日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~ 作:天空のトロイカ
ご注意下さい。
世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
先程の日下部の放送は、「いが」の周囲で全周警戒を続ける川内たちも当然聞いていた。
「やったじゃん神通! さすが二水戦、強い!」
「長波たちのおかげですよ。前世では私はこの時、損傷してこの場にいませんでしたから」
控えめに言う神通だが、その内心が喜びに溢れていることを、対人関係の勘が鋭い川内は聡く察していた。
「ねぇ川内ちゃん。川内ちゃんは長谷川鎮守府で、あれと同じようなものを見たことがある?」
隣で二人のやり取りを聞いていた那珂が、不意に尋ねてくる。
ちなみにこの川内が実は元々長谷川鎮守府の川内であり、現在は日下部鎮守府で発見された川内と密かに入れ替わっている状態であることは、那珂にも話してある。現状では、三人共通の秘密となっていた。
「……あるよ。どれもこれも、嫌なものばっかりだった」
実はかなり初期から存在している、歴戦の艦娘である川内は、概念核に刻まれた記憶を思い出しながら言う。
艦娘を取り込んだ深海棲艦は、過去に何度も発見されている。
今回のノーザンプトンのように、新しく発見される艦娘が取り込まれる場合もあるが、すでに広く存在している艦娘が取り込まれるケースもある。
「あたしさ。白百合姫の話を聞いた時は、ついキレて『陽菜さんを殺してくる』なんて言っちゃったけどさ。冷静になって考えてみると、やっぱり恩も義理もたくさんあるんだよね」
あの時、赤城に止めてもらって本当に良かったと思う。
日下部に迷惑をかけるとか、自身が解体されるとかいった話の以前に、
「なんだかんだ言って長く一緒に戦ってきた仲だし、思い出もたくさんある。この入れ替わりに協力してくれてることもありがたいし……それに、」
そこで川内は一度言葉を切って、
「悪那珂の時も悪神通の時も、あの人、ちゃんと心から怒ってくれたんだよね」
「姉さん……そんな、ものが」
「那珂ちゃんも神通ちゃんも、あれになっちゃったことがあるの……?」
呆然と呟く神通と那珂に、川内は黙って首を振る。
「あれになったのは、あなたたちじゃない。顔と名前が同じなだけの、別人だよ」
川内は、ばっさりと言い切る。
同じ艦の概念から生まれた艦娘は、互いの想念を交信し合うことが出来るし、容姿や能力はまったく同じものになる。けれども性格については、似てないことも多い。川内の言う通り、顔と名前が同じなだけの別人だと捉える方が妥当だろう。
「だから、もしこの先にあれが出てきたとしても、あなたたちが気にすることはないんだよ」
「……」
「……」
川内の言葉は理解したものの、当の神通も那珂も何かを言うことはできなかった。
艦娘は個体ごとに別の存在だと理解していても、概念単位で艦娘を愛する提督が多いのもまた事実である。
そして当の艦娘も、互いを「完全な別人」と割り切るのは、なかなか難しいものがあった。
――そんなことを話している内に、ゆっくりと前進を続けていた「いが」はその動きを停止した。
身動きを止めたルンガ沖重巡棲姫まで、5000m。海上にあっては指呼の間と言える距離。
不意に「いが」の艦首から白い光の帯が、ルンガ沖重巡棲姫へ向かって伸びた。
初めて抱いた女のことは、よく覚えている。
自分の住んでいたマンションの隣室で、仕事が忙しくて家を留守にしがちな夫に不満を抱いていた、若く美しい新婚女性だった。
自分自身の両親もそんな感じだったから、15歳の日下部は、そんなことはよくあることだと解釈した。
自分の母親は、実際に他所に男を作って出ていったのだから。
その人妻も少し口説いてやれば股を開いてくれるだろうと、特に根拠もなく思い込んだ。
けれども実際のところは、そんな状況でも一線を超える者ばかりとは限らない。
新婚女性は誰も彼も性欲に飢えていて、ちょっと口説かれたらすぐに不倫に走るなど、エロ漫画の世界だけの話なのだ。
――
マインドハックで倫理観を麻痺させて、ついでに自分に対する好意を植え付けてやれば、いとも簡単に手に入った。
10代の暴走した性欲が命じるままに、彼女を貪るだけ貪った。
行為が発覚しないよう、ごくたまに彼女の夫が家にいる時は、積極的に夫とも交わらせた。
しばらくして、彼女の夫の転勤によって関係は終わることとなったが……別れ際の彼女の胎が大きくなっていたことについては、全力で見ないふりをすることにした。
その子の父親が結局「誰」であるのかについては、今日に至るまでわからないままである。
他にも色々と、マインドハックは我欲を満たすのに役立った。
悪の才能に恵まれず、これだけの技術の使いみちをちょっとした我欲を満たす「程度」にしか思いつかなかったのは、果たして幸運だったのか不幸だったのか。
法制度の確立を人間に促すことと、この機に自身が社会権限を掌握すること、二つの目的のために日下部が
それでも個人のレベルでは、日下部によって人生を狂わされた人間は、確実に存在する。
殺されかけたことと悠也の尽力によって、己の罪を自覚し償える範囲で償ったとはいえ、当然ながら全てではない。
……単にシンギュラリティの到来によって、そんな罪などどうでも良いと言ってしまえる状況に、世の中の方が変わってしまっただけの話だ。
「すべての人間を善と悪に分けたならば、間違いなく私は悪に属する存在だろう。悪の中でもどうしようもない小物だというだけだ」
改造済みのMM機関に取り付けられた、パソコンのキーボードに似た入力装置を叩きながら、日下部は呟く。
「シンギュラリティが到来しなかったら、案外私は誰かに復讐されて、ボロ雑巾のように死んでいたのかもしれないな」
MM機関から伸びた白い光の帯――想念をMM機関に吸収するための経路である
後は、念じるだけで操作できる。
「それでも、だ。こんな私でないと出来ないことがあるのならば、それは嬉しいことだと言っていいんじゃないか」
その最大射程は5000m。
ちなみに日下部がマインドハッカーをやっていた時は、ここまで長大ではなかった。艦娘救助に技術を応用する際に、とあるオカルト概念をベースとして、モーリアックが色々と改良したのだとか。
「想念パターン解析。均衡を直進しマルクトよりイェソド、ティフェレト、ダアトを経由してケテルへ」
艦娘の攻撃で穿たれた深海棲艦の想念装甲の破孔部から、
想念は生命から外部に向かって放出される物だから、本来の用途である想念の吸収を行うのなら、自我の表面に軽く繋ぐ程度で良い。
しかしマインドハックの場合はその逆であるため、
「ケテル到達。想念パターン同調。マインドハック、開始」
ずぶり、と。
実際は音がしたわけではないが、そんな感触と共に、
「――長波!
通信機に向かって日下部が声を張り上げると、
『おう提督! ちょっと恥ずかしいけど、どんと来い!』
長波の答えを確認してから、日下部はまた別の
こちらは想念を吸収するだけだから、別に自我に深く突き入れる必要は無い。
「明石、MM機関フルドライブ! 長波を通じてノーザンプトンと地球意志の間にリンクを繋ぎ、『記憶』を定着させる!」
「了解しました!」
こちらはすぐ脇で、MM機関を操作していた明石が答える。
『記憶』、其は定量性を持った想念。
「あの時はお互い敵だったし、忘れられないことがあるのも認めるけどさぁ……でも今は、あたしもお前も艦娘なんだからな。『こっち』は案外楽しいからさ、戻って来いって!」
――「そうあった」という歴史を以って、彼女の「過去」を形作る。
「『記憶』の定着を確認。続けて『思考』の励起を行う。……私の声が聞こえるか、ノーザンプトン!」
日下部は自らに繋がっている
『思考』、其は蓋然性を持った想念。
「……ア、アナタハ……? ソノ、手ハ……?」
明らかに、ルンガ沖重巡棲姫のAIとは異なる想念から発せられた声。
――「ここに在る」という認識を以って、彼女の「現在」を形作る。
「『思考』の励起を確認。続けて『意志』の発露を、……!?」
不意に。
それまでぴくりとも動かなかったルンガ沖重巡棲姫の身体が、小刻みに震えだす。
瞬間、黒い靄のような負の想念が大量に湧き上がったかと思うと、繋がれた
かつてのマインドハッカー事件の際、高次AIロゴスが開発した技術のひとつ。
対象にあらかじめ特定条件下で暴走する想念の塊を仕込んでおき、マインドハッカーの自我を焼き尽くす、
物質化せずとも視認できるほどに濃縮された「負の想念」が、日下部を襲う……!
「提督ーっ!?」
MM機関を操作していた明石は、思わず悲鳴を上げる。
本来であれば十分な強度の
明石の悲鳴も、無理からぬことであったが……。
「――心配するな、明石。私は大丈夫だ」
「えっ……提督……?」
特に何の異常もなく受け答えをする日下部を、明石は信じられない物を見るような気持ちで見る。
「
荒れ狂う怨嗟の暴風雨を、まるで子守唄でも聞くかのように平然と受け流し、
「マインドハック続行。ノーザンプトンの『意志』の発露を促す」
日下部は、ノーザンプトンへの呼びかけを続ける。
「聞こえるかノーザンプトン?
お前の怨嗟は共有してやれない。それはお前だけの想念だ。
けれども、これから良い想念を一緒に生産してやることなら、きっと出来る!
お前の『過去』は、母なる地球と仲間の艦娘たちが保証してやれる。
お前の『現在』は、私も含めてここにいる皆が見付けてやれる。
だが『未来』は、お前が自分で掴み取るしか無いんだ。
汝の意志することを行え。自らの『真の意志』は、自らで見付けろ……!」
『意志』、其は指向性を持った想念。
「光ガ……イイノ? ジャア、マタ……ワタシ……!」
――「そう在りたい」という願いを以って、彼女の「未来」を形作る。
「……お願いします!」
ぱりん、と音が鳴った気がした。
ルンガ沖重巡棲姫の、女性型の部位にヒビが入る。
ヒビは少しずつ大きくなり、縦横無尽に広がっていく。
やがてそれは頭足類の部位にまで広がっていき、少しずつその隙間から光が漏れ出して――、
「……Admiral!」
砕け散ったルンガ沖重巡棲姫の想念装甲の中から、一人の艦娘が姿を現す。
記憶と思考と意志。過去と現在と未来。
完全な形で自我を備えたひとつの生命が、自らの想念に基づいて言葉を紡ぐ。
「それに、長波。本当に、ありがとう。こんな形で逢えて、よかった」
「ようこそ、ノーザンプトン」
実際の距離は5000m離れているから、あくまで主観的なイメージ上だけのことでしかないけれども。
「――これから、よろしくな」
日下部は眼鏡をかけたその艦娘の身体を、ぎゅっと強く抱き締める。
彼女が今、彼女にしか歩めない道を歩み始めたことを、祝福するかのように。
ノーザンプトンと二水戦を収容した後、「いが」は護衛の艦娘と共に、一目散に安全圏――人類が一時的に確保している、「本物」のショートランド泊地――へ向けて退避を始める。
「これで、今回のイベントは終了か?」
目的である「艦娘ノーザンプトンの救出」を達成したのだから、これ以上戦う必要は無いはずだ。
そんな日下部の思考を遮るかのように、
「大本営から入電!」
大淀の声が、司令室に響き渡る。
「ノーザンプトン救出により、前段作戦が完了致しました。日下部鎮守府は引き続き、後段作戦に当たるように、とのことです!」
「なん……だと……?」
イベントはまだ終わらない。
それは必然的に、深海棲艦に生体ユニットとして取り込まれた艦娘が、他にもいるということ。
「後段作戦の作戦目標は……元アメリカ海軍太平洋艦隊所属。
大淀は、その名を告げる。
「艦娘、
「姉さん、私は……」
川内の語った「かつて深海に囚われた神通がいた」という事実が、棘のように胸の奥に刺さって、いつまでも抜けなくて。
神通は、夜空にまたたく満天の星を見上げる。
その無数の輝きは、海の上を這うかのような、自分の身にはあまりに遠く。
――そしてまた、新たなひとつの物語が始まる。
※以前はしれっと「ガキの頃はクズだった」の一言で流していた、その日下部のクズな部分をようやく書けました。
筆おろしからNTRとか、そりゃあ性癖も歪みます。
本作にはリアル世界の道徳的な価値基準からすれば、(程度の差こそあれど)悪に該当するような行為を行っているキャラクターが多々存在します。
日下部はご覧の通りですし、長谷川は艦娘に対するセクハラの常習犯です。舞津も幼女と呼べる朝潮に実際に手を出してますし、ジャンヌに至ってはオペレーション・ササジャータカや艦娘運用体制確立時の大規模粛清で、大量の人間を死に追いやっています。
――そして艦これプレイヤーの大半が見落としている(あるいは、意図して意識外に置いている)事実として、「艦娘たちもそのほとんどが、前世において敵兵に対する殺人を行っています」。
一方で彼らの悪行は、既存の法によっては裁かれません。
マインドハックは日下部の行いがあって、初めてそれを裁くための法が作られました。艦娘は人間ではないので、いくら見た目が幼女や少女でも、セクハラしようが性交しようが犯罪になりません。ジャンヌの行いは、人類全体の滅びを避けるための行いとして英雄視されてますし、艦娘に至っては複数の理由(前世はただの艦だったから彼女たちに罪はない、個人の犯罪ではなく戦闘行為である、一度撃沈されて死んでいるのでその時点で生前の罪は帳消しになっている、など)で、罪に問うのはナンセンスも良いところでしょう。
そして何より人類が半分以上死んでいる世界で、これらの罪をひとつひとつ問う余裕は、人類にはとてもありません。
なおゲームの方は、2021年夏イベが始まりました。
今回は全3海域で期間が短そうですので、SSを書く合間にちょっとずつでも進めていきたいと思っています。