日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~ 作:天空のトロイカ
ご注意下さい。
清浄なるもの 2
われわれは、われわれの歴史の中にわれわれの未来の秘密がよこたわっているということを本質的に知る。
ペナン島はマレー半島西部、マラッカ海峡に面した島だ。
かの大戦においてはイギリスの領土だったが、開戦間もなく行われた南方作戦の一環において日本に占領され、以降は終戦に至るまで日本の拠点として活用された。
そして現代。シンギュラリティ到来後の人類は限られた領域しか支配できておらず、恒常的な勢力圏としては南のシンガポールの確保が精一杯ではあるのだが、今は「イベント」の発生に合わせて臨時拠点が築かれている。
高次概念空間から物質世界に復帰した日下部・長谷川両艦隊の艦娘運用母艦は、ペナン島南方100kmほどの距離に出現した。ハワイ沖から概念航法を開始した日からは3日が経過していた……巨大な軍艦ごと6000海里を踏破したことを思うと、驚異的な結果だと言えるだろう。
臨時拠点は島の東部、かつてジョージタウンと呼ばれていた市街地の跡地に築かれている。許可を得て寄港した日下部と長谷川は、地上の港湾施設において顔を合わせていた。
「高次概念空間、訳のわからない場所でしたわね。個人的にはもう行きたくはありません」
「そうか? 私は艦娘と同じ体験ができて満足だったがな。まぁ厭うのは自由だが、今後我々からデータがフィードバックされれば、
「相変わらず人の心がないですわね、あなたは……とはいえ正論ではありますか」
そう、今回に関しては日下部の意見の方が正しい。技術の再生産、普及、発展はこれまでにも幾度も行われてきたことだ。
とはいえ、それはまだまだ先の話のはずだった。現状では想念力の消費が激しすぎるため、緊急時以外の使用禁止を厳命されている。それは特殊想念力場展開陣形、通称「警戒陣」の使用がイベントの時期以外で禁止されているのと似たような理由だった。
「ところで日下部、我々が高次概念空間にいる間に物質世界では時空震が発生して、イベントがすでに開始されているようですわね。陽菜は先行組に合流して、イベント攻略に取り掛かります。そちらは?」
「当面は情報収集と練兵に励みます、後見人どの。先行組がんばえー! 貴重な情報を持ち帰ってくれるのを楽しみに待ってるぞ」
「あなたの艦隊に概念航法必要なかったんでは、このクソサイコ野郎」
思わずジト目で言われてしまうのだが、
「いや現地入りしないと情報収集もできんし。だからこの件では
「まぁいいでしょう。それが先を往く者の役目ですからね。ではお互いの本分を尽くすこととしましょうか」
長谷川も本気で言っていたわけではないらしい。適切に感謝を示したら納得して引き下がってくれた。ちょろい……などとここで考えるのは、さすがに本当に人の心がなさすぎると思うので自重しておく。
人類は4000年と2045年の歴史時代を通じ、いやそのずっと前から互いの不得手を補って「共同体」を、「社会」を築いてきたのだ。現代ではそこに艦娘たちも加わる。
そのことだけは、ゆめゆめ忘れぬようにすべきだろう。
情報収集をしてみた結果、意外なことが判明した。
ハワイでモーリアックにされた説明では、スエズ運河の奪還作戦はあくまで「日本の艦隊が欧州入りするために必要な作戦」であり、イベントそのものとは別という話だった。
ところが蓋を開けてみれば、実際はスエズ運河の奪還はあっという間に成されていた。ただし運河を通行可能な状態にしてから一定期間が過ぎると、再び大量の深海棲艦が湧いて再度占領されてしまうという。
つまり高次AIはこのスエズ運河占領を、イベントの一環として行っているということなのだろう。
「……で。それが判明した以上は急いでスエズ運河に向かう理由もなくなったってことで、まだペナン島に留まってるのはいいんだけどさ。通常の艦隊運営はともかく、なんでイベントと関係ない研究なんかやってるわけ?」
ペナン島到着から数日後の夜。日下部は自室に呼び出した川内から、呆れたような口調と共にそんなことを言われていた。
ちなみに夜戦のローテーションは特に川内の日というわけではない。今日は本当に話をすることが目的だった。
「そう言うなって。ハワイでミーネから受け取った例の古文書だが、かなり興味深いことが書かれてたぞ」
「カタリ派、だっけ? よく知らないけど。あたしが呼び出されたことと何か関係ある?」
「ああ、大いにな。説明してやるから、まずは黙って聞け」
室内のソファに腰掛けた川内に対し茶を勧めながら、日下部は自分も隣に腰を下ろす。
川内が湯呑みに口を付けたのを確認してから、滔々と語り始めた。
「カタリ派。11世紀から14世紀にかけて、南仏を中心に勢力を誇った教義。一応はキリスト教をベースにした宗教ではあるが、古代のグノーシスの系譜を受け継いで、この世界を『偽りの神が創った悪に満ちた世界』と定義している。末路もグノーシスに似てるな、正統派のキリスト教から異端認定されて滅ぼされている」
この時代、キリスト教はまだまだ世俗に対して圧倒的な権威を持っていた。神の名の下に異教徒や異端者に対する大戦争が幾度も行われており、カタリ派が滅ぼされた件もその内のひとつに数えられている。
彼らの権威が世俗の学問の発展によって徐々に揺らいでいき、ついにかの哲学者によって神の死亡宣告が成されるまでには、ここから数百年以上の時間が必要だった。
「人間の魂はこの世界に閉じ込められて輪廻転生を繰り返しているので、そこを脱出して真の神の下に到達する……というのが主な教義となる。そのためには禁欲生活を送ることを求められた。まず、悪であるこの世界の淀みを身に宿さないように肉食は禁止」
「肉食禁止? ヴィーガンってやつ?」
「それは動物愛護が動機だからちょっと違うな。ヴィーガンは天然素材……実際に動物を屠殺した肉は食べないけど、MM技術で出した想念素材の肉は普通に食べるし」
宗教や思想的な理由での菜食主義は古くから存在するが、そのほとんどは不殺生戒を理由とするものだ。近代ヴィーガニズムはその延長線上にある。
カタリ派における肉食禁止は、その点において一線を画していると言えるだろう。
「次に、これ以上悪の世界の住人が増えないように生殖も禁止。ただし、ここからが重要なんだが」
日下部は一度そこで言葉を切り、唇の端を吊り上げたような表情を浮かべると、
「カタリ派最大の特徴、それは……『生殖に繋がらない性行為は推奨される』というものだ」
皮肉げな声音と共に、なかなかとんでもないことを口にした。
「正統派キリスト教の上層部が危険視したのは二元論的世界観だが、一般の信徒に忌み嫌われたのはこの点だったとされている。まぁ純潔清貧を旨とするキリスト教徒にしてみれば、パッコパッコ好き放題ヤッてる連中はそりゃ異端征伐もしたくなるわな」
「またものすごいオカルトだなぁ。なんでまた本職のミーネさんに頼んでまで、こんな資料を用意したの? まさか本気でオカルトを研究する気になったんじゃないよね?」
「まさか。私はあくまで科学の子だよ。ただ世界の方が思ったよりオカルトに寄ってたみたいだからな」
純然たる科学の産物である高次AIが、グノーシスの概念を使って世界の構造を説明しているくらいだ。まずはその事実を受け入れないと、その先に進むこともできないことだろう。
「パトスの言う
敵が神と呼べる領域の存在なのであれば、こちらもそこまで上がるしかない。
あくまで人の身のまま神を打ち倒せるのは、本物の英雄と呼べる存在なのだろう。だが残念ながら日下部はそうではなかった。
「それにな、そうすれば……」
「な、なに?」
「お前を、いや全ての艦娘を、地球意志の端末ではなくすことができる。地球意志のバックアップなんてなくても自らの肉体だけで深海棲艦と殴り合えるようになれば、
思わず拳を握りしめたのは、それが日下部にとって悲願のひとつだからだ。
「それはすごい、けど」
だが当の艦娘の一人である川内は、その言葉に対してどうにも歯切れの悪い反応を示す。
「なんだよ、嬉しくないのか。まぁお前が嬉しくなくても、私は嬉しいがな」
「うん……なんだろ、なぜか素直に喜べない。何か大切なことを見落としているような」
「気のせいだよ」
そんな風に答えながらも、日下部は川内の懸念するところを大体察していた。
艦娘が地球意志の端末でなくなるということは、「人類のために深海棲艦と戦う」という種族単位で与えられた目的……言うなれば「天命」を失うということだ。明確に目的を持って生まれて来た種族がその目的を失うというのは、確かに不安を感じても仕方ないことだろう。
だが。人類には最初から、そんな天命など与えられてはいない。あるいは創造主たる地球意志の意図としては存在するのかもしれないが、艦娘ほど明確に知覚していないのは確かだ。
何のために生まれて来たのかわからなくなるなどと言われたところで、そんなもの人類は皆そうなのだ。だからそれは日下部にとって、躊躇する理由にはなり得なかった。
「さて、想念工学は大まかに概念さえ得られれば強引に成立させられるようなものではあるが、それでも多少の真似事はしないといけないだろうな」
「え、じゃあ禁欲生活するの?」
「する。まずは肉食禁止と、日々の儀礼をこの資料の通りにやってみる」
「えっと、肉食禁止って。一生?」
「一生だろうな」
驚いたように目を見開く川内に対し、日下部はいともあっさり答える。
「こんな方法で本当に
「本気なんだ」
「当然だ。ただまぁさすがにちょっと心の準備に時間はかかりそうだ。後は始める前に喰い納めとして、たらふく肉を喰っておきたいかな。だから明日からすぐにでも、というものじゃない」
タイミングとしては、イベントの第一海域を攻略した辺りで取り掛かればちょうど良いだろう。
それくらいの時間があれば、少しは覚悟を決めることもできそうな気がした。
「あとは……」
そこでいったん言葉を切り、川内の瞳を真っ直ぐ見据える。
ここからが今日の本題だ。この後の話をするために、わざわざ夜戦のローテーションでもない日に川内を部屋に呼び出したのだ。
「川内、ごめんな。この戦いが終わっても、お前との間に子供は作れなくなる」
「……! そっか。そうなるのか」
「生殖禁止だからな。これも肉食と同じで、もし本当に
人類統合軍は艦娘から生殖能力を撤去し、戦闘に専念させている。
だがそれはあくまで戦時措置だ。人類の再繁殖を手助けすることも艦娘の種の目的のひとつなのだから、戦争が終われば生殖能力はすべての艦娘に返す予定だった。
ましてや軍籍上は人類同等の扱いとなっている川内に関して言えば、望めば今すぐ取り戻すことができるものなのだ。
その意味が失われることになる。永遠に。
「許してくれるか?」
「嫌だって泣いて縋ったら、考え直してくれる?」
「それは……」
返ってきた言葉に、思わず口ごもる。
こういう時に何と言えば良いのだろう。女と付き合った経験も、身体を重ねた経験も何度もあるが、結婚したのも子作りについて真剣に相談するのもこれが初めてだった。
川内はそんな日下部の反応を見てひとつ溜息をつくと、
「なら、最初から聞くな! しょうがないよね。こういうのは夫婦の両方の合意がなきゃしょうがないもんだし」
苛立ちと諦観の混じった声で、吐き出すように言った。
「……すまん」
「あたしよりシルヴァさんに謝った方がいいんじゃない? 孫の顔、見せられないわけでしょ?」
「そっちは別に。親子としては以前一度絶縁宣言されてるしな。強引にママンと呼んで接しているのはこっちの都合であって、その辺りのことに今更口を出される筋合いはないよ」
「そういうものなんだ。まぁいいならいいんだけどさ」
「まぁなんだ、いざとなったら養子でも取るか」
6歳で母が家を出ていき、父もあまり家に帰らなかった上に17歳で亡くした日下部にとって、「血は水より濃い」ということわざは今ひとつ実感の持てないものだ。
どちらかというと「氏より育ち」の方がまだしっくり来るところがある。あれだけのことをした美奈子を今更「母親代わり」などと呼ぶつもりは一切ないが、それでも幼い頃に世話を焼いてくれたことまで否定するつもりもなかった。
人の繋がりに血縁は必須ではない。それが日下部の抱く偽らざる想いだった。
※初秋章最初の話は、夏章でその1をやったこの「カタリ派」に関するシリーズ。初秋章前半のメインストーリーに当たるものになります。
いよいよカタリ派が本格的に出て来ました。現代におけるいわゆる「反出生主義」の原型のような宗教です。「悪の異端者」のイメージに割と合致するところがあり、ちょっと宗教系に詳しい厨二病患者なら一度は被れたことがあるかと思います。
最大の特徴である「生殖に繋がらない性行為は推奨される」、これだけ見るとまるでセックスカルトのようですが、あくまでこの宗教の目的は「物質世界を脱して真の神の下に到達する」の方です。ただそういう教えは原型となったグノーシスを始めとして他にも多々あるため、最大の特徴と言った場合はそちらになるかと思います。
なお「肉食禁止」も大概な縛りではありますが、実はこれにはちょっとした抜け道(当時の知識水準では仕方ない面もありますが)があります。この辺はこのシリーズの次話で出てきます。
艦これ本編、ハロウィンが終わって秋刀魚の季節がやって来ました。ちなみにハロウィン任務の方は無事に完遂して東海を入手できております。
SS、次話はトーチ作戦のE1に進む前に別の話が入ります。ハワイで保留してたあの二人とのケッコンに関する話がメインとなる予定です。お待ち下さい。