「下がった? いつもみたいに先行で走っていくんじゃないのか?」
「…………」
エイシンフラッシュは押し黙ったままレースに集中している。
この重バ場。ただでさえ最後の伸びが厳しいというのに、あえて下がって差しの位置を取るとは。何か狙いがあるのだろうか?
『1番人気ヴィクトリーピザは現在後ろの方にいます! その前にはシンエイポアロが位置しています。そしてその外には――――』
しかしヴィクトリーピザは1コーナーを過ぎた辺りから順位を少し上げ、6番手の位置でレースを組み立てる様子である。内々を走ることができているからスタミナには余裕があるだろうけど、最後に抜け出せるかどうかが少し不安だな。
そしてレースは進んでいき後半戦、俺の読みが当たり内側を走るヴィクトリーピザは前方のウマ娘に進路を阻まれ、その間に外側のウマ娘たちがどんどん前へと飛び出していく。
『ヴィクトリーピザは3、4コーナーの中間に差し掛かっております! ここから世代最強と名高いヴィクトリーピザがどういったタイミングで動いてくるのか! じっと我慢の4コーナーをここから迎えるのか!』
4コーナーに差し掛かっても未だ前方が空く気配を見せない。かといってここから大外へと回るのは大きなロスになるし、位置関係的にも難しい。
「ちょっとまずいな……。あのままだと道を塞がれ実力を出し切れないまま終わる可能性も――――」
「――――いいえ」
エイシンフラッシュの凛とした声に、俺は反射的に彼女の表情を見つめる。エイシンフラッシュの瞳には一切の疑いの曇りもなく、ヴィクトリーピザにのみ注がれていた。
観客席前を走るヴィクトリーピザもまた、まるで動揺を見せずに内側を走り続けている。他のウマ娘たちは道悪である内側の走路を嫌ってか、次々外へと膨らんでいく。そのおかげでヴィクトリーピザは抑えたまま先頭集団まで順位を上げてきた。
しかし結局前・外の2人に囲まれて抜け出せそうにない。強引に割って入れば失格となる可能性が高い。
やはり厳しいか、と思われた矢先、残り200メートルを過ぎた直後にヴィクトリーピザの隣を走っていたゼッケン11番のウマ娘が疲れ果て、後ろへと落ちていく。――その僅かに空いた外側のルートをヴィクトリーピザが見逃すはずもなかった。
ヴィクトリーピザは間隙を縫うようにして一気に前へと飛び出す。そしてゼッケン3番との一騎打ちとなり――――
『シンエイポアロが抜け出しているぞ! さあそしてここからか! ここからか!? ヴィクトリーピザここからなのか!! 躱した躱したヴィクトリーピザ――――ッ!』
――道が開けたヴィクトリーピザを阻むものはもはや存在しなかった。
道中蓄えに蓄えた彼女の末脚は、シンエイポアロと競り合うことなく一息に抜き去り文句なしの1着でゴールを決めた。
およそ半バ身ほどだろうが、着差以上の強さを見せつける結果となった。2000メートルを問題なく走り切れるスタミナ。一瞬で相手を抜き去るスピード。そして最終盤で見せた一瞬の勝ち筋を掴み取る勝負勘。どれが欠けても勝つことのできなかったレースであった。
『弥生の1番ゼッケンは皐月への1番名乗りっ! 見事に4連勝を決めましたヴィクトリーピザ! 最後の最後までじっと我慢のレースでした!』
俺はイヤホンを外して1着でゴールしたヴィクトリーピザの様子を窺う。勝って当然と言わんばかりの表情の彼女は、いつかの選抜レースのときのように勝ち名乗りを上げたりしない。淡々とした様子で観客席に手を振っている。
「――――負けました」
え? と思いがけないエイシンフラッシュの言葉に耳を疑った。
「負けたんですよ。このレースに出ることができたとしても、今の私では勝つことはできなかったでしょう」
「……そうか」
きっと彼女は自分の走る姿をこのレースに投影していたんだろう。自分だったらこう走る、ここで仕掛ける。そんな感じでシミュレーションした結果、ヴィクトリーピザには及ばなかったのだ。
想像内での戦いとはいえ負けは負け。けれどエイシンフラッシュはどこか吹っ切れたような顔をしていた。
「ヴィクトリーさんらしい走りでしたね。まさか『差し』でレースを進めるなんて、私への当てつけでしょうか」
俺もそこが気になっていた。ヴィクトリーピザはここまで『先行』で走ることが多かった。しかしこのレースでは盤石の先行策はあえて捨て、終盤まで脚を溜めて最後に捲るという『差し』の走りを見せた。
エイシンフラッシュの言葉に俺も合点がいき、「そうだな」と頷いた。
「まるでキミを見ているかのような走りだった。『お前ならこのくらい走れるだろう?』ってね。フラッシュと同じように、ヴィクトリーピザもキミを仮想敵として走っていたのかもしれないな」
そして恐らくはエイシンフラッシュが実際に走っていたときは、また別の戦法で勝つ算段をつけていたのだろう。まったくもって恐ろしいウマ娘である。
やっぱり今日は見に来て正解だった。ライバルの強大さを肌で体験することができたのだから。そこに悲壮感はなく、不思議とやる気が満ち満ちていた。
くい、と袖を引っ張られる感覚があった。エイシンフラッシュが指先で俺の袖をつまんでいたのだ。彼女は1つ深呼吸をして口を開く。
「私だけで努力を積み重ねてもヴィクトリーさんには勝てないと今日改めて分かりました。なので……虫のいい話かもしれませんが、今一度私に力を貸してください。……駄目、でしょうか?」
「ああ、もちろんだとも。明日からまた一緒に頑張ろうな!」
即答した俺に対し、エイシンフラッシュは微かに笑って見せた。
「そんなにあっさりと承諾して……。私が言うのはおかしいんでしょうが、少し甘やかしすぎなんじゃないですか?」
「そう言われてもなぁ。キミが1人で自主トレをやったのだって、俺にもっと頼りがいがあれば防げたわけで。人のせいにするのは簡単だけど、だいたい自分の方にだって改善点はあるものだよ。それにいつも言ってるだろ? 俺はキミを全力でサポートするってさ」
「……そうでしたね。私もちょうどその言葉を思い返していたところです」
俺は傘を閉じて踵を返す。エイシンフラッシュも後ろをついてきている。
「さて、帰ろうか。この近くに美味しい焼き菓子のお店があるみたいだから、スマートファルコンにお礼の意味を込めてお土産を買っていきたいんだ」
「確かに。ファルコンさんには色々とお世話になりましたし、改まってお礼をした方が良いですね」
「それだったら彼女の好みを教えてくれないか? せっかくなら気に入るものを贈りたいしな」
「好みですか。ファルコンさんは甘味制限していることが多いので――――」
取り留めのない会話をしながら帰路に就く。
――――雨はもう、上がっていた。
弥生賞編終わり。
重賞ともなると実際のレース映像が探しやすくて助かりますね。実況は基本そのままのものを参考にして使っています。