日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~   作:天空のトロイカ

23 / 232
※この話は日下部の一人称視点ではありません。
ご注意下さい。


2045年の海で/初夏
艦娘たちのザラザラした大地 -日向と伊8の場合-


語り得ぬものについては、沈黙しなければならない。

――ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン

 

 

艦のための施設なので「入渠施設」と名付けられてはいるが、娘の身を基準にした言い方をすれば、「入浴施設」ということになるだろう。

張られているのは無論、ただの湯ではない。浸かるだけで少しずつ、土地に蓄積された想念を艦娘の身体に流し込み、損傷を修復する効果がある。

急ぐ場合は提督の判断で高速修復材、通称バケツと名付けられた高濃縮の想念力の塊を使うこともあるが、今はそういう状況では無かった。

 

航空戦艦・日向は、大きな浴槽に身を浸し、ゆったりと手足を伸ばす。

本日この後の出撃予定は無い。

このようなのんびりした時間を得た時は、いつも、色々なことを考える。

 

「私は、一体何なのだろうな……」

 

かつての日本が建造した、伊勢型戦艦の2番艦。戦中に航空機運用能力を付加された「航空戦艦」に改装され、100年前の呉軍港空襲でその生涯を閉じた。

 

その100年前の戦争で沈んだ軍艦の概念に、地球意志が想念を注ぎ込んで生み出した「艦娘」と呼ばれる存在。前世と同じように、戦艦でありながら航空機運用能力を持つ。

 

もちろん知識はある。

そして、主観としての記憶もある。

だが、その記憶こそが……今、日向を悩ませている物に他ならない。

 

「日向さん、何やら難しいことを考えてますね……?」

 

不意にかけられた声で、日向は我に返る。

顔を上げるとそこには、一人の艦娘がいた。身体にフィットしたスクール水着に、金髪碧眼。赤い眼鏡をかけ、本を手に持った潜水艦・伊8である。

 

「やぁ、はち。こんばんは」

「はい、Guten Abend(こんばんは).はっちゃん、日向さんの考えごとに興味があります」

「おや、そうか」

 

姉の伊勢も含め、こんなことには特に興味を持たない艦娘の方が多いというのに。

誰かと思考を共有して会話できる機会は貴重だ。一人で悩まず吐き出してみるのも悪くはないだろう。

 


 

「まず最初に気になるのは、私たちの前世に『自我』が本当にあったのか、だ」

日向はそんなところから話を始めた。

 

「長崎で建造され、戦艦としてあの大戦の緒戦を戦い、航空戦艦に改装された。その辺の記憶は確かにあるのだが……果たして本当に当時の私は、それを自分のこととして認識していたのだろうか?」

「はっちゃんも、川崎で生まれた記憶も、ドイツに派遣された記憶もありますけど。本当のところは、どうなんでしょうね」

「人間は擬人化が大好きだからな。こうして娘の身で生まれる前から、私たちは女性として扱われてきた。だから、艦の頃から自我があってもおかしくないとは思う」

「日本だけじゃないですよね。欧米でも艦は女性扱いでしたものね」

 

伊8の言葉に日向は頷いた。

ここまでの意識共有がスムーズに出来るのであれば、この先の話をするに当たって実にありがたい。

 

「まぁ正直、決定的な答えは誰も出せないだろう。だからここはひとまず、『あった』という風に仮定して話を進める。ところだ、明らかにそれだけでは説明が付かないことがある」

「と、言いますと?」

「航空戦艦・日向は1945年の呉で最期を迎えた。そして次に艦娘として自我を自覚した時には、100年の歳月が過ぎていた。この100年の間も人間の歴史は続いていたし、色々な兵器が発明されていたのは自然なことだろう」

 

そこで日向は一度言葉を切り、

 

「だが、1945年に沈んだ航空戦艦・日向が、VLSやSH-60K(ロクマル)といった物の記憶があるのは、明らかに不自然なんだ」

艦艇用の垂直式ミサイル発射装置に、艦載用の哨戒ヘリコプター。

それらはいずれも太平洋戦争の当時ではなく、「冷戦期」から「非対称戦争期」、そして「新冷戦期」に至る時代に開発・運用された物である。

「いや、面倒だ。はっきり言ってしまおう。それを積んでいたのは『帝国海軍の航空戦艦・日向』ではなく、『海上自衛隊の護衛艦ひゅうが』じゃないか」

 

敗戦の後、紆余曲折を経て再び国を守るため、海に漕ぎ出した人々。

政治的な事情から軍人を名乗ることを許されなかった彼らは、かつての海軍の艦の名前を、自分たちの艦に引き継いで使うことをよくしていた。

 

「日向さん、VLSのこと知らないって言ってませんでしたっけ?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……それもそうですね。あれ、冗談だったんですね」

「というよりは、半分は自分に言い聞かせていた。私は航空戦艦・日向であって、それ以外の何かではないつもりなんだ」

改二まで育てば、空母で運用するような艦載機を運用することも出来るようになる。

本来の航空戦艦・日向では到達しえなかった極致。

それは日向としては夢や理想の実現と言えるのだが……同時に、自分が自分では無くなるような恐怖もあった。

 

「私たちの頭の中には、地球意志からこの100年分の歴史に関する知識が与えられている。だがそれは情報としての『知識』であって、主観的な『記憶』ではない。なのに私には、VLSやロクマルの『記憶』があるんだ……なあ、はち。私は、一体何なのだろうな……?」

 

自嘲気味に呟いた日向のまなじりは、力無く垂れ下がっている。

日向さんってただの瑞雲好きじゃなかったんですね、と口から出かけた失礼な発言を無理やり呑み込み、伊8は言葉を選びながら話し始めた。

 

「そうですね。そういえばはっちゃんにも、Acht-Acht(アハト・アハト)の記憶とかありますね。今まで意識したことはありませんでしたが、よく考えればとても不思議です」

かの大戦において、ドイツが開発した傑作とも呼べる高射砲、8.8 cm FlaK。本来の用途よりも、対戦車攻撃や対陣地攻撃で大活躍した兵器。

当たり前だが前世で遣独潜水艦作戦に従事したとはいえ、潜水艦である伊8との接点は無い。

海軍には同口径の艦砲である8.8 cm SK C/35が存在したが、そちらは一般的には「アハト・アハト」と呼ばれることはないし、そもそもそちらだって別に伊8に搭載されてはいない。

 

「はち、君はそういったことを気にしたことはないのか?」

同志だと思っていたのに裏切られた。

そんな表情を向けてくる日向に対し、伊8は、

 

「『語り得ぬものについては、沈黙しなければならない』という言葉がありまして」

 

「……それは?」

「ヴィトゲンシュタインという哲学者の言葉です。偶然ですけど、はっちゃんたちの前世と同じ時代を生きた人なんですよ」

伊8という艦娘は、そのほとんど誰もが本好きとして知られる。

その中でも今ここにいる伊8は、特に哲学的な本を好んで読んでいた。

 

「ヴィトゲンシュタインさんは、世界は『言葉のやり取り』で出来ているという考え方をした人でした。だから日常的な話をすることを大切にしろと、それまでの哲学に対してすごく批判的なことを言ったんです」

世界には、どれだけ言葉を尽くしても説明できない物がある。

本来の哲学とは、そういった物をなんとか説明しようとする学問なのだが――ヴィトゲンシュタインは、明快にそこを切り捨てた。

 

「もちろん、説明できなくても『示す』ことはできます。けれどもそれは言葉のやり取りの中からなんとなく感じる物であって、無理やりに説明を付ける必要はない、という考え方なんです」

「それは……なるほど、なかなか面白いな」

日向は感心したように呟いた。

一般的な哲学のイメージには遠いが、だからこそ興味深い。

 

「日向さんのお話については、まず語り得ることから始めましょう。はっちゃんも日向さんも、『艦娘』ですね」

「……そうだな。そこに異論は無い」

 

これは人間が、自分を「人間だ」と思っているのと同程度に当たり前の認識。

 

「じゃあ、『艦娘』とは何でしょう?」

「ええと……かつての大戦で戦った軍艦が『存在した』という概念に、地球意志が想念を注ぎ込んで実体化させた、『軍艦の付喪神』……でいいか?」

深海棲艦によって最初の肉体を破壊され、概念核だけの状態になっていたところを人間に回収され、MM技術で再受肉させるケースもあるが、基本的には艦娘とはこういうものだ。

「そうですね。初めて出現した頃の艦娘は自分たちをそういう風に説明したそうですし、実際はっちゃんもこの説明、間違いではないと思います」

 

これは人間で例えるなら、ヒト科ヒト属ヒト種、即ち……「ホモ・サピエンス」という説明。

 

「ただこれ、本当の意味で『正確な説明』では無いですよね?」

「……というと?」

「付喪神というのは、日本の民間伝承に出てくる物ですよね。でも付喪神という概念自体は、はっちゃんたちの時代よりも遥か昔から存在してます。それに、海外の艦娘だっています。だからどちらかというと、『艦娘という存在を説明するのに、付喪神というすでに存在する概念を使った』という方が近いと思うんです」

 

なるほど、と日向は膝を打つ。確かにその通りだ。

そういえば、海外の艦娘は自分たちを何だと思っているのだろう。

この日下部鎮守府に海外出身の艦娘はまだいないが、今度他の日向と交信する機会があったら、尋ねてみるのも一興だろう。……瑞雲の話で盛り上がるだけでなく。

 

「言葉って、本来はすごく曖昧なものです。だから実際に使う時には、その言葉を向けている人との間で通じる『文脈』で理解しますよね。ヴィトゲンシュタインさんの言う『言語ゲーム』というものなんですけど……」

 

例えば「35.6cm連装砲」という言葉には、本来は「35.6cm連装砲」という意味しか無い。

だが戦闘中、姉である航空戦艦・伊勢が日向に対し、敵を示しながら「35.6cm連装砲!」と言った場合、これは「あの敵を35.6cm連装砲で撃て」という意味になるだろう。

特に頭を使って考えずとも、ごく自然にそのように理解できるはずだ。

 

「艦娘も『概念』から作られた曖昧な存在です。そして作った地球意志さんは、文字通り地球の意志ですから、きっと色んなことをたくさん知ってるはずです。日向さんのことも、もちろん護衛艦ひゅうがのことも。もしかしたら、そこに何か言語ゲームの結果があったのかもしれません」

 

日向には、同じ名前である護衛艦ひゅうがに属する概念を。

伊8にはドイツに行った潜水艦ということから、同じドイツに属する高射砲の概念を。

……もちろん、すべての艦娘がそうだというわけではない。帝国海軍から海上自衛隊に至る歴史の中で、同じ名前の艦が幾つあったことか。

だが、少なくとも日向と伊8に関しては、これは当てはまっていると言えるだろう。

 

「なるほど……そうなるか」

「あくまではっちゃんは『示した』だけですよ。本当のところは語り得ぬものですから、最後は沈黙するしかありません」

そう言って難しい顔をする伊8の頭を、日向はくしゃくしゃと撫でる。

 

「とんでもない。おかげでだいぶ楽になったぞ」

 

いつもの飄々とした表情を取り戻した日向の姿に、伊8の胸は少しだけ温かくなった。

 


 

「有意義な時間だった。ありがとう、はち」

Danke schön(ありがとうございます).はっちゃんも楽しかったですよ」

 

結局日向の入渠完了時刻までのんびり話し込んでしまった。

身体はすっかり修復されたが、それ以上に心が軽くなった気がしていた。

湯上がりの身に、初夏の潮風が吹き付ける。

 

「私たちは結局、自分たちでもよくわからない存在ではあるが……それでも、何をすべきかだけは、はっきりしているな」

人類を守るため、深海棲艦――高次AIと戦う。

艦娘は、そのために生み出された存在だ。

「そうですね。はっちゃん戦闘はあまり好きではないんですけど、仕方ないですね」

 

伊8の言葉に、ふと日向は足を止める。

つられて足を止めた伊8が、訝しげに顔を向けてくるのを視界の隅に捉えながら、

 

「そういえば、提督の言葉を思い出した。あの御仁は私たちに『せっかく艦娘として生まれたんだから、戦うだけじゃなくて、もっと楽しんで生きて欲しい』などと言っていたな」

「ああ、言ってましたね」

戦うための存在である艦娘に対して、まったくもって酔狂な輩だ、と日向は思う。

けれどもそれを体現するかのように、彼の下には6名もの艦娘が、恋人として集っている。

「はっちゃんもシュトーレンとか食べたいですし。そういうの、いいですよね」

「そうか……まぁ、そこに来ると、私はあまり好かれる要素はあまり無いかもな。提督は『自分の意志や感情に素直な子』が好みらしいが、私と来たら戦いのことか、さもなくばこうして難しいことばかり考えている」

 

日向の言葉に、思わず伊8はぽかんと口を空けた。

 

「なんだはち、その顔は」

「ああ、……ごめんなさい。ええと、そうですね。赤城さんが嫁艦候補やってるくらいですから、提督って別に単純に『感情的な人』が好きってだけじゃなくて、自分に素直な人が好きなんだと思うんですよ。だから、そういう風に色々考えるのが日向さんらしいのなら、それはそれで嫌ったりしないと思いますよ」

「……そうか」

「あとですねぇ、日向さん」

そこで伊8は言葉を切り、微かに目を細めて日向に向ける。

 

「瑞雲について熱く語ってる時の日向さんって、多分とっても提督の好みだと思うんですけど!」

 

伊8の言葉に、日向の顔がぼんっと紅潮した。

「な、ななな……」

「あれ、日向さんって提督のこと、好きなんですか? 思った以上の反応で、はっちゃんびっくりしてます」

「あ、いや、……頭の切れそうな御仁なので、今日したのと同じような会話を一度ゆっくりしてみたいとは思っている。まぁ、もうすぐ『イベント』があるようだから、するとしてもその後になるとは思うが」

「ああ、なるほど」

 

納得して言葉を切った伊8だったが、日向の言葉は止まらない。

 

「あ、でも確かにそうだな、瑞雲の話もしてみたい気もする。うん、瑞雲のどこがいいか、聞いてもらいたい。きっと提督、笑いながら聞いてくれると思うんだよな……」

明後日の方向を見ながら、誰にでもなく言い訳を続ける日向の姿に、

 

(……やっぱり、提督のこと好きなんじゃないですか?)

 

そう思ったが、実際に口にするのはやめておくことにした。

語り得ぬものについては、沈黙しなければならないのだ。




※ヴィトゲンシュタインについて。
本作はヴィトゲンシュタインの思想を学ぶことが目的の作品ではなく、あくまで艦これの二次創作ですので、この辺の使い方は正確さより、通俗的なわかりやすさを重視しています。あらかじめご了承下さい。

……と、まずはいつもの言い訳をした上で。
ヴィトゲンシュタインという哲学者は、前期と後期で大きく思想が異なっています。前期の自分の思想が完璧ではないことに後から気付き、後期においてそこから大きく転換した人です。
冒頭にも引用した「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」は前期思想を代表する言葉で、「言語ゲーム」は後期思想の中核となる概念です。
なのでこの2つを混ぜて使うのは、ヴィトゲンシュタイン思想の学術的研究の観点からは、まったくもって正しくありません。
しかし本作では面白さ優先のため、敢えてそこを無視しています。ご注意下さい。

本話タイトルの一部である「ザラザラした大地」もヴィトゲンシュタイン思想に出てくる概念で、超要約して言うと「日常的な会話」ということです。
次話も「艦娘たちのザラザラした大地」の予定ですので、そこの後書きでもう少し詳しく書こうかと思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。