日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~   作:天空のトロイカ

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※この話は日下部の一人称視点ではありません。
ご注意下さい。


清浄なるもの 3

短い不在は恋を活気づけるが、長い不在は恋をほろぼす。

――オノーレ・ミラボー

 

 

ほぼ全武装を艦娘に委ねるかわりに、居住性に特化した人類統合軍の艦娘運用母艦は、食堂(ダイニング)の設備も豪華客船顔負けの絢爛さを誇っている。

だが今日この場を満たしているのは、いささか絢爛とは遠い匂いだった。

キッチンに無数に並べられた揚げ鍋からは濃密な油の香りが立ち上っており、胃腸の弱い者であればこれだけで胃もたれを起こしかねなかった。

 

「キャベツ10人前刻み終わったよ!」

「こちらも下ごしらえ終わりました!」

清霜と大淀が、最奥部で油鍋と格闘している現在の厨房の主に向かって声をかける。

それを受けて振り返るのは、足柄。コックコートに似た白い調理着を身に付け、紫色のエプロンをしたその姿は、どこかプロの料理人にすら通じるような風格を感じさせた。

 

「ありがとう! よーし、どんどん揚げるわよ!」

大淀が下味を付けて薄力粉とパン粉をまぶした肉を、十分に寝かせ終えたものから順番に油鍋に投入していく。

たちまちの内に爆ぜるような音が鳴り響き、肉の油脂の甘さとパン粉の香ばしさ、異なり匂いが混ざり合ってキッチン内を満たす。

それは確かに絢爛とは言い難いものの、実に食欲を刺激する力強さに満ちあふれていた。

狐色に揚がった肉を手早く油鍋から取り出し、清霜が刻んだキャベツを敷いた皿に盛り付けていく。

やがて一通りの調理工程を終えた足柄は10枚の皿を配膳用のワゴンに積み込み、大淀と清霜と共に食事スペース側に通じる扉を開いた。

 

「お待たせ! リクエストのトンカツ10人前、できたわよー!」

声をかけると、食事スペースの中央部付近のひときわ大きなテーブルに着いていた人物が振り返る。

 

「おお、ありがとう。美味そうだ!」

川内を傍らに同席させた日下部は、一切の世辞抜きでそんな風に歓喜の声を上げた。

 


 

第一海域も無事に突破できたところで、日下部はいよいよ生涯の肉断ちをする覚悟を決めた。

明日から肉食禁止生活を始めるに当たり、食い納めとして白羽の矢を立てたのが足柄の作るトンカツだった。

 

「まだまだ材料は用意してあるからどんどん食べてね」

「いやこれだけで十分過ぎるんだが!」

足柄にきっちり釘を刺してから、日下部は一皿を選んで手元に寄せる。

卓上に置かれたトンカツ用のソースをたっぷりとかけ、一切れを箸でつまんで口へと運ぶ。サクサクした衣を突き破って厚手の肉を噛みしめれば、じわっとした脂の甘みが口いっぱいに広がった。

 

「美味い! いやぁいい腕してるわ。本当にありがとうな」

「どういたしまして。カレーも用意してあるから、ただのトンカツに飽きたらカツカレーにもできるわよ?」

「うん、ありがたいけどこの量でさらに米も食ったら倒れるわ! というかお前たちも一皿ずつ取ってくれ、それを見越して10人前頼んだんだから」

「あ、あら? そうなの?」

艦娘の肉体を分析して創り出した超人(ポストヒューマン)は、消化器系の能力も通常の人間より強化されている。艦の概念は有さないため重油や鋼鉄を栄養として摂取することはできないものの、健啖ぶりについては並の艦娘にも引けを取らないはずだった。

だが足柄のカツに懸ける情熱については、明らかにそういう性能(スペック)を超えたものがある。おそらく彼女のペースにまともに付き合って食事をしたならば、艦娘であっても脂質過多で胸焼けを起こす者が続出するのではないだろうか。

 

「あたしはもういただいてる。美味しいよ足柄さん……魚料理はちょっと自信あるけど、肉料理じゃやっぱり勝てないなぁ。悔しいけど」

日下部の隣で同じようにトンカツに箸を伸ばしながら、川内が対抗心を滲ませたことを口にした。

 

「ありがと。ねぇ提督、今更だけど最後に食べる肉が私のカツで良かったの? 川内や他の嫁艦の手料理じゃなくて」

「ああ、いいんだ。それに一応清霜の手料理だしな」

「キャベツ刻んだだけだけどね。でも司令官が喜んでくれて嬉しいな」

清霜は少し照れたような微笑みを浮かべる。それは日下部に対する想いを一切隠そうともしない、堂々たる態度だった。

 

「清霜は本当に変わったわね。好きな相手が近くにいるっていうのは、やっぱりいいものよね」

「足柄さん……?」

どこか溜息混じりに呟いた声音に不穏なものを感じたのか、清霜は不安そうな表情を浮かべる。

 

「今回はハワイからそのまま欧州行きだからな。確かに日本には数ヶ月以上帰れない予定だが……なんだ、栗山の奴が恋しくなったか? お前たち艦娘は概念航法が使えるんだから、休暇取って日本に一時帰国したっていいんだぞ?」

日下部としても士気に関わる話なのだから、特にそれを制限するつもりはなかったのだが、

 

「違うの」

当の足柄は、その気遣いに対してきっぱり否定の言葉を返す。

 

「あのね提督。私ね、日本を離れる前に智志さんと大喧嘩しちゃって」

そんな風に切り出した足柄の表情は隠しようのない憂いに満ちたもので、思わずどきりとさせられる。

 

――そんな顔をするな。思わず寝取りたくなるだろうが。

幸いにして今の日下部には、そう思っても実際には口にしない程度の分別が存在した。

 


 

日下部鎮守府が真珠湾に向けて出航する少し前。

その夜、足柄はショートランド新興市街地の一角に存在する栗山の家に外泊していた。BARオーセンティックの営業を終えて栗山が帰宅したのは、真夜中も真夜中と言える時間だった。

恋人同士の睦み合いを終えた後の穏やかな時間。ベッドの上に裸身を横たえながら、足柄は隣にいる栗山に向かって声をかける。

 

「明日鎮守府に帰ったらハワイ行きの準備よ。今回はそのまま欧州イベに突入だから、多分日本に帰ってくるまで数ヶ月はかかりそう」

「ハワイか。平和だった頃に俺も行ったことがあるが、良いところだった。今のハワイがどうなっているかまではさすがにわからんがな」

「誰もが生き残るのに必死だったでしょうからね。今の時代は観光なんて贅沢、それこそ艦娘でもないとできないんじゃないかしら。そういう意味では役得ね」

「まぁ人類を守るために頑張ってくれてるんだ、その程度のご褒美はあったっていいだろうが……」

栗山の歯切れは妙に悪かった。

普段は自信満々で物怖じしない栗山としては、割と珍しい反応だと言えるだろう。

 

「なぁに智志さん。私がハワイで現地人にお持ち帰りされるとか心配してる? 大丈夫よ」

「いや、それを心配するならまず日下部の奴を気にする。割り切るしかない以上は、今更そこを心配したりはしないさ」

「嬉しい、信じてくれるのね。けど、じゃあ何を気にしてるの? 単純に何ヶ月も会えないのが寂しいってこと?」

想ってもらえるのはありがたい限りだが、しかし自分は艦娘なのだ。出撃や遠征で遠隔地に長期出向することはどうしたって避けられない以上、それも割り切ってもらうしかない。

栗山と付き合い出してからのイベントは偶然にも日本近海が舞台の物が連続しているが、夏は欧州行きというのは最初からわかりきっていたことなのだ。今回はたまたまハワイ行きが重なって、少しばかり予定より不在が長引いたに過ぎない。

 

「……」

だが、栗山はその質問にはすぐに答えなかった。何かを思案するような顔のまま、無言で押し黙っている。

長すぎる沈黙に、さすがの足柄も訝しんでもう一度促そうとした時、

 

「なぁ足柄。ハワイと欧州行き、外れることはできないか?」

艦娘の常識からすれば、およそあり得ないことを言い出した。

 

「何を馬鹿なこと言ってるの! 無理に決まってるじゃない!」

つい反射的に語気がきつくなる。

栗山にはわからないのだろうが、今告げられた言葉は艦娘にとって侮辱に等しい内容だ。人類を守って戦うために生まれてきた種族に対して、その天命を投げ捨てろと言っているのだから。

戦いに対して面倒臭そうな態度を取る艦娘はいる。怯えたような態度を取る艦娘もいる。だがそれは多種多様な趣味の人類から広範な愛情を獲得するために「そのように創られている」だけであり、それが証拠にどの艦娘も実際に出撃を命じられたら決して拒むことはない。

いわんや足柄に関してはそのような話を抜きにしても、艦娘の中でもかなり好戦的な性格をしている。そういう意味では栗山の発言は二重の意味で侮辱だった。

 

「ねぇ。私たちまだ知り合ってから一年ちょっと、付き合ってからはほんの数ヶ月だけど、それでも艦娘という種族のこと、私のことを少しは理解してくれてると思ってた。なのに……全部私の勘違いだったの……?」

「俺だって闇雲に言ってるわけじゃない。艦娘の存在意義(アイデンティティー)については理解しているつもりだ」

「だったらなんでそんなこと言うのよ!?」

噛みつくように言葉を叩きつけると、

 

「……今回お前を行かせたら、二度と会えない気がするんだ」

栗山は絞り出すような声音と共に言葉を吐き出した。

 

「なによそれ。私がイベントで轟沈するとでも言うの!?」

「そういうことじゃない。なんていうか、もっととんでもないことが起きそうな気がするんだ」

「とんでもないことって具体的に何よ。何か根拠でもあるの?」

「わからない。なんとなくそんな気がする、としか言えない」

栗山の言葉はひどく曖昧で、その態度がまた癇に障る。

足柄は深い深い溜息を吐き出すと、おもむろにベッドから降り立った。

 

「帰るわ」

「足柄!?」

雑に身体の汚れを拭うと、外泊するつもりで用意してきた着替えに身を包む。

荷物をまとめて鞄を抱えると、

 

「智志さん、ちょうどいい機会だし少し距離を置きましょ。ハワイと欧州から帰ってきたら、また以前の私たちに戻れるように。時間が必要だわ、少なくとも私には」

これ以上暴言を吐かないように、足柄は慎重に言葉を選んで告げる。

一瞬だけそこで言葉を切って、栗山の顔を見据えた。強引に抱き締めて「行くな」と縋ってくれるなら少しは考える余地もあったのかもしれないが、

 

「……わかった」

栗山は相も変わらず困ったような表情で眉根を結んだまま、短く足柄の言葉を肯定するばかりだった。

 

この夜の栗山との物語は以上だ。

この夜の足柄自身の物語は実はもう少し続くのだが、それは今は関係のない話だ。

 


 

「艦娘の役目を何だと思ってるのかしら。それに本当に行って欲しくないんだったら、もっと強引に止めて欲しかった」

足柄の言葉を、日下部は無表情で聞いていた。

 

「ねぇ、提督。夏の地中海なんて、誰だって少しぐらい間違いを起こすものよね?」

「足柄、お前……」

先程思ったことを見抜かれたかと、一瞬どきっとする。

うん、本人が望んでるのなら構わないか。よし食ってやろう……と、昔の自分なら即座に思ったことだろう。

だが今は、

 

「こらーっ! そこ、正妻の目の前で堂々と浮気しようとするの禁止!」

「いくら足柄さんでもそれはダメだよっ!」

日下部が何か言葉を返すより早く、川内と清霜が揃って声を上げた。

正直に言って、こういう風にしてもらえるのは日下部としてもありがたい限りだった。

 

「……はいはい。知ってたわ」

どこかバツが悪そうに足柄は呟く。

 

「足柄。川内ほどじゃないにしろ、中国武術の達人の栗山の勘なんだから頭から否定することではないとは思うんだ。それでも、お前がその言葉を受け入れられないのは理解できる。だが……個人的経験から言わせてもらうと、あてつけみたいに浮気したって自分が傷付くだけだぞ。でもってそれがバレたら栗山の奴だって傷付く。何も良いことはないぞ」

我ながらどの口が、と思わなくもないが。

それでも今はこう言うべき時であるのは、日下部にも理解できる。

 

「あとまぁ寝取りはしないって決めてるから、どうしてもって言うなら正式に栗山と別れた上で列に並んでくれ」

「……そう、ね。ごめんね提督、さっきのは忘れて」

むしろそこまで言ったことで、怯んだのは足柄の方だった。

盛大に目を泳がせているが、逆にそこまで我に返られるとそれはそれで拍子抜けではある。

 

「ああ、わかったよ」

軽く微笑んで、日下部は皿の上のカツとの格闘を再開する。

さて我ながら多少は成長した……などと自惚れても良いだろうか。

 


 

想定外の恋愛事情に巻き込まれはしたが、本来の目的は人生最後の肉食を心ゆくまで堪能することだった。

足柄のカツは質も量も十分に満足のゆくものだった……量についてはあそこで釘を刺さなかったら、おそらく冗談抜きに100枚くらい平気で揚げそうな気はしたが。

とはいえ人間というのは不便なもので、あれだけ食べても翌日にはきちんと空腹になるものだ。肉が食べられなくとも何かを食べる必要はある。

そんなわけで日下部の部屋には今、手料理を持ってきた川内の姿があった。

 

「はい、イワシの揚げ団子!」

それは前世に当たる軍艦の川内の主計員たちが、海軍料理コンペティションで高評価を得た料理だった。艦娘として生まれ変わった川内もまた、これを一番の得意料理としている。

イワシを骨ごと叩き潰し、片栗粉をまぶして揚げるという単純なものではある。だが軍艦という限られた空間で兵食として出す上では、材料の調達や調理の手間という点で非常に優れていた。

 

「現代はフードプロセッサーなんて便利な物があって楽だよね。MM機関で出した謎魚肉じゃなくて本物のイワシも手に入ったから、きっと美味しいと思うよ」

そんなことを言いながら、川内は他にも何品かの魚料理をテーブルに並べていく。

室内を満たす魚と醤油の匂いは、アイデンティティ的には完全に日本人である日下部の心に訴えかけてくるものがあった。

 

「ああ、ありがとう。お前の得意料理が魚で良かった」

「ねぇ、なんでカタリ派の教義上、肉はダメで魚はいいの? おかしくない?」

ほっこりした表情で礼を述べたら、どこか悩むような顔付きでそんなことを言われた。

確かに一般的な感覚からすれば、肉……獣肉がダメなのであれば魚肉もダメだと考えるのが普通だろう。

 

「この間も言ったが、カタリ派で肉食を禁じている理由は不殺生戒ではないからな。カタリ派が肉食を禁止しているのは、生殖で増えたものを食べることは物質世界の穢れを取り込むことになると考えていたからだ。だから殺生を伴わなくとも、卵やバター、牛乳のような動物性の物を取ることはできない」

「へぇー。って、昔の人が動物の生殖と植物の繁殖が違うものだって思ったのはなんとなくわかるんだけど、それだと魚もダメなんじゃないの?」

「それがな。当時は魚は生殖ではなく『海の中で勝手に増える』と思われていたんだ。だから完徳者でも野菜や果物の他に、魚も食べることができる」

「……解せない」

川内はどこか呆れたような表情を浮かべた。

 

「ははは。しょせんは中世の宗教だよ」

このような誤った知識に基づいて作られた教義である以上、現代的な感覚からは違和感があるのは仕方ないことだろう。

だが目的はカタリ派の教義の誤りを正すことではなく、それを利用して想念工学で横溢想念(プレーローマ)に至ることだ。だからこの点は「そういうもの」と割り切って受け入れるべきだった。

 

「さて、せっかくの川内の手料理だ。冷める前にいただくとするか。明日はお礼に、私がラタトゥイユを作ってご馳走するよ」

「やったー!」

日下部にとっての「おふくろの味」であり、自身の得意料理でもあるラタトゥイユは、野菜と植物性調味料だけで作るのは難しくない。これからは今までより作る機会が増えることだろう。

 

「よし、じゃあいただきます」

「いただきます」

日下部と川内は向かい合って座り、手を合わせる。

魚料理の得意な嫁がすぐ傍にいて、本当に良かったと心から思う。この巡り合わせの良さもまた、地球意志から与えられた幸運のひとつなのかもしれない。




※「カタリ派」に関するシリーズ、第2話。日下部が肉の食い納めとして足柄のカツを貪り食う話です。
ちなみに10人前用意してもらって、足柄・大淀・清霜・川内にそれぞれ分けたので日下部が食べたのは6人前です。一部の艦娘を基準にすると感覚が麻痺しますが、普通は十分過ぎるほどに大量だと思います()

カタリ派の「生殖は禁止だが、生殖を伴わない性交はむしろ推奨される」「肉食は禁止だが、魚は食べて良い」という教義は本作の主人公・ヒロインである日下部と川内にぴったりで、なんというかパズルのピースが綺麗に嵌まった感がありました。
一方で肉食禁止になったことで、川内以外の艦娘の得意料理の中には食べられなくなったものがあります。食い納めで出番のあった足柄のカツはまだマシですが、たとえば大鯨の得意料理であるフーカデンビーフなどは食べられなくなりました。
嫁艦たちの中で言うと、ジャーヴィスのフル・ブレックファストとイントレピッドのステーキが影響ありそうです。サンドイッチは野菜サンドにすればまだなんとかなりそうですが。

そしてもうひとつ、足柄と栗山の恋物語にはやや暗雲が立ち込めております。
こちらについての進展は初秋が終わり、秋章に入ってからのことになります。その時点では割と大変なことになっている予定ですが、きちんと収まるところには収まりますのでご安心下さい。

艦これ本編、秋刀魚祭りの余韻のような時間を過ごしております。12/3には新しい動き(おそらくクリスマス関連と思います)がある模様。
SSは、次話はトーチ作戦E2の話です。お待ち下さい。
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