日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~ 作:天空のトロイカ
ご注意下さい。
人が恋をし始めたときは、生き始めたばかりのときである。
「ヒトナナマルマル!」
執務室に、秘書艦である川内の声が響き渡る。
一時間ごとに現在時刻を提督に伝えるのは、秘書艦にとって大切な仕事のひとつである。
もちろん時計は存在している。実のところ川内だって、それを見て時報を発している。
だが書類仕事というのは、ついつい過剰に没頭してしまうものだ。過集中による疲労のせいで、提督がいざという時に指揮を執れないなどということになっては、本末転倒極まりない。
そのためこうして秘書艦が時報を発することで、定期的に自身の状態を意識させることになっているのだ。
「提督、ほら、夕日! もうすぐ夜だ! 夜だよ、夜! 待ち遠しいね。ワクワクするよ!」
川内の言葉に、日下部は窓の外に目を向ける。
茜色に染まる母港の風景が、眼精疲労にかすむ瞳を優しく包み込んでいく。
夏に向かうこの季節、陽はまだ高く、実際の夜の訪れはもう少し後になるだろう。
だが、夜をこよなく愛する川内にとっては、もうそのことで頭がいっぱいのようだった。
「……どれ。今日はこのくらいにしておくか」
日下部はきりの良いところまで仕事を終えると、付箋を挟み込んで書類を閉じる。
仕事のペースを自分で決められるのは、組織のトップの良いところのひとつだ。
「川内も秘書艦お疲れ様。どうだ、後で鳳翔のところでも」
「あー、せっかくのお誘いなのにゴメン。神通や那珂と先約があってさ」
「おや、振られた。まぁそうだな、そういう関係も大切だ」
恋は素晴らしい物だが、恋のことしか考えられない関係は不健全だ……というのが、日下部の持論だ。
「本当ゴメンね、また今度埋め合わせするから!」
「おう。毎日顔合わせてるんだから、いつだって行けるだろ。姉妹での女子会、楽しんで来いよ」
日下部は笑って、川内に告げる。
恋人はあと5人いるのだから、誘えば誰かしら相手をしてくれる艦娘は見付かるだろうが、なんとなく今日は別にいいかという気分になっていた。
恋は素晴らしい物だが、恋のことしか考えられない関係は不健全だ。たまには一人の時間も大切だろう。
「えっ、ホノルルのことが……?」
川内は身を乗り出して、神通に尋ね返す。
神通の部屋に集まっての女子会。
ガールズトークの中心はやはり恋の話なのだが、普段と違って、今日ばかりは主役は川内ではない。
「はい。長波やノーザさんに言われたら、自分でも意識するようになりまして」
「それはまた難儀なところに惚れたなぁ。確かに、神通は提督じゃなくて艦娘を好きになるタイプだと思ってはいたけどさ」
だが、よりにもよって苦手意識を持たれているど真ん中の艦娘を好きになるとは。
とてもじゃないが、前途多難な恋としか思えない。
「神通ちゃん。ホノルルちゃんのどんなところを、好きになったの?」
那珂が冷静に尋ねる。
どんな些細なことであっても、恋に落ちるきっかけになっておかしくないのが艦娘という生物だ。
提督ではなく他の艦娘に恋する個体は、どちらかというと本能から外れた存在ではあるが、それでも「惚れっぽい」という性質までは変わらないはずだ。
神通はその問いかけに、少しうつむいて、
「以前、夕方……一七〇〇時頃に、ホノルルさんが演習から戻ってきたことがありまして。その時、一面の夕陽の光の中に、あの方の金色の髪が映えて……」
そこで神通は、一度言葉を切る。
言葉にするのは少しだけためらわれるような、けれども誰かに聞いてもらいたいような、そんな複雑な感情と共に、
「とても、綺麗だったんです」
真っ赤に上気した頬、潤んだ瞳。
その恋の色に満ちた表情は、姉である川内の目にもとても可愛らしく映るもので。
「はーっ……、参った。ガチ恋だ。正直『止めておいた方がいいんじゃない』ってさっきまで言うつもりだったんだけど。その表情を見せられたら、応援するしかないなぁ」
「姉さん……」
「でも、難しいのは間違いないよね。ノーザちゃんの言うことが本当なら、嫌われてるわけじゃないんだろうけど、だからって好かれるかは別の話だよね。怖がられてるのは確かなんだし」
冷静な那珂の発言が、浮ついた神通と川内にぴしゃりと冷水を浴びせる。
「うちの那珂は、相変わらず理性的だなぁ」
「アイドルはクレバーじゃないと務まらないんだよ」
「この考え方してるくせに『恋の2-4-11』とか歌っちゃう那珂は、逆にすごいのかもしれない」
「ファンの前ではいつだってキラッキラだけど、今はオフだもん。姉妹とか他のアイドルの前でぐらいは、那珂ちゃんもオフモードになるんですー」
唇を突き出して主張する那珂の言葉に、川内はわずかに引っかかりを覚える。
姉妹はいいとして、「他のアイドル」の前でも那珂はオフモードになる……?
現在この艦隊には、その条件を満たす艦娘が一人いるような気がする。
「那珂、あんた……?」
「川内ちゃん、今日の主役は那珂ちゃんじゃなくて神通ちゃんだよー」
うそぶく那珂の言葉に、川内は小さく舌打ちする。
気にはなるが、確かにその通りだ。その物語を紡ぐのは、今ではないのかもしれない。
「姉さんは、提督とはどんな風に恋を成就させたんですか?」
「あたし? えっと……」
記憶の糸を手繰り寄せれば、辿り着いたのは一つの光景。
自分の在り方に苦しむ日下部のことを、そのまま肯定した夜のこと。
そして……、
「――夜戦」
「姉さん?」
「夜戦だよ、夜戦。夜戦はいいよ神通! 夜戦は全てを解決する!」
「落ち着いて下さい、姉さん!」
いつもの発作かと思い、止めにかかる神通だったが、
「いや、本気で言ってる。結局あたしと提督が本当の意味で結ばれたのって、あの時に夜戦したからだと思うし」
逆に真剣な表情で返されて、思わず言葉を失う。
「せっかく肉の身体で生まれたんだから、抱きしめあわなきゃもったいないよ!」
――それは、かつての鉄の身体では決して叶わぬこと。
「だから神通。チャンスがあったらホノルルのこと、押し倒しちゃえ!」
「姉さぁぁぁぁぁん!」
真っ赤になって、神通は川内に抗議の声を上げる。
ノーザンプトンにも似たようなことを言われたが、しかしこうはっきりと言葉にされると、流石に恥ずかしさが先に立つ。
そんな二人の様子を、那珂は笑いながら眺めていた。
「提督、ホノルル特製のロコモコだ! このハンバーガーパティは特製さ、上の目玉焼きと一緒に食べてくれ!」
「お、悪いな。じゃあご馳走になるか」
日下部は特に深く考えることもなく、目の前に供されたロコモコに目を輝かせた。
一人で過ごすつもりで自室にいたら、ホノルルが訪ねてきた。
なんでも、なんとなく料理をしたい気分になったので、提督に夕食を作りに来たのだという。
――生まれつき他者の感情に共感できない日下部にとって、そんな行動に出たホノルルの真意など、思いも付かぬことでしか無い。
「酒はビールでいいか?」
「うん、いいね!
ハワイでの挨拶として知られる「Aloha」という言葉には、実のところ他にも色々な意味がある。
歓迎、別れ、感謝、可憐さ……そして、愛情。
「さ、かんぱ~い!」
「乾杯!」
二人はグラスをぶつけ合う。
ごくごくと飲み下せば、弾ける泡の喉越しが夏の暑さに心地よい。
「いい飲みっぷりだ! さ、遠慮なくロコモコも食ってくれよ」
「どれ、お言葉に甘えて……お。本当だ美味い。焼き加減が絶妙で、卵もトロットロで。お前、料理上手いんだな!」
「だろ~? パティはまだ残ってるから、後でホノルルバーガーにするよ!」
がつがつと胃袋を満たす日下部の姿を、ホノルルは嬉しそうに眺める。
「これだけご馳走になったんなら、今度私もお礼をしないとなぁ。実は私も、結構料理は上手なんだぞ?」
「へー、意外。得意料理は何だろ?」
「ラタトゥイユ。肉にも魚にも合うし、当然ながらワインも進む。自慢の一品だ」
「……そ、それは本当に意外、というか意外すぎる」
もっと男性的で簡単な料理か、せいぜい日本人らしく和食を挙げると思っていたホノルルは、日下部の口から飛び出してきた
「む、信じてないか? この間も秋月たちにご馳走してやったんだが」
「あーいや、信じてないってことは無いけど。そんな本格的な物作ってるところが想像できないなーって」
「おや、そうか。なら今度、目の前で作ってやる」
何の気ない言葉。
「じゃ、じゃあ提督。また、ここに来てもいいってことか?」
思わず上擦った声が出て、ホノルルは思わず自分を殴りたくなるが、
「……? そりゃ、来ないと作ってるところを見せられないだろ」
いともあっさり言われて、思わず舞い上がりそうになる。
――だが。
そんな恋する乙女の一喜一憂など、まったく気付くことのない日下部は、
「あ、でも……なんだかんだ嫁艦候補たちとデートしてることも多いからな。今日はたまた空いてたから良かったけど。次からはサプライズで来るんじゃなくて、都合を確認した上で来て欲しいかな」
「……。OK、気を付けるよ」
浮ついていたものが、一気に地面に叩き付けられたような気分になる。
だが逆に言えば、きちんとアポイントを入れれば来ること自体は拒まれていないということだ。つまり希望を次に繋いだということ。
ホノルルは前向きに考えられるよう、必死に自分に言い聞かせた。
「提督、今日は楽しかったよ!」
「いやこちらこそ。すっかりご馳走になってしまった」
目の前で展開されている光景に、川内の思考は思わず凍りついた。
女子会が終わった後。放置してしまった提督にちょっかいをかけに行こう、あわよくばそのまま夜戦に突入しようなどと、部屋まで足を運んだところ。
――ついさっきまで話題の中心だった艦娘が、よりにもよって提督の部屋から仲睦まじく出てくる光景を目撃してしまったのだ。
それは思わず思考も停止しようというもの。
「ちょっと……! 提督、ホノルル! 何やってるの!」
後先など考えず、怒気荒く突撃する。
もし秘書艦業務中で艤装を装備していたら、ためらうことなく15.2cm連装砲をぶっ放していたところだ。
「お、川内。女子会は終わったのか?」
「さっきね! それより何、なんでホノルルが提督の部屋から出てくるの!?」
川内は思わず噛みつかんばかりの勢いで尋ねるが、
「ああ、今日は一人で過ごそうと思ってたら、ホノルルが訪ねてきたんだ。なんでも、なんとなく料理がしたくなったんで、せっかくだから私に夕食をご馳走する気になってくれたんだとさ」
あまりにもあっさりと言われて、面食らったような気分になった。
――浮気の決定的な場面を嫁艦候補筆頭に目撃されたにしては、態度があまりに飄々としすぎている。
もしかして一切「そんなつもり」は無く、ホノルルの行動を額面通りにしか受け取っていない?
「そっ、そうそう。たまにはそんな気分になることもあってさー」
ホノルルの方は、わかりやすく狼狽えている。こっちは言うまでもなくクロだ。
日下部以外なら即座に看破できるような、取ってつけたような「理由」を用意してまで訪ねてきたことといい、まず間違いなく……日下部に好意を抱いている。
「そっか、嫁艦候補筆頭としてお礼言っとくね。ホノルル、本当はあたしがやらなきゃいけないことなのに、代わりをしてくれてありがとう」
「あははー、どういたしましてー」
「ちなみに全っ然関係ない話だけど、提督の恋愛ルールは知ってるよね? 今正式に嫁艦候補になってる6人以外に手を出したら浮気になるって話」
「も、もちろんだよ……あはは、突然どうしたのかな、センダイ?」
乾いた笑いを上げるホノルルの姿に、川内の思考はすっと冷えていく。
――よし。大体把握した。
こいつは日下部真琴という男の攻略法を理解していない。
日下部に対して有効なのは好意をストレートに、はっきり分かる形で伝えることだ。
好意という感情そのものに弱い日下部は、そうされるとおそらく自分も相手に好意を抱けるかを真剣に検討し始める。そして断言するが、ノーザンプトンのようなごく限られた例外を除けば……基本的には受け入れて、恋人「の一人」にしてしまう。
もちろん恋愛なんて、どこでどう転ぶかわからない物ではあるから、完全に気を抜いて良いなんてことは無い。
だが少なくとも、先日の一件と比べれば……そう、阿賀野ほどには、警戒が必要な相手ではないと判断できる。
「じゃあ提督、こっからはあたしと呑も?」
「ん、明日も朝から早いんだがな。でもちょっとならいいか。じゃあなホノルル、部屋まで気を付けて帰ってくれな」
「うん……Aloha、提督! また明日なー!」
精神的に艦首をへし折ってやるくらいのつもりで言ったのだが、さすがはアメリカ艦娘でも名うてのサバイバー。タフさには定評があるようだ。
少なくとも見た目の上ではそれ以上取り乱すこともなく、しっかりとした足取りでその場を辞していく。
その背中を見送りながら、
(――神通。さっきまであたしは、あんたを「応援」するくらいのつもりでいたけどさ。これ、あたし自身の戦いになっちゃった。こうなったら話は別だよ)
実戦では二水戦と比べて、部隊の格でも実力でも劣るとされた三水戦。
だが艦娘になって生まれた現代、恋という戦いにおいては、三水戦旗艦の実力は計り知れない。
(神通がホノルルと結ばれれば、あたしにとっても益がある。だから神通、全力で「共闘」してあげるよ……!)
二水戦と三水戦の共闘体制が今、恋の戦場の支配権を握るべく動き出す。
※神ホノ話の続きです。
我らがメインヒロイン様が、友軍支援に動くことを決意しました。
時報について。
艦娘の魅力を引き出す素晴らしいシステムだと思うのですが、聞く条件はなかなかシビアですね。例えば一七〇〇時の時報を聞こうとしたら、17:00になってから母港に移動しても間に合いません。1分前には移動して待機していないと聞けないです。
まぁwikiには台詞が文字でまとまってますし、探せば時報ボイスを集めた動画もあるので、実際はそんなに困らないのですが。