バレンタインデー。主に学生がのめり込む一大イベントであり、それはこのトレセン学園でも例外ではない。
けれど普通の学校と違うところは、ウマ娘同士のチョコ交換がメインであり異性へのプレゼントはほとんどない。精々がトレーナーへの日頃のお礼の意を込めた義理チョコくらいだろう。
そういう意味では、果たしてエイシンフラッシュはチョコをくれるのだろうか? という期待は少なからずある。色恋的なものは絶対ないが、日頃のお礼という形でもらえるだけでもかなり嬉しい。
そんなわけで内心ドキドキしながらトレーナー室でデスクワークしていたのだが、授業終わりのタイミングになると扉がノックされた。最近はノックのタイプでエイシンフラッシュかそうでないか判断できるようになってきた。この規則正しいテンポはエイシンフラッシュで間違いない。
扉の先にはやはりエイシンフラッシュが立っており、手には小さめの紙袋を吊り下げていた。
「トレーナーさん。少しお時間よろしいでしょうか?」
「どうしたんだ? ……ひょっとしてその紙袋、中にはバレンタインチョコが入っているのか?」
袋を持っている姿を見て「チョコに違いない」と思い、ついそれが言葉となって出てしまった。脈絡に乏しいセリフにエイシンフラッシュはきょとんとした顔をする。
そして次に彼女は挑発めいた感情を滲ませて言った。
「はい。確かに仰る通りですが……なるほど、そこまでチョコを欲しがっていたとは想定外でした」
「いや、がっつくほど欲しがっていたわけじゃあ……」
「では、私からのチョコは必要ありませんと?」
「いやいやいや! めっちゃ欲しいです!」
くそう。バレンタインのことを意識しすぎて過剰に反応してしまった。おかげで彼女にからかわれてしまったぞ。
謎の敗北感を味わっていると、エイシンフラッシュは紙袋の中から手の平サイズのラッピング袋を取り出してきた。
「ハッピーバレンタインです、トレーナーさん。貴方に日頃の感謝を」
「…………!」
袋を受け取る。その中身はクッキーだった。いかにも彼女らしい、丁寧に象られたものだ。
ありがとう、と言葉を返す。淡白なセリフだが、そこには百に迫る思いを込めたつもりだった。それら全てを言葉にするには少々時間がかかりすぎる。
形式的なものかもしれないけれど、教え子に感謝されるというのはここまで嬉しいものなのか、と実感できて身体の奥底が震えてくる。少し前までは人に教わり、感謝する立場……今の彼女と同じ立場だったのに。今の俺は誰かを導く立場にあるのだと再認識する。
込み上げてくるものを隠そうと鼻をさする。幸い彼女には今の俺の感無量っぷりは悟られていないようである。しかしずっと隠し通せるものでもない。俺は封を開けてクッキーを1つつまむ。
「美味しそうだな。自分で作ったのか?」
「そうです。今日は家庭科の授業があるのでちょうどいいと思いまして。ついでのようで申し訳ありませんが」
「ははは。それでも嬉しいよ。早速1ついただいてもいいか?」
「どうぞ。分量も焼き時間も寸分違わず作り味見もしたので、美味しそうではなく美味しいと思いますよ」
確かに彼女のお菓子作りの中で美味しくないものなど出された記憶はない。口元にクッキーを運んだ瞬間、香ばしいバターの香りが鼻孔をくすぐる。
クッキーを頬張ると、やはりと言うべきか期待を裏切らない味が口いっぱいに広がる。うんうんと何度もつい頷いてしまう。
「……美味しい」
「そうでしょう?」
と、エイシンフラッシュは少しだけ自慢げに笑った。
残りは帰宅してから食べよう。俺は再びカラータイで袋を閉じる。そして気を引き締めて告げた。
「――さて。この後はジムでトレーニングの予定だったけど、その前にちょっとだけ今後について確認しておきたい」
彼女も俺の態度の変化を感じ取ったのか、背筋を正して耳を傾けてくる。
「今から約3週間後に弥生賞――皐月賞トライアルが始まる。既に皐月賞への参加基準を満たしてはいるが、当初の予定通りここを走ってもらう」
「はい。皐月賞と同条件……クラシックレースに向けてこの上ない条件です」
「そうだ。ここを勝った勢いそのままに皐月賞を取る! と言いたいところなんだけど、当然同じ考えのウマ娘は多い。しかも噂によれば――ヴィクトリーピザも出走予定らしい」
「……!」
エイシンフラッシュは僅かに息を呑んだ。正式な出バ表が出るのはまだ先だが、トレーナー間でウワサ話というのは広がるものだ。交友関係の狭い俺でもエイシンフラッシュと同期に関する情報はなるべく集めるようにしている。
敏い彼女のことだ。ヴィクトリーピザを弥生賞で相手にすることの重要な意味をきっと理解していることだろう。だからといって言葉にしないわけにはいかない。きちんと現実を伝える……それがトレーナーとしての務めだからだ。
「弥生賞は皐月賞と同条件――つまり、弥生賞のレースの結果が皐月賞と密接に繋がる可能性があるということだ。ここで掲示板を外すとなると、皐月賞を取るのは現実的にかなり厳しいと言わざるを得ない」
もちろんレースとはそこまで単純なものじゃない。その日の条件、競争相手、レース展開などの数多の条件によっていくらでも結果は変わる。しかし弥生賞でヴィクトリーピザに敗れたとき、もしもエイシンフラッシュが彼我の実力差に折れてしまえばクラシックで勝つことは不可能になる。レースは心技体――心が欠ければ勝負には勝てないのだから。
そして、そういう大事なレースで契約ウマ娘を勝たせるために尽くすのが、担当トレーナーとしての務めなのである。
俺は固く握り拳を2つ作って、自らを鼓舞するかのように語る。
「弥生賞までの3週間。ここからはいつも以上に追い込んでいくから覚悟しておいてくれ!」
「――はいっ! 分かりました。トレーナーさん、宜しくお願いします!」
負けられない。その想いを胸に強く抱いて、俺は打倒ヴィクトリーピザを掲げるのだった。
それなりにテンポよくまとめられたかな。
バレンタインデーで浮かれた経験がないので、まったくの想像で書きました。高校まで母親からのチョコをカウントしていたのも、今となっては良い思い出です。