日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~ 作:天空のトロイカ
ご注意下さい。
異性に心を奪われることは、大きな喜びであり、必要不可欠なことです。しかし、それが人生の中心事になってはいけません。もしそうなったら、人は道を見失ってしまうでしょう。
「提督、ご無事で何よりです」
艦娘運用母艦「いが」の自室で静養していた日下部を、翔鶴が訪ねていた。
「神鷹も先程無事に着任しました。工廠で肉体を作り直した後、今は川内が艦内を案内しています」
「そうか。翔鶴、ありがとう。お前がいなかったら、おそらく私は助からなかった」
日下部は頭を下げる。
「まったく、世界二位の想念工学者として情けない。高次AIという格上の敵を不遜にも侮った挙げ句あんな罠に嵌まるなど、穴があったら入りたいくらいだ」
「赤城さんではありませんが、慢心はいけませんね。そこは後で川内や後見人の方に存分に怒られて下さい」
「返す言葉もない。きっと『あいつ』は、そんな油断は絶対にしなかったんだろうな」
日下部の言葉に、びきりと翔鶴は表情をこわばらせる。
「お前や川内だけじゃない。『あいつ』にも世話になった」
「……、提督。意識喪失中に何を見たのですか? 提督のおっしゃる『あいつ』というのは、まさか」
「ああ、全部話す。お前にはぜひ知っておいて欲しい」
日下部は翔鶴の
その視線の中になぜか懐かしい色が混じっている気がして、翔鶴は思わず肩を震わせた。
一面の闇だけが、どこまでも果てしなく広がっている。
だが本物の闇であれば、自分自身の姿ですら認識することはできないはずだ。
人型をした自分の肉体をきっちりと確認できるのだから、ここには物理的に光が存在しないのではなく、もっと主観的な……形而上の概念としての「闇」であるのは間違いないだろう。
「ここは、どこだ?」
日下部は頭を振る。自分は何故ここにいるのだろう。
誰か、助けないといけない相手がいたような……。
「日下部提督。お気付きになられましたか?」
思考を遮るように、声がかけられた。
そちらを振り向けば、黒いアンダーフレームの眼鏡をかけたセーラー服姿の女性。胸元には赤いネクタイと、同じく赤の逗子飾りが揺れている。
「お前は……大淀? うちのじゃない、中元寺鎮守府の大淀か?」
容姿は完全に同じにも関わらず、見た瞬間に何故かそれが理解できた。
「はい、そうです」
「お前は、私が解体したはずだ」
「どうでもいいじゃないですか、現に私はここにいるんですから。日下部提督……お会いしたかったです」
大淀は日下部に歩み寄り、その身をぴとっと寄せてきた。
ふんわりとした
「お、おい。お前は、中元寺提督が好きだったんじゃないのか?」
「ええ、そう思ってました。けれども私、気付いたんです。私を使い潰したあの人よりも、私のために苦しんで下さった日下部提督の方が、ずっと素敵な方だって」
潤んだ瞳が、上目遣いに見上げてくる。
「ダメだよ。私は、もう寝取りはしないって決めたんだ」
「でも、それは理性で自制しているだけですよね? 本当は私のこと、自分好みに染め上げたいのではないですか。構いませんよ、私は。ですから、どうかここで私のことを愛していただけませんか?」
大淀の赤い唇が揺れて、そんな言葉を紡ぎ出した。
理性の鳴らす警鐘を打ち消すように、その言葉は心の奥の深い部分を抉っていく。
いけないとわかっていても。日下部は自分の唇が引き寄せられるのを、止められずにいた。
物質世界で翔鶴にマインドハックを懇願した後。
川内もまた日下部がいるのと同じ、一面の闇が広がる空間にいた。
「こんな状況でもなければ、夜みたいで面白いんだけどなぁ」
ある意味で川内にとっては理想の世界なのだが、今はそれを堪能している場合ではないことは理解できる。
とはいえ、日下部の救出のためには何をすればいいのだろう?
周囲に日下部の姿はないし、それどころか他の誰も……否、
「よぉ。正直、こんな女子力の高い夜戦バカは初めて見たぞ」
一人の男がいた。
川内に見覚えはない。人類統合軍の提督用制服を身に着けているから、どこかの提督ではあるのだろう。
黒髪黒目と標準的な日本人の特徴を有しており、引き締まった身体には程よく筋肉がついている。
「誰?」
「おや、分からないか? 『川内』の勘の良さなら、本当は想像付いてるだろ」
「……」
人を食ったような物言いに、川内は押し黙る。
なんとなく……本当になんとなく、この人が誰かは想像が付いている。
「なんで、ここにいるの?」
しかし、だとすればこの人がここに存在できている理由がわからなかった。
「目的はお前と同じだよ。だが俺には日下部との縁がないから、このままではあいつのところに辿り着けない。お前、あいつの嫁艦だろ? 何かあいつとの『縁』になるような物を持ってないか?」
「縁に、なるようなもの……」
反射的に川内は、髪に手を当てる。
そこには先日、日下部から誕生日プレゼントとしてもらった星型の髪留めが金色に輝いている。
「お、いいぞ。ならそいつに込められた想念を強く意識しろ」
「う、うん」
髪留めに手を当てて強く日下部の姿を思い描くと、髪留めの輝きがどんどん増していく。
その光は周囲に広がる闇を薄めていき……やがて、
「大淀。お前の言うことは、何一つ間違ってない。本当は今すぐ押し倒して、身体中を貪りたい。いい声で何度も、私を好きだと言わせたい」
「でしたら……」
互いの唇はもう間近で、一言一言を吐き出すたびに吐息が頬にかかる。
そんな薄皮一枚と言えるほどの距離で、しかし日下部と大淀の唇は決して交わることはなかった。
「でもな。うちのローカルルールで、今の嫁艦候補以外に手を出すと浮気扱いになっちゃうんだ。だから私のことを好きなら、列の後ろに並んでもらわないとな。本当にそうしてくれるなら大歓迎だぞ? うちにはもう艤装持ちの大淀はいるけど、2号が着任しても別に構わないだろ」
「それは……」
「できないか? なら仕方ないな。この恋は、諦めるしかない」
日下部は絡みついてくる大淀の身体を振りほどき、きっぱりと告げる。
拒絶された大淀は、困惑したように眉根を寄せていたが、
「日下部提督の鎮守府のルールは理解できました。ですが、もう一度私を解体するなんて無理でしょう?」
「……」
「でしたら、あなたはもうここを去ることはできません。私と一緒にここにいるしかないんです。二度と会えない艦娘に操を立てるよりも、自分の気持ちに素直になった方が良いのではありませんか?」
ああ。困ったことに、日下部はその言葉に一抹の理を感じてしまう。本当に二度と彼女たちに会えないのであれば、確かに自制など無意味だ。
――本当に、会えないのであれば。
「会えないわけがない」
どこかから自分を呼ぶ声がした気がした。
それは遥か彼方のようでもあり、ごく近くのようでもあり。
「だってここは、まるで夜だ! だから……川内!」
日下部は声に応えてその名を呼ぶ。愛する艦娘たちの中でも、最も強く愛している彼女の名を。
「こらーーー! 浮気は許さ……って、あれ? 浮気してない?」
目の前に突然出現した川内は、よりにもよって開口一番そんなことを言った。
感動の再会なのだからもっと他に言うことがあるのではないかと思わなくもないが、前科二犯の身としては抗議しても藪蛇になりそうだと判断する。ここは言わぬが花だろう。
そこで日下部は、川内のすぐ後ろにいる男に気付く。
実物は見たことがないが、資料で知っている顔だった。
「中元寺提督!」
「よぉ、初めまして日下部提督」
片手を上げて軽薄そうに挨拶してくるその男は、死んだはずの中元寺國彦だった。
「悪ぃな、ちょっとばかりその大淀と話させてもらっていいか?」
そう言うと中元寺は日下部の返答を待たず、前へと進み出る。
「よぉ、ヨドコ。久しぶりだが、思ってたよりは元気そうじゃないか」
「……國彦さん。どうして、今更あなたがここに」
困惑するように大淀がそう言った瞬間、
「あー。やっぱりダメか。ほんの少し、ちょっとだけ。何かの奇跡でも起きたんじゃないかって期待したんだが」
中元寺の顔には、あからさまな失望と落胆の色が広がった。
「お前、日下部自身の想念の一部だろ?」
「何を……」
「本物のヨドコはな。俺がショーコを選んでからは、『ヨドコ』って呼んだらそりゃもうすげぇ勢いで怒るんだよ。ケジメを付けろってな。そして自分も絶対に俺のことを國彦とは呼ばなかった。日下部は俺の顔は資料で知ってただろうが、こんなローカルルールまでは知らんだろ?」
中元寺の手に、いつの間にか拳銃型の想念兵装が出現していた。
物質世界なら、艤装の機銃にすら及ばないこの程度の想念兵装で艦娘を倒せるはずはない。だがこの形而上の世界では、物質世界以上に想念力がすべてを決める。
「お前が本物のヨドコだったら、言うべきこともやるべきこともあったけどな。偽物のお前にかける言葉は、これだけだ」
中元寺は流れるように拳銃を向ける。
「勝手にヨドコの顔と声を使ってるんじゃねぇ! 今すぐ消えろ
空間そのものを震わせるような激しい怒りの叫びと共に、一切の迷いなくその引き金を引いた。
「……ひっ!」
小さな悲鳴を上げて、大淀は消滅する。
その瞬間日下部は、何かが自分の中に戻ってくるのを感じた。
「そうだ。私は、神鷹を助けようとして……」
自分が今ここにいる理由を思い出す。
侮るべきでない敵を侮った結果、とんでもない不覚を取ったことも。
「ねぇ、あっちが主人公じゃない?」
中元寺提督を示しながら言う川内の言葉が、的確に日下部の胸を抉る。後から出てきて美味しいところを綺麗に持っていくとか、確かにまるで主人公のような動きだった。
まぁ現実という物語に、主人公も何もあるわけがないのだが。
「護衛独還姫の
中元寺はそんなことを言いながら振り向く。
――その顔面の真ん中に、容赦ない拳が叩き込まれた。
「ぐあ……ッ!」
「中元寺! なんで、なんでためらいもなく撃った! やっぱりお前にとって大淀は、ただの道具だったってことか!?」
日下部は中元寺の胸倉を引っ掴み、無理やり引き起こして詰問する。
「おう、痛てぇ。なまっちろいヤリチン野郎だと思ってたら、結構気合が入ってんじゃねーか」
ここは物質世界ではないから、どれだけのダメージを負ってもそれだけで肉体が損壊することはない。だが「そういうダメージを受けた」と自分で認識してしまえば、それは忠実に自我にフィードバックされる。
中元寺は口から、血混じりの唾を日下部目掛けて吐き出した。そこに混じっていた「折れた歯」が目を直撃し、日下部は思わず胸元から手を放してたたらを踏む。
「
逆に中元寺の拳が日下部を捉える。
二発、三発と叩き込まれるたび、白人の血交じりの端正な顔立ちが歪んでいく。
「私は、全部の恋に真剣だ! あの大淀だって、本当に愛してた!」
日下部も態勢を立て直し、そこからは足を止めての殴り合いになった。
「それでてめぇがケツ拭けねぇでいるから、代わりに俺がやってやったんだろうが!」
「あの
互角の殴り合いが成立しているのは、ひとえにここが形而上の世界だからだろう。
日下部が
逆に現在であれば中元寺がいかに強かろうとも、戦艦の艦娘並の肉体能力を持つ
「ざけんな! 本当に俺が平気だったと思ってんのか! ヨドコにあんな命令を出すことに、本当に何の葛藤もなかったと思ってんのか!」
「お前も苦しんだ末に、あの命令を出したと?」
「当たり前だ! 何人もの艦娘から愛されて、それをショーコ以外全部断って……最後の最後まで残ったのが、ヨドコの奴だったんだ。俺だってお前みたいに、何人も同時に愛せるならそうしてた。けど、俺にはどうしても無理だったんだよ! でもそれは、ヨドコの奴を何とも思ってないってことじゃねぇ!」
「……そっか」
不意に日下部の身体から、一切の力が抜ける。
だらりと弛緩したところに、中元寺の右拳が真っ直ぐに突き刺さった。
「……!」
日下部の身体は衝撃で吹っ飛ばされる。
これが物質世界で受けた物だったら、生命の危険を真っ先に案じなければならないような、そのくらいに綺麗な一撃だった。
「クソ、痛いな」
「日下部! お前今のわざと喰らっただろ!?」
「悪かったな、中元寺。お前を侮辱したことは謝る。先に手を出したのは私だから、これで手打ちってことにしてくれないか?」
そんな言葉が飛び出してきたことに驚いて、中元寺は日下部に視線を向ける。
吹っ飛ばされて仰向けに倒れる日下部の表情は、この位置からでは伺い知れない。
「あと、助けてくれたことには礼を言う。ついでに……今の一撃は足に来た。すまんが立たせてくれないか?」
「……おう」
どこかバツの悪そうな表情で、中元寺は日下部に歩み寄る。
手を差し伸ばして強く引き、強引に立ち上がらせた。
「なんだ。生きてる秋刀魚を見て感動するような現代っ子って言ってもさ。昭和の男と、あまり変わんないじゃん」
そんな男二人のやり取りを眺めながら、川内はそんなことを呟く。
殴り合って仲良くなるなどと、まったく時代錯誤にも程があるのではないだろうか。
そんなことを少しは思わなくもないが、
「いつの時代でも男の人のこういうとこ、いいよねぇ」
大正生まれの女にとって、それは決して不快な光景ではなかった。
※前回、日下部が意識を喪失している間の話です。
空母の恋愛を描く「その比翼に連理はあるか」シリーズの続きであると同時に、当然ですが「中元寺鎮守府の物語」シリーズの続きでもあります。
今回死んだはずの中元寺提督が出てきましたが、彼が何者かは次話で書きます(本来は1話で収めるつもりでしたが、文章量が思ったより多くなりましたので2話に分けました)。
次話もなるべく早く投稿しようと思います。
以下、中元寺のプロフィールです。
【中元寺提督】
性別:男性
年齢:29歳(享年)
職業:提督
一人称:俺
秘書艦:翔鶴
比較的有名な提督だったが、日下部が提督として着任する少し前に、深海棲艦の大量発生による奇襲を受けて殉職する。
元々は海上自衛隊で艦船整備の任に当たっており、その頃から(2045年基準で)レトロな機械を弄ることを趣味にしていた。
シンギュラリティ到来時、高次AIによる初動の奇襲で大怪我を負う。辛うじて一命は取り留めたものの、回復したのは艦娘運用体制が確立してある程度情勢が落ち着いてからだった。
その後、元上官を後見人として提督に着任する(このため、舞津や長谷川と異なり最古参の提督ではない)。
どこかセンスが全般的に古いところがあり、嫁艦である翔鶴を「ショーコ」、最後まで嫁艦の座を翔鶴と争った大淀のことを「ヨドコ」と呼ぶ。
マインドハックに才を持ち合わせており、その技術は元祖マインドハッカーである日下部に匹敵するほど。
日下部やモーリアックのようにまったく新しい物を発明をすることはできないが、既存技術の組み合わせや改良によって携行型MM機関やタロスを発明した。
大淀に下した命令や何らかの手段で翔鶴の記憶を残したことなど、自身の死とそれによって何が起こるかを、生前から知っていた節がある。