日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~ 作:天空のトロイカ
ご注意下さい。
人間はときに、他人と別人であると同じほどに自分とも別人である。
「さぼってるわけじゃないってばぁ! 提督日誌つけてるんだってばぁ!」
ただの言い訳だろうと思って阿賀野の手元を見た日下部は、本当にノートらしき物がそこにあることに気付き、思わず目を見開いた。
日下部鎮守府における秘書艦は川内だが、当然ながら常時その業務に従事出来るわけではない。
艦娘として出撃する時、あるいは休暇を取得する時、一時的に他の艦娘がその業務を代行することがある。
今日は川内が休暇を取得して、朝から街に出掛けているため、軽巡・阿賀野が秘書艦代行を務めていた。
春イベントで軽巡艦娘も大量に着任したが、ようやく1ヶ月ほど経って阿賀野の育成に手が回るようになってきたため、日下部としては親睦を深めるためにも命じたものなのだが……、
「お前、本当にそんな物付けてたのか」
「当たり前じゃない。提督さんってば、観察しててちっとも飽きないよ」
そんなことをしてないで仕事をしろ、と思わなくもないのだが、そもそも阿賀野は「だらし姉ぇ」などという異名を持つ程度にはぐうたらで知られる艦娘である。そんな指摘はするだけ無意味だった。
かわりに日下部は、
「なんだ阿賀野。そんな提督Love勢みたいな言動して」
からかうつもりでそんな風に言ったのだが、
「キラリーン☆ みたい、じゃないよ。阿賀野は提督さん、大好きよ」
「……!?」
予想外の方向から飛んできた言葉の打撃力に、思わずノックアウトされるところだった。
「提督さん、全然気付いてなかったでしょ?」
「……はい」
「川内たちが決めたルールは知ってるよ。今、正式に婚約してる子以外に手を出したら、浮気扱いになっちゃうんだよね。先にいた子たちが勝手に決めて、ちょっとずるいよね」
その言葉に日下部は、胸を突かれた気分になった。
――なるほど、新しく着任した艦娘の
「恋愛って、元々そういう理不尽な物だろ。後から出会ってどれだけ好きになっても、それが報われるとは限らないし、報われた場合は確実に違う人が傷付くことになる。別に、うちのローカルルールだけの問題じゃないぞ」
「それは、そうだね。何より提督さんのこと大好きだから、困らせたくはないかな。だから今すぐどうこうしろとか言わないけど、覚えててくれると嬉しいな。ふふっ」
嫁艦候補たちのさらに後ろの列に並ぶことを宣言して、阿賀野は愉快そうに笑った。
阿賀野の場合はこのように物分りも聞き分けも良かったが、いつかもっと跳ねっ返りの艦娘に好かれた場合は、もしかして一悶着あるかもしれない。
とはいえ好きになる気持ち自体を制限することは出来ないし、何より好かれて嬉しくないわけがない。
「ありがとな、阿賀野。お前の気持ちは、覚えておくよ」
「えへへ……」
嬉しそうにはにかむ様子が、とても愛らしくて。
日下部は、新しい物語がまたひとつ始まるのを感じていた。
阿賀野が日下部に告白していた頃、肝心の川内はというと、
「シェフのおまかせコース。メインディッシュは魚で。ランチだから
横浜にあるフレンチレストランで、すらすらと
「お、同じもので」
「別にあたしに合わせて魚にしなくても、お肉でも良かったんだよ?」
なんでもないことのように言う川内に、もう一人の艦娘は思わず目を泳がせて、ぱくぱくと口を開く。
「これ、意外と女子力が高いなんて話じゃないと思うんだけど」
「別に
「絶対に普通じゃない! え、あなた本当に川内!?」
「失礼な。うちの提督、何故かやたらフレンチの作法に詳しいんだよ。自分でラタトゥイユとか作っちゃうし。さすがに本当にこういうお店に来るのは初めてだけど、オーダーで戸惑わない程度には仕込まれちゃった」
「そっかぁ、好きな人にがっつり染められるタイプかー。もう、すっかり私とは別人だなぁ」
遠い目で呟いた艦娘は……川内。長谷川鎮守府に所属する川内である。
そう。ここには、二人の川内がランチを楽しみに来ているのだ。
「……微妙に棘のある言い方だなぁ。あなたが、春イベントの時のお礼に『美味しいご飯が食べたい』とか言うから、わざわざ探したのに。こういうお店、今の時代貴重なんだよ?」
日下部川内は唇を尖らせて、もう一人の川内に抗議する。
シンギュラリティの到来によって、既存の社会秩序は軒並み崩壊した。人々は日々の生活に手一杯になり、高級な物や贅沢を楽しむような余裕が、一度完全に失われたのは事実だ。
しかし艦娘運用体制の確立などによって初期の混乱から立ち直ると、人間はタフなことに、新しい社会秩序を築き始めた。それはつまり、格差の再構築であり……以前よりも遥かに少なくなったとはいえ、このような店にも確実に再び需要が生まれ始めていた。
「いや、言ったけど。まさかこういうところに連れて来られるとは思わなかった……」
「まったく同じ顔した女の子が二人とか、誰がどう見たって艦娘以外に無いでしょ? こういうところでもないと、悪目立ちして面倒なことになるかもだよ?」
「なるほどねー。はー、やっぱり人生経験ではそっちが上かー」
「そりゃあね。せっかく女の子の身体で生まれて来たんだから、色々楽しまなくっちゃ」
日下部川内は自分の前世の姿を思い浮かべる。
四本煙突が特徴の、5500t級軽巡。あの姿が嫌いなわけではない。むしろ誇りにすら思っている。
けれども、それはそれとして……第二の人生をこうして与えられたのだから、楽しまないのはもったいないと思うのだ。
「色々、ね……。うん、さすがにこういうお店じゃちょっとはばかられるけど、後でガールズトークしよっか」
長谷川川内がどこか据わった目で言ってくるのに、日下部川内は少し苦笑して、
「いっつも思うんだけど、ガールズトークって可愛らしい言い方の割に、最後は絶対エッチな話になるよね。なら最初っから猥談って言っても良くない?」
「そこは女子力高くしようね!」
いくら好きな人の色に染まっても、時折こうして地金が出てくるのもまた、川内という艦娘らしいのかもしれない。
「あなたがここの提督?
あの春イベの夜、そう告げた時の日下部のぽかんとした顔を、長谷川川内は今でも覚えている。
顔立ちが整っているのは認めるけど、ちっとも格好良いなんて思わなかった。
「ど、どういうことだ!?」
「うん、あなたのところの川内に頼まれて、入れ替わった」
「なん……だと……!? 川内ぃ、後で私がどれだけ怒られると思ってるんだぁぁぁぁ!」
思わず天井を見上げ、日下部は喚く。
ざまぁ見ろ、とまでは言わない。なんだかんだ言っても、生まれた直後に深海棲艦に囚われ、概念核だけの状態になっていた自分を保護し、新しい肉体を与えてくれたのはこの日下部だ。最低限の恩は感じている。
けれどもその後、この鎮守府で過ごしたわずかな日々のことは、辛い記憶がほとんどだ。
一見して自分に向けられた好意が、実際は自分ではない誰かに向けられた物であるというのが、あんなに苦しいなんて。
日下部川内――ややこしいが、元々長谷川鎮守府にいた川内――が、入れ替わりを提案してきた時、一も二もなく飛び付いたのは、そんな理由だ。
「……すまないな、長谷川鎮守府の川内。お前も、後で長谷川の奴に怒られるんじゃないか?」
「そうかもね。でも、神通のためだっていうから」
「そうか。ありがとう」
日下部に頭を下げられたら、なんと言葉を返したら良いかわからなくなった。
「ちょうどいい機会だから、言っておきたいことがある。あの夜、日本近海で、私を助けてくれてありがとう。もう完全に諦めていたから、まさか助かるとは思わなかった」
「別に、それが仕事だったし」
「あの時。お前が戦う姿を見て、『君は、美しい』と言ったのは……紛れもない本心だよ。私は、お前に一目惚れしたんだ」
――まったく意識しない方向から言葉に打ち据えられて、長谷川川内は思わず膝を付きそうになる。
「けど。提督になって、うちの川内に言われたよ。『自分じゃなくて違う誰かを見てるのは、さすがに嫌だ』って。はっとなった。自分では目の前の川内を愛していたつもりでいたけど、やっぱりお前に気持ちを引きずられてたんだって思い知らされて、ショックだった」
過去の自分の発した言葉が、現在の自分に突き刺さる。
「こんな情けない私のことを、それでもうちの川内は受け入れてくれたんだ。だから」
日下部は、まなじりを引き締める。
強い決意を含んだその表情を、……今初めて、格好いいと思う。
「この恋を、自分で終わらせることにした。川内、お前のことが好き
――どうしてこの人は、もっと早くこの決断をしてくれなかったのだろう。あの入れ替わりをする前に。
いや、本当はわかっている。入れ替わった後の日下部川内が演じたように、自分もこの提督に歩み寄りを見せれば良かったのだ。
そうすればもしかしたら、ひょっとしたら、この温かさに満ちた想念を受けていたのは……自分だったかもしれない。
「……うん、ありがと。でも、私は特に何とも思ってないから」
「そうか。それは、いきなり言ってすまなかった」
「いいよ。でもその分、あなたのところの川内を愛してあげてね」
夜戦で強烈な一撃を受けるよりも、ずっとずっと心が痛い。
恋という戦いに轟沈ストッパーは無いのだから、今自分がまだ立っているのは、ただの痩せ我慢だ。
「支援攻撃も終わったみたいだし。浜風たちと合流して、私は母艦に帰投するね」
「うん。川内、本当にありがとう!」
背中にかけられた言葉には、もう何も返せなかった。
日下部鎮守府の艦娘運用母艦「いが」を飛び出し、そのままひたすら海面を走って走って……。
「いが」が視界の外に消えたところで、ようやく長谷川川内は、顔をぐしゃぐしゃにして泣くことができた。
「ごめん。そんな風に感じたんだ、知らなかった。あたし、あなたの居場所を取っちゃったね」
デザートと
「いいの! 元はと言えば、私の心が狭かったのが全部の原因だし。それに結局、あの提督が一目惚れしたのはあなたなんだから……ベタな表現だけど、『運命の人』だったってことなんじゃない?」
「うん……」
伏し目がちに頷く日下部川内の表情は、とても乙女心に満ちたもので。
「いいなぁ。『初恋は実らない』とかいう言葉があるらしいけど。あなたは立派に実らせたんだね」
「初恋……っ!?」
「ちょっと、なに驚いた顔してんの? まさか、あの提督が初恋ってわけでもないの?」
「いや、そういうわけじゃ……無いけど」
「……?」
日下部川内の真意を測りかねて、長谷川川内は首を傾げる。
だが、その物語を紡ぐべき時は今ではない。暑い夏が過ぎ、郷愁の秋になったならば、もしかしたら思い出すこともあるかもしれない。
「そうそう! 日下部提督のことはそのくらいにして。今度は陽菜さんのこと聞かせてよ! あの人、元気にしてる?」
「元気だよ。……知ってると思うけど、あの人もちょっと夜戦が好きすぎるよね」
クソレズ、などというこの場にそぐわないはしたない言葉は使わない。
「あはは。相変わらずかぁ」
「そういえばあなた、長谷川提督に誘われても絶対に夜戦に応じなかったんだって?」
「あー、うん。性欲は艦娘使って結構満たしてるけど、多分あの人、どの艦娘も愛してはいないんだよね」
「……うん。わかるよー」
長谷川川内も、日下部川内の言葉に頷く。
吹雪のパンツの匂いを嗅いでも、日下部鎮守府の電を押し倒しても、金剛とねっちょねっちょしたレズレズしい情事をしていても。
対人関係の勘に鋭い川内という艦娘には理解できる。できてしまう。
――長谷川陽菜の心は、どの艦娘にも向いていない。
「それが嫌だったから、あたしは夜戦のお誘いにどうしても乗る気にならなかった……って、え、ちょっと待って川内? なんで顔を赤くして目を逸らすの!?」
「言ってることはわかるけど。恋と、夜戦は、別腹でいいんじゃないかなー」
「ちょ、ちょっとちょっと! ……シたの?」
「……うん」
先程ランチをオーダーした時の長谷川川内のように、今度は日下部川内が目を泳がせて、ぱくぱくと口を開く番だった。
「そ、その話詳しく! っていうか、うん、もうここ出よう! ガールズトークしに行こう!」
「あ、あれっ。そっちの話を聞く予定だったんだけど……」
「ノロケ混じりでいいなら、幾らでも話してあげるから!」
「川内、帰投したよー! 阿賀野、一日ありがとねー!」
日下部鎮守府の執務室に、騒がしい声が戻ってきた。
「……。ちょっと、何この桃色の空気」
一目で川内は、朝に鎮守府を出た時とは様子が違っていることに気付く。
川内という艦娘の勘を舐めてはいけない。
「浮気っ!?」
「してないしてない。阿賀野、提督さんに告白はしたけど、それ以上のことは何もしてないよ」
「ちょっと待って今すごいことしれっと言った!?」
阿賀野の底知れなさに、思わず川内は圧倒されそうになる。
ぎりっと日下部を睨みつけると、千切れんばかりに首をぶんぶんと縦に振った。一応、嘘ではなさそうではある。
「告白して、後はずっと提督日誌書いてた」
「いや秘書艦の仕事してよ! って言ってもどうせ無駄だろうけど。提督日誌ねぇ……どんなこと書いてるの?」
「やっぱり気になるよね、川内ちゃん的には。はい、読んでいいよ」
隠されるかと思ったら、いともあっさりノートのような物を渡されて、思わず面喰らう。
それでも好奇心には勝てず、ぱらぱらとページをめくれば、
「うわ、すごく詳しく書いてる。よく見てるなぁ……」
つまり、冗談でもからかっているのでもない。
本気で、阿賀野は日下部に恋をしているのだ。
「でしょ? ふふ、心配しなくても割り込んだりしないから、大丈夫よ」
その言葉に、一瞬胸を撫で下ろしそうになるが、
「……今はね」
ぼそっと放たれた阿賀野の呟きを、川内は聞き逃さなかった。
「今は、って言った! むー! 阿賀野、今から
「えっ……夜は、寝たいんだけどぉ……」
弱々しく抗議の言葉を上げる阿賀野の意志を、敢えて川内は無視する。
――日下部の「運命の人」としての意地にかけて、誰にも負けられない戦いもあるのだ。
※今回の話を書くに当たって、二人の川内の呼び分けをどうしようか結構迷いましたが、最終的に提督の姓を取って「日下部川内」「長谷川川内」でいいかなという結論になりました。
阿賀野について。
ツイッターではすっかりメタ発言担当ですが、SSは雰囲気が違うのもあって、そういう役回りはさせない予定です。
そうなると単なる「だらし姉ぇ」なわけですが、能代や矢矧が着任していないこの時点での日下部鎮守府の阿賀野は、結構しっかりしています。元々エビ抜きチャーハンを自分で作っている=料理はできる子なわけですし。
川内について。
本作の川内はデフォルトの川内からすると、かなり独自色が強いと思います(別に川内に限った話でも無いですけど)。特に日下部川内に関しては、一人称も独特ですし。
作者が川内に惹かれたのは、確実に「夜戦バカであるところ」なのですが、もし川内に「意外と女子力高いところ」が無く、ただの夜戦バカだったら、メインヒロインに抜擢するところまでは行かず「好きな艦娘の一人」程度に収まっていた気がします。
ギャップ萌えって大事ですね。