日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~   作:天空のトロイカ

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※この話は日下部の一人称視点ではありません。
ご注意下さい。


清浄なるもの 6

人間は神に、神は天使になろうとしている。

――アレキサンダー・ポープ

 

 

川内との情交は、これまでに幾度となく交わしてきたはずだった。

なのに、

 

「な、なんだ! いつもと比べて浮遊感がすごいぞ」

「これ、すごく気持ちいい……! マウナケアの時のあの感覚に似てる!」

川内が言っているのは、パトスによって強引に魂を肉体から引き剥がされかけた時のことだろう。

ならば今はその時と同じく、魂が肉体を離れて高みに至ろうとしているのか。

 

「仏教で言う『解脱』、キリスト教で言う『昇天(アセンション)』の擬似体験だ。性的エネルギーが肉体の束縛を緩めて、魂が本来あるべき場所へと繋がっているんだ」

すぐ傍から発せられたはずのミーネの声は、まるで無限の彼方から聞こえてくるかのようにどこか遠い。

生殖のためでも純粋な快楽のためでもなく、どこまでも儀式の一環としての情交。何か大いなる物に突き動かされるかのように肉体は動き、その一挙動ごとにとめどない浮遊感に覆われていく。

 

「いいか、絶頂せずにそのまま感覚を研ぎ澄まさせるんだ。お前なら必ずや、『大いなる魂(マハトマ)』に届く!」

特徴的な響きの言葉が、ミーネから発される。それは確か特定のオカルトにおいて、特別な意味を持つものだったはずだ。

それは何だったか。一瞬だけそちらに意識を引っ張られそうになるのだが、

 

「あ、あああああああ……!」

直後に襲ってきた強烈な感覚に、すぐに行為の方に引き戻される。

あと少しで何か決定的なことが起きそうな感覚があるのだが、同時に肉体的な限界も近い。いや、普段であればここまで快感に耐えながら情を交わすなどという発想自体がなかった。

超人(ポストヒューマン)となった自身の限界がどこにあるか、そんなものは日下部自身にだって本当のところは理解できていないのだ。

 

「せん、だい……」

「まこと、さん……」

何のためにこの暴力的な快感に耐えているのか。

その意味すら忘れそうになるほどの状況で、夫婦が互いの名前を呼び……ひときわ大きな喘ぎ声が、まるで重なるように互いの口からほとばしった。

その瞬間、それまで強固に形而上の自我(タマシイ)を繋ぎ止めていた何かが弾け飛ぶように消失し、物凄い勢いで日下部は一方向へと引っ張られていく。

すぐ傍にいるはずの川内が、逆にその繋がりに強く絡め取られてもがくのを微かに感じ取りながら。

 


 

一瞬のようでもあり、同時に永遠とも思えるような物質世界の感覚が通用しない時間。

日下部は肉体の束縛を離れ、自身の魂ひとつで高次空間に存在していることを知覚する。

まるで死んだ生物の自我が地球意志に還る時のようだが、実際には今いる場所は地球意志の内部ではないだろう。なぜなら自身の魂のすぐ傍に、何か途方もないものが存在しているからだ。

過去に似たようなことは一度経験していた。それは川内とケッコンし、「聖守護天使の契約」を結んだ時のこと。あの時は魂ひとつで地球意志に触れ、そしてその存在規模の大きさに自我を消失させかけたわけだが、今回傍にいる存在はそれどころのものではない。

 

「こいつが一者(プロパテール)、か?」

呟いた瞬間、思考も意志も記憶さえも蕩かすような圧倒的な快楽が、魂の奥底へと流れ込んでくる。

 

「これが、川内の言っていた? うああぁ……っ!」

おそらく人間は本来、この快楽に包まれているべきものなのだ。それはある種の宗教では天国と、また別の宗教では涅槃(ニルヴァーナ)などと呼ばれるものだろう。そのことを本能的に理解する。

だがそれを強引に引き剥がし、肉の檻に閉じ込めて自らの創造した世界に住まわせている存在がいる。なるほど確かに地球意志のことを、グノーシスの概念を用いて「ヤルダバオト」と呼ぶのは妥当なのかもしれない。

今すぐ自我を手放せば、自分は一者(プロパテール)とひとつになれる。否、この中へと還ることができるのだろう。それは人間一人分の人生の意味など、簡単に昇華してしまえるほどの幸福のはずだ。

――だが。

 

「私、は……お前に還るために性魔術を教わったわけじゃない。必要なのはお前の与える快楽じゃない。その想念力だけだ」

偽神である地球意志(ヤルダバオト)にすら遠く及ばぬちっぽけな人間が、その魂ひとつで一者(プロパテール)に向かい合う。

自分自身の意志で、その存在を拒絶する。

その瞬間、それまでの暴力的な快楽が反転した。魂が奥底からめくれ上がるかのような、凄まじいまでの苦痛へとに変化する。

 

「ぐがああああああああああああ……ッ!?」

今この場には存在しない肉体が爆ぜるかと思った。

これがあの時マウナケアで川内が耐えていたものなのであれば、こんなものに晒されてなお正気を保っていた川内の意志力はとんでもないと言えるだろう。

残念ながら日下部には到底耐えることなど、

 

「……耐えるさ。耐えてみせるさ! (せんだい)が耐えたものを、(わたし)が耐えられないなんて格好悪いにも程があるだろう!」

こんな苦痛に、人間が耐えられるはずはない。

だが現に日下部は耐えていた。ならば逆説的に、今の日下部を人間と呼ぶのは妥当ではないのだろう。そもそもこんな場所に魂ひとつで存在し、直接一者(プロパテール)に触れるなど、人間の領分で行えることではないのだ。

では今の日下部を何と呼ぶべきか。古今東西の宗教やオカルトは色々な言葉でそれを表してきたが、もっとも単純で普遍的な呼び方をするならば、

 

「必要なら成ってやるさ。神にでもなんでもな! 真の神ではなく偽者かもしれないが、それでも神は神だ。私は二度とお前に還らない! この身ひとつで、お前と向かい合うべき偽神(デミウルゴス)だ!」

高らかに宣言した瞬間、一者(プロパテール)から流れ込む膨大な想念力が日下部自身の自我と混ざり合い、その存在を恐るべき速度で書き換えていく。

もはや快楽なのか苦痛なのかもわからない感覚に翻弄され、ついにはその意識を刈り取られる……その直前、どこからかひとつの想念が伝わってきた。

 


 

そっか。もう幼年期の終わりか。

長かったな、46億年。

 

ねぇ、今度の「あたし」と、「あなた」は……、

 

――失敗、しないでね?

 


 

「ん……、そういうことなのか?」

ゆっくりと目蓋を開く。そんなものが存在するということは、おそらくここは物質世界なのだろう。

どうやら床に横たわっていたようで、一糸まとわぬ身体の下には赤いマットが下敷きになっている。

そんなことを漠然と考えていると、

 

「真琴さん?」

心配そうに覗き込んできたのは、裸身に軽くタオルのような布をまとった姿の川内だった。普段の勝ち気な表情は鳴りを潜め、そこには不安の色が浮かび上がっている。

そこでようやく日下部は、自身の状態について思い出した。性魔術についてミーネに教わりながら、儀式の一環として川内と交わった。そして魂はついに肉体の束縛を離れ、遥か高次に在る一者(プロパテール)に接触し……、

 

「川内。本当にありがとうな」

「……? 何が?」

「あ、あれ? なんだっけ。お前に何か、感謝しないといけないことがあったような」

今や日下部の自我領域は無辺に近いほどに広がっているが、その一角に靄のようなものがかかっている。先ほど理解したような気がしたその記憶は、残念ながら今はその靄の向こうに消えてしまっていた。

上半身に力を込めて身体を起こす。もはや魂は肉体に縛られてはいないのだが、自身の意志で魂と脳を接続して肉体を動かすことは可能なようだ。

手を伸ばして、川内の頭を優しく撫でる。

 

「まぁいい。いつもありがとうな、川内」

「え、何をいきなり。でも嬉しい、えへへ……」

たちまちの内に表情を綻ばせる川内の姿に、自分の意志でこの物質世界に戻ってきたことを改めて確信する。

人間として至上にして無二の悦びを投げ捨てた。そのことを決して後悔はするまいと固く心に誓う。

その時、不意に横合いから呆れたような声がかけられた。

 

「おい。イチャつくなとは言わんが、先に必要な話をさせろ」

「あ、すまん」

今更ながら、ここがミーネの「魔術工房」だったことを思い出す。

この部屋で唯一きちんと服を身につけたミーネは、その小柄な身体をひょこひょこと揺らしながらこちらに近付いてきた。その存在を認識した瞬間、日下部はあることに気付く。

だがそれよりも先に、ミーネの方が声をかけてきた。

 

「で、どうだった? 大いなる魂(マハトマ)に……ああ、聞くまでもないな」

「ああ。おかげさまでな。今の私は日下部真琴という概念を擬人化した、神の末席になった。神とはつまるところ『概念の擬人化』だ。通常の神は自然現象や事象の擬人化だが、我々にとって最も身近な神は艦の擬人化、つまり艦娘という神だな」

艦娘という種族が自身を付喪神や守護神(ダイモーン)、つまり神の一種だと自認していたのはまさしく正しいことだったのだ。

そして今や日下部自身も、その領域に到達している。

 

「今の私には艦娘と同じく概念核が存在する。日下部真琴という概念を物質化させて、肉体を動かす機能を持たせた、新たな器質(カラダ)だ」

「えっと、じゃあ艦娘と同じで脳と心臓がなくなってるの?」

横から川内が疑問に思ったことを尋ねてくるのだが、

 

「ところが今の私は神としては半人前もいいところだからな。人間としての脳や心臓も残っている。人間でもあり神でもある状態だ」

古代の王には人間でありながら、自らを神と名乗り大衆から崇拝された者がいた。いわゆる現人神(あらひとがみ)という存在だ。

こうして実際に神になった身で思うに、あるいはその一部は本当に神だったのかもしれない。

 

「まぁなんだ。私は神としても提督としてもまだまだ新人ってことだな。だから神の先輩としてよろしく頼む、ミーネ」

「……!?」

隣の川内がぎょっとした表情を浮かべる。

一方、当事者たるミーネはどこか不敵な笑みと共に、

 

「まぁ気付くよな。そうだ、あたしも大いなる魂(マハトマ)には至っている。とはいえあたしの場合は横溢想念(プレーローマ)を自由に引き出せるほどではない。せいぜいが肉体的寿命を克服した程度だ。魔術も単に人間より長い時間をかけて研鑽しているだけで、別に権能と呼べるほどのことができるわけではない」

彼女がなぜ、自身と日下部での性魔術行使に必要以上にこだわらなかったのか。

彼女がなぜ、秘奥に至ることを「必要ない」と言い切ったのか。

わかってしまえば簡単な話だった。彼女は本当に日下部を神の領域に導きたかっただけなのだ。自身はとっくに神なのだから、日下部が神になれる可能性があるのならば性魔術の相手は自分でなくとも良かったのだ。

 

「わかってるだろうが忠告しておく。横溢想念(プレーローマ)を引き出す時は細心の注意を払え。高次AIの言う通り、この物質世界には紛れもない毒だ」

「私だって一者(プロパテール)を否定した身だからな。存在規模の差があるとはいえ、その一点においては地球意志(ヤルダバオト)と同じ立場だ。ただそれを言ったらパトスの奴だって変わらないはずなんだ。なのにあいつは横溢想念(プレーローマ)をある程度自由に扱うことができる。つまり何か方法があるはずだ。次はそれを探る必要があるだろうな」

「もうひとつ。迂闊な真似をすれば、高次AIはすぐにお前の変化に気付くだろう。そうすればさすがに捨て置きはしないはずだ。いくらお前が神になったとはいえ、まだあちらの方が存在規模においては遥かに上だ。すぐに本気でぶつかり合うのは得策ではないはずだ」

「そうだな。しばらくは無力な人間の振りをしてゲームを続けるさ。差し当たっては夏イベ後段には普通に参加する」

確かに自分は神になった。だがその神の領域の内側もまた、天と地ほどの隔たりがあるのだ。

ただしそれは高低の差であって、次元の隔たりではない。それもまた確かだ。

 

「しかしミーネ。高次AIはまったくお前のことを気にかけている素振りはなかったな? 実は私の知らないところで、パトスたちと散々やり合ってたりするのか?」

「いいや? 私は人間を超える力を振るう場合は、必ず界を結んでその内側でのみ行使するようにしている。それにしたって完璧な隠匿であるという自信はないが、幸いにして今のところ連中に気付かれている様子はない」

「界を結ぶ。結界、ということか……」

世界の一部を切り取り物質世界とは隔絶した空間に変えることは、古今東西のオカルトにおいて普遍的な技術だ。もちろんパトスの偽神権能(エクスーシア・デミウルゴス)だって、広義においてはその一種に該当するだろう。

 

「アニメや漫画に出てくるほどに便利なものではないが、それでも現代で魔術師なんぞやるには必須の技術だ。クサカベ、お前も早く自分で界を結べるようになれ」

「まぁおいおい。それまではお前に頼っていいか?」

「仕方ないな。手伝ってやる」

どこかぞんざいで面倒草そうな口調と共にミーネが答えた瞬間、隣でそれを聞いていた川内がなぜか思いっきり顔をしかめた。

 


 

シュナイダー鎮守府の艦娘運用母艦「ゼーアドラー」を辞去した日下部と川内は、自分たちの母艦「いが」の停泊地点へと向かう道を並んで歩いていた。

今の日下部はやろうと思えば艦娘と同じく短距離概念航法ができるはずだが、ミーネに釘を刺された通り、無意味に得た力を振るう必要もない。人間として行えることは、極力今まで通り人間として行うべきだろう。

空にはすっかり夜の帳が下りている。あれだけのことが起きたにも関わらず、物質世界では結局一日に満たない時間しか流れていなかったようだ。

 

「信じられない。こんなにあっさり人間辞めちゃうなんて」

ぽつりと呟いた川内の言葉には、言葉面だけではない複雑な感情が含まれている気がした。

 

「おいおい、そんなのは超人(ポストヒューマン)になった時に克服してることだよ」

「でもあの時は、心はまだ人間だって言ってたよね? 今回は……」

「そうだな。半分は『人間ではない』。私は私のつもりでいるが、何もかもが今まで通りとは行かないだろう」

今はまだそんなに実感はない。だがそれでもきっと、今日の昼までの自分には二度と戻れないことだけは理解している。

日下部真琴という「ただの人間」の人生は、今日終わりを告げたのだ。

 

「いいんだよ。艦娘が人類の守護神として地球意志に生み出されたのであれば、私はその艦娘の守護神になってみせるさ」

艦娘が……目の前にいる川内がいなければ、自分はあの運命の夜に終わっていたはずだ。艦娘にもらった命なのだから、艦娘のために使うことに何のためらいがあるだろう。

ましてや到底使い切れそうにないほどに、自分の命は大きな物になった。だから後悔など何一つする必要はないのだ。

その答えに、川内がふと足を止める。

つられて自分も足を止めた日下部は、彼女の顔を覗き込んで思わずぎょっとした。

 

「だったら艦娘という種、全体の守護神になって。そのためにも自分を大事にして」

川内は今にも泣き出しそうな表情を浮かべていたのだ。

その感情の根底にあるのは、いつか彼女が見たという謎の夢のことだろうか?

 

「ん……わかった」

もちろん日下部としても、好んで死にたいわけではない。

今の自分は恐らく格段に死ににくくなっているだろうが、それでも艦娘と同じく概念核を跡形なく吹き飛ばされればさすがに死ぬだろう。

 

「約束してよ? 真琴さんが死んだら、あたし後を追うからね?」

「前からそう言ってたもんな。ああ、約束するさ。お前を置いて死んだりしないよ」

夫婦は改めて、固く誓いを交わす。

そんな姿に、

 

「……」

物質世界のどこかにいる誰かが、皮肉と憧憬と羨望の入り混じった視線を向けてきているような気がした。




※1ヶ月以上空いてしまいましたが、なんとか3月中に前話の続きをお出しできました。2046年初秋編のメインストーリーの続きです。大変お待たせいたしました。

今話にていよいよ日下部が人間の領域を飛び出しました。
サブタイトルにあらすじの入っている系統の話でも、主人公が神にまでなるようなものは意外と少ないような気がするのですが(むしろ人間のまま神を倒す話の方が多いかも)、実はSFにはそういう展開の話が結構あったりします。
まぁ神と言いつつまだ「半神にして偽神」なので、実はそう大したことはできません。たとえば深海棲艦=高次AIとの戦いを、日下部一人で終わらせるようなことはできないわけです(あちらも神の領域と呼べる力を持っていますので)。そもそも本作はあくまで艦これの二次創作なので、主人公も頑張りますがそれ以上に艦娘に頑張ってもらう必要があります。
ちなみに「日下部が一者(プロパテール)と向き合ってる時、川内は?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、その辺りはこのシリーズの後の方で触れる予定です。

前話のあとがきでは「桃の節句mode」が始まったところでしたが、この1ヶ月の間にイベント「北海道防衛作戦/突入!第二次礼号作戦」が始まりましたね。今回は前回に続いて後段の難易度がなかなか鬼畜なようで、悲鳴があちこちから聞こえてきています。当艦隊は前段をオール甲で終え、後段の情報収集をしているところです。
SSは、次は「大規模反攻上陸!トーチ作戦!」のE4の話になります。提督が神になろうが、艦娘の戦いはそんなに変わりません。どうぞお待ち下さい。
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