日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~ 作:天空のトロイカ
ご注意下さい。
恋愛の十分の九は恋する側にあって、その十分の一が、恋されている対象の側にある。
「アテナ、ですか……それは当方に搭載されている仮想人格を思うと、少し皮肉なお言葉ですわね」
長谷川鎮守府の艦隊出撃前。
長谷川提督をアテナになぞらえたらそんな言葉が返ってきて、エミリーは思わず面食らった。
「というと?」
「当方に搭載されている仮想人格は『メーティス』。ギリシャ神話の知恵の女神だそうです。とはいえ有名とは言い難いですわね、少なくともその娘と比べれば」
「娘?」
「それこそがアテナ。アイギスの本来の持ち主ですわ」
なるほどそれは確かに、皮肉に聞こえたかもしれない。
「当然ながら、メーティスにも『代償』はあるんでしょう?」
「ええ。と言ってもフィン・マックールやもう一つの方式と比べると、メーティスの代償は間接的な物になっています。ギリシャの主神ゼウスは『妻であるメーティスが妊娠した子供が男児であった場合、自身を脅かす』という予言を受けて、メーティスを呑み込んでしまいました。その後アテナはゼウスの頭から生まれ、女性だったことで予言は外れるのですが、これは別の話です」
長谷川が滔々と語ったメーティスに関するギリシャ神話の一幕には、どうにも「代償」と呼べるような内容はない。思わず首を傾げるのだが、
「メーティスは妊娠したことで、知恵の女神でいられなくなった。つまり仮想人格メーティスの代償は『妊娠できない』です。努力目標ではなく、実際にできない身体になります」
長谷川がなんでもないかのようにさらっと続けた言葉は、決して軽いものではなかった。
「そんな、非人道的すぎる! モーリアックめ、なんて物を!」
「そうですか? 人類が艦娘たちに強いていることですよ?」
「……!」
「それに陽菜にとっては、ノーリスクに等しいものです。陽菜は殿方を受け入れられませんので」
長谷川提督の性的志向については、資料で読んで知っている。同性愛や同性婚などいちいち騒ぎ立てるほどのことではなくなった現代ではあるが、艦娘という存在に配慮せねばならない状況においては、提督のそういった資質を把握しておくことは大本営にとって必要なことだった。
「……人生で一人だけ、子を授かっても構わないと思えた相手がおりますが。その殿方を受け入れられなかった時点で、メーティス抜きでも当方がこの先に子を成すことはないでしょうね」
「そんな相手が」
そこまではさすがに把握していないことで、
「ええ、5年ほど前……22歳の頃にお付き合いしていた殿方です。女癖がよろしくないと言われていた方でしたが、当方と交際を始めてからはそういった面を一切見せませんでした。あの頃は当方を心から愛してくれていたのだと今でも確信しておりますが……残念ながら当方があちらを受け入れられずに傷付けてしまい、終わりになりました。それでもあの方は、陽菜にとっては人生でただ一人の王子様でした」
「その人は、今は?」
「ええ、実に元気でやっておりますよ。どうにも女癖の悪さは本当だったようで、しかも実際は噂以上だったようですが。女性を何人でも同時に、しかも全員真剣に愛せる特異な輩なので、それを受け入れられないと恋愛は難しいでしょうけどね」
思い出は遠くに在るから美しいのだ、とばかりに辟易したような口調の長谷川は、しかし決して嫌悪や不快感と共にそれを言ってはいなかった。
きっと恋愛関係ではなくなっても、その相手との関係は悪いものではないのだろう……エミリーはそんな風に察する。
「奇遇。それは少し、私の昔の恋人を思いだすわ」
「あら、そんな方が?」
思わず呟いたら、今度は長谷川が興味を持って尋ねてきた。
「10年前……17歳の時に付き合ってた男でね。私は3番目の恋人だった。ふふ、これだけでもうクズみたいな男でしょ? 当時の私は日本に留学しててね。故郷にいた頃にはレズビアンだったんだけど、ばっちり堕とされちゃった」
「どんな方だったのです?」
悪気はないであろう長谷川の問いかけに、少しだけ胸がちくりと痛む。
「それがね、覚えてないの。顔も名前も。そんな人と付き合ってたという記憶だけ漠然と残ってるんだけど。きっとロクな男じゃないから、さっさと忘れようと思ったのね」
「……、そうですか」
明らかに不自然なこの回答を、長谷川はごまかしだと思っただろうか?
実際は紛れもなく真実を語っているのだが、さすがにこれをそう簡単には信じてもらえないのは理解できる。
――この時もまだエミリーは、自分と長谷川の
「そういえば新年早々から、2日連続で寝不足だったなぁ」
松代に存在する憲兵隊本部の収監施設。脱走できないように小さく作られた窓から朝空を見上げて、日下部はぽつりと呟く。
寝不足だけでなく、意図せず長門に
だから緊張の糸がぷつっと断たれたことで、3日間ほど眠り込んだのは無理のないことだった。
「元帥の言う通り、目が覚めた時には潔白は証明されてたな」
つまり記憶は全部憲兵隊に内見されたことになる。
おまけに憲兵隊にも面子があるわけで、潔白が認められても即時釈放とはならなかった。収監されている部屋こそ「独房」から「個室」に移ったものの、さらに数日が経過してもまだここに留まることを強制されている。
「アイギス戦が1月2日。それから6日間経ってるはずだから、今日は1月8日か。なんか新年から散々だなぁ」
扱いは囚人に対するものではなくなっているとはいえ、自由に出歩けるわけではない。手持ち無沙汰にぼんやり過ごすか、あるいは眠るくらいしかやることはなかった。想念交信で川内と会話できれば少し違ったのだろうが、さすがにここではそれを遮断する措置が取られている。
そうなると難儀したのは下半身事情だ。
だが、それもこれもすべて一昨日までの話だ。
「昨日から急に慌ただしい。空気が変わった。これは何かあったんじゃないか?」
昨日はそれでも、表向きは何事もなく過ぎ去った。だが今日は?
そんな風に思考を巡らせていたら、
「日下部提督、起きてる? あなたの釈放が決定された」
不意に部屋を訪れたエミリーから、開口一番そんなことが告げられた。
「おや。急な話だな」
「色々と事情があってね。とりあえず出る準備をして」
「了解であります、憲兵少佐殿」
途中で扱いが変わったとはいえ、最初は拘禁扱いで連行されたのだ。手荷物など最小限の物しかない。
日下部は手早く用意を整えながら、気になっていたことをエミリーに質問する。
「そういえば、うちの艦娘たちはどうなった?」
「鎮守府で待機中。あなたの帰任と同時に通常任務に戻ってもらう。あの戦力を遊ばせておく余裕はないからね。あ、川内だけはこっちにいる。彼女は書類上は人間だから、あなたと一緒に逮捕された。先に長谷川提督が手続きして釈放されたけど」
「そうか。何から何まで今回は長谷川に世話になった。いつか借りを返さないとな」
大学時代の同級生で、元恋人で。最悪の別れ方をして。
けれども提督になってからは大いに世話になっていて。
でも数ヶ月前にTSした時には、がっつり犯されて……。
思えば不思議な関係だな、などと感慨深い気持ちになっていたら、
「いいじゃない。昔の恋人なんでしょ?」
エミリーの言葉に、思わず目玉が飛び出すかと思った。
「ぶは……ッ! なんでそれを知ってる!?」
「マインドハックであなたの想念は見たからね。ばっちり22歳頃のあなたの記憶も見えたよ、『王子様』」
「やめてくれ。昔の話だ」
冷静に考えるとあちらの白百合姫という渾名も大概だが、それに合わせて王子様を気取るなど我ながらよくやったものだ。本当に似合わない真似をしたとしか思えない。
「あとそうだ、サラはどうなった?」
「ひとまず元の舞鶴の研究施設に戻している。警護は厳重化してるけどね」
「今後はどうなるんだ?」
肉体はサラでも、サラトガの意識を持っていて、自分のことを提督と呼んでくれた相手だ。あまり無碍にはしたくない。
そんな日下部の考えを見透かしたのか、
「それについては、後で大本営に顔を出して。あなたに正式に辞令が出るはず」
エミリーは妙にいたずらっぽい笑い方と共に、そんなことを言った。
エミリーが同伴してくれたので、釈放手続きに手間取ることはなかった。
憲兵本部の建物の外に出た日下部は、思い切り身体を伸ばす。
6日ぶりの外の空気は冬の割に暖かく、いわゆる小春日和の陽気だった。
「ローレンス少佐、見送りありがとう。さっき長谷川と川内に連絡がついたから、迎えに来るはず」
収監区画を一歩出れば、想念交信はすぐに回復した。
川内は心配していたより元気そうだった。あちらは釈放から2日ほど経っていて、今は長谷川と共に松代の街中に宿を取っているそうだ。二重の意味で夜戦不足に不満そうではあったが。
収監中の出来事についても話したのだが、つい先程エミリーと交わした会話を伝えたところで妙に焦りだしたのが少し気になるところだ。「すぐに行くから!」と血相を変えたように言われたのだが、そんなに会いたかったのだろうか?
「どういたしまして。ところで、少しだけでいい。時間をもらえる? マコト……?」
「エミー?」
あまりにも自然に。10年前とそっくりの口調で呼ばれたものだから、思わず自分も当時の愛称が口を突いて出た。
エミリーは日下部を促して、憲兵本部の裏手へと歩いていく。そこは小規模ながら木立が生い茂った空き地となっていた。わざわざ来なければ目にすることのないような場所であり、日下部とエミリーを除いて人の気配は一切ない。
ここでもし何かがあっても、すぐにそれが発覚することはないだろう。
こんな場所に連れてこられたことをさすがに日下部が訝しみ始めた時、エミリーは不意に足を止めた。そのまま日下部の方を振り返ると、
「あなた、だったのね。17歳の時、日本に留学した私を虜にしたのは……」
ずっとつっかえていた棘が抜けたような口調だった。
「な、なんでそれを知って……って、あっ!?」
「そう。マインドハックであなたの記憶を見た時に、ばっちり残っていたわ。17歳の頃、あなたの上で嬉しそうに腰を振ってる私自身の姿が。おまけに、あんなおぞましい約束まで」
すぐに気付くべきだった。
彼女はわざわざ長谷川との関係を知ったという、大きなヒントをくれていたのだ。なのに気付けなかったのは、痛恨の極みと言うしかない。
過去の行いは刃となって、現在の自分の喉元に突き付けられていた。
「そうだな。私はかつて、お前に殺されても文句の言えないようなことをした。全部、思い出したのか?」
「ある程度は。おぼろげに残っていた記憶が、輪郭を取り戻した感じ」
マインドハックは相手の
「非アイギス型の
5年前、記憶を消す前に気付けていれば、もっと上手く他の記憶との整合性を図るように調整は可能だったはずだ。だが今更どうしようもない。
きっと彼女はこの5年間、説明しようのない記憶の欠落に悩まされて生きてきたことだろう。自分なりに良かれと思ってやったことではあったが、文字通り裏目に出たとしかいいようのない状況ではある。
「それで。お前はどうしたい? さっきも言ったが、私はお前に殺されても文句を言えないと思ってる。艦娘たちのことがあるから抵抗はさせてもらうが」
唇を引き結んだまま日下部がそんな風に告げると……エミリーはどこか歪んだ笑いを浮かべるように、唇の端を軽く吊り上げた。
「陽菜さん、乙女の勘がピンチだって言ってる!」
切羽詰まった口調で川内が叫ぶ。
憲兵隊本部の正面玄関前に、日下部の姿はなかった。慌てて想念交信を飛ばそうとしたら、日下部から伝わってきた想念は想像よりも緊迫したものだった。
「どの口が乙女とかほざきやがりますか、夜戦バカが」
「言葉の綾ぁ!」
呆れたような口調で言う長谷川に言葉を返して、川内は想念をたどる。日下部はどうやら、憲兵隊本部の裏手に広がっている小さな森の辺りにいるようだ。
今は一緒にエミリーがいるはずで、その彼女は日下部の記憶を内見していて。ならば過去の自分のことを思い出していても、特に不思議ではないだろう。
「そんなことより、早く早く! 急いで!」
エミリーが日下部に対して何をするかは……川内には簡単に予想できることだった。
「マコト。少しは人の気持ちを理解できるようになったみたいだけど、本質は何も変わってないわね」
「えっ……?」
「私の気持ち。全然気付いてない」
それはどういう意味だ……と聞き返そうとした瞬間に、ぎゅっと強く抱きしめられた。
間近で嗅ぐ彼女の体臭は、
「エミー……! ど、どうして……?」
答える代わりに。強引に、唇を唇で塞がれた。
まだ一度目なのに、熱く蕩けるような激しいキス。
唇を離しても、腕までは離してくれない。息のかかる至近距離から、エミリーは熱に浮かされたような口調で言葉を紡ぐ。
「始まりがどうであれ。あんなに激しく愛されて、そこに生まれた感情は愛以外にないでしょ! 偽りとか本物とか関係ない。私は、あなたを愛してた! なのに、勝手に私の記憶を消したりして。バカ……」
本当に。本当の本当に、今この瞬間まで日下部はその気持ちに気付いていなかった。
なまじ過去の自分の所業を唾棄すべきものだと認識しているいたからこそ、被害者である彼女があれを肯定的に捉えているなんて、思いも寄らなかった。
あえて下世話な言い方をするならば……彼女は10年前からチン堕ちしたままだったのだ。
「ねぇマコト、私たちもう一度始めるのは無理かな? 今度はマインドハックで植え付けられた想念じゃない。私自身の意志で、マコトが欲しい」
小春日和の陽気が、森の木々を貫いて降り注ぐ。
10年前と比べて妖艶ささえ感じるエミリーの媚態に、6日分の禁欲を強いられた下半身の剛直がきっちり反応してそそり立つのを、日下部は間違いなく自覚していた。
※また少し間が空きましたが、前話の直接の続きです。ただしシリーズとしてはサラ編ではなくエミリー編となっています。
次話もエミリー編でして、かつシリーズ完結予定なので、今は多くを語るのは控えておこうかと思います。
ツイッターでのリアルタイム更新もしてますのでなかなかSSに集中できていませんが、できるだけ早く次話もお出ししたいと思います。
艦これ本編、秋刀魚祭りが絶賛開催中です。
日下部鎮守府はひとまず39尾集めて、任務の3つ目までは終わりました。あとは「特別な瑞雲」の工廠任務だけです。
11月いっぱいくらいは秋刀魚祭りは続くと思いますので、のんびり秋刀魚を集めつつSS更新も頑張っていきたいと思います。