う範囲だろう。士郎はとくに急ぐ様子もなくのんびりした様子で待っていた。

 

 「それじゃあ行くか」

 

 促された凛は、家に魔術でロックを掛けたのを確認して、士郎と並んで歩きだした。

 今年の冬は例年よりも肌寒く、吐き出す息は白んでいる。往来にちらほら見かける通行人も厚着し、身を刺す風から体をいたわるように背を丸めて歩いている者が多かった。

 

 やはりコートを着て正解か、と凛は少し胸を撫でおろす。アウターもなしに外に出ては木枯らしに巻かれてしまっていただろう。なぜなら、穂群原学園の女子制服は、冬を過ごすには少々薄着すぎるからだ。 黒のスカートはまあいい。だが、冬服になっても長袖のブラウスとベストのみとはいかがなものかと彼女は思う。

 

 しかし、冬木は比較的温暖な地域にあるので例年程度の寒気ならばさして問題はないのだが。通学する道中、凛はさりげなく自分がいた世界との違いについて士郎にさぐりをいれてみた。昨日得た情報は虫憑きに関するものばかりだったので、次は私生活についての情報を得ようと考えたのである。凛にとってこの世界はまったく知らない異郷に等しい。情報は得ることは必須と言える。

 士郎は最初の内は訝っていたものの、凛が記憶の確認という名目を出すと、懐かしそうにいろいろ語った。

 

 結果、いろいろなことが見えてきた。

 その一例として、聖杯戦争の経緯、結末の矛盾がある。士郎の話に当たり障りのない返答を行っているうちに、ここでの聖杯戦争の展開は彼女の世界のそれとはまったく異なっていることが分かった。

 

 聖杯戦争。万能の願望器を巡って七人の魔術師が殺し合うバトルロワイヤル。かつて五度にわたって行われたこの戦いの特徴として、魔術師がかつて活躍していた英雄を召喚し、サーヴァントと呼ばれる使い魔にして戦うという事が挙げられる。参加する魔術師はマスターとよばれ、マスター一人とサーヴァント一騎の二人一組で戦い抜くのである。サーヴァントは本来人間に御せるようなモノではないのだが、聖杯のシステムによって一応ある程度のことなきは得ていた。

 

 そして、かつてあったその戦いに凛と士郎はマスターとして参加していた。士郎とはその時に同盟を組んでからの付き合いである。そしてその彼の話によればこの世界と凛の世界は、その聖杯戦争の勝者からして違っているようだ。

 

 凛の世界の聖杯戦争の実質的な勝者はいま彼女の隣にいる衛宮士郎である。だが、この世界での勝者はどうやら凛であるらしい。そして、そこに至るまでの過程も大幅に異なっているらしかった。

 怪しまれるため彼女は詳しい話を訊くことはできなかったものの、自分たちの関係性もかなり異なっているらしいことが覗えた。

 遠坂邸に躊躇なく迎えに来たあげく、弁当まで作ってくる衛宮士郎。心なしか、凛と士郎の距離感が近いような気がする。体ではなく、心のほうが、である。

 

 もっとも、もとの世界でも彼女と士郎は戦友と言える関係であり、家族のような関係でもあった。だが桜という存在がある以上、それ以上でもそれ以下でもなかったはずである。しかし、この世界はどうにもそういう一線がないような感覚を彼女は覚えていた。加えて、凛の世界では死んでいるはずの人間も生きている様子であり、そこからも彼女の周囲の環境がかなり変化していることがうかがえる。

 

 それにしても、この姿の衛宮士郎と普通に談笑するのは何ヶ月ぶりだろうか、と少し彼女は感傷的な気分になる。昨日まではあわただしくて考える余裕がなかったが、もう一年近くこの姿を見ていなかった彼女としては些細なしぐさや表情すらなつかしく思える。

 

 そうこうしているうちに、学校についていたようだ。校舎に付いた時計は七時五十分を回っている。校内に駆け込んでいく人が数人みえるが、十分走らないでも間に合うだろう。常に余裕を持って優雅たれが遠坂家の家訓だ。しっかりと歩いて校門を通り抜け、校舎に入る。そこで、

 

 「それじゃ、俺はこっちだからまたあとでな」

 

 と士郎が片手を挙げ、三年C組の下駄箱がある方面に歩いていく。そういえば、元の世界では彼女はA組だったがこの世界ではどうなっているのか。もしかしたら違うクラスであることも考えられる。もし違っていたら。下駄箱の前で自分のそれがどこにあるかわからずに慌てふためく遠坂凛の姿が目に浮かぶ。

 

 それは、まずい。

 

 所在無げに立ち尽くす凛の視界の端に、士郎が下駄箱の森の中に消えていくのが映る。とりあえず、止まったままはまずい。好奇の視線を向けながら通り過ぎていく生徒に気付いて、彼女は歩き出す。疑念とささやかな恐怖にとらわれつつも、三年A組、元の世界での彼女の下駄箱とおなじ場所の前にたどり着く。

 凛は緊張と共にそれがあるはずの位置に視線を移す。

 

 「―――あった」

 

 すこし構えていただけあって拍子抜けしてしまう。いや、いちいち元の世界との違いに注意していても仕方はないだろうが。

 

 ひとつ軽めに息を吐き、靴を上履きに変える。昇降口を抜けてすぐの位置にある階段前で士郎と合流すると、そのまま階段を上りだす。その最中、凛はおもむろに切り出した。

 

 「ねえ、士郎今日の昼放課。一緒に昼食とらない? 場所は屋上で」

 「なんだ、突然。いつも一緒に食べてるじゃないか」

 「ああ、そっか。いや、場所の確認を取っただけよ」

 

 凛は誤魔化すために素早く語を繋いだ。

 

 「人気が少ない屋上の方が“向こう”にとっても話しやすいでしょうと思ってね」

 「……そうか。まあそうだろうな。わかった」

 

 少し眉根を寄せたものの納得した様子の士郎に、凛は内心ほっと一息ついた。どうやらこの世界の遠坂凛と士郎は昼食を一緒にとっているらしい。これは、彼女にとってちょっと驚きだった。先ほど彼女が考えていた通り、この世界の凛と士郎はかなり近い位置にいるらしい。

 

 べつにこの凛としても、士郎と昼食を共にすることが嫌であるわけではない。ただ、元の世界の士郎は休学していてそもそも学校にこられないため、弁当を一緒に食べるという場面がほとんどなかったからである。

 

 いや、もし士郎が学校に来ていたとしても、彼と一緒に弁当を食べるべき相手が他にいたという事が一番強いのだが。そこに彼女が混ざることはあれど、一対一で食べることなどまずなかっただろう。

 その驚きを表には出さずに凛は小さく頷いた。

 

 「そうね。今日から本格的な“お仕事”ってわけだからね」

 「ああ」

 

 階段を上り切り、自分たちの教室がある四階の廊下にたどり着く。そこで、凛にとっては意外な人物に遭遇した。

 

 「やあ。衛宮に遠坂じゃないか。朝から二人一緒にご登校とは、仲がよさそうでうらやましいね」

 

 教室に向かおうとする凛たちの前に進路を塞ぐようにして立つその人物。偉そうに腰に片手を置いて、人を食った笑みを浮かべるその少年の名は、間桐慎二という。身長はあまり高い方ではないが、端正な顔立ちにウェーブがかった髪の毛が特徴的な美男子だ。その容姿から女子生徒には人気が高い。

 

 とはいっても、凛は全く持って興味がない。とりあえずこの人物は、彼女のいた世界では既に存在していない。一般人でありながら聖杯戦争に参加し、死んでいるからだ。もろもろの事情から、凛個人としては慎二自身に思うところもある。だが、それでも一応、彼が生きて目の前にいるのはよかったといえることではあるだろう。

 その慎二に士郎は片手を挙げて答えた。

 

 「慎二か。おはよう。お前も今来たところか?」

 

 慎二の挨拶というにはいささか人を馬鹿にした態度も、どうやら衛宮士郎にとっては普通の挨拶と同じらしい。

 かくいう慎二もその態度がデフォルトである。「はっ」と士郎の挨拶を鼻であしらうと、腕組みして士郎を半眼で流し見る。

 

 「おいおい、衛宮。僕の手に鞄がない時点で察しろよ。相変わらずとろいな」

 「そうか。慎二は流石に遅刻ギリギリにはこないな」

 

 見るからに見下された態度で接せられる士郎だが、それでも顔は涼しげだ。驚くことに、見るからに正反対なこの二人はそれなりに仲のよい友人である。慎二に限って言えば、士郎は彼にとって唯一の男友達と言える関係かもしれない。

 

 そして、慎二に早いな、という士郎だが、今日は凛を待っていたこともあって遅めであるものの、彼は本来普通に早い時間帯で登校するタイプである。朝早くにきては、生徒会の手伝いや、備品の修理をしていたらしい。最も、これは凛の世界の士郎の話であるため、この士郎にも当てはまるかどうかは分からないが、まあそうと見て間違いないだろう。

 

 それにしても、このままの流れだとまた士郎が一方的に馬鹿にされるだけだろう、と彼女は考えて少しげんなりする。第一、それを横で見ているのも疲れる上に、時間もおしている。

 

 「ごきげんよう、間桐君。ちょっといいかしら」

 「ん、なんだい遠坂。僕に何か用があるのかい?」

 

 士郎としゃべっている時とはうって変って紳士的な声色で慎二が応対する。心なしか笑みの質まで変貌して見える。ただ一つ言うならば、猫をかぶるなら常にかぶっていないと意味がないだろう、と生粋の猫かぶりの彼女は思う。

 内心呆れたものの態度には出さない。あくまでにこやかに彼女は対応する。

 

 「お早いあなたと違って私達はまだ教室に鞄をおいてないの。どいてくれる? 邪魔なのよ。そこにいられると通れないから」

 「なっ」

 

 慎二の笑顔が引きつる。いい気味だと内心、凛はほくそ笑む。確かに生きていることはよかったと彼女は思ったものの、こいつがしでかしたことを許しているわけではないのだから。

 しかしその瞬間、さっきまでとは打って変わったかのように慎二が舌打ちする。

 

 「ちっ。まったく、学校だからって遠坂相手にいい顔するもんじゃないな。人の家に突貫してくるような奴相手に僕も何をしてるんだか」

 「へえ。言うようになったじゃない。間桐君」

 「ふんっ。……ところで桜の方はどうなったんだい?」

 

 それまでの軽薄そうな表情を消して、慎二は静かに凛を見据えた。その変化に思わず面喰って、彼女は喉まで出かかっていた皮肉の言葉を飲み込んだ。凛の知る限り、間桐慎二という男はこんな真剣な表情で桜の事を気遣うようなことをする男ではなかったはずなのだ。一体どんな経験をすればあの慎二がこうなるのか凛には想像がつかなかった。

 完全に言葉に詰まっていた凛に代わって士郎が答える。

 

 「正直、進展しているとは言えない。でも、情報は集まってきている。ここからだ。それと、もうすぐホームルームが始まる。この話はまたの機会にしよう」

 

 士郎の言う通り、確かに周囲の騒がしい雰囲気が収まりつつあり、それがもうすぐホームルームが始まることを示していた。確かにそろそろまずそうだ。慎二は頷くと道を開ける。

 

 「それじゃ、いこう慎二」

 

 様子からしてこの世界でも同じクラスなのだろうか。いたって普通に慎二を促す士郎。

 腑に落ちない感覚を抱えつつも、凛はそれに続いて歩き出す。

 

 「それじゃあお二人とも、私はこっちだから」

 「ああ、またな」

 

 士郎が片手を挙げて答え、慎二は小さく肩をすくめた。

 

 

 ホームルームを終え、授業がはじまる。

 日程は滞りなく進んでいく。危惧していた授業の進み具合のズレといった物もとくにはなかった。

 そして、昼休憩に入った。凛は級友からの食事の誘いを受けたものの、それをやんわりと断って屋上に向かう。

 

 硬い階段をリズムよく叩く靴音が響く。階段を上り切り、やけに軽い鉄製の扉を押し開ける。

 そうして、屋上のタイルを踏みしめた。穏やかな風が頬をなぜていく中、軽く首を巡らせてみると、校庭側の柵にもたれかかって眼下を眺めている男子生徒の姿が目に入った。

 

 凛は静かにその人物のもとに歩み寄っていく。男子生徒、衛宮士郎は憂いを帯びた目で校庭を見つめたままだ。歩み寄る凛に気付く気配がない。せっかくだし、驚かせようか、と思い至り少し足をしのばせる。

 もう数歩で射程圏に入る、というところまで来て唐突に向こうから声を掛けられた。

 

 「よう、遠坂」

 「……もう来てたのね、衛宮君」

 

 どこか出鼻をくじかれたような感覚に、わずかにむくれつつ凛は言った。気が付いていたならさっさとこっちを向いていろ、と凛は思う。

 だが、そんな彼女の内心にはまるで気づいた様子もなく、士郎はゆったりと振り返り、右手に持った風呂敷袋を軽く持ち上げて見せる。

 

 「ああ、もたもたしてると男どもに弁当食われちまうからな」

 「なるほどね。ところで、士郎の方ではここに潜入している局員の目星ついてるの?」

 

 凛は念のために周囲に首を巡らせながら問いかける。一応冬なので、ここが定位置という物好きな人間でもいないかぎり、おそらくここを訪れる者もいないだろうとは思う。まあ、仮に来たとしても屋上自体それなりに広いので位置取りに気を使えば問題はないだろう。

 

 「まあ、一応はな。こいつ以外なら少し拍子抜けだ」

 「へえ、どんな奴?」

 「桜がここの監視班をみんなつぶしちまったからな、その直後に転校してきた奴がいる。見るからに堅物そうな奴だ。こいつが一番怪しいだろう……と言っているうちに来たみたいだな」

 

 士郎が目を鋭く細めて屋上の入口の方に視線を飛ばす。それを追って凛もそちらを向いた。

 すると、こちらに向かって真っすぐ歩み寄ってくる女子生徒の姿が目に映った。その背格好に心当たりはないものの、どこか大人びた雰囲気を感じる。

 

 「……ひょっとして同級生?」

 「いや、一年だったはずだ」

 

 少しばかりこわばった声で士郎は答えた。

 その間に、凛はその女子生徒をしっかりと観察する。背丈は女子にしては大きい方で、百七十近くあるだろうか。右手に大きな黒い鞄を持ち、制服をかっちりと着こなしたその姿は堅物な印象を受ける。髪形は黒髪のショートヘアーで、鋏で適当に整えただけのような小ざっぱりした頭をしている。顔つきはかわいいとか綺麗というより凛々しく、不愛想にへの字になった口元や、その髪型や身長、雰囲気も相まって非常に中性的な魅力を醸し出していた。

 

 その女子生徒は間近まで迫ると、歩みを止めた。凛と士郎はその女子生徒と畳一枚ほどの空間を挟んで向かい合う。

 先に口火を切ったのは女子生徒の方だった。

 

 「……話は聞いている。お前たちが、新しい局員、“紅紋”とその協力者というやつか」

 「――そうよ。で、あなたは?」

 

 軽く頷いた凛は、女生徒に尋ねた。

 

 「西中央支部局員、通称は“さくら”だ」

 

 短く、女子生徒、“さくら”は答えた。

 そして、それを聞いた士郎の肩が跳ねるのが分かった。“さくら”というコードネームに反応したのだろう。桜に局員を全滅させられて、まんまと逃がした局員の後任として送りだした者のコードネームが“さくら”とは特環もなかなかに皮肉を利かせている。

 

 「そう、私は遠坂凛、こっちが衛宮士郎よ」

 

 紹介された士郎が軽く会釈する。しかし、“さくら”はちら、と視線をやったのみで済ませ鞄をまさぐり始めた。

 

 「詳しい事情はいい。手早く終わらせたい。これから渡す書類に適当にサインしてくれ」

 「適当ってあなたねえ……」

 

 あまりにも雑な“さくら”の応対に、心の贅肉かとも思ったがそれでいいのかと感じた凛は待ったをかける。しかし、彼女は至極どうでもいいというように鼻を鳴らした。

 

 「特環も必要な情報は中央のボディチェックで得ているはずだからな。どうせ局員になるんだ、適当なサインで十分だろう」

 

 反論は認めないというように言い捨てると、“さくら”は鞄の中から引っ張り出したクリップボードに挟まれた書類とボールペンをずいと突き出してくる。

 その勢いに、凛は思わずそれを受け取ってしまう。その上、早く書けと急かすように手元に視線を注いでくる“さくら”に、凛は口元が引きつる感覚を覚えながらもペンを走らせた。

 

 「はい。書いたわよ」

 

 書き終えた凛は、腕を組んで待っている“さくら”に向けて書類を差し出した。彼女はそれを手に取って折りたたんでポケットに仕舞うと、再度鞄に手を入れて別の書類を引き出した。

 

 「支部の入口を記した地図だ。あとは支部に入るための局員番号がかいてある」

 

 凛が書類を受け取ると、今度は手に持った鞄を持ち上げた。

 

 「ついでに装備だ。監視班という立場である以上そう使う機会もないかもしれんが持っておけ。連れの分も用意してある。一応それなりに頑丈だ。虫の攻撃を受けて死なない程度にはな」

 「へえ、随分丈夫なのね」

 

 素直に感心して凛は手に取った鞄に視線を注ぐ。

 

 「当然だ。私たちが作ったのだからな」

 「作った?」

 

 士郎が僅かに身を乗り出して尋ねる。それに“さくら”は首肯した。

 

 「特環の装備は基本西中央支部の開発班が請け負っている。私は開発班所属だ」

 「開発班? そんなものまであるのね。その開発班のあなたがなんだってここに移されたわけ。ほかに人員いるんじゃない?」

 

 凛は思わず浮かんだ疑問を投げかけた。技術畑の人間を駆り出さねばならない程に特環が人員不足であるとは思えなかったのだ。何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。

 しかし相変わらず仏頂面のままに“さくら”は答える。

 

 「監視班全滅という憂き目にあった場所で場所である以上、少しでも戦闘能力のある者を配置したいという事が上の意向だった。だが開発中心の西中央支部には高位戦闘員が少ない。というより私しかいなかっただけだ。付け加えれば、私はモノが作れればそれでいいからな。ただ抑止力としてそこにいればいい、と言われたから承諾した。それだけだ」

 

 どうやらかなり職人気質の人間のようだ。堅物な印象もここからくるのだろうか。まあ、この意見に嘘はないだろう。これから西中央に所属する形になる相手に対して、西中央内部状況の嘘をつく必要もない。これは真実と見てもいいはずだ。

 

 「そういうこと。で、私に特環側から何か伝えるような事はある?」

 「定期的に連絡を入れろという事ぐらいだ。どうやらかなり自由な立場のようだな。それと、連絡には装備の中にあるゴーグルを使え。通信機能がある。情報班につながるはずだ。詳しくは渡した装備の中に説明書があるからそれを読め」

 「オーケー。理解したわ」

 

 そう凛は言ってみたものの、正直なところ機械の扱いには不安がある。だからといってそれを訴えるのも情けない上に、仕様もない。癪だが士郎に教えてもらうしかないだろう。

 

 「もういいな? 私は行く。……それと、何か作ってほしいものがあるなら支部に来い。物によっては作ってやる」

 

 そう告げると、“さくら”は凛たちに背を向けた。そんな彼女に、凛は軽く礼を述べる。

 

 「そ。それはありがたいわね。でも、監視役ならもうちょっと無難な人付き合いした方がいいわよ」

 「性分だ。気にするな」

 

 付け加えられた凛の忠言も彼女はさらりとかわし、足早に屋上から去って行った。

 

 「こっちが気にするのよ……。まあいいか」

 

 取り残された凛はぽつりとこぼしたものの、気を取り直して士郎に向き直った。士郎はどこか感嘆の念のこもった眼差しで“さくら”出て行った屋上の入口を見つめていた。

 

 「変わった奴だったな。古風っていうのか」

 「職人気質ってやつじゃない? 物作り以外には興味ありませんって空気出してたし」

 「それにしても開発班か。すこし興味があるな」

 

 その士郎の言葉には、特環の技術力を把握する為などといった類の物ではなく、純粋な知的好奇心から漏れた物のように感じた。いや、前者の意味合いも当然あるだろうが後者の割合の方が強い、といった印象だ。

 凛はそんな士郎におや、と過去を思い返す。

 

 「そういえば、あんたガラクタいじるの好きだものね」

 「まあな。この先どう動くかはまだ定まらないけど、一度覗いてみたらどうだ」

 

 そう奨めてくる士郎は、表面的には敵情視察的意味合いを持たせているつもりなのだろう。だが、やはり内に宿した関心と期待がにじみ出ている。まあ、同じ“作る者”として逸る気持ちがあるのは分からないでもない。一応、実益はある。したがって、凛もその意見には賛成だった。

 

 「そうね。情報を得るためにも支部に顔を見せるのはありでしょう。開発班も同じ。局員になった以上その立場は利用しないとね」

 「そうだな」

 

 そう相槌を打った士郎は、どこか満足げであった。凛は軽く苦笑しつつもそれを指摘する。

 

 「随分とうれしそうね、衛宮君」

 「そんなことは……。いや、悪い、ちょっと関心はある」

 「まあ、実益があるからそれは良いけど。なんにしても今後は“影法師”の噂。それを追い続ける方向でいった方がいいのかしらね。協会側ともコンタクトを取らないといけないし、忙しくなるわね」

 「まあ、とりあえず弁当を食べよう。昼休みが終わっちまう」

 

 僅かに柵から身を乗り出して、校舎上部の壁に埋め込まれた大時計の様子を覗った士郎が提案した。凛も確認するために寄りかかって覗いて見ると、確かに、あまり時間がない。その意見を受け入れて、遅めの昼食と相成った。

 

 

 結局、学校から帰ったその日は、受け取った装備、主にゴーグルの扱い方について士郎に指南してもらっているうちに終わってしまっていた。

 それに伴い、今日の内に南中央支部に顔を出すつもりだったのだが、明日に変更となっていた。今日のうちに開発部の見学に行けると考えて意気込んでいた士郎は、すこし肩を落として帰っていったのを覚えている。だが、それ以上に凛はうなだれていた。

 

 彼女は魔術師である。魔術師という人種は、総じて近代機械を使いたがらない。自身の扱う魔術で代用が効く上に、神秘によって行われるそれの方が格調高いとでも思っているからだろう。たとえそれが、現代の利器を使用した方が何倍もコストパフォーマンスが良いことが分かっていたとしても、である。対して、凛は別段科学を毛嫌いしている訳ではない。かといって愛好している訳でもないが、使える物は使う性質だ。しかし、決定的に機械という物を扱う事が苦手であった。

 

 それが災いし、凛は科学の粋を集めた精密機械そのものである特環ゴーグルの操作法に悪戦苦闘し、辛酸をなめさせられた。彼女は憤懣やるかたない面持ちでベッド脇に置かれたナイトテーブルの上にあるゴーグルを睨む。暗視、通信、録画、録音。なぜ、目を保護するためだけの道具にここまでの機能を詰め込んでしまったのか。凛にはこの機械がオーパーツか何かのようにしか感じられなかった。

 

 一応、簡単な操作は行えることが出来るようになったが、どうにも釈然としないものが凛の内側にわだかまっていた。思えば、今日は半日近くゴーグルと睨みあっていた。

 

 それは分厚く幅広の黒い帯の上に、銀色の硬質な金属塊が張り付けられ、金属塊にはめ込まれた二つの黒い遮光版で構成され、鈍い光を放っている。その内部には想像するも恐ろしい機械の内臓が広がっているのだろう。何という時間の無駄か。 あまりの虚しさに、憎らしいそいつを叩き壊してしまいたくなる。

 と、そこまで考えて馬鹿馬鹿しくなった凛はゴーグルから視線を外し、ベッドにもぐりこんだ。

 

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