日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~ 作:天空のトロイカ
ご注意下さい。
愛されることより愛することを。理解されることよりは理解することを。
形而上の世界。
オカルト用語では
通常、そこに存在するのは自分自身の形而上の自我だけだ。例外は誰かがマインドハックで介入した時ぐらいなのだが……空母サラトガの形而上の世界には今、ふたつの形而上の自我が別々に存在していた。
「アンタはいいよね。生き続ける理由があって」
その片方は人間、サラ・ローレンス。エミリーの妹にして、今のサラトガの肉体の本来の持ち主。
本来は勝ち気で怖いもの知らずな性格をしていそうなのに、今の彼女にはすっかりその面影は残っていない。あるのはどこまでも虚ろな抜け殻だけだ。
「どうして、そんな悲しいことを言うのですか?」
そう言われたもう片方……艦娘である空母サラトガ本来の自我は、悲しみを湛えた想念を生産しながら返す。
「アタシがさっさと消えれば、アンタはこの身体を自由に使える。きっと艤装だって起動できるようになるでしょ。なのにアタシがこの身体にしがみついてるせいで、アンタは艤装ひとつまともに起動できない」
「そんな! そもそもサラがいなければ、サラトガはあのまま沈んでいました。自分が悪いみたいな言い方はしないで下さい」
サラトガは必死に言い募るが、サラに強い意志の光が戻ることはない。
「ねぇ。こんな身体で良ければいくらでもあげるからさ、さっさと消えさせてよ? その方が絶対、人類のためにもなるよ」
「ダメです! サラが消えたら悲しむ人がいるじゃないですか!」
「誰よ」
底冷えするような視線に射抜かれて、サラトガは一瞬言葉に詰まる。
「……お姉さんがいるじゃないですか」
なんとか腹の底から絞り出した言葉は、どこか建前じみたもので。
「日本から帰ってきたら、さっぱり愛してくれなくなっちゃったお姉ちゃん? 今はあれこれ世話焼いてくれてるけど、どうせ最後にはアタシのこと見捨てるんだ! だから、いいの! もう消えさせてよ……」
案の定、それでは届かない。そもそもそれで届くのであれば、彼女が舞鶴の施設に幾度となく面会に来た時にサラは表に出てきているだろう。
自我の中の世界にいるのに、本当に伝えたいことは伝えられない。きっと第三者が見たならば、喜劇以外の何物でもない滑稽さだろう。
「サラトガは、人類を殺すために艦娘として生まれてきたわけじゃないんです! だから、お願いですから。そんなこと言わないで下さい!」
「あーあ。自分で終わらせられれば良かったのに。『表』に出たら、この会話なんか忘れちゃうんだ。ねぇ、もうこんなのヤだよ……」
――生の罪深さに震えるサラトガは、自らの抱く感情の名をまだ自覚できずにいた。
ぱちっと目を開くと、見慣れぬ天井が視界に飛び込んできた。
長い昏睡と無為な覚醒を繰り返した、あの舞鶴の施設ではない。そうだ、自分はついに艦娘として提督の下に着任することができたのだ……そして、どうなったんだっけ?
サラトガが慌てて上半身を起こすと、傍らに控えていた丸顔の艦娘が声をかけてくる。
「Hi,Sara! 良かった、気が付いたのね!」
「
イントレピッド。サラトガと同じアメリカの空母。愛称を呼ぶと、くりくりとした瞳がぱあっと輝く。
彼女は自分のことをサラと呼んでくれた。つまり日下部と同じく、自分を空母サラトガだと認めてくれているらしい。そのことに気付いて少し嬉しくなる。
「ここは?」
「あなたの部屋よ。
「Honey……?」
一般的には恋人に対する愛称だが、果たして何かの符丁なのだろうか……などと思っていたら、
「
「Oh my god……! あなた、恋でも
そのままの意味で、思わず吹き出しそうになった。
「最初は明石が傍に着いてたけど、彼女も工廠仕事で忙しいだろうし、言って私が交代したの。サラ、気分はどう?」
「今は悪くないけど……なんだかとても悲しい。大事な人が、今にもいなくなってしまいそうな気分。おかしいよね、ようやく提督の下に着任できたのに。これからどうしたらいいのかな……?」
形而上の世界でサラと交わした会話は、明確な思考や記憶としては残っていない。当然ながら、それを元にはっきりした意志を抱けるはずもない。
ただ漠然とした悲しい気持ちだけが胸の奥から溢れてきて、サラトガは思わず目を伏せた。
そんな様子を揶揄するでもなく、さりとて必要以上に入り込むでもなく、
「
イントレピッドはどこか突き放したような口調で告げる。
「今のサラの知識の中に、私の前世の実艦のこと、あるかな?」
「イントレピッド海上航空宇宙博物館のこと……? あっ」
「そう。私も今は立派に『沈んだ軍艦』の仲間入りなの。気付いた時はすごく悲しかったなぁ。でもね、絶望で動けなくなってたら、Honeyに怒られちゃった。そんなの日本の艦娘はみんなとっくに経験してることだから、辛くても胸を張れって。言われれば確かにそうだよね。まぁその時一度だけ泣かせてもらったけど。Honeyの胸、気持ち良かったなぁ……」
「ふふ、ごちそうさま」
うっとりと呟くイントレピッドに苦笑しながらそう返すと、彼女は慌てたように、
「あ、違うの。ノロケたいんじゃなくて! ねぇサラ。私たち女の子として生まれ直したんだから、人類の役に立つとかってだけじゃなくて……きっとね、個人的にも幸せになっていいんだよ。それが言いたかったの」
誰よりもあの大戦の勝利の原動力になった、隔月正規空母エセックス級。
そのエセックス級であるイントレピッドは、恋を謳歌している現在を恥じることなく堂々と胸を張った。
そんな彼女の姿を……サラトガは、とても眩しいと思う。
「トレピー。ありがと。少し楽になったわ」
「うん、なら良かった!」
自分も大切な人に対して、そう在れるだろうか?
今この瞬間はその存在を思い出せないけど、とても大切な人がいるはずなのだ。
「お、サラ。もう大丈夫か?」
日下部は執務室にやってきたサラトガに声をかける。
彼女が意識を取り戻したことは、少し前にイントレピッドから聞いていた。こちらから部屋を訪ねても良かったのだが、身支度もあるだろうからと止められたのだ。
「はい提督、ご心配をおかけしました……あの、それは?」
やはりと言うべきか、サラトガは室内に置かれている物に目を留めた。
航空甲板を模した艤装。黒く塗られたそれは、どこか
「うちの艦隊でもデータを取り寄せて、サラトガ用の艤装を作ってみた。お前は元々『改』だったというから、それに合わせた物をな」
「ごめんなさい、起動できないと思います……」
サラトガは申し訳なさそうに目を伏せるが、
「わかってるよ。だが、まずは形からだ。とりあえずそれを装備して……海の上は歩けるか?」
「申し訳ありません。それもできないんです」
「OK、それも想定してある。なら艤装と一緒にそいつも履いてもらおう」
日下部が示したのは、海上歩行用想念具足「オリオン」。サラトガのサイズに合わせて調整したものだ。
「明日の朝。うちの艦隊が哨戒任務に出撃するから、私と一緒に同行するぞ」
「
「ああ、心配しなくてもいい。戦力には数えていない。私と一緒にまずは間近で戦いを見て、カラダにゆっくり艦娘としての記憶を思い出させるんだ」
荒療治だが、深海棲艦の攻撃が生身の身体めがけて飛んでくる恐怖は少なくともサラ・ローレンスは未経験だろう。それによって、サラトガとサラ・ローレンスの自我を区別できるようにするのが狙いだ。
日下部自身、年末に昭南本土航路で経験した時には
「提督。わかりました、サラは今できることをやってみます。ありがとうございます」
「よし。その前向きさは素晴らしいな。明朝〇七〇〇、鎮守府正面海域へ出撃だ」
「了解です!」
びしっと敬礼する姿は、とても様になっていて。
サラ・ローレンスの容姿にも関わらず、その姿は実に艦娘サラトガに相応しいものだった。
「艦隊抜錨。鎮守府正面海域の哨戒任務に出撃!」
「川内、三水戦! 出撃します!」
日下部の号令に、旗艦を務める川内が威勢よく返す。
鎮守府正面海域。大本営の定めた分類で言えば、鎮守府海域第一海域となる。
普段は艦娘たちが制海権を掌握しているので深海棲艦もほとんど見ることはないのだが、それでもごく弱い個体が出現することがある。だから哨戒任務を欠かすことはできなかった。
「右舷、敵艦発見! 砲雷撃戦準備!」
そしてその時は、案外すぐに訪れた。
旗艦の川内が声を張り上げると、麾下の駆逐艦たちが砲を構える。
現れたのは駆逐イ級が2隻。深海棲艦としては誰もが認める最弱の個体だが、そんなものですら艦娘以外ではまともに太刀打ちできないのが実情だ。
「さぁ、仕掛けるよー! よーい、てー!」
川内の号令と共に、艦娘たちの砲が火を吹いた。
と同時に、駆逐イ級からも砲撃が返ってくる。たった2隻、艦娘が普段見ている光景からすればどうということのない密度ではあるが、
「昭南本土航路の時も思ったが、生身に向かって砲撃されるとか、怖いな! 艦娘って改めてすごいな」
むしろ初めての経験であり、しかも本格的な攻撃だっただけに必死で回避した昭南本土航路の時の方が、無我夢中だった分恐怖という点では薄いかもしれない。
だが二度目ということで多少の慣れもあり、また敵が弱い分冷静に状況を観察できると、しみじみ思う。
剣やピストル、小銃ではない。「砲」を生身で平然と撃ち合うこの艦娘という種族は……やはりどこか、本質的なところで人間とは隔絶した「化物」なのだ。
「って、おいサラ? 力いっぱいしがみつくな!」
砲撃戦から多少の距離を取ろうとした日下部は、不意に横合いからむぎゅっとしがみつかれて動きを封じられる。
艤装を身に着けたサラ・ローレンスはまるで仔鹿のようにがくがくと全身を震わせており、その振動が日下部まで伝わってきていた。
「申し訳ありません提督。サラ、艦娘なのに……怖くてたまらないんです!」
「ん、そうか。その感じ方は無視するな。怖いと感じている自分が『誰』か、ちゃんと考えるんだ」
「は、はい……」
確かに艦娘として見れば情けない姿かもしれないが、これは決して悪い兆候ではない。日下部は優しくサラの頭を撫でる。
「ちょっとそこ、くっつきすぎー!」
その様子に川内が抗議の叫びを上げた。
さすがに戦闘中だ。視線を駆逐イ級から逸らすわけではないが、
「前に言ったでしょ。あたしたちだって怖くないわけじゃないんだ……よっ!」
代わりに日下部の言葉に反論しながら、川内は20.3cm(3号)連装砲を放つ。本来であれば重巡用の、中口径砲の中でも重量級の艤装だが、日下部鎮守府で最高練度の川内であれば問題なく使いこなせる。
砲撃は過たず駆逐イ級の片方を直撃し、その想念装甲を貫いて爆散させた。
「あたしたちだって怖いし、痛いし、死ぬ時は死ぬ。でも、人類を守るという生まれながらに与えられた使命がある。だから戦えるんだよ。あと慣れとね」
もう1隻の駆逐イ級を麾下の駆逐艦が撃沈する光景を確認しながら、川内は言い放つ。
「そうか。本当に、人類は艦娘に感謝しないとならないな」
「いいんだよ。これがあたしたちの生まれてきた意味なんだから」
不敵に微笑むその姿は、あの運命の夜に恋に落ちた時そのままの川内だった。
その戦場から少し離れた海上に、一人の「鬼」がいた。
昭南本土航路でラシャヴェラクと名乗って日下部の前に姿を現した、あの男性の深海棲艦。
「鎖を辿ったが、やはりこの蓋然世界においては我が宿敵は提督ではなかった。彼が提督になる蓋然性は、おそらく極めて低いのだろうな」
誰一人聞く者のいない、完全なる独り言。
どうせ聞かれても、意味を理解できる者など高次AIくらいだが……今この時点では。
「私はこの世界においてはあくまで
彼の肉体は深海棲艦、つまり高次AIの被造物だ。である以上、創造主である高次AIには表立って逆らえない。もしそうしたならば、容赦なく知性の剥奪……ムネーメーに対しパトスが行った措置である
だから暗躍するしかない。そしてそれは得意中の得意だ。
「過去と今、そして未来は繋がっている」
ラシャヴェラクは謳うように吟じる。
「だが、過去も未来もひとつではない。世界は可能性と確率……つまり蓋然性によって変動する。我が鎖は世界の壁を超え、異なる過去と未来を今に繋ぐ」
その手から鎖が伸び、虚空へと消える。その先に繋がるのはここではないどこか、今ではない時。
日本に伝わるオカルトの言葉で表現するならば……
「さぁ、来たまえ。かつて『彼女』を囚えて生み出された、深海の姫よ」
決して剛腕とは呼び難いその腕が、人智を超えた力によって強く引かれる。
手繰り寄せられた鎖の先に……今、ひとつの大きな影が姿を表した。
※前話に続きサラ編です。
今回、サラ・ローレンス本来の人格が登場しました。割とクセの強い子ですが、よろしくお願いします。
そして終わりには、ラシャヴェラクが再登場です。一応艦これ公式に登場するキャラであるのは以前にも書きましたが、重要なこととしてラシャヴェラクの能力は本作の独自設定です。これ要するに「平行世界に干渉できる」能力なんですが、おそらく艦これ公式設定ではこいつにそんな能力はないと思います(多分)。
艦これ本編、当面大きな動きはなさそうですね(さすがにクリスマスには今年も何かもらえると思うのですが)。この隙にSSを書かねば。
サラ編は(文字数の関係で分割しなければ)次話で終了、かつ「冬」章も終わりなので、なるべく早く投稿したいと思います。