モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
第1話 銀色に輝く
わたしは、自分の生まれた国のことを知らない。
赤ん坊の頃の記憶なんてあるはずがなく、その国の言葉も話せはしない。お父さんとお母さんの思い出話と――そして、テレビで見た、世界最高峰のレースでしか、わたしはその国のことを知らない。
砂漠の国の、砂とターフを駆ける世界のウマ娘たち。
それは世界のウマ娘が憧れる、世界一のレース。
わたしがその国について知っているのは、ただそれだけだ。
走り続けていれば、いつか――わたしも、その場所にたどり着けるだろうか?
* * *
「期待ッ! では君たちの活躍を楽しみにしているぞ、新人トレーナー諸君ッ!」
9月下旬、東京、府中。東京レース場に隣接する、日本ウマ娘トレーニングセンター学園。
壇上で扇子をはためかせて胸を張る、小柄な姿――秋川理事長の挨拶が終わり、体育館が拍手で満たされる。私も手を叩きながら、ついにこの日が来た――と改めてひとつ深呼吸した。
トレセン学園。トゥインクル・シリーズで活躍することを目指すウマ娘の養成機関であり、中高一貫の教育機関でもある。大学を卒業後、URAのトレーナー養成校に通うこと2年。資格試験を無事一発通過し、中央のトレセン学園への配属を勝ち取れたのは多分に幸運の産物だった。決して自分は養成校の同期の中でも優秀だったわけではない。正直なところ、試験の一発通過も中央配属も、今日この日が来るまでは夢かドッキリではないかと疑っていたところだった。
それだけにプレッシャーもないではないが――それよりも。
「皆さん、本日はお疲れ様でした。これにて式典は終了となります。皆さんには1ヶ月後の選抜レースを通して、専属のトレイニーとなるウマ娘と契約し、トゥインクル・シリーズへとウマ娘を導いていただくことになりますが、それまでは選抜レース出走を目指すウマ娘たちの合同トレーニングの補佐をしていただくことになります。ぜひ、自分がこの子を支えてあげたいと思えるウマ娘を見つけてあげてくださいね」
理事長秘書の駿川たづなさんが、にこやかな笑みとともに私たちを案内する。
ぞろぞろと体育館を出た私たち、同期配属となる新人トレーナーの目の前に広がったのは、学園の広々としたトレーニングコース。そして、そこを駆けるジャージ姿のウマ娘たちの姿だった。
誰もが必死に自分を追い込んで、コンマ一秒でも速く、速く、速くあろうとする。走ることが本能といわれるウマ娘たちの、そのひたむきな姿に――私は背筋に、ぞくぞくとしたものが走るのを感じていた。
――ああ、楽しみだ。
もちろん、何の実績もない新人トレーナーの私は、そもそも担当ウマ娘を見つけられるかどうかも定かではない。ウマ娘たちだって実績のあるトレーナーについてほしいだろう。それでも、夢の舞台に一番近いところに来たのだと思うと、握りしめた拳が震えてくる。
ウマ娘の走りに魅せられた者のひとりとして、私は彼女たちの夢を、後押ししてやりたい。彼女たちが、夢の舞台で輝けるように――。
私が、いや、私だけじゃなく今ここで、同じようにコースのウマ娘たちを眺める同期たちは、皆同じ気持ちだろう。
そうして、私を含めた何十人かの新人トレーナーたちがずらりと並んでコースを眺めていると、それに気付いたトレーニング中のウマ娘たちがこちらに視線を向けてきた。
彼女たちも、専属のトレーナーがつかなければデビューできない立場だ。新人とはいえ、トレーナーがこちらを見ているとなればやはり気になるのだろう。トレーニングに集中していたウマ娘たちも一度足を止め、少しこちらを気にしてから再び走り始める。アピールなのか、こちらに手を振っている子もいる。――と。
そんな中に、ひとり。こちらの視線に気付かない様子で、足も止めず、こちらに目も暮れずに走り続けているウマ娘の姿が見えた。
ボリュームのある芦毛と、よく日に焼けた褐色の肌。周りの雑音をシャットアウトして、黙々とストイックにトレーニングに励んでいるのか――いや。
遠目にちらりと見えたその子の横顔は、楽しそうな笑みを浮かべていた。
そう、走るのが楽しくて楽しくて仕方ない――そんな、子供のような純粋な笑み。
ぱっちりとした大きな瞳を輝かせて、脇目も振らずにトレーニングコースを楽しそうに走る、名前も知らないそのウマ娘の横顔が、なんだかやけに、印象に残った。
* * *
それから2週間ほどは、トレセン学園でのトレーナー見習いとしての慌ただしい新生活に手一杯で、なかなか個々のウマ娘に注目するどころではなかった。
ようやく仕事のリズムが掴めてきて、余裕が出てきた10月上旬の日曜日。私はトレセン学園に隣接する、東京レース場を訪れていた。
今日のメインレースはGⅡ、芝1800メートルの毎日王冠。3週間後の天皇賞(秋)や、11月のマイルチャンピオンシップといった秋のGⅠ戦線を目指すシニア級の有力なウマ娘が集まる、GⅡの中でも注目度の高いレースである。特に今年は、5月のヴィクトリアマイルの勝者・ネレイドランデブーと、6月の安田記念の勝者・トンボロが共に秋の始動戦にこのレースを選択、二強対決に大きな注目が集まっていた。
東京レース場は、いつの間にかGⅡとは思えない大観衆で埋まっている。いよいよパドックに、メインレースの出走ウマ娘が姿を現す――というところで、飲み物の買い出しから戻る途中の私の耳に、騒がしい女の子たちの嬌声が聞こえてきた。
「クマっち、エーちゃん! ほらほら、もうビー姉の出番来ちゃうじゃん! 早く早く!」
「そ、そんなに慌てたら危ないよ、コンプちゃん」
私の横を、小柄な栗毛のロングヘアーのウマ娘が駆け抜けていき、栗毛をベリーショートにしたウマ娘がそれを追いかける。トレセン学園の制服を着ていたので、ふたりとも学園の生徒なのだろう。知り合いが毎日王冠に出るのだろうか。
「ま、待って~、コンプちゃん、エチュードちゃ~ん……わわわっ!」
と、さらにもうひとり、私の背後からやってきたウマ娘が、私にぶつかりそうになってよろける。咄嗟に身体を捻ってその手を掴むと、そのウマ娘は大きな瞳をきょとんと見開いて私を見上げた。
褐色の肌をした、芦毛のロングヘアーのウマ娘だった。腰のあたりでロールした長い髪を揺らすその姿に見覚えがある気がして、私は目をしばたたかせる。
「あっ、ご、ごめんなさい!」
「ううん、そっちこそ大丈夫? この混雑の中でウマ娘が走り回ったら危ないよ」
「はい、ごめんなさい! コンプちゃん、待ってよ~」
ぺこりと私に頭を下げて、それからそのウマ娘はまた小走りに先程の少女たちを追いかけていく。どうやら友達同士で一緒に観戦に来ているようだが……。
――人混みの向こうで、友達に追いついたその子の横顔を見て、私は思い出した。
あの子だ。トレセン学園に配属されたあの日、新人トレーナーの群れに目もくれず、楽しそうに走っていた――あの子。
なんとなくその子のことが気になって、私はその三人組の後ろ姿が見えるあたりからパドックを眺めることにした。パドックには出走ウマ娘たちが順番に姿を現していく。一番人気はやはり、ヴィクトリアマイル覇者のネレイドランデブー。仕上がりの良さそうな姿に、ファンからも歓声があがる。
しかし、3人組の目当ては一番人気ではないらしい。
『9番、ビウエラリズム。7番人気です』
「あっ、ビー姉! がんばれー!」
そのウマ娘がパドックに姿を現した瞬間、3人組の一番小柄な子――コンプちゃん、と呼ばれていたウマ娘が両手をぶんぶん振って大きな声を上げる。距離的にその声が届いたわけではないだろうが、パドックのビウエラリズムが微笑んで手を振り返した。
どうやら彼女たちは、身内の応援に来ているらしい。しかし、こんな遠いところから見なくても、選手の身内であれば控え室や地下バ道にも入れるのだが……。
ビウエラリズム――手元のスマホで今日の出走表を見る。前走は先月の京成杯オータムハンデキャップを3着。戦歴を見ると、マイルで条件戦を2勝、OP特別を1勝しているが、重賞では2着が最高のようだ。あまり大負けもしておらず、安定して掲示板には入るものの、なかなか勝ちきれない――そういうタイプのウマ娘らしい。
「うー、よく見えない!」
小柄なウマ娘がぴょんぴょんと飛び跳ねている。他のふたりも観客に視界を塞がれて、どうにかパドックがよく見える場所を探そうと視線をさまよわせていた。
見かねて、私は3人に近付く。たぶん、地下バ道への行き方を知らないのだろう。
「あの……君たち、トレセン学園の生徒だよね?」
私がそう声を掛けると――三者三様の反応が返ってきた。
「ふえ?」芦毛のウマ娘が、きょとんとした顔で振り返り。
「ひゃぁっ!?」ベリーショートのウマ娘は、怯えたように芦毛のウマ娘の背後に隠れ。
「のわっ、不審者!」小柄なウマ娘が、身構えて険しい顔で私を睨み付ける。
思わず私はホールドアップ。こんなところで不審者扱いされてはたまらない。
「こ、コンプちゃん、い、いきなり不審者扱いは失礼じゃないかな……」
「知らない人から声を掛けられたら不審者だって思えってママがいつも言ってるもん!」
頬を膨らませる小柄なウマ娘。と、芦毛のウマ娘が私の顔を見て「あ」と声をあげた。
「さっきの……。コンプちゃん、このひと悪いひとじゃないよ?」
「えー?」
「わたしがぶつかりそうになったとき、転びそうになったの支えてくれたもん。さっきはありがとうございました!」
ぺこりと芦毛のウマ娘が改めて頭を下げる。毒気を抜かれたようで、小柄なウマ娘は唸りながら口を尖らせつつ、まだ私を不審そうな顔で見つめる。
やれやれ。私は襟につけている、学園のトレーナーの証であるバッジを3人に見せる。
「あ……そのバッジ、学園の……と、トレーナーさん……?」
「えー!? 不審者じゃなくて!? わわわっ、ごっ、ごめんなさい!」
ベリーショートのウマ娘が最初に理解してくれ、小柄なウマ娘が慌てた様子で頭を下げる。「いやまあ、配属されたての新米だけどね」と私は肩を竦めた。
「ふえ? トレーナーさんってことは、私たちスカウトされるの?」
きょとんと芦毛のウマ娘が首を捻る。
「ヒクマちゃん、それは選抜レースの後の話だよ……」
「いやいや、きっとこのあたしの実力を噂に聞いて選抜レース前から唾をつけにきたんでしょ! さすが目が高いトレーナーね!」
小柄なウマ娘がドヤ顔で胸を張るが、残念ながら彼女の名前も私は知らない。
「いや、そういうわけじゃ……」
「えー!?」
「ええと、3人とも、身内が出てるなら地下バ道で応援の声かけに行かない? 今から行けば間に合うと思うけど……そのあとはもっと近くでレースも見られるし」
私の言葉に、3人は顔を見合わせ、
「いいの!?」
目を輝かせて身を乗り出してくる。
私が頷くと、「やったー!」と満面の笑みでハイタッチし始める。ここまで喜ばれるとは、声を掛けた甲斐があるというものだ。
「じゃあ、案内してあげる。……でもその前に、名前、教えてくれないかな?」
そう問いかけると、3人はこちらを向き、
「あたしの名前はブリッジコンプ! 伝説を作るウマ娘になるから、スカウトするなら今のうちだからね!」
小柄なウマ娘が、またドヤ顔で胸を張り、
「……え、えと、リボンエチュード……です」
ベリーショートのウマ娘は、おどおどと顔を伏せたまま消え入りそうな声で名乗り、
「わたし、バイトアルヒクマ! よろしくね、トレーナーさん!」
褐色の肌をした、芦毛のウマ娘は――満面の笑顔で、そう名乗った。