我が師への畏敬を胸に 作:岩窟鸚
夏といえば、人にもよるかもしれないがやはりプールではなかろうか。
駒王学園にも大きなプールが設けられており、女生徒の人気も相まって比較的人気の高い授業でもあったりする。
もっとも、今回は休日。人気はほぼ皆無であったが。
「無料で涼めるって話だから、俺は来たんだが?」
半袖のラッシュガードに紺の膝丈海パンを纏った冥利は、ジトりとした目を連れ合いたちへと向けていた。
「プール掃除が終われば使えるよ」
「だからってこの人数でやるもんじゃねぇだろ。悪魔パワーでゴリ押しか?」
「一応、沖草は掃除には参加しなくて良いって部長は言ってたぞ?この前のほら、コカビエルの時の礼だってさ」
「律儀な奴だな、オカ研部長……まあ、こっちとしても見てるだけじゃ、暇だわな」
ため息を吐き、冥利は用意されていたデッキブラシを二本手に取ると少々いじり始める。
程なくして、ガムテープで三ヵ所纏められた宛ら双頭槍の様な見た目のデッキブラシが出来上がっていた。
お手製のソレを片手に水の抜けたプールへと向かう冥利に、一誠は首を傾げる。
「沖草、それでどうするんだ?」
「あん?そりゃ、こうするのさ」
振り返る事なく答える冥利はデッキブラシの中ほどを掴むと、勢いよく回転させ始める。
回転はかなり速い。それこそ、一誠も祐斗もデッキブラシの先端が緑の線の様になってほとんど視認できない程度には。
高速回転するブラシが、プールの底と接する。すると、高速で擦れ合う音が聞こえ、ブラシが退けばそこにあるのは新品の様に綺麗になった部分だ。
「俺がこのまま、底を磨いていくからお前ら残り頼むわ」
「良いのかい?沖草君が一番大変な気がするけど」
「さっさと終われば、さっさと入れるだろ?それに、体を熱くしておけばプールの有難みも増すってもんだ」
「でもよ、部長たち待たなくていいのか?」
「オカ研部長達が来る前に終わらせれば好感度上がるかもしれねぇなぁ?」
「行くぞ、木場!部長たちが来る前に終わらせるぞ!」
煩悩とエロの狭間で生きる男、兵藤一誠。目先の欲を提示すれば、宛ら目の前にニンジンを下げられた馬のごとく走り出す。
果たして、エロパワーを発揮したおかげかプール掃除はあっさりと終わってしまった。
たった三人で完璧に終わらせるなど相当に思えるが、二人は悪魔で、一人はそんな悪魔以上の身体能力お化け。単純な肉体労働だけならば、造作もない。
「部長!終わりました!」
「ありがとう、イッセー。祐斗も沖草君も助かったわ」
「いえ、僕はほとんど何もしませんでしたから」
「アイツのエロ根性は相当だな。つーか、水はどうするんだ?プールの水って溜めるの時間がかかるだろ?」
「そこは大丈夫よ。私と朱乃が魔法で水を溜めるもの」
「便利なこった」
伸びをして体を伸ばす冥利は、空を見上げる。
少し離れた場所では、一誠がアーシアとリアスに絡まれながら鼻の下を伸ばしている。祐斗の方は、何やら色々と準備しているらしい。
程なくして、プールに綺麗な水が溜められた。
さて入ろうと腕を回す冥利だったが、その前に羽織っていたラッシュガードの裾が後ろに引かれる。
振り向けば小柄な白髪少女の姿が。
「どうしたよ、塔城。何か用事か?」
「えっと、その……私に泳ぎ方を教えてもらえませんか?」
「何だ、泳げないのか?マジ者の、猫だな」
「うるさいです……それで、どうですか?」
「うん?まあ、良いぜ。どうせ、プールつっても浸かってること以外やる事無いからな」
答えながら、冥利はプールの中へ。
一つ問題があるとすれば、
「まあ、浮かねぇわな」
冥利の体が殆ど浮かない点。
羽織っているラッシュガードや、水着の裾が若干空気を溜める事で浮かび上がったが、彼の体はプールの底に足をついた状態で少し浮いて、そして沈むを繰り返していた。
これは、彼も予想していた事。因みに、泳げはする。
プールサイドにしゃがみ込んで見下ろしてくる小猫を見上げて、冥利は口を開いた。
「とりあえず、ビート板借りてきな」
「分かりました」
小走りに離れていく背中を見送り、冥利は少し大きく息を吸う。
そして、徐に水中へと仰向けに潜っていった。
鼻から空気を吐き続ければ水が入ることは無い。そして、彼の肺活量は常人のソレを大きく逸脱している。
水中の生活に適応していない人間の目は、水中では鮮明に見える事が無い。ただぼやけた光と揺らめく水面が視認できるだけだ。
そんな水面に、白と紺が割り込んでくる。
「……沈んでたんですか?」
「涼んでただけだっての。それより、ほれ。来な」
「……」
「大丈夫だって。沈みそうになったら支えるし、ビート板もある。そっちに掴まれば最低限浮く」
ほれ、と両手を自ら出して持ち上げる冥利に対して、小猫はつばを飲み込むと意を決したように恐る恐る水面へと足をつけた。
「体に力が入り過ぎだ。もっとリラックスしろ」
「うっ、ッ、手、手を放さないでください……!」
「大丈夫だって。ほらビート板浮かせて顎と腕乗せろ」
ぎこちない動きでバタ足をする小猫。
典型的な金槌の人間にありがちな、体の節々に力が入り、尚且つ足首が脛と垂直に立った状態でのバタ足は勝手に下半身が沈んでいく。そして、必死にビート板にしがみ付き、更に力んで沈む。その繰り返しだ。
「……とりあえず、支えてやるから」
言って、冥利は小猫の側面へと回ると、右腕を彼女の腹部の下へと添えた。残る左手は硬くなった彼女の足首の補助へ。
「良いか。まずは力を抜け。そしたら体は自然と浮かんでくる」
「うぅ……こ、こうですか?」
「もっと抜け。足首固まってんぞ。そんな曲げて力込めてたら余計に沈む」
疚しい気持ちは欠片も無い。足を伸ばさせ、力を抜かせ、そして水に浮かぶように誘導していく。
元々、小猫の運動神経は悪くない。ただ、水に対する恐怖心の様なものがあっただけでコツさえつかめばビート板有りならば沈む事すらもあり得ない。
ぱちゃぱちゃと水を蹴りながら進む小猫を眺め、冥利は頷く。
「その感覚忘れるなよ。力んだら、沈む……んじゃあ、次はビート板無しでやってみるか」
「えっ……」
「心配すんな、手は握っててやるよ」
「……」
「そんなに怖いなら。まずは背面浮きだな。顔浸けなくて良いし」
「出来ますか?」
「だから、支えてやるって」
両掌で小猫の後頭部を包むようにして持つ冥利。
指導が続く中、そんな二人をグレモリー眷属の面々は眺めていた。
「髪の色が違うのに目を瞑れば、兄妹みたいよねあの子たち」
「そう、ですわね……」
「気になるのなら、混ざってきても良いのよ、朱乃」
「いえ、そういう訳では……」
「つーか、沖草の奴上着脱がないんすね」
「そうだね。あのまま水の中に入ってるのは、張り付いて煩わしいと思うんだけど」
「では、私が回収してこよう。ついでに……フフッ、師匠の荷物持ちも弟子の仕事だからな」
意気揚々と二人の元へと足を向けるのはゼノヴィアだ。こういう時、彼女は物怖じしないというか、しり込みしないというか。決断力と行動が密接だった。
「師匠!上着を預かろうじゃないか!」
「……何だ、藪から棒に。というか、俺はお前の師匠じゃねぇよ」
「まあ、そう言うな。上着を着たままに水に入れば不快感があるのではないか?」
「いや、うん……無い訳じゃねぇけどよ……ま、お前らしか居ないしな」
特段渋る理由もなく、冥利は仰向けに浮かぶ小猫を誘導してプールサイドへと持ち上げ座らせると、自分は徐に前面のジッパーへと手を掛けた。
引き下げられ、露になるのはギリシャの彫刻の様な筋肉質な体。
そして、右肩甲骨辺りに広がる、灰色の痣群。
「先輩、ソレは……」
「生まれた時からある痣だ。灰色で、菊の花みたいだろ?プールやら温泉に行くと入れ墨に間違われて面倒だからな」
小猫の問いに答えながら、冥利は左手で右肩を撫でる。
痛みは無いが、懸念事項は自分の寿命。痣者は等しく二十五歳で死ぬ。
あの最後の戦いで生き残る事の無かった冥利だが、生き残った者たちの大半はこの痣が発現していた。その結果がどうなったのか、彼には分からない。
では、今生ではどうなのか。
菊の花の様に時が来れば散ってしまうのか、或いは菊花石の様に長く長く留まり続けるのか。
彼にもそれは、分からなかった。