日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~ 作:天空のトロイカ
ご注意下さい。
自分のことを、この世の誰とも比べてはいけない。それは自分自身を侮辱する行為だ。
「あれ、珍しいね?」
航空母艦・飛龍は、自室を訪ねてきた艦娘に意外そうに声をかける。
二航戦の相棒である蒼龍や他の空母たちならともかく、普段はまったく交流のない相手だ。
「ごめんね飛龍さん。聞きたいことがあって」
日下部鎮守府の秘書艦、川内だった。
彼女がもうすぐ提督とのケッコンを控えていることは知っている。にも関わらず、あまり浮かれている様子ではないのは気になった。
「聞きたいこと?」
「実は……」
川内の口から用向きを告げられた飛龍は、
「多聞丸のことをどう思うかって?」
思わず怪訝そうに眉根を寄せ、目の前の艦娘の真意を測ろうとする。
多聞丸こと山口多聞中将と言えば、ミッドウェー海戦において航空母艦・飛龍を指揮し、そして運命を共にしたことで知られる提督だ。
実際の座乗期間は実はそんなに長くはないのだが、やはり最期を共にしたというのは強く印象に焼き付くもので、「飛龍といえば山口多聞」というイメージは根強い。
川内の表情は真剣そのもので、気楽な雑談や茶化しなどではないのは間違いなさそうだった。
であればこちらも真剣に、思っていることを伝えてやるべきだろう。
「指揮官としては最高の人だと思ってるかなぁ。うちの提督には悪いけどね。尊敬してて、頼れる人だと思ってる」
日下部も頑張ってはいる。だが素人から提督になって一年足らずの人間をかの山口多聞と比べるのは、根本的に間違ってるとしか言いようがないだろう。
「なら……」
「え、多聞丸を男性として好きかって?」
続けて川内の口から飛び出した言葉に、飛龍は今度こそ驚きに目を見開いた。
「うん。飛龍さん、しょっちゅう山口提督のこと想って名前を呼んでいるよね。それってやっぱり……恋?」
「あはは。ないない! うーん、まぁ理想の男性ではあるかもしれないけど。でも多聞丸、奥さん一筋だったし! それに私もあの頃はただの艦だったしね。あの頃から自我ってあったのかなぁ、私たち? あったとしても、多聞丸に対してどうこうってのは、ないかな、うん」
「そっか……」
飛龍の返答は、ある意味では予想通りだった。それを聞いて自分が落胆しそうになっていることも。
「参考になった?」
「うん、ありがとう」
「で、なんでそんなことを?」
飛龍の言葉に、川内はなんと返答するか言葉に詰まる。
だが、飛龍は真剣に質問に答えてくれた。ならばこちらも誠意をもって応えるべきだろう。
「あのね、あたし……」
川内の返答を聞いた飛龍は、驚きに目を見開く。彼女の胸にこんな感情が秘められていたなんて、さすがに予想できるものではなかった。
だがそうであるならば、なぜ先程の質問が飛び出したかについては完全に納得できる。そして彼女が、本当はどんな回答を欲していたのかも。
「うーん。心なんて一人ひとり違うんだから、そう感じることがおかしいってことはないと思うよ。私はそうじゃないってだけ。参考にするのはいいけど、最後には自分で向き合うしかないからね?」
「ありがとう。わかってはいるつもり」
「そう? ならいいよ。頑張ってね」
それは間違いなく本心ではあったのだが、彼女の望む答えを返せなかった自分の言葉がどこまで届くかについては……正直、自信はなかった。
「あん、どうした川内?」
鎮守府の一角。廊下を歩いていた長波を呼び止めた川内は、駆逐艦のくせにこちらを平気で呼び捨てにしてくるのに少しだけ苦笑する。別に上下関係にうるさいつもりはないのだが、あまり慣れないのは事実だ。
そしてそんな長波も直属の上司である神通だけはきちんと「さん」付けで呼ぶ辺り、彼女の中のヒエラルキーがどうなっているかはっきりわかるというものだ。
「ちょっと聞きたいことがあってさ。実は……」
「田中少将をどう思うかって?」
川内の質問に対する長波の反応は、飛龍の時と大差なかった。
それはそうだ。普通こんな質問をされれば、誰だって面食らうだろう。
長波が事あるごとに口に出しているのは、ルンガ沖夜戦で前世の彼女に座乗していた第二水雷戦隊司令、田中頼三少将のことだ。
生粋の水雷屋として知られる人物なのだが、実のところ特に長波を溺愛していたわけではない。たまたま長波にとっての見せ場となったルンガ沖夜戦において、彼女に座乗していただけというのが真相だ。
「んなもん普段から言ってんだろ、戦上手の生き方下手」
だが、そんな田中少将側の心情など、艦娘となった長波には関係ない。
「海軍全体が戦力保持重視の遠戦方針だったからって、スラバヤでもルンガでも愚直にそれ守って、『敢闘精神に欠ける』とか言われてるんだぜ? そんな不器用な人だけど、水雷戦隊司令としては最高の人だと思ってんぞ……って、露骨に顔しかめんなよ」
飛龍の山口多聞評については比較対象が日下部だったから、まったくもって素直に同意できたが、さすがにこの長波の評価はそのまま呑み込むのははばかられた。
とはいえそれはあくまで川内の感想であって、
「あたしの意見なんだからそうなるのは当たり前だろ」
「ごめん、それはそうだね。ならさ……」
「え、田中少将を男性として好きかって!?」
この質問に対する長波の反応は、やはり飛龍と似たようなものだった。
「正直、考えたこともなかったな。けどそうだな、嫌いなタイプじゃない。生き方下手な奴は、なんだかんだ好きだよ。傍にいてやりたくなる。けどあの頃のあたしはただの艦だったし、そもそもあっちからしたらあたしなんかただの座乗艦の一隻だし、本人をどうこうってのはないな」
「そっか……」
だから、この回答だって予測できた。できたのに落胆してしまう自分が嫌になる。
「で、なんでそんなことを聞くんだ?」
「うん、実はね……」
一度飛龍に話したからか、長波に対して同じ説明をするのにもはや抵抗はなかった。
ただし。飛龍と長波で、決定的に違う点がひとつだけある。
「マジか。なぁ川内、お前は真剣に悩んでるみたいだが、正直今泣きたいのはあたしの方だぞ。お前、春イベの時あたしがどんな気持ちでアレを見たと思ってるんだ?」
長波は、かつて日下部に対して恋をしていた。
いや正確には、恋と言って良いほどの強い感情だったかはわからない。川内が日下部にためらわず砲をぶっ放す光景を見て、すっと覚めてしまったのだから。
「えっ、それって……長波、その頃提督のこと好きだったの? まったく気付いてなかった。ごめん」
「うるさいなー、どうせ恋愛弱者だよあたしは。とりあえず謝るな、いくらなんでもそれは惨めすぎるぞ。結局さ、お前がどうしたいかだろ。あと、あの提督がな。そんなもんはあたしに聞くな。頼むから聞いてくれるな。ノーザにも大井にも聞くな」
気付いてなかったのであれば、仕方ないか。長波は深い深い溜息を吐き出す。
「あたしも田中少将に負けず劣らず、生き方下手だよなぁ……」
その呟きを川内はどこか虚ろな表情で聞き流す。
恋という戦いの勝者と敗者のはずなのに、今この場にいるのはどちらも敗者にしか見えなかった。
「Hey、川内! 飛龍と長波から聞きましター。すっかりマリッジブルーみたいデスネー?」
自室に戻った川内を、今度は金剛が訪ねてきた。
「そんな大層な物じゃない。おかしな艦娘が、おかしな記憶を抱えて困ってるだけだよ」
「川内。私としては、どんな物でも恋をそんな風に言って欲しくないデース。どうか、相談して下サーイ」
自嘲気味に呟いた川内を、金剛は悲しそうな瞳で見詰める。この艦娘は、本当に恋という感情そのものが大好きなのだろう。
そんな金剛になら、確かに相談してもいいのかもしれない。
「飛龍さんも、長波も、尊敬はしてるけど恋じゃなかったって! あの頃の自分たちはただの艦だったから、そんな風には感じなかったって! そうだよ。分かってるよ。こんなのあたしの勝手な思い込みなんだよ! じゃあ、なんであたしだけこんな風に感じるの……?」
この鎮守府の提督に最も愛されて、いの一番にケッコンを申し込まれて、幸せに舞い上がっていなければならない自分が。
どうしてこの感情を、いつまでも忘れられないのだろう。
金剛は、その川内の叫びをまず受け止める。
しばしの沈黙。
やがてゆっくりと諭すように、
「川内、まずそれは紛れもなく恋なんだと認めマショウ。そこを否定しても、何も始まらないデース」
「うん」
「そしてその恋はもうどこにも辿り着けないことは、理解してますネー?」
「……わかってる」
それが理解できないほど、狂ってはいないつもりだ。
「ならもうその恋は、自分で終わらせるしかないデース」
「恋を、自分で、終わらせる……?」
金剛の言葉を、川内はおうむ返しに呟く。
「私の知る限り、この艦隊でそれをやったのは二人だけデース。一人は提督デスネー。大井への恋を自分で終わらせマシター。大井は悲しかったでしょうけど、あれは提督にとっては必要なことだったんだと思いマース」
「言ってることはわかる。でも、この件で提督には相談したくない」
そもそもあの提督は恋愛において独占欲がないので、もし相談したところで解決に繋がるかはわからない。強引に抱きしめて、「私だけを見てろ」と唇でも奪ってくれたらきっと何もかも解決するのに、肝心の時に欲しい言葉は絶対にくれないのだ。
「なら、もう一人に相談するしかないデスネー」
「もう一人?」
「あの空母デスヨー。私、あの子に貸しがありマース。その貸しを川内にプレゼントするネー! 相談すれば、きっと有用なアドバイスをくれると思いマース!」
あっ、と川内は膝を打つ。
なるほど確かに夏の時に、彼女はひとつの恋を自分で終わらせていた。
「金剛さん。ありがとう。でも、どうしてそこまで気にかけてくれるの?」
「川内、気付いてまセン? あの人、川内に座乗する前は、私の艦長だったんデスヨー! 私は別に、あの人にそこまで思い入れがあるわけではないですガー。でも、前世でも現世でも同じ男性に関わりがあるなんて、不思議な縁だと思いマシター」
「……!」
言われるまで、気付かなかった。恋をしていたと言ったって、結局自分の視界に映る物しか見えていなかったのだ。
その青臭さや思い込みっぷりこそ、まさしく初恋らしいと言えばらしいのかもしれないが。
いつになくしんみりとした金剛の言葉に、一瞬涙が出そうになるが、
「あと、マリッジブルーで川内がいつまでもケッコンしてくれないと、私の番が来ないデース! 第二夫人候補としては、とっとと第一夫人にケッコンしてもらいたいって打算もありマース!」
「ぷっ……あはは! なるほど、金剛さんらしい!
直後に悪びれずにそんなことを言う金剛は、さすがだと思う。
「うん、ありがとう! 少し元気出た! そうだね、あの人に相談してみる!」
「お役に立てたなら何よりデース。本当に初めて会った頃から、川内は可愛いネー……」
まだ日下部の嫁艦候補が自分しかいなかった、春の頃。金剛に手玉に取られて、No.2発言を受け入れたあの日が懐かしい。
恋という戦いでは翻弄されっぱなしな気もするが、味方になってくれた時のこの艦娘が本当に頼もしいことを、川内はもう知っていた。
「加賀さん加賀さん加賀さん♪」
「どうしたのかしら五航戦。急にひっついて来て」
「私が加賀さんにひっつくのに、理由が必要? あと名前で呼んで下さい」
「あなたは初めて一緒に出撃した頃から、そんな感じだったわね」
鎮守府の中庭。
人目もはばからず桃色の空気を出している加賀と瑞鶴に、さすがの川内も苦笑しそうになる。
「あれ、かわうち。珍しいね」
「なんで瑞鶴はいつもかわうちって呼ぶのかな! あんたじゃなくて……加賀さん、ちょっといいですか」
「あら珍しいわね。私にご用事? 五航戦、少し離れなさい。それで川内さん、ご用件は?」
「実は……」
「……? 自分で恋を終わらせるには、どうしたらいいか? なんでそんなことを」
声こそ静かな物だったが、すっと加賀の瞳が細められる。
赤城への想いは過去のことになったとはいえ、あまり踏み込まれたくない部分だろう。ついでに瑞鶴との時間を邪魔したことも事実だ。決して良い印象を与えていないのは理解できる。
だが、こちらにも真剣になるだけの理由があるのだ。
「金剛さんからは、加賀さんへの貸しを譲ると言われてます。お願いします、お話を聞かせて下さい」
「金剛さんの? そう。なら、無下にはできないわね」
加賀の義理堅さが、今はありがたい。
「加賀さん、私は自分の部屋に戻ってるね。後でちゃんと来てよ?」
「気遣いができるところは褒めてあげますから、早く行きなさい」
空気を読んだ瑞鶴が去っていくのを見届けてから、
「それで? 詳しく話してもらえる?」
加賀の質問に、川内はもう四回目となる説明を繰り返す。
日下部とのケッコンが間近なのに、前世の実艦の頃に抱いた初恋をどうしても忘れられないこと。
「加賀さんは、赤城さんへの恋を自分で終わらせましたよね。あたしも、この初恋を終わらせて提督とケッコンしたいんです」
「思うのだけどあの提督、別にその恋心を引きずったままケッコンしても、まったく気にしなさそうだけど?」
「それは確かに。でもそれを言ったら加賀さんだって瑞鶴を口説くのに、別に赤城さんとの恋を終わらせる必要はなかったじゃないですか」
「そうね。私は別に、赤城さんに告白したわけじゃないものね。でもそれをしないのは、なんというか不誠実な気がしたの。はっきり言うけど、あの提督の恋愛観は特殊すぎる。普通の恋愛は、誰か一人だけを愛するものよ」
それは日下部の恋愛観に慣れるとつい忘れそうになる、恋愛の基本原則。
「あなただって本当は、提督を独占したかったんじゃないの?」
「実はそうです。結局あの人はそういう人だと割り切って、受け入れましたけど」
「そう。あなたも苦労してるのね。それならあなたの気持ちも理解できます」
加賀はほんの少しだけ表情を和らげた。
注意して見ないと気付かないほどではあるが、それは間違いなく川内の苦悩を理解してくれた証拠だろう。
「私にとっての赤城さん、提督にとっての大井さん。この二つはそれぞれ相手が生きているから、素直に思いを伝えて、自分で恋を砕けば良かっただけだけど。あなたの場合は、少し大変そうね。始まりが自分の心の中にしか無いのだもの」
「……」
川内は改めて冷静に指摘されて、思わず押し黙る。
「勘違いしないで。あげつらっているわけではないの。そうね……始まりは心の中でも、終わりの場所ははっきりしているでしょう? あなたにとっての『ミッドウェー』に当たる場所に行ってみたら?」
「終わりの、場所」
もちろんはっきり覚えている。
11月初頭の深夜。夜戦をお家芸としてきた日本水雷戦隊の伝説の終焉は、31ノットの高速でやってきた。
あの海戦だけは、絶対に、忘れるはずがない。
「私には知識しかないけど、時期もあと1ヶ月ほどだったかしら。ちょうどその時期に行くよりは、今の内に行った方がまだトラウマとしてもマシでしょう」
「そう、ですね」
普段の自分はそんなに弱いつもりはないが、今の自分は普段の自分ではない。
一人でわざわざあそこに行く勇気は出そうになかったが、時雨に同行してもらえばなんとかなるだろう。
「もし、勇気を出せるようなら。もう一人の当事者の終わりの場所にも、足を伸ばしてみてはどうかしら。知識はあるわよね?」
「はい。ヒ船団を指揮していて、海防艦と一緒に海の底に沈んだようです」
それは艦娘として生まれなければ、絶対に知ることのなかった事実。
「もう、あなたたちと提督の関係性についてはとやかく言わないけども。あなたがまず幸せにならないと、その三つ後ろで順番を待っている赤城さんの番は来ないんですから。だから川内さん、あなたがその昔の初恋に、決着を付けられるように願ってます」
「……ありがとうございます」
加賀の言葉に、川内は深々と頭を下げる。
成すべきことは見えてきた。
100年以上もの月日を経て、彼女の初恋はようやく終わりを迎えようとしていた。
※節分任務で5-5に行かされるとは想定外でして、結局通常海域を全クリアする羽目になってしまいました。
資源消費のきつい海域なので、日下部鎮守府の実力であまり何回も割りたくないですから、一気に色々な任務を片付けていたらSSがすっかり遅れてしまいました。
2月前半は5-5行き任務はスルーして、後半開始のイベに向けて資源備蓄をしますので、ある程度創作を優先できるとは思います。
川内の初恋相手について。
普段はそんな素振りを一切見せない彼女が、実はこんな感情を抱いていたら面白いかな……というところから生まれた話です。
多聞丸や田中少将と違って川内がゲーム内で名前を呼んでいるわけではないので、この話でも具体的な名前は伏せようかと思っています。興味が湧いた方はご自分で調べてみて下さい(前述の二人と比べてもあまり知名度のある方ではないので、なかなか難しいかもしれませんが)。
ちなみに愛宕の艦長としても知られる方で、華族出身ということもあり現役時代は結構な色男だったそうです。
日下部とは性格などは全然違いますが、わかりやすいモテ男に惚れる辺りは、川内は前世と今とで変わってないとも言えますね。