日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~ 作:天空のトロイカ
ご注意下さい。
自分を他人に貸しなさい。しかし自分だけにしか自分を与えてはならない。
鎮守府正面海域の哨戒も一通り完了し、艦隊は帰投を始めていた。
艦娘や
「総員停止! 何か変な感じがする」
最初に”ソレ”に気付いたのは、川内だった。
「変な感じ?」
「この気配、知ってる。過去に3回経験した。1回は提督も知ってるはずだよ! ああ、でもなんでこんなところに!」
「川内、報告は具体的に!」
彼女にしては歯切れの悪い言い方で、思わず日下部は苛ついて叫ぶのだが、
「
いざ具体的に報告された内容はあまりにおかしな内容で、思わず目を剥いた。
一瞬正気を疑いそうになるのだが、
「なん……だと……? 本当に現れやがった! おい、ここ鎮守府正面海域だぞ!」
海底から湧き出すように巨大な姿が出現したことで、川内が別に狂っていないことはすぐに証明された。狂っているのは目の前のこの状況の方だろう。
深海海月姫。艦種は正規空母。姫と付いている通り、上位の深海棲艦だ。
基本的な形状は人型だが、色素の一切ない純白のドレスが風もないのにふわりと広がる姿は、どことなくその名前にもあるクラゲを連想させる。また周囲にはもっとわかりやすく、クラゲに似た小型の深海棲艦を引き連れている。
人型の肌の半身はまるで焦熱に炙られたかように焼けただれており、それが服や他の部位と禍々しいコントラストを描き出している。
日下部鎮守府は、去年の春のルンガ沖海戦イベントで遭遇したことがある。当たり前だが、間違っても鎮守府の目と鼻の先にいきなり現れて良い存在ではない。
『提督、こちらでも状況は確認しています!』
艦娘の艤装には、鎮守府や艦娘運用母艦の戦闘司令室との遠隔交信が可能な、特殊な通信機能が備わっている。日下部が前線にいる今、そこには大淀が控えていた。
『機動部隊を急遽編成して緊急出撃の準備を進めていますが、さすがに少し時間がかかります!』
「まぁそれはそうだな。仕方ない、できるだけ急げ!」
日下部は空を見上げる。まだ陽は高く夜は遠い。
夜であれば空母の行動は制限され、逆に水雷戦隊が得意の夜戦を仕掛けることもできる。それどころかこんな明らかに「ゲーム」のルール違反な状況、こっちだってルール外の行動を取ったって構わないはずだ。
「大淀! 機動部隊の編成と並行して、今から言うことを準備しろ……」
日下部が指示を出すと、通信の向こうから大淀が息を呑む音が伝わってきた。おそらく予想外だったのだろう。
上手く行けば機動部隊を出撃させずとも状況を覆せるが、そのためにはとにかく時間を稼ぐ必要がある。
続けて日下部はサラに声をかける。
「サラ、撤退だ。……サラ?」
だが、彼女は呆然とした様子で深海海月姫を前に硬直していた。
それは恐怖にというわけではなく、
「あ、あれは……私……?」
深海海月姫という深海棲艦が人類の前に初めて出現した時、その内部に生体ユニットとして囚われていた艦娘こそ、航空母艦サラトガだった。半身が焼けただれているように作られているのは、サラトガの最期であるアメリカの原爆実験「クロスロード作戦」の記憶を無理やり想起させるためだと分析されている。
あるいはこのサラトガは、その時に救出された内の一体なのかもしれない。
日下部は思わず舌打ちする。さすがに自分の着任するずっと前に終わったイベントのことまでは、すぐには思い至らなかった。
「サラ! あれはお前じゃない、気をしっかり持て! 今の我々にできるのは逃げることだけだ!」
「来るよ! 対空戦用意!」
必死に呼びかける日下部の言葉を、川内の号令がかき消す。
艦娘たちは必死に対空砲火を打ち上げるが、いかにも心許ない。先日のアイギス戦で見たアトランタとは言わないまでも、せめて日下部鎮守府にも着任している秋月型かフレッチャー型がこの場にいれば少しは違ったのだろうが。
「敵艦爆、対空砲火抜ける!」
「サラ、避けろっ!」
川内の報告に、日下部は必死になって叫んだ。
当たり前だが人間に轟沈ストッパーは存在しない。では果たして今の彼女に、轟沈ストッパーは機能するのだろうか?
日下部が力の限り絶叫する中で、遥か頭上において敵艦爆が急降下爆撃の投弾コースに入ろうとしていた。
「サラ、今すぐアタシの自我を消して! そうすればアンタは艤装を使えるし、海上を歩ける!」
自我の表層に意識を浮かび上がらせられないだけで、深奥に存在するサラ・ローレンスは現在の状況を正確に把握していた。
せっかく拾ったふたりのサラの命が、今まさに再び失われようとしている。
「そんなこと、できません……」
「なんでアンタはそんなにアタシなんかにこだわるのさ! この状況でアタシを生かし続ける理由なんてないでしょ!」
このままでは二人とも共倒れだ。だったら艦娘の天命とか感傷ではなく、冷たい数の論理でサラトガはサラの自我を消去し、自身の存在を完全なものにするべきだろう。
「理由なら、あります」
だが、それでも。サラトガは首を横に振る。
「お姉ちゃんのこと? そんなの、もうどうだっていいよ!」
「そうではありません」
「じゃあ、何!?」
この形而上の世界での時間は主観的なものとはいえ、物質世界のそれとまったく連動していないわけではない。こうして問答しているこの一瞬ごとに、二人の助かる可能性はどんどん低くなっている。
――だから。今すぐ覚悟を決めろ。
彼女を見習え。あの隔月正規空母の
「サラが、サラに! 生きてて欲しいんです! サラのために生きて下さい、サラ!」
ひとつの肉体を共有しているのに。
自我さえも繋がっているのに。
こうやって言葉にして伝えようと願ったその瞬間まで、サラトガの想いはサラ・ローレンスには一切伝わっていなかった。
「………、ああもう! わかった!」
一瞬サラはぽかんとした表情になり、直後に頭を激しく振りながらそんなことを言う。
その顔が真っ赤に染まっているように見えるのは、きっと誤解ではないはずだ。
「サラ……?」
「生きてやるって言ってんの! 今のアタシたち、自我同士が直接繋がり合ってるから。アンタの想念、直で伝わってくるの。そんな強い想いをぶつけられて、嬉しくないわけないじゃん!」
サラトガと、サラ・ローレンスは、別々の存在だ。
別々の存在だからこそ、こうして互いを想い合うことができるのだ。
瞬間。
サラトガの頭部の横に浮かぶ黒くくすんだ概念核が、激しい光を放ち始めた。
やがて完全に輝きを取り戻した概念核は、生き返ったかのように再び脈動を始める。
「……! 何が起きている!」
「提督。ご心配をおかけしました」
「アタシは日本人なんか大嫌いだけど、サラが提督と認めたんだから命令には従ってやるわ」
サラトガの口から立て続けに放たれたふたつの言葉は、まるで別人のもののようにまったく異なるものだった。
前者の口調は今まで通り、艦娘サラトガのものだろう。
ということは後者の、この有り体に言って口の悪いものは……。
「そうか。サラトガとサラ・ローレンス、互いを認識できたんだな! よし、ならばふたつの自我で役割を分担するんだ。サラトガは、肉体と艤装の制御に集中しろ。サラ・ローレンスは、状況を分析して思考判断を下せ」
「Roger! 了解しました!」
「やってやるわ!」
サラトガは海面を蹴るようにしてその場を飛び退く。
目標が投弾コースから外れたことを確認した敵艦爆は、いったん爆撃を中止して再び高度を取る。当たり前だが攻撃自体を諦めたわけではないだろう。
だが、そのわずかな時間が今は何より重要だ。
「行きます! 航空隊、発艦はじめ! サラの子たち、お願いします!」
サラトガ航空隊の艦戦は急上昇し、敵編隊の無防備な横腹を付くように突撃する。邀撃機の存在は想定していなかったのだろう、敵艦爆は護衛機との編隊をすでに崩していた。
すれ違い様に艦戦の機銃が火を吹いてその一部を蹴散らし、さらに後方に回り込んで面白いように叩き落としていく。
「第一次攻撃は凌いだ! 大淀、演習システムの準備はまだか!」
『準備できました! いつでも行けます!』
「よし、システム起動! 川内、
日下部が現状からすると不可解とも思える命令を下した瞬間、不意に周囲一帯の陽光が消失した。
周囲を漆黒の闇が閉ざしていく、それは人工的に作られた夜の帳だった。
「みんな、行くよ! 三水戦、突撃!」
昼が空母の時間なら、夜は水雷戦隊の時間だ。
深海海月姫ともなれば夜間でも当たり前のように行動してくるが、それでも脅威度は昼間の比ではない。つい先程までの戦いがまるで嘘のように、一気に至近肉薄した川内と駆逐隊は砲や魚雷を叩き込んでいく。
だが川内以外はまともに育成できていないこともあって、それだけでは深海海月姫を撃沈するには至らない。演習システムによる夜間再現は一定時間で効果が消失する。そうなれば、先程までに逆戻りだ。
だから日下部は……切り札の発動を命じる。
「川内! 概念艤装、使用承認!」
「了解! 概念艤装『チェルノボグ』起動――異神、習合!」
通常艤装の砲を僚艦に預け、川内はすらりと漆黒の刀身をしたナイフを抜き放つ。
夜の神をその身に宿すためには、当たり前だが夜でなくてはならない。
ただし概念艤装は想念兵装の一種だ。つまり
「存在混淆! 深海海月姫、習合させてもらうよ!」
体躯からすれば、致命傷どころかまともに傷付けることすら難しいであろう小刃。
だがその一撃によって深海海月姫は消滅し、吸い込まれるように消えていく。
やがて演習システムの効果時間が過ぎて陽光が力を取り戻した時、そこにあるのは戦闘の痕跡を一切感じさせない穏やかな海面だけだった。
「さて、これで蓋然性が変化したはずだ。この変化が影響するのはまだまだ先だが、大きな意味がある」
日下部たちのいる場所から少し離れた海上で、ラシャヴェラクは誰にともなく言葉を紡ぐ。
「彼女がこの段階で覚醒することで、あの男はきっと己の命の使い方を変えることだろう。そうすれば後々、彼らに大きな変化をもたらす」
小さな蝶の羽ばたきが、遠く離れた地に竜巻を起こすように。
運命の鎖は複雑に絡み合い、時に思いがけぬ影響を与えるものなのだ。
「成果はあったが、さすがに強引な真似をしすぎた。カレルレン総督に対する言い訳を考えておかねばな」
別に高次AIの手持ち戦力を使ったわけではないのだが、独断でこんなことをした理由は尋ねられることだろう。
そしてもちろん、それは正直に答えるわけにはいかない。
おそらく次のイベントまでは、これ以上大きく動くことは難しいだろう。
「潜水航空軽巡……あたし、どんどん普通の川内じゃなくなっていってる」
「はっはっは。イージスシステムを搭載した提督の嫁艦にはふさわしいじゃないか。よくやったぞ、川内」
呆然と呟いた川内の身体を、日下部は強く抱きしめた。
『提督、私も含めてみんな見てます! そういうのは無事帰投してからになさって下さい!』
「っと、そうだな! すまん大淀」
艤装通信越しに聞こえてきた声に我に返って、改めて周囲に目を向ける。
真っ先に気にすべきは、
「サラ! 無事か?」
日下部は先程までサラトガのいた位置に顔を向ける。
果たして彼女は、
「アタシの肉体、サラに貸してあげる。好きに使っていいよ。そのかわり、大事にしてね?」
「ありがとうございます、サラ。大切に使わせていただきますね」
日下部の心配を他所に、サラトガは自分同士で穏やかに会話していた。
急に夜になったことでサラトガ航空隊の艦戦も放棄するしかなかっただろうが、元より艤装の航空機も妖精も本質はただの想念力の塊だ。回収できれば多少は想念力が浮く、程度のものでしかない。
「よしよし。なんでいきなり深海海月姫が現れたか謎は残るが、ひとまず帰投するぞ!」
「了解しました」
サラトガは恐る恐るといった感じで「オリオン」から片足を抜き、海面に向かって伸ばす。
まるでそれが当たり前であるかのように、その脚は海面を捉えて見事に踏みしめた。
※ラシャヴェラクの暗躍がメインなのでシリーズタイトルは「鬼が来たりて」となっていますが、前話の続きです。
そして文字数の関係で、結局分割することになりました……次話は「ふたりのサラ 6」となります。これで予定通りサラ編完結です。
もともと1話で出す予定だったものなので、次話はそんなに間を空けずに出せると思います。
以下、サラのプロフィールです。
【サラ・ローレンス】
本名:サラ・ローレンス
性別:女性
年齢:24歳
職業:艤装工学者(2045年からは基本的に昏睡状態)
一人称:アタシ
エミリー・ローレンスの妹。
幼い頃から周囲に優秀な姉と比べられることが多く、その反動でやや素行不良な性格に育つ。一部艦娘に負けず劣らず、とにかく口が悪い。ただし姉が目を光らせていたこともあり、極端な犯罪行為に手を染めることだけはなかった。
真性のレズビアン。
窮屈な家からできるだけ早く出たいという願いから、義務教育終了後は工業系の
卒業後は地元クインシーにかつて存在した造船所を買収した大手造船会社に就職し、念願通り実家のあるマサチューセッツ州の隣、ロードアイランド州の艤装工場で設計技師として働く(なお艦娘の登場前に昏睡状態に陥ったため、「艦娘の装備」である艤装の設計には一切携わっていない)。
シンギュラリティ到来時に大事故を起こして脳死状態に陥り、人類艦娘化計画によって空母サラトガと融合することになったのは本文にある通り。
普段は自我の表層にはサラトガの意識が強く出ているが、彼女自身の自我もきちんと残っており、サラトガの自我を通じて外界の情報を把握している。ただしサラトガの意識が形而上の世界に沈んだ時しか意思疎通することはできない上に、覚醒すると形而上の世界での会話をサラトガは意識できなくなる。
なお以上は前話までの状態であり、今話にて互いの自我をはっきりと区別して認識できるようになったため、今後の関係性は変化していくものと思われる。