モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第101話 葵ステークスへ向けて・証明

 ――オークス後、某掲示板のログ。

 

《結局トレーナー本人が認めてる通りだろ。敗因はトレーナーの逃げ指示だ。あれだけ前半掛かってあそこまで粘ったんだから、最初から折り合って番手に控えてたら差し切れたんじゃないのか?》

 

《隣の枠引いたんだからジャラジャラを逃げさせないって作戦自体は妥当じゃね? 結局ジャラジャラが逃げ切ったんだから間違ってない》

 

《それこそ結果論だっつーの。いくらジャラジャラでも府中2400をレコードで逃げ切れるなんて事前に予想できるか。せっかく内枠引いたんだからエレガンジェネラルほど下げる必要はないにしてもマークして番手のレースの方が妥当》

 

《桜花賞はそれで結局差し切れなかったんだから作戦変えるのもわかるけどなあ》

 

《あれは極悪バ場で荒れ放題の最内に押し込められたせいだろ》

 

《でも番手に控えても結局ジャラジャラを差し切れた気はしないんだよな》

 

《だとしても控えていれば少なくともエンコーダーにかわされることはなかっただろ。エレガンジェネラルには勝ってたんじゃね?》

 

《あっさり抜け出せば強いんだけど競り合いに弱いんだよなあ。根性がないのか》

 

《新人トレーナーが甘やかしてんじゃないの?》

 

《素質は間違いなくジャラジェネ級なんだけどなあ、バイトアルヒクマ》

 

《結局いつも通りの先行策で走らせてやればよかったんだよ。それで結果出してきたんだから。奇をてらってジャラジャラ潰しの逃げなんか仕掛けるからああなる。つまり担当ウマ娘の能力をトレーナーが信じ切れてないってことだろ? 担当変えるべきじゃね?》

 

《んなことここで言ったって仕方ねーだろ》

 

《まあレース直後に敗因は自分だって言い切ったことは評価する》

 

《それでウイニングライブ逃すのは担当なんだけどな》

 

《これでGⅠ3戦連続4着だぜ。もう狙ってやってるとしか思えん》

 

《トレーナーが悪いよトレーナーが! ヒクマちゃんのGⅠライブ見せろよ!》

 

 

       * * *

 

 

 5月25日、土曜日。京都レース場、第11レース。

 葵ステークス(GⅢ)。芝1200メートル。

 

 

 控え室に入ると、コンプが険しい表情でスマホを睨んでいた。

 

「コンプ? どうしたの」

「ふえっ!? とっ、トレーナー、いたの?」

「ノックしたんだけど……。何かあった?」

「なっ、なんでもない!」

 

 私がスマホに視線を向けると、コンプは慌てたようにスマホの電源を落として伏せた。そして、わざとらしく気合いを入れ直すように頬をぱんぱんと叩く。

 そして、今までになく気合いの入った顔で私を見上げた。

 

「トレーナー。――あたし、今日は絶対勝つから。しっかり目に焼き付けときなさいよ、このブリッジコンプちゃんの最強伝説の始まりは、ここからなんだから」

 

 どん、と拳で私の胸元を叩いて、コンプは言う。

 その声色は――何か、今までとは違う。

 今までのコンプは、なんというか、良くも悪くも対戦相手のことを気にしていた。ユイイツムニ。チョコチョコ。目標とするライバルがいるのはいいことだが、それでムキになりすぎるのが玉に瑕なところである。

 それなのに――今日は。いや、もう何日も前から、コンプは一度も、今日の対戦相手であるユイイツムニのことを口にしていない。『あの三つ編み眼鏡』というコンプの言葉を、最後に聞いたのはいつだったか……。

 ユイイツムニ。フィリーズレビューを勝ちながら、桜花賞もNHKマイルカップも蹴ってこの葵ステークスに出てきた、コンプにとっては二度敗れている宿敵。意識していないはずがない。本来、打倒ユイイツムニこそがこのレースの目標だったのだから。そのための特訓だって積んできたのだ。

 それなのに。目標は言葉にして自分を奮い立たせるタイプのはずのコンプが、ユイイツムニのことを口にしないのは――いったい、どういうことなのだろう。

 

「ちょっと、なによトレーナー。レース前に情けない顔しないでよ」

 

 私を見上げて、コンプは頬を膨らませる。

 

「それともなに? このブリッジコンプちゃんの言うことが信じられない?」

 

 私は咄嗟に首を横に振る。「よろしい」とコンプは腰に手を当て、踵を返した。

 そして、私に背中を向けたまま、控え室を出て行く間際に、コンプは言った。

 

「見てなさいよ、トレーナー。――あたしが、証明してきてあげるから」

 

 

       * * *

 

 

「ひゃー、すごいよムニっち。投票支持率66%だってさ」

 

 チョコチョコがスマホを弄りながら言う。ユイイツムニは特に答えず、体操服のブルマの裾を直しながら、控え室の姿見に自分の姿を映し出した。

 GⅢの緑色のゼッケン。勝負服を着る舞台をふたつとも蹴って、わざわざこの格好で走りにきた理由が何なのか、実はムニ自身にもよくわかっていなかった。

 フィリーズレビューで、今の自分にマイルは長いということはわかった。だから秋のスプリンターズSまではスプリントに絞る。その意思表示としての出走。

 あるいは、デビュー戦と京王杯ジュニアで自分に食らいついてきたあの子。3月のファルコンSで、チョコチョコの挑戦状を袖にしたあの子との、三度目の対戦のため。

 どちらでもあり、しかしこの両方だけで全てではないという気もする。ただ、どうしてそう思うのかもよくわからない。自分自身の内心がホワイダニットミステリになってしまっている。ムニはひとつ溜息をついた。

 

「ん? どったのムニっち。レース前に溜息なんてらしくないじゃん」

「……別に」

「まさかムニっちが、『重賞タダ貰いに来た』とかとか言われてんの気にしてるわけでもないっしょ?」

 

 ――言われてることがそれだけではないということも、ムニは知っている。

 ジャラジャラとエレガンジェネラルから尻尾を巻いて逃げた。桜花賞を回避したときに、そんな風に言われていたことは、ムニの耳にも否応なく入っていた。チョコは自分のことを世間のことなんて何も気にせずに本の世界だけに耽溺してるみたいに言うけれど、そこまで社会性を失っているつもりはないのだ。

 ムニ自身は、言いたい奴には言わせておけばいいじゃん、というチョコの見解に同意するし、壁が高いなら越えられる自信がつくまで研鑽を積むのは当たり前だと思う。今はまだそのときでない。そう決めたのは自分だし、それを野次馬的な外野に好き勝手言われる筋合いはない。

 ましてそんな雑音が、ここに来た理由でも、今のこの奇妙な気分の原因でもあろうはずがない。

 

「……チョコ」

「んぁ? ふぁ……なに?」

 

 いつものように眠そうに欠伸を噛み殺したチョコを振り向いて、ムニは。

 

「――――」

 

 何かを言おうとして、しかし自分が何を言いたかったのかわからなくなり、口をつぐんだ。そして、チョコの横を通り過ぎて呟く。

 

「勝ってくる」

「はいはい、待ってますともさー」

 

 後頭部で腕を組んで笑うチョコに、ムニは小さく笑い返した。

 

 

       * * *

 

 

 同日、東京レース場。

 

「やややっ、レイさん! こちらにいらっしゃいましたか!」

「委員長? 来てたんだ」

「もちろんですとも! レイさん、連勝おめでとうございます! バイタル祝福です!」

「やー、どもどもねー。勝てて良かったよー」

 

 今日の6R、芝1400メートルの1勝クラスのレースを終えたソーラーレイは、ウイニングライブまでの待ち時間をその後のレースを見ながら過ごしていた。今はジャージ姿でレース場内のテレビに映る、京都レース場で行われるGⅢ、葵ステークスのパドックを眺めている。そこへ、制服姿のバイタルダイナモが駆け寄ってきた。

 画面の中で、ユイイツムニがパドックに姿を現した。いつも通り、何を考えているのかよくわからない無表情で観客へ軽く手を振っている。

 ――なんであたしは、あそこにいないんだろ。

 問うてみても、答えはわかりきっている。出走に必要なファンPtが足りなかったからだ。レイはまだ未勝利戦を勝っただけ。今年の葵ステークスは、1勝クラスを勝つか重賞2着の経験があるウマ娘でフルゲートが埋まってしまった。レイは登録はしたものの、あえなくPt不足で除外となって、同日の東京の1勝クラスに回ったのである。

 1戦早く未勝利を脱して、1戦早く1勝クラスを勝っていればあそこに出られた。今さら悔いても詮ないことではあるが――やはり、悔しい。

 明日のダービーが終われば、もうクラシック級限定の短距離戦はない。最低でもシニア級相手に2勝クラスを勝たないと、夏の短距離重賞にも出られない。ユイイツムニやチョコチョコの背中は、まだまだ遠い。隣の委員長すらも。

 

「委員長、次は新潟だっけ?」

「はい、アイビスサマーダッシュです! バイタル一直線です!」

 

 既にファルコンSを勝って重賞ウマ娘になっているダイナモは、ドヤ顔で胸を張る。まったく、なんで、あたしの周りはこんな、マイペースなツワモノばっかなんかなあ――。

 

『13番、ブリッジコンプ。2番人気です』

 

 ――あ、あいつだ。ユイとチョコに張り合ってる尾花栗毛のウマ娘。

 気合いの入った顔でパドックに現れたその姿を眺めながら、レイは拳を握りしめた。

 ――ああ、あたしも早く、あんな風にユイチョコと戦いたい。

 待ってろユイチョコ。必ずどっかで吠え面かかせてやるっしょ!

 声には出さず、レイは画面を睨み付ける。

 

 

       * * *

 

 

「まあ、ユイイツムニで決まりだろ。しっかし、1400の重賞2勝してるウマ娘が桜花賞もNHKマイルも回避して、わざわざ葵Sに出るか? 普通」

「出ちゃいけないってこともないだろ。阪神JF見れば桜花賞出てもジャラジャラとエレガンジェネラルには勝てないのは目に見えてるし、NHKマイルには同じトレーナーのチョコチョコが出てたしな。クラシック級の春にスプリントGⅠがないのが悪い」

「それにしたってなあ。今日の面子で対抗できそうなのはブリッジコンプぐらいか」

「ブリッジコンプも運が悪いというか……ユイイツムニさえ出てこなきゃ勝てたろうに」

「バイトアルヒクマと同じ担当トレーナーだっけ? 新人だよな」

「チョコチョコの出てくるファルコンS回避して、勝てそうなこっちに回したんだろうけどなあ。オークスといい、あのトレーナー、やることがことごとく裏目ってるよな」

「だいたい新人がいきなりティアラの世代トップクラスと短距離の重賞級のウマ娘を同時に担当してるってどうなってんだろうな。よっぽど見る目があるんだか、それともなんかのコネか?」

「コネじゃねーの? ハッピーミークの桐生院みたいなさ」

「コネトレーナーの犠牲にしていい素材じゃないんだよなあ……」

 

 ――観客がそんな会話をしているのが、否応なく耳につく。その声を振り払うように脚を速めて、私はトレセン学園関係者席に向かった。最前列でヒクマとエチュードが手を振っているのに歩み寄る。

 

「トレーナーさん! ……どしたの?」

 

 知らず知らずのうちに顔が強ばっていたかもしれない。心配そうに小首を傾げたヒクマに「なんでもないよ」と笑いかける。エチュードは何か言いたげに私を見つめていたが、やがてゆっくりと首を振ってターフに視線を戻した。

 私もターフに視線を向ける。既に向こう正面のゲートにウマ娘たちが入っていくところだ。双眼鏡を目に当てると、気合いの入った顔でコンプがゲートに向かうのが見える。

 ――先程聞こえてきた観客の会話が、耳の中にこだました。

 私は別に、何を言われてもいい。担当が勝てないのはトレーナーの責任だ。その批判は甘んじて受け入れるし、そうやってウマ娘の盾になるのがトレーナーの役目だということも理解している。

 だけど、――だけど。

 先週のオークス。私は、ヒクマの力を信じ切れずに小細工を弄して、ヒクマの一生に一度の舞台を潰してしまったのだろうか。

 ヒクマ。コンプ。エチュード。3人とも、本来新人の私なんかが任されていいウマ娘ではないことぐらいわかっている。もっと経験のあるベテラントレーナーの元で優れた指導を受けるべき逸材だと言われれば、その通りだと返すしかない。

 この1週間、弱気になってはいけない、と自分に言い聞かせている。

 けれど、どうしても頭をよぎるのだ。

 私がトレーナーであることが、3人の脚を引っぱっているのではないか――。

 そんなことは考えるな。3人とも私を信じてついてきてくれているのに、私が自分を信じられなくてどうする。それは3人の信頼を裏切る行為だ。そう自分に言い聞かせて続けないと、立っていられないような不安が、背中にのしかかる。

 

「……コンプ」

 

 祈るような気持ちで、私は双眼鏡を握りしめることしかできない。

 

 

『体勢完了。――葵ステークス、スタートしました!』

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