日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~ 作:天空のトロイカ
ご注意下さい。
犠牲は人間最高の義務にして最大の権利なり。
人影は眼鏡をかけていた。黒いアンダーフレームに填められた厚めのガラスの向こうに、翠の瞳が輝いている。
身にまとうのは青と白のセーラー服。胸元には赤いネクタイと、同じく赤の逗子飾りが揺れる。
提督なら、誰でも知っている艦娘。鎮守府を立ち上げる際、必ず所属することになる艦娘。
「大淀……?」
「はい。かつてこの鎮守府に着任していた大淀、です」
日下部の呼んだ名前に、中元寺鎮守府の大淀は軽く微笑みを浮かべて答えた。
「ああ、長かった。この八ヶ月は本当に長かったです」
「率直に聞く。我々六人にマインドハックを仕掛けて洞窟の奥へ続く通路を行き止まりと誤認させたのも、タロスを仕掛けて我々を殺そうとしたのも、お前か?」
「私がやったことは認めます。ですがタロスについては、別に殺すことが目的ではありませんでした」
「まぁ、そうだろうな。本当に殺すつもりなら、最初のマインドハックでもっと物騒な想念を植え付ければいいからな」
これがもし本気の生命のやり取りなら、あのマインドハックの時点で自分たちは終わっている。敵味方の認識を改変して同士討ちさせるも、極度の負の想念を植え付けて自殺衝動を与えるも思いのままだったはずなのだ。
実際にそうならなかった以上、この大淀の目的はもっと別のところにある。
「なら、あのタロスは何だ?」
「あれに対処できるくらい、MM技術に精通した者がここを訪れるのを待っていたんです。ただ来るのは私と同じ、『MM技術を仕込まれた艦娘』だとは思っていました」
「まぁタロスの正体を看破したとしても、普通の人間だったらただ殺されて終わりだろうからな。我々は
「
日下部の告げた言葉の意味を理解できず、大淀は首を傾げる。
「なるほど。つまりお前は少なくとも先日の夏イベ後のことを知らない。元帥が全鎮守府に
今はまだ提督が
ただし。現時点で提督をしている者は、誰も彼も相応の「戦う理由」を持っている。
だから実際は退職を希望した者はほとんどいなかった。
こういった状況を知らない以上、大淀は外界の情報については何も知らないと見ていいだろう。
なら代わりに、彼女は何を知っているのか。
「なぁ。この中元寺鎮守府で、どんな物語があった?」
「長くなります。奥へどうぞ。私一人が生活しているスペースですが、MM機関で椅子くらいはご用意できます」
そういえばマインドハックを仕掛けてきた以上、ここにはMM機関があるということになるのか。最初に与えられたMM機関は鎮守府壊滅後の大本営の調査の際に回収されているのだから、それとは別の物ということになる。
用意周到としか言いようがない状況だが、そのことは逆説的にある疑問を生じさせる。
――彼女はなぜいきなり起こったはずの深海棲艦の大量発生に対し、そこまで備えることができていたのだろうか?
大淀が言っていたスペースには照明をはじめ、確かに艦娘一人が長期間に渡って生活できる設備が整えられていた。
その一角にはモニターが設置されており、中元寺鎮守府内の様子を監視できるようになっている。大淀はこれを使って、六人の来訪を察知したのだろう。
そしてまた別の一角には、
「これが先程お話したMM機関です。食糧やその他の生活必需品を用意するのに必要でした」
「こりゃすごい!」
大淀に見せられたMM機関を目にした日下部は、思わず興奮の声を上げる。
「携行できるように改造したMM機関か。重量があるから人間にはさすがに持ち上げられないだろうが、艦娘や
「○○○提督の発明です。あの方はすごい方でした」
大淀は誇らしげに胸を張るが、発された言葉には違和感があった。
「提督の名前、言えてないぞ? やっぱり中げ……」
「言わないで下さい!」
怒声と共に名前を発するのを遮られ、思わず身を震わせる。
「聞いてしまったら、その人を認識してしまったら。きっと、私は、自分を『終わらせる』衝動を止めることができません! ああ、そうです。私は、私たちは、生まれてきた意味を失ってしまったんです! だから本当は、終わりを迎えないといけないんです!」
ロスト・アドミラルを経験した艦娘は、皆一様にこのような精神状態になるらしい。存在する意味を失ったことを本能のレベルで理解することにより、自我が肉体を繋ぎ止めることができず自ら解体してしまう。
それは例えば、普段は提督ではなく他の艦娘に恋をしているとか、提督との関係が険悪であるとか、そういうこまごました事情とは一切関係なく発生する。艦娘という種族に刻みつけられた宿痾。
「けれども! ああ、○○○提督は……マインドハックで私の中から、ご自分に関する知識と記憶を全部消し去ってしまいました! おかげで私は自分を『終わらせる』衝動に、なんとか抗えています」
ということは、中元寺提督はロスト・アドミラルについて知っていたということになるか。
それは驚くべきことだが、それよりも気になったのは、
「以前の記憶の大半を残したまま、自分自身に関する記憶だけを消去した……? 個人的にはとても残酷な真似だと思うんだが。大淀、お前は何故そこまでする?」
「決まってるじゃないですか。○○○提督を、愛していたんです。私」
日下部に視線を向け、堂々と胸を張って大淀は宣言した。
その瞳に宿る強い意志の輝きに、思わず目を奪われる。
「提督と同じレベルでマインドハックを使えるまで訓練したのも。提督や他の艦娘がみんな『終わった』のに、一人こんなところで生き残っていたのも。全部、全部、提督の、愛する人の命令を守るためです。いつかここまで辿り着く人が来るまで、ここで生き続けろという命令を」
「自分の記憶は全部消して、恋心だけ残しただと? ふざけんな。艦娘を何だと思ってるんだ!」
「あなたに何がわかるんですか! たとえ提督が愛していたのは、翔鶴ただ一人だとしても。決して報われないとわかっていても! 私は提督のお役に立てて、本当に嬉しかったんです!」
彼女にとっての恋愛感情は、きっと誇りや矜持と紙一重の物なのだろう。でなければ絶対に報われないとわかっている恋に対して、ここまで気高くなれるはずがない。
彼女の論理は理解できる。だがそれを認められるかは別の話だ。
「舞津さん、『あの提督』はどんな人でしたか?」
「本当の単婚提督だった。お前のように
「何だよそれ。つまり翔鶴以外の艦娘は、ただの道具か兵器だと思っていたってことかよ……? でなきゃこんなこと、できるはずがない! ふざけんな。……ふざけんな!」
報われない恋の辛さを知る日下部は、こんな想いを利用するような真似はどうしたって気に入らない。
先程までの想念工学者としての興味など、綺麗さっぱり消え失せていた。もし中元寺提督が今目の前に現れたら、間違いなく喧嘩を売っている。
「真琴さん。艦娘のために怒ってくれてありがとう。気持ちは嬉しいけど、この大淀の気持ちも尊重してあげて?」
感情のままに言葉を吐く日下部にそっと寄り添ったのは、嫁艦である川内だった。
「……、そうだな。すまなかった大淀、話を続けて欲しい」
「マインドハックを受けたことに気付き、かつタロスにも対処できるMM技術の使い手がやって来たなら、渡せと言われているものがあります。これを、どうぞ」
そう言って大淀が取り出したのは、小さな方形のプラスチックだった。
「マイクロSD? よくもこんな時代がかったモノを」
およそ20年前、新冷戦の終わり頃まではこの記録媒体は普通に使われていたというが、2018年生まれの日下部にとっては過去の遺物としか思えない。
それどころか現代においては、
「スタンドアロン形式、かつ確実にウィルス汚染されていないコンピューターなんて、探すだけで一苦労だぞ? 大本営ならあるだろうか」
「当然ですがパスワードがかかっています。そのパスワードは、提督の秘書艦だった翔鶴の記憶の中に」
「なんだって? 大本営が消してるよなそれ?」
自己解体によって残された概念核を回収した大本営は、マインドハックを用いて概念核から「提督」の記憶を綺麗さっぱり消去する。「建造」によって再び肉体を得た艦娘が、新たな提督の元で問題なく戦えるように。
その措置は厳密かつ徹底しており、万に一つの漏れも考えられない。
「そこまでの指示は特に受けていません。ただ渡せとだけ」
「えーっ!? 投げっぱなしかよ!」
計画性があるのかないのか、正直わからなくなる。
「さて、これで私の役目は果たしました。ひとつ、お願いを聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「私を終わらせて下さい。艦娘の本能に負けて、自分で自分を解体するのではなく。人間の手で、終わらせて欲しいんです」
ロスト・アドミラルによる自己解体という現象の解析から、人類は艦娘の肉体を恣意的に「解体」する技術を得ていた。
提督にはその権限が与えられており、自身の所属を示す
ただし、ひとつだけこの例外が存在する。
それはその艦娘自身が、解体を望んだ時。この場合に限り、艦娘の所属に関わらず全ての提督がその艦娘に対して解体を行うことができる。
「なぜ、そんなことを望む」
「提督はどんな形であれ、艦娘の本能に勝利したんです。私は、それを嘘にしたくない」
「轟沈ではなく解体だから、概念核になったお前は大本営に回収される。マインドハックであの提督の記憶を消され、別の鎮守府に配属され、違う人を『提督』と呼んで仕えることになる。それは変えてやれない。だが最後の一瞬だけでも、愛する人の記憶を取り戻したいとは思わないのか?」
「正直、少し望まないでもありません。けれどもあの人の事跡を自分のエゴで汚すくらいなら、私は喜んでこのまま終わります」
「その人の顔すら、もう覚えてないんだろ!?」
日下部の声は、もはや絶叫だった。
「はい。それでも、です。お願いします。どうか叶えていただけませんか?」
そして大淀は、それを正面から受け止める。
「……………………」
今すぐ大淀にぶつけたい感情があった。
けれども。それをしても何も変わらず、ただ傷を残すだけになる。
その程度のことは、日下部にもわかっていた。
だから、
「アドミラル・コードA20210223、ショートランド泊地所属、日下部真琴。艦娘『大淀』に、解体を命ず」
日下部は自身の想いを呑み込んで、彼女の願いに応える。
「ありがとうございます、日下部提督」
大淀は透き通るような笑顔で消えていく。
やがてからんという音を立てて、金色の輪状をした金属質の物体……概念核が地面に転がった。
「あいつの気持ちなんか、ちっともわからない。なんであんな理由で殉じられるんだよ」
「そんなの、あの大淀にしかわからないよ」
川内がそう言うのであれば、別に自分が
「そうだな。この件で泣く権利を持ってるのは、多分もうあと一人しかいないから、私は泣かないよ」
中元寺鎮守府の大淀のために真っ先に泣いていいのは、中元寺鎮守府の艦娘だけだろう。
「さ。帰ろう。私たちの鎮守府に。あの大淀が、文字通りすべてを賭して繋いだモノの中身を、なんとかして見なければならない」
だから日下部は上を向いて歩き出す。古い歌の歌詞にある通り。
「なぁ、川内」
「なに?」
「私は絶対に、艦娘を道具として使い潰したりしないからな。お前だけじゃない、どの艦娘もだ。どんな艦娘にだって、幸せになる権利はあるはずだ。そりゃ恋では報いてやれない子もいるけど、それは別として、な」
「うん。真琴さんのそういうところ、大好きだよ」
嫁艦は静かに、その傍らに身を寄せる。
中元寺鎮守府の物語は途切れたのかもしれないが、日下部鎮守府の物語は……今後も続いていくのだ。
「ただいまー」
「ただいまー!」
「お帰りなさい。提督、川内。お疲れ様でした」
日下部の留守の間、任務娘として提督代行の役を果たしていた大淀が、執務室に入ってきた夫妻を出迎える。
黒いアンダーフレームの眼鏡、翠の瞳、セーラー服に赤いネクタイと逗子飾り。
自艦隊所属の大淀の姿を見た瞬間、日下部の中で何かの感情が弾けた。
「大淀。大淀っ……!」
その身体を、ぎゅっと抱きしめる。
「ちょっ! あ、あのっ提督、私には明石がいますからっ! 川内、見てないで止めて!」
「ごめん。提督、感極まってるだけで下心ないからさ。ちょっとそのままにしてやってよ。というか、あたしも抱きついていい……?」
言うな否や、許諾の返事を得る前に川内も横から割って入るように抱きつく。
「もう。なんなんですか二人して!」
「大淀。お前は、どこにも行くなよ」
日下部の震える声に、事情はわからないまでも大淀は何かを察し、
「はい。提督、大丈夫ですよ。大淀はここにいます。どこにも行きません」
「うん。うん……」
大淀の頭の上に、雫のような物が垂れ落ちてきた。
空に太陽が輝いていても、それどころか室内であっても。
もしかしたら、雨が降ることだってあるのかもしれない。
※中元寺鎮守府編、第3回です。
日下部鎮守府へ戻りましたが、お話の区切りとしてはあと1回あります。
艦娘の解体について。
本作では設定上「艦娘の数が足りていないので、深海棲艦に対し本格的な戦いを挑むことができない」となってますので、デイリー任務の軍縮条約(2隻解体)は「存在しない」ことになってます。
一応本編中に書いた通り解体そのものはできるのですが、やるとなると提督の側にも相応の根拠と対応が求められます(この辺り、人間の軍人において上官が部下を射殺するようなものと思っていただけば)。
ちなみに「本人の同意があれば、他の鎮守府の艦娘も解体できる」のは、主に轟沈寸前かつ入渠施設まで帰投できる見込みのない艦娘に遭遇した時に「楽にしてやる」ための措置です。轟沈すると概念核が損傷して艦娘として活動できなくなります(いずれこの辺書く予定があります)が、解体なら概念核が残るので再度肉体を与えてやることができますので。
艦これ本編、冬イベ乙でクリアしました。今は掘りにいそしんでいます。
中元寺鎮守府編のラスト1話、なるべく早く更新したいですが、もしかしたらイベ終了後になるかもしれません。