モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第10話 リトル・インビジブル

 無視されるのにも、気付かれないのにも慣れている。

 誰も私に注目なんかしない。私はいつだって、群衆に埋没した名無しのウマ娘A。

 あの華やかな世界は、私なんかにはあまりにも遠くて。

 

 ――だけど、それでも。

 たとえ誰にも気付かれなくても。

 私はそこで、走りたいと願ってしまった。

 

 

       * * *

 

 

「模擬レース?」

「うん。他に誰もいないコースを走ってタイムを計るのと、実戦のレースとは全く別だからね。どれくらい力がついたか確かめるのに、模擬レースを組もうと思うんだけど、対戦相手の希望はある? できれば5人ぐらいでやりたいから、誰か勝負したい相手がいれば、私が交渉してくるよ」

 

 ある日のトレーニング後、私はバイトアルヒクマにそう提案した。

 タイムが順調に伸びているとは言っても、他のウマ娘と一緒に走る本番のレースとは全く別物だ。デビュー前のヒクマはまだ公式レースには出られないが、少しでも実戦形式で経験を積ませておきたい。それは他のデビューを目指すウマ娘も同じはずだから、よほど極端に実力差がない限り、模擬レースの提案は歓迎してもらえるはずだ。

 

「勝負したい相手かあ……うーん」

 

 ヒクマは顎に指を当てて首を傾げる。

 

「エチュードちゃんとコンプちゃんでもいいの?」

「うん、そのふたりは私も元から声を掛けようと思ってた。あとふたりぐらい」

「あとふたり……」

 

 ヒクマはちらりとグラウンドを見やる。そこでは、エレガンジェネラルとジャラジャラが何か言い合っている姿があった。ヒクマの同期デビュー予定組の中でも一番の注目を集めているこのふたり、寮ではルームメイトらしく、プライベートでも仲が良いらしい。

 

「挑んでみる?」

「う、ううん、それはもうちょっと後にとっておく!」

 

 ヒクマは慌てて首を振った。おや、ヒクマなら「うん! リベンジだー!」とか言い出すかと思ったのに。まあ、あのふたりに下手に挑んで自信を無くされても困るといえば困るのだけれど。

 ひょっとして既に、実力差を思い知ってしまってあのふたりに勝とうという意欲を失いかけているのでは……と私が危惧していると、

 

「だって、あのふたりに勝つならGⅠで勝ちたいもん! GⅠまで全力で鍛えて全力で勝つぞー! えいえいおー!」

 

 全くそんなことはないようだった。笑顔で右手を挙げるヒクマに、私はほっと息を吐く。この底抜けの前向きさは、ヒクマの最大の美点だと思う。

 

「結構結構。じゃあ、他に誰か挑んでみたい相手はいる? 先輩とか」

「うーんと……あ!」

 

 視線を巡らせたヒクマが、ふと何かに気付いたように目を見開いた。

 

「あの子! トレーナーさん、わたしあの子と走ってみたい!」

「え、どの子?」

 

 ヒクマがグラウンドのどこかを指さすが、誰を指しているのかわからない。

 

「わたし、声かけてみるね!」

 

 と、ヒクマはそちらへ走り出してしまう。ウマ娘の足に追いつけるはずもないが、私も慌ててその後を追いかけた。

 

「おーい、ねえ! ねえ、そこのあなた!」

 

 ヒクマが追いかけているのは、どうやらグラウンドの隅を黙々と走っている鹿毛のウマ娘のようだった。ヒクマの声が聞こえていないのか、その子は振り向く様子もない。

 

「ねえ、ねえってば! ねーえ!」

 

 ヒクマがしつこく呼びかけると、ようやくそのウマ娘は足を止め、訝しむようにこちらを振り返った。……ん? どこかで見たような……。しかし、なんだか印象の薄い顔立ちのウマ娘だ。鹿毛の髪を短いツーサイドアップにしていること以外は、目を離した瞬間にどんな顔だったか忘れてしまいそうな……いや、名前も知らないウマ娘に対してこれはいささか失礼な物言いである。反省。

 

「……もしかして、私……?」

「うん! あなた、選抜レースで一緒だった子だよね? わたしの前で3着だった!」

「…………そう、だけど」

 

 鹿毛のウマ娘は、困ったようにこくりと頷く。

 ――ああ、言われて思いだした。バイトアルヒクマは選抜レースでジャラジャラとエレガンジェネラルに5バ身離された4着だったが、その1バ身前を3着で駆け抜けた鹿毛のウマ娘がいた。名前は……なんだったか。ヒクマの陰から内を突いてすっと抜け出し3着に入った、小柄なウマ娘だったという印象しか残っていない。今ヒクマと並んでいるのを見るとそれほど極端に小柄でもないし、本当にこの子だったのか、確証が持てなかった。

 近くにこの子の担当トレーナーらしき姿はなかった。まだ担当がついていないのだろうか。ジャラジャラとエレガンジェネラルには及ばなかったとはいえ、ヒクマに先着したのだし、あのふたりが強すぎただけでタイム自体は充分にその場でスカウトされておかしくない数字が出ていたはずだが……。

 私がヒクマをその場でスカウトできたのは、あのふたりのパフォーマンスが規格外すぎて、ヒクマまですぐに注目が集まらなかったという幸運が大きい。3着の彼女は、逆にそれが不運になって見逃されてしまったのだろうか。

 

「ね、ね! わたしと模擬レースしよ!」

 

 ヒクマが身を乗り出してそう訴えると、鹿毛のウマ娘は目を見開いて後じさる。

 

「…………私、が? あなた、と?」

「うん!」

 

 ぱちぱちと瞬きした鹿毛のウマ娘は、それから首を横に振った。

 拒絶――いや、違う。困惑して視線を彷徨わせている仕草だった。

 

「なん、で?」

「え? なんでって、だって選抜レースのとき一緒に走ったでしょ? わたし、あなたに負けちゃったから、今度は勝ちたいもん! だから勝負!」

 

 ぐっと拳を握りしめるヒクマに、鹿毛のウマ娘は、何か信じられないものを見たような顔をして――すっと視線を逸らした。

 

「……人違い、だから」

「え?」

「……ごめんなさい」

 

 そう、呟くように言って、鹿毛のウマ娘は拒絶するようにくるりと踵を返す。

 ヒクマは、きょとんと目をしばたたかせて――。

 

「違うよ! 絶対あなただよ! ねえ――ミニキャクタスちゃん!」

 

 その名前を、呼んだ瞬間。

 びくりと、鹿毛のウマ娘――ミニキャクタスは、電流に打たれたように立ち止まった。

 そして、もう一度、おそるおそるという様子で、こちらを振り返る。

 

「……私の、名前……」

「うん! ちゃんと覚えてるよ! ミニキャクタスちゃん! ねえ、キャクタスちゃんって呼んでいいかな?」

 

 ヒクマはミニキャクタスに駆け寄り、その手を掴んでぐっと身を乗り出す。

 その大きな瞳に魅入られたように、ミニキャクタスは呆然と見つめ返して。

 

「………………う、ん」

 

 ただ、条件反射のように首を縦に振っていた。

 

 

       * * *

 

 

 翌日。模擬レースの会場になる芝コースには、噂を聞きつけたギャラリーがちらほら集まっていた。今回の参加者6名のうち、担当トレーナーが既に決まっているのはヒクマだけだが、先日の選抜レースに出ていなかった注目株がひとり参加を表明しているということもあって、トレーナーの姿も何人か見える。

 

「ううう……なんだか思ったより人多いんだけど……」

「いいじゃん、ここでクマっちに勝って、次の選抜レース前にあたしが最強ってこと見せつけてやるんだから!」

 

 相変わらずおどおどとしたリボンエチュードと、強気に拳を握るブリッジコンプ。もうすぐ次回の選抜レースがあるので、ふたりとも実戦経験を積んでおきたいのだろう。模擬レースへの参加を打診すると一も二もなく快諾してくれた。

 今回の模擬レース参加予定者は6名。ヒクマ、エチュード、ブリッジコンプ。それからヒクマが勧誘した、あのミニキャクタスという鹿毛のウマ娘。そして、残りふたりは――。

 

「ふははー! 残念だったなブリッコ、最強のボクが来たからにはお前に勝ちはなーい!」

「げっ、滑太郎! ちょっとトレーナー、あとふたりってこいつなの?」

「うん、昨日この子から直接打診があって」

「おいこら滑太郎言うな! ボクはデュオスヴェルだ!」

「そっちこそブリッコ言うな! あんたなんか500バ身離してぶっちぎってやる!」

「コンプちゃん、500バ身は無理だよ……」

 

 ドヤ顔で胸を張って現れ、さっそくブリッジコンプと口喧嘩を始めるのはデュオスヴェル。先日の選抜レースのときもブリッジコンプに突っかかり、レースで一緒に派手な逸走をしていた、鹿毛を三つ編みにしたウマ娘だ。ブリッジコンプとは、本人たちは犬猿の仲と言い張っているが、傍から見ているとトムとジェリー的な喧嘩友達にしか見えない。

 

「はいはいスヴェルちゃん、喧嘩はダメですよ?」

「ぐげっ! オータム、三つ編み引っぱるのやめろってばー!」

「だってこうしないとスヴェルちゃんが止まらないんですもの。あ、バイトアルヒクマちゃんのトレーナーさん。スヴェルちゃんのわがまま聞いてくださってありがとうございます。私ともども、今日はよろしくお願いしますね」

 

 私に向き直って丁寧にお辞儀したボブカットのウマ娘は、オータムマウンテン。デュオスヴェルのルームメイトだそうだ。

 昨日、私がエチュードとコンプに模擬レース参加を打診したのを横から聞きつけ、「ブリッコが模擬レース出るならボクも出る!」とデュオスヴェルが直談判してきたのである。で、それを止めに来たオータムマウンテンともども、私の方からせっかくだからと参加をお願いしたのだった。

 先述の注目株というのが、このオータムマウンテンである。なぜか前回は選抜レース参加を見送ったが、合同トレーニングでは好タイムを連発しており、その悠然とした走りっぷりから、次回の選抜レースでは目玉のひとりと見なされている。

 

「こちらこそよろしく。君の噂は聞いてるから、こちらとしても楽しみにしてるよ」

「あらあら、それは恐縮です。ではお近づきのしるしに、どうぞ」

 

 と、オータムマウンテンはジャージのポケットから何かを取り出す。受け取ってみると、小さな木彫りの像だった。……なんだこれ? 猫……だろうか?

 

「……これは?」

「はい、タヌキです」

「タヌキ……? あ、ありがとう?」

「どういたしまして~。私の木工アートが噂になってるなんて照れてしまいますね」

 

 ――はあ。私はよくわからないまま、その猫だかタヌキだかわからない木彫りの像をポケットに仕舞った。……まあ、トレーナー室の机にでも飾っておこう。

 さて、これで5人。あとひとり――昨日、ヒクマが勧誘したあの子は、ちゃんと来てくれるだろうか。昨日の様子だとあまり乗り気ではなさそうだったが……。

 私がストレッチするヒクマの方に視線を向けると、ヒクマは何かに気付いたように顔を上げ、両手を大きく振った。

 

「あっ、おーい! キャクタスちゃーん!」

 

 ヒクマが声を掛けた方を振り返ると――いた。昨日のあの鹿毛のウマ娘が、驚いたように目を見開いてヒクマの方を見ている。そして、それから俯きがちに、足早にこちらへと駆け寄ってきた。

 

「来てくれてありがと! 今日はよろしくね、キャクタスちゃん!」

「…………うん」

 

 ヒクマの笑顔から視線を逸らすように俯いたまま、小さく会釈だけをしたミニキャクタスは、それから私の方へ歩み寄ると、ほとんど聞き取れないような小声で言った。

 

「……よろしく、お願いします」

「あ、ああ。こちらこそよろしく」

 

 私が頷くと、彼女はすっと離れてひとり、コースの隅でストレッチを始める。意識して視線で追わないと、すぐに見失ってしまいそうだった。……なんというか、ものすごく影の薄い子である。口数も少ないし、オータムマウンテンとは別の意味で何を考えているのかよくわからない。

 ともあれ、これで6人が揃った。全員が準備体操を終えたのを見計らい、私はその場のウマ娘たち6人に声を掛ける。

 

「今日は集まってくれてありがとう。コースは芝1600、天候晴れ、バ場は良。枠順はクジで決めるから順番に引いてね」

 

 用意したクジを引いてもらう。結果――。

 1番、ミニキャクタス。

 2番、ブリッジコンプ。

 3番、デュオスヴェル。

 4番、バイトアルヒクマ。

 5番、オータムマウンテン。

 6番、リボンエチュード。

 決定した枠順通りに、6人がスタートラインに並ぶ。ゴール判定は、近くにいたギャラリーのウマ娘に頼んでやってもらうことにした。

 

「それじゃあ――体勢完了。よーい――スタート!」

 

 私が右手を振り上げると同時、6人のウマ娘が一斉にターフへと駆け出した――。

 

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