我が師への畏敬を胸に 作:岩窟鸚
冥利にとって肉体とは商売道具であり、資本でもある。故に、その鍛錬には余念が無く、ついでに昔からの精神統一の方法でもあった。
「三百八十一……三百八十二……三百八十三……」
極太の丸太を十本纏め、担ぎ上げた状態からのスクワット。これは、前々世において師匠より課せられていた修行の一つだ。このほかにも、滝行や平屋程もありそうな大岩を押す修行などもある。
鍛えるのは、柔軟で強靭な足腰。機動力にも直結するが、更に一撃の破壊力などにも強い足腰からの踏み込みが大切。
回数数えて、五百回。一息ついて丸太を下せば、全身からは風呂上がりの様に湯気が立ち上っていた。
足腰のトレーニングが終われば、次は上半身。逆立ちし、丸太をくくった縄を器用に足の指で持ち上げ、そのまま腕立て伏せ。
これは単純な腕力や上半身の鍛錬ではない。足の上に乗せたバランスの悪い丸太を落とさないようにする体幹のトレーニングでもあるのだ。
スクワットと同じく、こちらも数えて五百回。湯気に交じって滂沱のごとく汗が流れる。
一つ補足をすると、冥利は今生に生まれ落ちて最初からここまでの動きが出来た訳ではない。如何に記憶があれども、肉体のスペックまで前世の分を引き継ぐ訳ではないのだから。
もっとも、技術と知識だけ引き継いだわけではなかったが。
その一つ。それは、冥利の体に刻まれている。
噴き出した汗でぐっしょりと色が変わったトレーニングウェアを脱いだ冥利。その、背中。右肩甲骨の辺りに彼は
菊花石というものがある。
鑑賞石の一種で宝石などではないが、美術的価値を見出された石の名前だ。
この菊花石は、その名の通り菊の花の様な放射状の紋様を内包している。
冥利の痣は、まさにこれ、花の様にも見えるが、放射状にひび割れている様にも見える。触れれば凹凸などは無いのだが。
そして、彼はこの痣に覚えがあった。
ソレは前々世。鬼の首領を討つ戦いとなった時の事。文字通り決死隊。その覚悟で、一分が一時間にも感じるような時間の中を駆け抜けた長い長い夜の事。
無意識のうちに痣を撫でれば、脈打つような熱さがそこにはあった。
瞼を閉じれば、あの血に塗れた夜の事を思い出せた。
前世と比べれば、前々世は短いものだっただろう。毎日が矢の様に過ぎていたし、光陰矢の如しとはよく言ったもの。
それでも、だからこそ、綺麗な記憶はいつだって輝いている。
「……炊き込みご飯でも作るか」
感傷ついでに思い出すのは、宿坊で食べた炊き込みご飯。
師匠と弟弟子と己の三人でちゃぶ台を囲んだある日の光景。
もう戻れはしないが。
***
近接戦闘職にとっての身体能力は生命線だ。これが低いと、とてもではないが戦闘で生きていく事など出来ない。
「か、体が痛い……!」
「なっさけねぇなぁ兵藤。高々ランニングと腕立て伏せだろ?その程度でへばってたら、とてもじゃねぇけど、この業界生きていけねぇぞ」
「し、仕方ねぇだろ……今の今まで、ろくに動いてこなかったんだから」
「この、オソマ野郎」
「遠回しに運動音痴って言うんじゃねぇよ!?……っでぇ!?声張るのもキツイな……!」
全身の筋肉痛で悶絶する一誠をしり目に、冥利は呆れたため息を一つ。
発端は、朝の時間。肉体改造に勤しんでいる一誠と会った事に始まる。
詳細は省くが、基礎トレーニングで音を上げている彼に対して、冥利が鼻で嗤い。そこで一緒に登校していたリアスが、彼の体は極限以上に鍛え上げられている事を指摘し、こうして昼休みに相談、もとい筋肉痛の愚痴を言いに来ていた。
因みに、この場に居るのは一誠だけ。アーシアは、別のクラスメイトとお昼。ついでに、一誠自身が情けない話をあまり聞かせたくないと、見栄を張った、という理由もあったり。
「まあ、筋トレはそういうもんだ。筋繊維をぶっちぶちに切って、修復ついでに筋肉を大きくしていく。よく食って、よく動いて、よく休め」
「……前二つは分かるけど、休むってのは?」
「遮二無二我武者羅に頑張るだけトレーニングじゃねぇんだよ。動けば消耗する。疲労ってのは、パフォーマンスの大敵だ。疲れて真面に動けないのに、鍛えたところで効率わりぃぞ」
「そういうもんか?」
「そういうもんだ。まあ、お前の時間が無いってのも分かるけどな。『赤龍帝の籠手』だったか。基礎能力次第で化ける代物だし」
神器の中でも、神すら滅ぼせるとされる神滅具。
一誠の宿す『赤龍帝の籠手』もまたその一つであり、十秒ごとに保有者の力を倍化させていくという破格の能力を有している。
だが、過ぎた力は身を亡ぼすのが世の常。
トラックの積載量に似ており、トラックが一誠、積載量が倍化していく力となる。
今の一誠が軽トラほどの積載量の状態で、ダンプカーのマックス積載量を受け止められるかと問われれば、否。逆に乗せるどころか潰される事になるだろう。
だからこそ、一誠の目下の目標は肉体の強化。体を鍛えて、積載量を上げ地力を高める必要があった。
へらへらとしながら弁当を平らげていく冥利を横目に、一誠はふととある疑問が鎌首をもたげてきた。
「そういえば、何で沖草はそんなに鍛えてるんだ?」
「んあ?何だよ、急に」
「いや、部長にお前がこっちに入った経緯とか聞いたんだけどさ。何というか、こう……別の理由があったんじゃないか、と思って」
「!……お前、ただの変態じゃなかったんだな」
思わず素になりながら、冥利はそんな失礼なことを言ってしまう。
だが、仕方ない。目の前のこの兵藤一誠という男は、学園でも有名なドが十個は付きそうなほどの変態なのだから。
ただ、こうして付き合いを持ってみるとその認識も少しは変わる。いや、変態という点は覆しようのない事実として根を張っているのだが。
「まあ、なんだ………俺にも色々あるのさ。理由としちゃ、あー……ま、師匠たちへの尊敬、的な?弱いと顔向けできねぇんだわ」
そう言って笑う冥利。
彼の強さの根底にあるのは、師匠たちからの鬼の扱きがあってこそのもの。それが無ければ、彼のすべては常人の域を辛うじて抜ける程度の、アスリート止まりだっただろう。
一般人の一流止まりにはならなかった。故に、冥利は感謝している。
とはいえ、転生している事を馬鹿正直に語る理由も無い。それっぽい口調で言葉を濁せばそれ以上突っ込んでこないだろうという打算もあったりする。
案の定、一誠は必要以上に踏み込もうとはしなかった。代わりに、別口の頼みを口にする。
「なあ、沖草」
「んー?」
「トレーニング、手伝ってくんね?」
「あ?」
首を傾げ冥利が顔を向ければ、比較的真面目な表情の一誠がそこに居た。
「オカ研部長に、あの元シスターも付いてるんだろ?両手に花を見せつけたいって?」
「いや、そうじゃない。アレだよ、目指すべき目標?みたいな。そういうのって近くにあった方が、身が入ると思わないか」
「……」
一誠の言葉を受けて、冥利は一理ある、と内心で同意していたりする。
あらゆる物事において、モチベーションは大切だ。大成したりするには必須だと言ってもいい。
冥利のモチベーションは、師匠たちだ。彼らに鍛えられたという記憶故に、恥じない為に強くなる。
問題としては、冥利自身にも放課後、朝、どちらも用事があるという点。
「……まあ、暇な時ぐらいなら見てやるよ」
「よっしゃ!頼んだ!」
「あ、本格的な依頼なら、通帳解約して来いよ」
「搾り取る気か!?つーか、そこまで金ねぇよ!」
良い話だったのに!と叫ぶ一誠だが、冥利にだって生活がある。
故に致し方ないのだ。