日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~ 作:天空のトロイカ
人は誰でも負い目を持っている。それを克服しようとして進歩するものなのだ。
あれから少し後、ある夜のこと。
駆逐艦寮の自室に呼ばれ、私は秋雲を訪ねていた。
「提督提督ー、新作出来たよー! 読んで、そして感想おくれー!」
「お前最近、出撃から戻ると一目散に部屋に戻ると思ってたら、同人誌描いてたのかよ」
「ちっちっちっ、同人誌描かない秋雲なんかいないぜー?」
ウザいまでのドヤ顔を浮かべ、秋雲は胸を張る。
「つっても、細かい部分では結構個体差があるんだよな? 主に扱うジャンルにおいて」
「そーそー。なんでもありの雑食が一番多いけど、エロ描けない秋雲もいるし。BL専門の秋雲同士で交信すると、なんか掛け算の前後の違いで喧嘩始めて不毛らしいよー」
「で、お前は」
「この秋雲は、雑食のエロOKですよ~ん。一番多いタイプでごめんねぇ~?」
「いやいや、別にそこは謝るところじゃないだろう。ん、ということはそれも……?」
「そ、バッリバリのエロ。ついつい仕上がった時には自分で……いやごめん、なんでもない」
「お前、今何かとんでもないこと言おうとしたよね!?」
「なんでもなーいー! ほら提督、感想よろ!」
そう言って秋雲は、印刷して製本まで終えた同人誌を私に渡してきた。
「どれどれ……うおっ」
頁を捲ってすぐ目に飛び込んできたのは、銀髪に眼鏡の細面の男。
白衣を纏っており、なんというか陰険そうな印象を与える表情をしてて……。
「ってこの竿役、私かよ」
まぁ自分で理解できる程度には、そのキャラクターは鏡の中で見慣れた顔をしていた。
「うん、そう。提督がモデル!」
「これを私に読ませて感想聞こうとか、なかなか趣味悪いぞ秋雲」
「えー、でも艦娘でハーレム作るとか、リアルでエロ同人みたいなことやってんじゃーん。いいじゃないこのくらい、付き合ってよ~!」
「ま、まぁ、構わんが……さすがに少し照れるな」
何しろ、あまり感じたことのない羞恥だからなぁ。
ぱらぱらと読み進めると、ストーリーはこんな感じだった。
主人公の男は製薬会社に務める若き研究者。
ある日、同僚の冴えない男に美人の奥さんがいることを知る。
男はその奥さんを寝取ることを決め、その手段として本業の傍ら、私的な製薬研究にのめりこむ。
やがて研究の末、「飲んだ相手を言いなりにする薬」の開発に成功。
それを使って、夫婦の絆を引き裂きにかかる……。
――その辺が、限界だった。
「……秋雲」
「んー、どうよー提督? あ、もしかしてNTRダメだった?」
「なんで、お前が、知ってるんだ……? もしかして、長谷川に聞いたのか?」
「提督?」
自分が何を考えているのか、理解できなかった。
記憶の底から、人生で一番クズだった時期、嫌な笑顔を浮かべたガキの頃の自分の顔が浮かび上がる。
そのイメージに引きずられたのか、それとも単に怒っていたのか。
私は秋雲の身体を手近な壁に押し付け、右手の平を強くその壁に打ち付ける。
「……ひっ!?」
いわゆる壁ドンだが、秋雲の顔に浮かんだのは羞恥ではなく恐怖で。
「答えろ秋雲!?」
「あ、あのっ、別に何も知らないよ……その、提督がやりそうなことを、勝手にイメージして描いただけで……」
「……」
「ご、ごめ、秋雲、その、そんなつもりは……無くて……提督がそんなに怒るとは、思わなくて……」
怯えた色を浮かべて狼狽する秋雲の様子に、ようやく嘘は付いてないだろうことを咀嚼する。
……そこでようやく、我に帰った。
「あ、秋雲……すまん……」
手を下ろして目を伏せ、頭を下げる。
天頂から地上まで、一気に高度の下がった感情の波が、ぐらぐらと頭と心を揺さぶる。
先日、青葉に特大の地雷を踏み抜かれた時は、傍に長谷川がいた。
少なくともそれは私一人の地雷ではなかったし、だから当事者二人で笑い話にして流すことができた。
けれども今は私一人で、これは私だけのトラウマで。
共有してくれる人は、もう、この世に存在しなくて……。
「悠也さん……『オレ』、更生したよね……? 自分の才能、ちゃんと世の中のために活かせてるよね……? なぁ、悠也さん……なんで死んじまったんだよ……悠也さん、悠也さぁぁん……!」
言葉を発していたのは、本当に27歳の提督だったのか。
それとも22歳、一人の恩人に救われた直後の、元マインドハッカーだったのか。
涙と共に溢れ出てきた感情の奔流に呑まれて、自分でももうわからなかった。
MM技術とは高次AIロゴスの開発した、「想念を物質化する」技術である。
想念――つまり人間の持つ精神力。
それは人間が生きるだけで生産され、その人間を動かす原動力として消費されるが、しかしすべてがそうなるわけではない。余剰となった想念は土地やモノに宿って残り続ける。
MM機関と呼ばれる機械を用いて、その周囲の土地やモノから想念を回収して物質化させるが、直接人間から想念を汲み上げることも出来る。
この時、MM機関と人間の精神の間には、一種の目に見えない経路が繋がれていることになる。
本来であればそれは不可逆であり、機械が一方的に想念を汲み上げるモノなのだが……ここに手を加えて、「逆に人間に特定の想念を流し込み、自由に操ることができる」のでは無いかと考えた者がいた。
MM技術の発明から8年ほど経過してはいたが、まだこのような発想をした者はおらず、だからそれを裁く法はまだ無かった。
それでも通常の倫理道徳があれば、これが人間の尊厳を侵す物であることは理解できるだろう。
だが困ったことに、その人物は
そしてもうひとつ困ったことに、その人物は自らの思い付きを形にしてしまえるほど、想念工学に高い才能を持っていた。
――言うまでもなく、オレ、日下部真琴の話だ。
15歳の時にその技術を体得し、「マインドハッカー」を自称するようになったオレは、周囲の人間たちから欲しいものを欲しいままに奪うようになった。
金なんかいくらでも手に入った。
女はどうしても手に入らない奴だけは操ってモノにしたが、大抵はそんなことをせずとも、金とワルの臭いに相応しい輩が勝手に寄ってきた。
取り巻きを従え、かしずかれる心地よさに溺れきったオレは、自分が世界の王になったと勘違いしていた。
だがそんなかりそめの栄華など、終わる時は一瞬だった。
22歳、学生時代の終わり頃。
マスクを被って身元を隠した縦縞スーツの男が、オレの額に銃を突きつけている。
あれほどいた取り巻きなど、本物の「悪」の暴力の前には無力もいいところだった。
「な、なんでだよ……っ! お前たちのためにマインドハックをしてやってるじゃないか!」
「お前の技術の解析が完了した。もはやお前は、世界で唯一のマインドハッカーではない。よって、高い金を払ってお前を雇う理由も無くなった」
……結局オレは、悪としても中途半端だったということなのだろう。
「では、……死んでもらおうか」
男の指に力が込められるのが見え、さすがに死を覚悟した。
銃声が鳴り響く。
――――生きている?
「危なかったな、クソガキ」
銃声は縦縞スーツの男ではなく、不意に現れた別の男の銃から放たれたものだった。
「お前……は……?」
「海上自衛隊特警隊所属、長谷川悠也」
呆然と腰を抜かすオレに、ダークブルーの制服と黒い防弾ベストを纏った男が近づきながら言う。
謹厳実直を絵に描いたような顔つきで、太い眉が意志の強さを感じさせる。
「ああ、言っておくが、礼はいらんぞ。別にお前を助けたわけじゃないからな」
そう言いながら、男はオレの胸倉を捻り上げた。
ぎりぎりと締め上げられ、思わず苦痛のうめき声を上げてしまう。
「自分のしでかしたことをちったぁ反省しやがれ、クソガキ!」
そのまま力任せに殴られ、軽く2mほど吹っ飛ばされ壁に叩き付けられた。
高次AIロゴスは、MM機関に技術的欠陥があることに気付いていたらしい。
ただしその半月ほど前に、オレ……私は、もうマインドハック技術を発見して暗躍を始めていた。
即座に技術的欠陥を埋めることも可能ではあったそうだが、どちらかというと人間側の法整備や運用体制の確立を促すべく、私の動きが一定の水準に至るまで泳がせることにしたらしい。
この辺りは、きわめてドライなAIらしい判断だと言えるのだろうか。
「法整備が遅れていたのは事実だし、お前のおかげできちんとした運用体制が確立したこともあって、罪には問わない方針にはなった。だが言うまでもないが、お前を野放しにするわけにはいかないぞ?」
「……わかってます」
本物の「悪」の恐怖を知ったこと、そしてそれよりも恐ろしい悠也さんの怒りを目の当たりにしたことで、私はすっかり憑き物が落ちたような状態になっていた。
少しずつだが、自分がいけないことをしたのだという自覚も湧いてきた。
一通りの償いを終えた後、悠也さんは私にこんなことを言った。
「クソガキ、お前は素晴らしい才能を持ってる。それは間違いない事実だ。お前はその使い方を間違えたが、取り返しの付かないところに行く前に戻って来られた。だから、今度はその才能を世の中のために使え」
「私に、出来るでしょうか……?」
「出来るさ。何しろお前はほんの半月ほどとはいえ、人間でありながらロゴスに勝ったんだぜ。自信を持てよ」
そう言って笑う悠也さんの笑顔に、私は本当にかけがえの無い幸運を得られたんだな……と感謝する他無かった。
秋雲はその長い話を、黙って聞いていた。
重苦しい沈黙。
やがて吐き出すように……、
「別に言うほど似てないじゃーん! っていうか、提督の実体験の方がよっぽどすごいよね!?」
「あ、あう、すまん」
冷静に考えると、確かにその通りだ。
一致部分は「私をモデルにしたキャラクターが、他人の意志を操って我欲を満たそうとした」ってだけで、その操る手法もまったく別物だし、十分に偶然で説明できる範囲だろう。
「なに、秋雲ってば脅され損!? あんなときめかない壁ドン、二度と嫌なんだけど!」
「本当にすまん」
改めて頭を下げる。
頭に血が上っていたとはいえ、酷いことをした自覚はある。
「しっかし前世のことにトラウマ抱いてる艦娘は多いけど、人間にもトラウマはあるんだねー」
秋雲は立ち上がり、椅子に腰掛ける私に歩み寄った。
駆逐艦にしては身体の大きな陽炎型の秋雲だから、立って手を伸ばせばそれは辛うじて頭に届いた。
そのまま頭を撫でる秋雲に、私は思わず目を見開く。
「秋雲……」
「『人は誰でも負い目を持っている。それを克服しようとして進歩するものなのだ』ってね」
「それは……?」
「日本の艦娘にとって、地球意志の次に大事な人が言った言葉さー。まぁ秋雲は、その人の遺骨を木更津沖の武蔵さんから受け取って、横須賀に上陸させたくらいしか関わりは無いんだけどね」
なんとなくだが、誰のことかは分かる気がした。
「提督はさ、ちゃんと自分の負い目を克服しようとして進歩してるよ。それは、秋雲が保証してあげるよ」
「そうかな……?」
「そうだよ。だって川内さんとか金剛さんとか、みんなに愛されてるじゃん。艦娘は人間を好きになるように生まれてるけど、別に特定の誰かを好きになる義務は無いし」
そう言って、秋雲は不意に動きを止めた。
オリーブ色の瞳が、じっと私を見据えている。
「提督が昔どおりのクズだったら、みんな好きになったりしないよ。だから、自信持ちなよ」
ああ、それはかつて私がかけられた、あのありがたい言葉と同じ響きで。
そして秋雲は、――そっと自らの小さな唇を、私に重ねた。
「……驚いた。何か私、お前に好かれるようなことしたっけ? それともお前、提督Love勢なの?」
「んー、顔は元々好みだよ。性癖強めっぽいところも、秋雲と趣味は合うかなーって思う」
至近距離から、吐息が交錯する。
「でも本当に好きになったのは、多分、今かな。どんな理由であれ、提督にあんな顔させたのは秋雲のせいだからさ、放っとけないと思ったんだよねー」
そのまま抱き着いてくると、小柄な割に意外なほどに強い胸の弾力が、身体に伝わってきて。
「実のところ、自分をモデルにしたエロ同人で興奮した提督に、襲われるかなーとか少し思ったりはしてたし。だから部屋に呼んだんだよ? そんなわけで、色々と事前に準備はしてあるさー」
「……スキモノめ」
「金剛さんは性癖がどノーマルっぽいし、青葉さんはあんな感じだから、そもそもあんまりさせてくれなさそうだよねー?」
そして秋雲は、よく見慣れたドヤ顔と共に、
「秋雲なら、
……答える代わりに、私は秋雲の口を唇で塞いでベッドに押し倒した。
「むー! また嫁艦候補が増えたー!」
「……あれって戦艦と重巡には出来ないことっぽいけど、軽巡には出来ちゃうよねぇ。あちゃー、川内さんには勝てないか」
「そもそも勝たさないよ。何人増えようとも川内が一番。これは譲らん」
「やったー! 提督の愛を感じる!」
「チョロイン度が増してないかなー川内さん。モブ男にNTRる薄い本書いちゃおっかなー?」
「それは、さすがに、私がダメージ受けるから止めて」
かしましい声が響く執務室で、ふと窓の外を眺める。
春の風はそろそろ吹き終わって、もうすぐ初夏がやって来ようとしていた。
※21/07/17追記
時系列に大きな矛盾点があることに気付いたため、一部設定を修正しました。
これはこれで不自然なのですが、仕方ないので許容します。
※秋雲について。
同人作家要素の源泉となっていると思われる「ホーネット沈没時、夜間に探照灯で照らしてまでスケッチを行った」エピソードですが、あれは「本来の命令は拿捕だったが、到底無理なので仕方なく撃沈し、せめてその光景を記録しようとしたが夜間なので写真に撮れず、やむを得ずスケッチをした」という流れなので、実は結構面倒見の良い性格なのではないかと解釈しました。
ちなみに、秋雲が山本五十六長官の遺骨を横須賀に上陸させたエピソードは史実です。調べてみると意外なところで接点がありますね。
日下部の過去について。
サイコパスと言うと冷酷無比な悪人というイメージしか無いかと思いますが、他人の感情を理解できないというだけであって、自分自身の感情として悲しみを抱くこともあれば、自責の念に駆られることもあります。なので、「何故それをしてはいけないのか」を理解させることができれば、反省を促すこと自体は可能なのです(難しいのは否定しませんが)。
2022/2/4追記
誤字報告ありがとうございました。