モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第102話 葵ステークス・信じているから

『4番ユイイツムニ今日も好スタート、13番ブリッジコンプもやはりいいスタート、さあどっちがハナを切るか注目の先行争いですが――』

 

 ゲートが開き、ウマ娘たちがどっと飛び出す。やはり抜群のスタートで前へ出て行くのは三つ編みを揺らした芦毛、ユイイツムニ。そして外からコンプも好スタートを切ると、内にウマ娘がいないのを見てすっと切れ込んでいく。

 京都の芝1200は3コーナーまでの距離が短いうえに、コーナーの下り坂で勢いがついて外に振られがちになる。コンプは絶好のスタートで外枠の不利をまずは薄れさせた。ここまでは予定通り。問題はここからだ。内枠にユイイツムニに対する位置取り――。

 

『さあハナに立ったのはユイイツムニです、ブリッジコンプは2番手、その半バ身後ろにつけました』

 

 双眼鏡の中、ユイイツムニがちらりと外を振り返る。コンプは首を下げ、その視線を避けるようにして折り合っていた。

 ――コンプ。

 私はぎゅっと双眼鏡を握りしめる。祈るように。願うように。

 

 

 

 ――オークスの前。

 ヒクマとコンプで、ジャラジャラ対策のスタート練習を繰り返したのは、オークスでジャラジャラを逃げさせないため、だけではなかった。

 

「コンプのスタートの上手さは天下一品だからね。コンプのスタートダッシュに慣れれば、ジャラジャラのロケットスタートにも必ず対応できる」

「ふっふーん。逃げウマ娘はスタートが命だかんね」

 

 ドヤ顔で胸を張るコンプに、『おー』とヒクマが笑う。

 

「あたしだってあの三つ編み眼鏡にハナ譲るつもりはないもん。スタートの練習ならいくらでも付き合ってあげる」

「うん、練習ではもちろんその意気であってほしいけれど――」

 

 私の言葉に、「ん?」とコンプは眉を寄せる。私はコンプに向き直った。

 

「これは、ヒクマだけじゃない。コンプにとっての特訓にもしたいんだ」

「あたしの?」

「そう。――番手で折り合いをつける特訓だ。ユイイツムニに勝つために」

 

 コンプが目を見開いた。

 

 

 

「ブリッジコンプ、番手で折り合ってるじゃないか」

「もっと前に行きたがるタイプじゃなかったか?」

 

 近くからそんな声がする。私は息を止めて、双眼鏡の中のコンプの横顔に見入った。

 落ち着いている。折り合っている。無理にハナを切らず、ユイイツムニの外に貼り付くようにして、2番手での追走。――特訓の成果が、ちゃんと出ている。

 コンプとユイイツムニ。同じ短距離の逃げウマ娘同士、スタートは互角、スピードも絶対的な差はない。ここまで勝敗を分けているのは、折り合い面だと私は見ていた。先頭に立てなかったり、後ろから突かれると掛かってしまうコンプに対して、ユイイツムニは逃げてマークされても落ち着いているし、番手でも折り合える。その差は大きい。

 ならば、コンプも番手で折り合えるようになれば。逃げるユイイツムニを徹底マークして、直線に脚を残して差し切る、そんなレースができるようになれば。もちろん余裕をもって逃げられるならそれがベストだが、同じ逃げウマ娘のユイイツムニとこれからもやり合うのであれば、作戦の選択肢は多い方がいい。

 そう考えて、ヒクマのハナを奪うためのスタート特訓を、同時にコンプにとってはヒクマの後ろで折り合いをつけるトレーニングにしたかったのだ。ユイイツムニとは同じ芦毛だし、一緒に走り慣れたヒクマの後ろで折り合いをつける感覚を身につければ、それはユイイツムニとの戦いにも活きるはずだ。

 

 ――あのときは、そう信じていた。

 

 だけど、今は――あのときのような、自信が持てない。

 やっぱり、コンプはハナを切らせて、好きに逃げさせるべきだったのではないか? 私は、オークスのヒクマに続いて、コンプまで、得意の脚質を変えさせて、その持ち味を殺すだけのトレーニングをさせてしまったのではないか?

 唇を噛む私は――不意に、上着の肘を引っぱられた。

 双眼鏡から目を外して振り向くと、エチュードが無言で私を見上げている。何かを訴えるように。……そして、目を伏せて首を振る。

 その瞳に映っていた自分の顔に、私は――咄嗟に、自分の頬を叩いた。

 なんて顔をしているんだ。こんな顔で、ゴールに向かって走ってくるコンプを迎える気だったのか。担当のレースでこんな顔をしているトレーナーに、どうしてウマ娘がついてきてくれると思っているんだ。

 信じろ。たとえ自分のことが信じられなくても、担当のことだけは信じろ!

 

「コンプ! がんばれええええっ!」

 

 双眼鏡を振り回して、私は叫んだ。観客席から私にできることは、結局、どこまでいってもそれだけだから。

 

「コンプちゃーん、いっけー!」

「コンプちゃん……!」

 

 ヒクマが両手を振り上げ、エチュードが祈るように手を組む。

 コンプとユイイツムニがぴったり身体を併せて、淀の下り坂を駆け下りていく――。

 

『さあ4コーナーで先頭ユイイツムニ、外からブリッジコンプが並びかけて直線に入る葵ステークス、3番手以降はまだ2バ身後ろ!』

 

 勢いがついて外に振られやすい下り坂の4コーナーを、内ラチ沿いぴったりに回っていくユイイツムニ。その外で、その綺麗なコーナリングを目印にするように、コンプもロスなく回っていく。直線入口でほぼ横並び。

 

『ユイイツムニ先頭、ブリッジコンプ食らいつく、やはりこのふたりの一騎打ちだ!』

 

 京都の直線。大歓声の中、逃げたふたりの必死の追い比べが続く。

 芦毛の三つ編みをなびかせて、尾花栗毛を煌めかせて。

 ふたりの姿が、目の前を駆け抜けていく。

 

 雄叫びをあげるように、前だけを見たコンプと。

 それをちらりと見て、眼鏡の奥の顔を歪めて、歯を食いしばったユイイツムニと。

 京都の直線329メートル、追い比べは最後、ゴール板まで続いた。

 その、最後の一完歩で。

 ハナ差だけ前に出たのは――。

 

 京都の蒼天に、歓声だけがこだましていく。

 

 

       * * *

 

 

 レースの歓声も遠い地下バ道。

 顔を伏せてゆっくりと歩いていたユイイツムニは、控え室の前にチョコチョコが腕を組んでもたれているのに気付いて、顔を上げた。

 脚を止めたムニに、チョコは小さく笑って片手を挙げる。

 

「重賞3勝目、おめっとさん」

「…………」

 

 ムニはただこくりと頷き、それから眼鏡を外して目元に垂れてきた汗を拭い、大きく息を吐いた。そんなムニに、チョコは軽く眉根を寄せて問う。

 

「――で? GⅠを蹴ってまであの栗毛のチビに引導を渡したご感想は?」

 

 その問いに、ムニは――自分の両手を見下ろして、拳をぎゅっと握りしめた。

 拳が、まだ震えている。それは勝利の高揚とはほど遠い。――冷たい汗のせいだ。

 

「……直線で、一瞬前に出られたときは、そのまま差されて負けると思った」

「――――」

「枠が逆だったら、差されてた。……京王杯のときとは違う。本当の、髪一重」

 

 震える両拳を顔の前に掲げて、ムニは一度、ぶるりと全身を震わせる。

 冷たい汗が、遅れて熱くたぎってくるのを、噛みしめるように。

 ――これだ。これが真相だ。自分自身の内心の謎に答えを出して、ムニは頷いた。

 マイルから逃げたのでもない。チョコの仇討ちでもない。もちろん、ただ重賞勝利を拾いに来たのでもない。

 1200。今の自分には、スプリントで戦うべき相手がいる。

 ブリッジコンプ。あの尾花栗毛のウマ娘は、紛れもないその相手だと。

 デビュー戦から3度目。戦うたびに距離を詰めてくるあの子から、逃げ切る。

 彼女は――桜花賞を蹴るだけの価値のある、ライバルだ。

 

「チョコ。……あの子は強い。チョコも油断してたら、逃げ切られる」

「――――」

「スプリンターズステークス。――チョコもあの子も、私が倒すから」

 

 チョコチョコの脇を通り過ぎて、ムニは控え室の扉を開けて、中に入る。

 

 

 ――だから、ムニは知らなかった。

 廊下に残されたチョコが、唇を血が滲むほど噛みしめて、ドアを殴りつけようとする拳を、寸前で止めていたことなど。

 

 

       * * *

 

 

 15センチ。――それが、300メートル続いた追い比べの末の差だった。

 ほんのハナ差。けれど、それはあまりに決定的な15センチ。

 勝者と敗者を分かつ、絶対的な壁がそこにあった。

 

「……コンプ」

 

 控え室。無言で戻って来たコンプと、私だけがそこにいる。ヒクマとエチュードには廊下で待ってもらっていた。まず、ふたりでこの結果と向き合わないといけなかったから。

 スプリントで後続を4バ身突き放してのハナ差2着。それだけを見れば、何も恥じることはない内容だ。コンプの実力は、世代短距離のトップクラス。今日のレースで、それを疑う者はもういないだろう。

 だけど、3度目なのだ。メイクデビュー。京王杯ジュニア。そして今日。

 3度とも、負けた。ユイイツムニに。いずれも僅差。けれど、だからこそ、その僅差はどこまでも絶対的な壁だった。メイクデビューだって、京王杯だって、今日だって、コンプは今できる最高の走りをした。それでも勝てないなら――。

 

「…………ごめん、トレーナー」

 

 ぽつりと。……コンプの口から最初に漏れたのは、謝罪の言葉だった。

 私は、咄嗟にコンプの肩を掴む。

 

「謝らなくていい! コンプのせいじゃない、私の――」

 

 言いかけた言葉は、けれど次の瞬間。

 

「違う!」

 

 コンプの大声に遮られ――そして。

 その目にいっぱいに涙を溜め込んで、それでも必死にそれがこぼれるのを堪えるように顔を歪めて、コンプは私を見上げた。

 

「トレーナーのせいじゃない! トレーナーはなんにも悪くない、トレーナーは絶対、絶対間違ってなんかない! 誰がなんて言ったって――っ」

「……コンプ?」

「あたしがっ、あたしが今日っ、それをっ、証明しなきゃいけなかったのに……っ! あいつに勝って、トレーナーは、あたしの、あたしたちのトレーナーはっ、絶対間違ってなんかないって、あたしたちはトレーナーのおかげで強くなってるって、証明っ、するはず、だったのに……っ、あたしっ、あたし……っ」

 

 私の上着を掴んで、その胸元に顔を擦りつけて、コンプは震える。

 その小さな背中を、私は――抱きしめてあげることも忘れて、ただ、息を止めていた。

 

 ――私は。

 この一週間、私はいったい、何を見ていたのだろう。

 外野の雑音に惑わされて、自分自身を疑って、それで何を見ていた?

 目の前に――自分を信じてくれている担当がいることを、どうして信じられなかった?

 私は――。

 

「わっ、わぁぁぁっ!」

 

 突然、背後からドアが開く音と、ばたばたという物音。驚いて私は振り返り、コンプも私の胸から顔を上げる。――控え室のドアが開いて、そこにヒクマとエチュードが倒れこんでいた。顔を上げたヒクマが、気まずそうに頬を掻いて笑う。

 

「あ、えと、ごっ、ごめんなさいトレーナーさん……」

「……あぅ」身を縮こまらせるエチュード。

「ちょ、ちょっとクマっち、エーちゃん、なにやってんの――」

 

 鼻を啜って、目元を拭って、コンプは眉を寄せる。

 

「だってコンプちゃん、今日勝ってトレーナーさんを3人で励まそうって言ってたのに、こうなっちゃったから、どうしようって思って――」

「なっ――――」

 

 ヒクマの言葉に、コンプの顔がみるみる赤くなる。

 

「言うなバカー! あたしに恥の上塗りさせんじゃないってのー!」

「あうっ、いたいいたい、ごめんねコンプちゃん、うう~」

 

 ぽかぽかとヒクマを叩くコンプ。私が呆気にとられてそれを見つめていると、エチュードがゆっくりと歩み寄ってきて、私の袖を引いた。

 

「……トレーナーさん」

 

 真剣な顔で私を見上げるエチュード。その様子にコンプとヒクマもじゃれ合うのを止めて、私に向き直る。3人とも、真っ直ぐに私を見つめて。

 

「ええっと……ホントは今日、これ勝って言うつもりだったから、締まらなくなっちゃったけど! 説得力なんてないかもしんないけど――あんたはこのブリッジコンプちゃんの担当でしょ!? 自信持ちなさいよ! 言っておくけど、あたしたちは3人とも、トレーナーに担当になってもらったこと、ひとっかけらだって後悔なんてしてないんだからね!」

「――――――」

「……コンプちゃんとヒクマちゃんと、3人で話してたんです。オークスのあと、トレーナーさん、すごく落ちこんでたから……。だから、今日のレースのあと、トレーナーさんに3人でちゃんと言おう……って。……ね、ヒクマちゃん」

 

 エチュードが言い、ヒクマが頷く。

 

「うんっ! トレーナーさん、わたしたち3人とも、トレーナーさんのおかげで強くなってる! なかなかトレーナーさんのこと、大事なところで喜ばせてあげられないけど……でも、わたし、絶対絶対、トレーナーさんと一緒に勝ちたい! だから――」

 

 そこで、3人は目配せして――いっせいに、私へ頭を下げた。

 

「――これからも、よろしくお願いしますっ!」

 

 

 ああ――やっぱり私は、未熟なトレーナーだ。

 まだ幼いウマ娘を導くトレーナーたるもの、無闇に感情的になってはいけない。ウマ娘を受け止め、信頼される大人であれ。養成校でそう、散々叩き込まれてきたのに。

 感情が溢れて、止まらない。

 

 

 気が付いたときには、私は3人をまとめて抱きすくめていた。

 

「ちょっ、と、トレーナー?」

「とっ、とととっ、トレーナー、さ」

「わっ、トレーナーさん、どしたの? だいじょうぶ?」

 

 顔を赤くして慌てるコンプ。固まってしまうエチュード。そして、心配そうに私を覗きこむヒクマ。三者三様の反応に、私はただ、嗚咽を堪えて。

 

「……ありがとう、ありがとう……っ。がんばる、私もっ、がんばるから……っ、一緒に、一緒に勝とう……! 私も、君たちと、君たちと勝ちたい……っ!」

 

 溢れ出るものが止められなかった。エチュードとコンプの手に背中をさすられて、ヒクマに笑顔で頬を拭われたら、もうどうにもならなかった。

 ――勝ちたい。この子たちと勝ちたい。

 たとえ誰になんと言われようと。

 私は、この子たちに信頼されるに足る、トレーナーでありたい。

 

 ただ、そう願った。

 

 

       * * *

 

 

「だいじょうぶ? トレーナーさん、落ち着いた?」

「ったくもー、トレーナーの方がシャワー浴びた方がいいんじゃないの」

 

 ようやく感情の波が落ち着いて、控え室備え付けのおしぼりで顔を拭いて、私は息を吐いた。呆れ顔のコンプ、心配そうなエチュードとヒクマを、改めて見回す。

 そして、もう一度私は自分の頬を叩いて気合いを入れ直す。

 ――迷うのはここまでだ。3人が信じてくれた自分を、信じろ。

 

「コンプ!」

「えっ? な、なに急に」

「次だ。6月30日、中京のCBC賞! サマースプリントシリーズ、行こう!」

 

 私の言葉に、コンプは目を見開き――強気な笑みを浮かべて、拳を打ち鳴らした。

 

「待ってました! 見てなさいよ、次こそ絶対に勝ってやるんだから!」

 

 闘志を取り戻した顔で私を見上げるコンプに、私は頷く。

 

「エチュード!」

「はっ、はい!」

「爪の治りは順調だ。――君はこれから、どうしたい?」

 

 その問いに、エチュードはぎゅっと胸の前で拳を握りしめて、顔を上げた。

 決意を秘めた瞳で、私を見上げたエチュードは。

 

「――私も……秋華賞に、出たいです」

 

 私は頷く。――その言葉を、エチュードの口から聞きたかった。

 

「よし。7月の2勝クラスで復帰だ。そこから、紫苑ステークスに行こう!」

「……わかりましたっ」

 

 拳を握りしめて、自分に言い聞かせるように頷くエチュード。

 そして――。

 

「ヒクマ!」

「うんっ!」

「秋華賞の前に一戦挟もう。――8月18日、札幌記念だ!」

 

 ヒクマが大きく目を見開き、コンプとエチュードが息を飲む。

 

「ちょっ、トレーナー、シニア級相手のスーパーGⅡじゃないの!」

「そっ、それに確か、今年の札幌記念って……」

「ああ。――テイクオフプレーンが出てくる予定だ。相手にとって不足なし、だろう?」

 

 ドバイシーマクラシック2着。QEⅡ世カップ3着。――世界の第一線で、そしてヒクマの夢の舞台で戦ったテイクオフプレーンが、日本に戻ってくるレース。

 ヒクマも、テイクオフプレーンの名前でそれに気付いたらしい。

 その顔をぱあっと華やがせて――そして、大きく両手を高々と掲げた。

 

「うんっ! う~~~~~っ、札幌記念、いくぞ~~~っ!」

 

 どこまでも楽しそうなヒクマの笑顔に、私は目を細めて。

 ――ありがとう、3人とも。

 口の中だけで、もう一度、そう呟いた。

 

 私たちの、春の戦いは終わった。

 ――明日のダービーが終われば、夏がやってくる。

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