日下部鎮守府の物語 ~工学者だったけど艦娘に恋したので、提督になりました~   作:天空のトロイカ

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※この話は日下部の一人称視点ではありません。
ご注意下さい。


歴史の分水嶺を超えて 1

人類の歴史は、虐げられた者の勝利を忍耐強く待っている。

――ラビンドラナート・タゴール

 

 

「なんで1410が『愛してる』なんです?」

心底不思議そうな表情を浮かべて首を捻る日下部に、モーリアックは思わず苦笑を浮かべた。

 

マイクロSDに対応した旧式コンピューターの用意ができたという知らせを受けて、日下部は松代大本営まで足を運んでいた。

すでに翔鶴からこの中元寺ファイルのパスワードは聞き出している。数字のみわずか8桁というシンプルさだった。

前半の4桁は中元寺と翔鶴のケッコン記念日。それはわかるのだが、後半の「1410」という数字の意味が日下部にはまったくわからない。

モーリアック曰く、「愛してる」という意味だそうだが……。

 

「マイクロSDよりもさらに古い時代の通信端末で使った変換コード、かな。さすがに僕にとっても生まれる前の道具なんで、話しか聞いたことないけど」

「はぁ。正直エニグマやエニアックと大差ないようにしか思えないですね」

20世紀前半にドイツが使った暗号機や、1946年にアメリカが開発した世界初のコンピューターの名前を上げて日下部は言う。

モーリアックの言っている通信端末は、さすがにそれより数十年以上は後の物なのだが、いずれにせよ2018年生まれの日下部にとってはどれも「骨董品」にしか感じられないのだろう。

 

「まぁ、それはともかく。中身は……どれ」

それらと比べれば、この旧式コンピューターはまだ操作できる方だ。タッチペンが導電式という点には驚いたが。

マイクロSDの中身は、文書ファイルがひとつあるだけだった。ファイルの中身は細かくページ分けされている。日下部は最初のページの冒頭に目を通し、

 

「なんだこれは……?」

そこに書かれている内容の異様さに、思わず絶句した。

 

『これを読んでいるのが元祖マインドハッカー・日下部真琴でない場合、この先の記述は一切無意味なものとなる。狂人の妄想として捨て置かれたし』

 

「マコ、これは?」

「わかりません。私が聞きたい」

日下部とモーリアックは顔を見合わせる。

中元寺が元祖マインドハッカーとしての日下部を知っていることは、特に不思議ではない。マインドハックの技術史について調べれば、必ず出てくる名前だ。

だが当然、それだけで説明が付くわけがない。

 

「中元寺くんはマコが提督になっていることすら知らなかったはずだ、マコの着任前に殉職したからね。そして当然ながら、マコが自分の鎮守府を訪れるなんて知るはずもない」

「ですね。さすがに気味が悪い」

自我領域内に共存している中元寺の残滓も、このファイルの中身については一切知らないと言っていた。中元寺本人は「何か」を知ったからこのファイルを用意し、翔鶴と大淀を使って手の込んだ仕掛けを打ったはずなのだが。

 

「まぁ、続きを読みたまえ。今はこれ以上の推理は無理そうだ」

「それもそうですね。えーと……」

 

『以下は、日下部真琴がこれを読んでいる前提で記述する。日下部とモーリアック元帥は、現在アイギスの盾を開発中のはずだ。その開発が完了し、浮上した問題点をすべて解決し、深海棲艦と本当の戦争を始められる段階に至るまでは、この文書は全文を読まず当方の指示に従って読み進めることを伏して願う』

 

「アイギスの問題点……ふむ? 気になるが、完成前からそこを気にしても仕方ないね」

「はい」

 

『以下、次にすべき行動について記述する。日下部鎮守府の曙は、近日中に自身の無力感について嘆くこととなる。まずその払拭に務められたし』

 

「うちの曙が? 自分の無力感について?」

 

『具体的手段は当方の知識にもないため、以下は先輩提督としての一般的アドバイスとなる。艦娘にとって練度を上げること、大規模改装を行うことは大きな喜びだ。相手の話はよく聞き、そして鵜呑みにするな。日下部には信じがたいかもしれないが、ツンデレは実在する』

 

「ツンデレが……実在する?」

「いやマコ、それシリアス顔で言う台詞じゃないからね? するよするする。というか曙くん・満潮くん・霞くんは、俗に三大ツンデレと言われててね?」

「な、なんだってー!?」

日下部は驚愕の表情で目を見開いた。

その三人はやたら提督に対する当たりがきついことで知られている。それがよもや、ツンデレ……つまりいずれ、デレるというのか。

 

「にわかには信じられませんねぇ」

「キミは本当にリスブランとの一件から何を学んだんだ。人間も艦娘も、表向きの態度と本音は裏腹だったりするものさ」

「……うっ。わ、わかりました。とりあえずそれは置いておいて、続きを読みます」

 

『とても些細だが、これは間違いなく歴史の分水嶺である。我々が意図的に分水嶺を超えたことを決して高次AIに確信させず、させた時には我々は確たる実力を備えていなければならない。

――以上。曙の問題解決後に、次章を読まれたし』

 

「歴史の分水嶺。大きく出たな」

歴史を一本の川とするならば、その流れの変わる地点というのは確かに存在する。

近代以降の歴史に限っても、例えば1914年6月28日、サラエボに鳴り響いた一発の銃弾。

例えば1924年4月1日、ドイツで起きた叛乱の首謀者に対して出された無罪判決。

例えば1931年9月18日、中国東北部にて爆破された一本の鉄道線路。

それらが実際には歴史の分水嶺だったことは、後から観察しないとわからないものだ。だから日下部鎮守府の曙の無力感を払拭することが、後の歴史を大きく変えると言われれば、完全に否定することは難しい。

後はそれを信じるかどうかの話になってくる。

 

「で、どうする? マコ」

「指図されるのは好みじゃないですが、どのみちうちの曙の問題ですからね。もし本当に近々そんなことが起きたなら、従ってみようかと思います」

別にそうして何か問題があるわけではない。この中元寺ファイルに関係なく、曙が無力感に苛まれるのなら、その払拭に務めるのは提督として当然のことだ。

 

「ふむ。なら中元寺ファイルは引き続き預かるよ」

「お願いします」

まだまだ中元寺ファイルには続きがある。

現代の世界において、この松代大本営は最も安全な場所のひとつだ。それにどうせ、この旧式コンピューターがなければ中元寺ファイルは開けない。

ならば続きを読むべき時まで、モーリアックに預けておくのが正解というものだろう。

 


 

松代大本営から帰ってきたら、執務室の隅で紫髪が丸まって膝を抱えていた。

 

「お、おいどうした?」

「うっさいクソ提督。どうせあたしは、何一つまともにこなせないダメ駆逐艦よ。笑いなさいよ」

うつむいたまま日下部の顔すら見ることもなく、曙は自嘲の言葉を口にした。

 

「うわ重症。川内、これどうしたんだ?」

「提督不在の間も、大淀の指揮で漁業保護に何回か出撃してたんだけどね。例の、黄金の秋刀魚? 一本釣りしてやるって意気込んでたんだけど、見事に取り逃がしたらしくて。それで自己嫌悪に陥った挙げ句、前世のトラウマ盛大に思い出したらしくてね……?」

川内の説明に、日下部は思わず頬を引きつらせる。確か前世の曙といえば、

 

「あたしなんてどうせこんな物よ。翔鶴守れなかったのはあたしのせい、MI作戦からは外されて、船団護衛はできず、漣とは死に別れ、挙げ句最上の雷撃処分させられて……。あたしが艦娘として生まれてきたこと自体、何かの間違いだったのよ」

「お、おう。改めて聞くと凄いな」

雪風や時雨のような幸運艦がいれば、不幸艦だっている。前世の苛烈な記憶を持って生まれてきた彼女らが、一筋縄ではいかない性格になるのはある意味仕方ないことだろう。

 

「大和魂って言ったって、結局何も変えられなかったんだから。いくら想いが形にも力にもなるのが現代って言ったって、あたしたち艦娘が生まれたところでそんなの無意味……」

「おい曙」

日下部の声音が明らかに変わったことに気付き、曙は顔を上げた。

曙の瞳は虚ろで、そこに宿る光は極限まで弱まっている。

だがそれに対して日下部の瞳は……まるで最初から光など持ち合わせていないように、無機質で冷徹極まる物になっていた。

 

「自分を卑下する分にはまだ構わんが。艦娘という種族全体を否定したら、そりゃさすがに許さんぞ?」

「……っ!」

「お前が自分に自信を持てないのは、まぁ仕方ないよ。お前の境遇は本当に同情に値するんだろうし、自信なんて一朝一夕で身につくものじゃない。だが、艦娘そのものを否定するな。私はこれでも、艦娘という種族には心から感謝しているんだ」

目の前の曙もその艦娘の一人であることなど忘れたかのような、聞くだけで凍りつくような言葉。

曙にとって、こんな日下部を見るのは初めてだった。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが本能的に理解できた。

 

「わ、悪かったわ。そこは謝る」

曙は先程まで自分が落ち込んでいたことも忘れたかのように、謝罪の言葉を口にする。

生まれてきたことが間違いなどと口では言っても、実際はまだ終わりたくなかったようだ。自分の本心がそこにあることを、ようやく曙は認められた。

 

「よしよし。わかってくれて嬉しいよ」

日下部はまるで先程のやり取りなど一切なかったかのように、朗らかな笑みを浮かべた。

その落差のあまりに激しさに、思わず曙は目を奪われる。先程までの日下部から底知れぬ恐ろしさを感じたからこそ、この笑みがとてもとても眩しくて仕方なかった。

 

「とりあえずそこに座っていられると執務の邪魔になるから、隣の控室で休憩してろ。後でちょっと話があるから」

「話?」

「後でな。控室にあるクッキー食ってていいから、お茶でも飲んで落ち着いてろ。必要な仕事終わったら行くから」

そう言うと日下部は、曙に追い払うような仕草で手を振る。

反抗的な台詞ひとつ返さず、曙は黙って立ち上がって大人しく従うのだった。

 


 

「おーい曙」

「なによ、クソ提督?」

よく聞き慣れた悪罵には、少し張り合いが戻ってきていた。

日下部は曙の座っているソファーから、テーブルを挟んだ反対側に腰を下ろす。

あれから1時間ほどが経過していた。提督の決裁がどうしても必要かつ急ぎの書類だけを片付けて、残りは保留してある。

 

「うわ。ほとんど全部食いやがったな?」

まさか直径10cmの丸缶にみっしり入ったクッキーが、ほぼ空になっているとは予想外だった。

 

「何よ、食べていいって言ったじゃない」

「まぁいいさ。食欲が出てきたのは良いことだ。本当はちゃんと飯を食えと言いたいところだが」

この勢いで食べたということは、きっと空腹だったのだろう。出撃から戻ってから、何も食べていなかったのではないだろうか。

 

「それで、話って?」

「ああ。なぁ曙、お前改二になりたい?」

「はぁ?」

日下部としてはそんなに変なことを言ったつもりはなかったのだが、曙には怪訝そうな顔をされた。

 

「演習の駆逐艦枠、あんたの大好きな秋雲が埋めてるでしょ。そっち優先すれば?」

確かに秋雲も育ってきている。間もなく条件成立する金剛に続けて、ケッコン可能な練度に至るのはそう遠くないことだろう。そこに対して気を遣ってくれたというのだろうか?

 

「ん、そうか」

一瞬日下部は納得しそうになるが、

 

(いや、)

中元寺ファイルの言葉を思い出す。

相手の話はよく聞き、そして鵜呑みにするな。

 

「どうせ秋雲とケッコンするのは金剛よりも後になるし、今焦る必要はないよ。お前もいい感じに育ってるし、そんな寄り道にはならないだろ」

「なによ。珍しくやけに粘るじゃない。何か悪い物でも食べたの?」

「似たようなところかな。じゃあそうだ。保留してた誕生日プレゼントは、改二になるチャンスってことで」

「はぁ?」

「だってお前、改二になりたいかって聞いたら『嫌だ』とは言わなかったじゃん。なりたくないわけじゃないんだろ?」

なぜ曙がそんな態度を取ったか、さすがにその理由までは察せない……察しようもないが、

 

「あーもう、クソ提督のくせに! 改二になるって言ったって、どうせあたしが頑張って練度上げなきゃいけないんでしょ? 本当、冗談じゃないわ!」

「ははは」

「……悪くないけど。やってあげるわよ」

曙は視線を逸らしながら言う。

声音は直前までと明らかに違っていた。おまけに心なしか、頬が少し赤くなっているような……?

 

「おぉ!? 本当にお前、ツンデレなの?」

「誰がツンデレよ! 調子に乗るな!」

曙は傲然と立ち上がる。

先程までの態度は何かの間違いかというほどに、それはいつも通りの曙だった。

けれども、

 

「……そんなこと言われたら、勘違いしそうになっちゃうじゃない。バカ」

去り際にそんなことを吐き捨てた時は、やっぱり少し頬が赤かったような気がする。

 

「行っちゃったか。あの意志の強さは嫌いじゃないんだが」

結局、曙の本心はどこにあるのだろう?

通常の人間ならとっくに気付いてそうなことだが、世界二位の想念工学者にとっては、想念工学特級試験すら超える至難の一問だった。




※中元寺ファイルの中身が開陳されました。
この辺りから、本作がこんなタイトルである理由が少しずつ回収されていくことでしょう(完全に回収できるのは、おそらく完結直前になるとは思うのですが)。

「1410」について。
1990年代に流行した「無線呼び出し(一般的にはポケベルと呼ばれてました)」で使う非公式の暗号です。
2018年生まれの日下部どころか、これを読んで下さっている方の大半にとっては「骨董品」だと思います。
作者は一応ポケベル世代でしたが、実際は使ったことはありません。その時代に流行ったからといって、同時代人が全員そのガジェットを使っているとは限らないのです。

歴史の分水嶺について。
直接の元ネタは、「グランブルーファンタジー」の曲の名前です。
ただし小説版を読んだ限り、意味的には本文中に書いたもので合っているはずでして、であればリアルの歴史に当てはめることもできるということになります。
本文中に書いたものは順番に「サラエボ事件」「ミュンヘン一揆」「満州事変」を指しています。どれも結末が違っていれば、第一次や第二次の世界大戦は起きていなかったかもしれません。
ですがリアルタイムでそれを察知できた人は多くないわけで(実際に世界大戦は起きているのですから)、ここが「歴史の分水嶺」の難しいところだと思います。
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