日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~ 作:天空のトロイカ
ご注意下さい。
もしも美しいまつげの下に、涙がふくらみたまるならば、それがあふれ出ないように、強い勇気をもってこらえよ。
足腰はまだ少しふらつくが、それは自分でそんなダメージを残していると感じているからだ。
大丈夫と思えば大丈夫になる。それがここでの法則だ。
強引に二本の足で立ち続けながら、日下部は二人に尋ねる。
「で、改めて川内と中元寺提督。どうしてここに?」
「あたしは翔鶴さんに提督を助けるためにマインドハックをしてもらうようお願いしたら、なんかここに送り込まれた」
「ってことは、やっぱりあいつが『中元寺鎮守府の翔鶴』なんだな」
川内の言葉を耳にした日下部は、顎に手を当てて考え込む。
「あいつが自己解体前の記憶を残しているのは、『大本営にマインドハックで記憶を消されること』をトリガーとして、『以前の翔鶴自身の記憶』という想念を暴走させる
そこまでを口にしてから、中元寺へと視線を向ける。
「……で、いいか?」
「御名答。さすが元祖マインドハッカーだ」
中元寺は軽く手を叩いてみせる。
「
「まぁ、その辺はさすが高次AIサマの発明ってとこだな。ついでに俺は、ショーコ……うちの翔鶴が『新しい提督にマインドハックを仕掛けること』をトリガーとして、『俺自身の思考・意志・記憶』という想念を暴走させる
「……!
「そうみたいだ。あれも結局のところ、本当の仕組みを人類は理解しちゃいねぇからな」
MM技術を高次AIロゴスが発明して20年が経過しているが、「想念とは結局何なのか」「なぜ想念を物質化できるのか」といった根本的な部分を、実は人類は解明できていない。もちろんこの20年間多くの優秀な頭脳がその謎に挑んだが、誰一人としてロゴスの叡智に追いつくことはできなかった。
全身麻酔など、根本原理が未解明でも世の中に普及しているものは他にも存在する。だからいつしか人類はMM技術の原理解明については断念し、MM技術の成果をより効率的に運用する学問……想念工学を発達させてきた。
ロゴスが人類の庇護者だった時代は、それでも世界を回すのに何の問題もなかったのだ。
そして人類の敵となった現在においては、当然ながらそんなことを教えてくれるはずもない。
「すごいな。よくもまぁ、提督業に必要な範囲の技術だけでそこまで……本格的に想念工学を学んだら、想念工学者として大成しただろうに」
「いや、しょせん俺はアリモノの技術を工夫して使うのが精一杯だよ。お前やモーリアック元帥みたいに、新しい物を作るには向かないさ」
「……そんなもんか」
実際の能力と自己評価は、必ずしも一致するとは限らない。
惜しいと言えば惜しいのだが、いずれにせよ中元寺は基本的には故人だ。今はその残滓が特殊な条件下で残っているだけに過ぎない。そこを強要してもあまり意味はないだろう。
「さて、聞かれる前に答えるが。お前の記憶にあるマイクロSDのパスワードや中身については、俺も知らない。どうもここにいる俺は、俺自身の全部の記憶を持ち合わせているわけじゃないようだ」
「なんだよ無責任な」
だがここまで手の込んだ仕掛けを打って、周到に秘匿に秘匿を重ねているからには、よほどの内容なのだろうという予感はある。
「つーか、今更だけどさ。やっぱり俺、死んだんだな」
中元寺の瞳の輝きが、どこか虚ろになる。
「なぁ日下部。ショーコのこと、頼むぞ?」
「任せろ。お前のこと忘れたいって言われたら、私が責任持って幸せにしてやるよ」
「ははは。ねーよ。何年かは引きずってくれるよあいつ」
「そっか。じゃあ手は出せないな。もう寝取りはしないって決めてるんだ」
日下部は唇の端を吊り上げる。
失われた中元寺を想い続けるのが、翔鶴にとって幸せかはわからない。けれどもそれを決めるのは自分ではないし……この場ではこう言ったが、率直に言って中元寺が決めることでもないと思っている。
「そっか、そりゃ安心だ」
想念上で繋がっている以上、中元寺は日下部の真意には気付いている。
その上で、この場では自分を立ててくれた日下部の態度に水を差すようなことは言わなかった。
「さて、そろそろ起きないと本気で生命に関わるぞ。物質世界で神鷹の奴がお前を待ってる」
「そうだな。やれやれ、何が悲しくて男を自分の頭の中に住まわせないといけないのか」
「いいだろ。お前友達少ないし」
「余計なお世話だ」
日下部は憮然とした口調で言う。確かに性的魅力でゴリ押しできる恋愛と比べて、他人の意を汲む必要のある友人関係の構築が苦手だったのは事実だが、一緒に馬鹿をやれる友人がまったくいなかったわけではない。
「それに必要な時以外は、普段は眠ってるから安心しろ」
「そうしてくれ。私と嫁艦候補たちの夜戦を覗かれても困るからな」
日下部が真顔でそんなことを言うと、中元寺は露骨に顔をしかめた。
長い長い日下部の話を、翔鶴は黙って聞いていた。
引き結んだ唇の端が、微かに震えている。
「翔鶴。お前は『中元寺鎮守府の翔鶴』だな?」
「はい。私の概念核には、あの頃の記憶が今も残っています。私の大切な人は終わってしまったのに、私は今もこうしてここにいます」
そのまま涙を零すかと思った。
別にそれでも構わないはずなのに、翔鶴は決して泣こうとはしなかった。
「なら、お前にひとつ頼みたいことがある。中元寺鎮守府の大淀のために泣いてやってくれないか。あいつのために真っ先に泣く権利があるのは、中元寺鎮守府の艦娘だけだろう」
日下部はそんなことを願うが、翔鶴は黙って首を横に振る。
「きっとあの子は、私が泣いても喜びません。この日下部鎮守府では想像も付かないでしょうけど、単婚主義の國彦さんの嫁艦争いは本当に熾烈でした。大淀も言葉には出さなかったけど、私に対して思うところは多々あるんじゃないかしら」
「そう、か」
「それに提督。私はもう日下部鎮守府の艦娘です。だから私にだって泣く資格はないですよ」
「……、わかった」
翔鶴がそう言うのであれば、これ以上この願いを押し付けることはできないだろう。
だから代わりに、違うことを口にする。
「お前は、これからどうしたい? 中元寺の奴にはお前を頼むと言われたけど、ぶっちゃけ死者の意志なんか二の次でいい。今生きているお前の意志が最優先だ。『終わりたい』なら、私が終わらせてやる。『忘れたい』なら、改めて記憶を消してやる」
死者に寄り添うのは大切なことだが、これからも続く生者の物語を犠牲にしてまですることではないと、日下部は考えている。
「私は……」
唇を引き結んだ翔鶴の眼差しは、強い輝きに満ち溢れていた。
「先程も申し上げましたが、今の私は日下部鎮守府の翔鶴です。個人名抜きの『提督』は、あなただけです。それで構わないと思ってます」
「そうか。後悔しないな?」
「はい。國彦さんのことを忘れるわけでも、提督に恋をするわけでもないですけど、少なくとも日下部鎮守府の所属の艦娘では、あるつもりです」
半分ほどは虚勢だ。何もかも投げ出して楽になりたいという誘惑は甘美で、今にも屈しそうになる。
だがそれでも翔鶴は、零れ落ちそうな涙を瞳の中に湛えながら、決してそれを溢れ出させることはなかった。
日下部は軽く溜息を吐く。これからも続く生者の物語を犠牲にしてまで死者に寄り添う必要はないが、生者自身がそれを望むのなら話は別だ。
「わかった。なら私はお前に、助けてもらった恩返しをすることができそうだ」
安堵と舌打ちを同時に行っているような、複雑な感情の込められた声音だった。
翔鶴は思わず首を傾げるが、
「おーい、起きやがれ中元寺。早速お前の出番だ。自分の意志で、自分の嫁艦と会話しやがれ。顔と声は私の物で申し訳ないがな」
「……!?」
続けて放たれた日下部の言葉があまりにも予想外すぎて、思わず驚きに目を見開いた。
「やれやれ。
確かに顔も声も日下部の物なのに、間違いなく自分の愛したあの提督だと理解できる喋り方だった。
「國彦さん、國彦さん……!」
翔鶴は堪らえ切れずにすがりつく。
二度と会えないと思ってた人に会えた事実の前には、顔や声が日下部の物であることなど些細な話だろう。
(どれ。入れ替わりで私が眠るから、終わったら起こせ)
夫婦の会話に水を差さないように、日下部は一時的に自我の奥へと引っ込む。
(お前に一途な翔鶴なんか見たら、思わず私も恋してしまいそうだ)
「何かを好きな女の子が好き」という性癖は、寝取り自重を誓った身からするとなかなか辛い物がある。特に何人も同時に愛せる身としては、尚更だった。
(おい日下部。終わったぞ、起きろ)
中元寺の自我に呼びかけられて、日下部は意識を覚醒させる。
どれだけの時間が経過したか正確には不明だが、体感ではそんなに経っていない気がする。どうやら日下部の身体を使って夜戦をしっぽり……なんてことはないようだ。
(ん、もういいのか)
(ありがとうな。ショーコにちゃんと自分の言葉で別れを言えた)
(待て、別れだと……!?)
一瞬、伝わってきた想念に誤認識があったのかと思った。
だが冷静に考えるなら、自我領域の一部を共有している以上はそんなことはありえない。紛れもなく中元寺は、翔鶴に対して別れを告げたのだ。
(俺はあくまで、中元寺の記憶の一部を持っているだけの残滓だ。ショーコの愛した中元寺國彦本人じゃない)
(翔鶴が愛したのは、記憶ではなく人格だろう! 私は、一ヶ月に一日くらいならお前にこの身体を貸してもいいと思ったんだぞ!)
(そっか、ありがとな。でもな、この一回だけでも本当に奇跡みたいなもんで、俺たちにはこれで十分だ。中元寺鎮守府の物語は……中元寺國彦と翔鶴の恋の物語は、終わったんだよ)
(何年かは引きずってくれるだろう、って言ってたじゃないか!)
(そいつは「しばらく引きずってくれれば十分だ。後は思い出に変えてくれ」って意味だよ。俺自身があいつの前に現れてちゃ、思い出に変えることなんかできやしないさ)
中元寺の顔に浮かぶのは、己の天寿を全うした老人のような達観しきった微笑だった。
(翔鶴との件はわかった。それは本当にお前たちの選択だから、私が口を挟むことじゃないだろう。だがな、言っておくが満足して消滅なんて許さんぞ)
(なんだと?)
(100年前の沈んだ艦でさえ、現代に蘇って人類のために戦ってくれてるんだ。ならば人類自身が、
死者の残滓だろうが何だろうが、使える物は使い倒す。
勝つためならなんでもする、そんなことはとっくの昔に誓っている。
(わかったわかった。できる範囲で協力してやるよ)
日下部の強引さに根負けしたかのように、中元寺は両手を上げる。
(よし、じゃあそろそろ起きるか。必要になったら呼ぶからな)
(ああ、わかった。それと……まぁ、なんだ日下部。すまん。頑張れ)
肉体の主導権を入れ替える直前、中元寺の発した不穏な想念。
「……は?」
覚醒した日下部は、思わず疑問を声として発してしまう。
物質世界に意識が戻って最初に視界に飛び込んできたのは、川内の姿だった。
「なに? あたしが怒ってるのがそんなに不思議!?」
「……え、川内? そんな怖い顔して、どうした?」
まるで深海棲艦と相対しているかのような、敵意に満ちた瞳。
間違っても、何事もなく自分の提督に向けていい物ではない。
「どうした、はこっちの台詞だよ! なんで、あたしが神鷹を案内してる隙に! 提督と翔鶴さんが抱き合ってるのさ!?」
「……いいっ!?」
思わず日下部は顔を引き攣らせる。
慌てて川内の脇に視線を向けると、顔面を蒼白にさせている翔鶴がいた。どうやら川内によって強引に引き離されたらしく、盛大に目を泳がせている。
「寝取りはもうしないんじゃなかったの?」
「ま、待て、誤解だ!」
慌てて日下部は事情を説明しようとするが、
「あれだけバッチリ抱き合ってて、それどころかキスまでしてて、何が誤解よ! 未亡人がまだ亡くなった旦那様のこと想ってるのに、そんなに早く手を付けて! 見損なったよ!」
「中元寺のヤロー! 何してくれちゃってるのー!」
そこまで
「おいこら、起きろ中元寺! 責任取れ!」
(無理。すまん)
早速必要になったので呼びかけたのだが、中元寺はいともあっさりその呼びかけを拒否して自我の奥底へと戻っていく。
「言い訳はそれだけ?」
カチャリ、と音がして15.2cm連装砲の砲口が正確に日下部を捉えた。
「ま、待て川内。落ち着いて私の話を聞け」
「うるさい! もう何も聞きたくない!」
言い訳はそれだけ、と言っておきながら実に理不尽な話ではあるが、感情的になっている女性とはえてして理不尽なものだ。
爆音と共に放たれる砲の衝撃が、日下部を盛大に吹っ飛ばす。
「ぎゃあああああああああああーっ!」
我に返った翔鶴が誤解を解くまでの間、軽く10発以上の砲弾が容赦なく日下部に叩きつけられたのだった。
※というわけで翔鶴の恋愛話、いったん終了です。
ちなみに翔鶴から未亡人っぽさを感じたのは作者だけではないようで、検索すると翔鶴未亡人概念は結構出てきます。
先立つ者が残していく恋人に対してどんな感情を抱くかについて。
未練たらたらで死ぬのはある意味でリアルですが、物語的に美しいかは別の話。
物語においてはそういうキャラの方が少数派な気がします。やはり生きてる者の幸せを願うことこそが、美しく見えるからでしょうね。
(近年だと「進撃の巨人」にそういうキャラがいましたが、あれはリアルさを重視したのでしょうからそれはそれで)。
艦これ9周年、おめでとうございます。
ソシャゲでこれだけ続いてるのは素晴らしいことですね(私自身はまだ2年生提督ですが)。来年の10周年、そしてその先まで続くことを楽しみにしています。