モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第103話 日本ダービー・それぞれの夢をかけて

 5月26日、日曜日。

 日本ダービー。東京レース場、芝2400メートル。

 

 トゥインクル・シリーズの歴史は、このレースとともにあった。

 世代の頂点を決める大一番。誰もが憧れる、夢の舞台。

 その戦いに勝てれば、辞めてもいいというトレーナーがいる。

 その戦いに勝ったことで、燃え尽きてしまったウマ娘もいる。

 特別なレース。特別な一日が、始まる。

 

 

       * * *

 

 

「に、2番人気ですか……!」

 

 桐生院葵は、最終的な投票結果を見て思わず声をあげた。

 圧倒的な1番人気は皐月賞を勝ったオータムマウンテン。離されてはいるものの、ハッピーミークはそれに次ぐ2番人気に支持されていた。ここまで朝日杯FS3着、皐月賞4着、NHKマイルカップ2着。大一番で勝ちきれないまでも好内容で好走してきた実績と、白毛ウマ娘初のダービーという期待が込められての人気だろう――と頭の中で冷静に考えつつも、全身に震えが走り、ひとつ大きく深呼吸した。

 自分が緊張してどうするのだ。走るのはミークなんだから――。

 息を落ち着かせ、葵はミークに向き直る。ミークはいつも通り、何を考えているのかわからない、ぼんやりした表情で葵を見つめ返す。気負いも緊張も感じられない、いつも通りのリラックスムード。中2週、中2週でのGⅠ3連戦という過酷なローテの疲れも見せない。思っていた以上に、この子はタフだ。

 日本ダービー。最初の担当ウマ娘をいきなりこの舞台に送り出せる、その誇らしさと重圧とで、眠れない日も続いたけれど――泣いても笑っても、今日が本番だ。

 

「ミーク」

「……はい」

「今まで、やってきたことを、信じて――頑張りましょうっ!」

 

 結局そんな月並みな言葉しか出てこない。そんな自分に葵が俯きかけると、

 

「……勝ちます。ぶい」

 

 ミークがいつもの無表情のまま、Vサインを葵の顔の前に突き出した。

 

「……はい、ぶいっ、です!」

 

 葵も笑ってVサインを作り、指先をミークと重ね合わせた。

 

 

 2番人気、3枠5番、ハッピーミーク。前走、NHKマイルカップ2着。

 

 

       * * *

 

 

「都市伝説がなぜ人口に膾炙するかご存じですか?」

「どうした急に」

 

 控え室。プチフォークロアの言葉に、トレーナーは眉を寄せた。ロアは眼鏡を光らせて、普段と変わらない不敵な笑みを浮かべる。

 

「それは、ありふれた日常よりも少しだけ、魅力的だからです。今まで当たり前に見えていた景色の色を少しだけ塗り替える、可能性という名の物語。もちろんそれらはほとんど全て、根も葉もない噂でありデマの類いです。しかし、そうだと分かっていても人が都市伝説に惹かれてしまうのは、世界が今よりもっと魅力的であってほしいという願いのためなんですよ」

「……そんな綺麗なもんか? 都市伝説って。悪質なものも多いだろうに」

「そうした暗がりもまた世界の魅力なんですよ。怖いもの見たさというやつです」

「物は言い様だな。で?」

「では、魅力的なウマ娘であるということは、どういうことでしょう。強いこと。大きなタイトルを獲ること。それはもちろん大事です。ですが――最も必要なもの、それはやっぱり、物語ではないかと思います。皆が自分の願いを重ねて応援したくなるドラマ性です。物語は時として、純粋で圧倒的な強ささえも上回って、人を惹きつけます」

「……リードサスペンスに対するドカドカみたいにか」

「はい、典型的ですね。――ひるがえって、今の私にドラマはあるでしょうか。残念ながら、私は今日の出走メンバーの中では、いささか地味な存在というのが客観的な評価ではないかと思います。飄々と世代トップをひた走るオータムマウンテンさん、皐月賞のやらかしで良くも悪くもさらに知名度を上げたデュオスヴェルさん、白毛ウマ娘初のダービーウマ娘をめざすハッピーミークさんの上位人気3人。あるいは、話題性だけなら、史上初、未勝利でダービーに出てきたマルシュアスさんにも負けています」

「4番人気の立場でそれを言ったら他の面々にやっかまれるぞ」

「それは承知の上です。けれど、その4番人気という評価は、皐月賞3着という結果に対する評価であって、私自身の魅力ではないのではないかと」

「……で?」

 

 腕組みしたトレーナーに、ロアは眼鏡をくいっと押し上げて、拳を握りしめた。

 

「そんな地味なウマ娘が、一瞬で特別なウマ娘になれる舞台。それが日本ダービーです。このプチフォークロア、ダービーウマ娘という物語を、掴み取ってみせましょう」

「……お前の話は回りくどいんだよ」

 

 嘆息したトレーナーは、ロアの握った拳に、自分の拳を突き出した。

 

「伝説はここから始まるんだ。主人公になってこい、ロア」

「――必ず」

 

 ロアは、その拳に、自分の拳を打ち鳴らした。

 

 

 4番人気、5枠10番、プチフォークロア。前走、皐月賞3着。

 

 

       * * *

 

 

 まるで夢のようだと思う。いや、本当にここは夢の中なのかもしれない。

 日本ダービー。世代の選ばれた18人だけが立てる舞台に、自分がいるということ。

 それはあまりに眩しくて、現実感がなかった。

 

「…………トレーナー、さん」

 

 パドックへ向かう直前。ドリーミネスデイズは、脚を止めてトレーナーを振り返った。

 

「私を……ここまで、連れてきてくれて……ありがとう、ござい、ました」

 

 そう言って頭を下げると、トレーナーは腰に手を当てて微笑む。

 

「ここまで来られたのは、貴方の力よ」

「…………」

「胸を張って行きなさい。――貴方の走りが、今の私の夢なのだから」

 

 ドリーミネスデイズの肩を抱いて、背中を叩き、トレーナーは言った。

 その言葉に頷いて、ドリーミネスデイズは顔を上げ、歩き出す。

 

 

 もしこれが夢なら、夢でもいい。

 この日を限りに覚めてしまっても構わない。

 ただ――この夢を。トレーナーと掴み取った夢の舞台を。

 幸せな夢にするために。

 ――逃げる。府中2400、ハナを切って、逃げ切ってみせる。

 

 

 5番人気、1枠1番、ドリーミネスデイズ。前走、青葉賞1着。

 

 

       * * *

 

 

 ――未勝利ウマ娘がダービーに出られるなんてルールがおかしい。

 ――ダービーの格が落ちる。伝統を何だと思っているのか。

 ――未勝利ウマ娘に負けたら他のダービー出走ウマ娘はいい笑いものだぞ。

 

 

 通算6戦0勝、2着2回3着1回。

 そんな戦績で日本ダービーの舞台に上がるということは、マルシュアスが思っていた以上の賛否両論を巻き起こしていた。純粋な応援の声、面白がる野次馬の声、そして夢の舞台に相応しくないウマ娘がいるという非難の声が、嫌でも耳に入ってくる。

 結局、18人中11番人気。最低人気とかブービー人気も覚悟していたのでかなり評価してもらえたとは思うが、半分ぐらいは史上初の挑戦を面白がられての評価なのだろう。

 迷わなかった、躊躇わなかったと言えば嘘になる。本当に自分がダービーに出ていいのかと。日本ダービーというレースがどれだけ特別なものであるのか、どれだけ特別なものと見なされているのか、自分の出走を巡る外野の声で改めて思い知った。揺れなかったとは言えない。苦しくなかったなんて、言えるはずがない。

 けれど、マルシュアスは今、東京レース場の地下バ道にいる。

 それはただ、ひとえに。

 ――周りになんと言われても、情けない姿を見せたくない人がいる。キラキラしたオトナのウマ娘になった姿を、見せなくちゃいけない人がいるから。

 なんとかダービーに間に合った、おろしたての勝負服に身を包み、その人のことを考えれば、自然と背筋が伸びた。下を向いてなんていられない。この身は、この脚は、あの人の分も、走るためにあるのだから。

 

「……マルシュちゃん」

 

 呼びかける声に、マルシュアスは脚を止めた。

 視線の先に、その人がいた。松葉杖をついて、屈腱炎で痛むはずの脚を庇いながら、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべて、マルシュアスを見つめていた。

 

「ランデブーさん――」

 

 ゆっくりとネレイドランデブーへと歩み寄り、マルシュアスは拳を握りしめた。

 

「見ててください。――ランデブーさんよりキラキラした、オトナのウマ娘に。――ダービーウマ娘に、なってきます!」

「……うん、行ってらっしゃい!」

 

 顔を上げ、胸を張り、マルシュアスはランデブーの前を通り過ぎて、ターフへ向かう。

 その背中を、そっと押す手の感触に、けれどマルシュアスは振り返らなかった。

 

 

 11番人気、8枠17番、マルシュアス。前走、青葉賞2着。

 

 

       * * *

 

 

 誰よりも速く、誰よりも強い、最強のウマ娘になりたい。

 ウマ娘に生まれて、一度もそう願わない者などいるのだろうか。

 走ることは本能で、走るからには誰よりも速く走りたい。

 ただ、誰にも邪魔されない、先頭だけを走り続けていたい。

 

 デュオスヴェルが逃げるのは、ただそのためだ。

 小細工なんていらない。展開も位置取りも関係ない。

 最初から最後まで先頭で走って、先頭でゴールするウマ娘が、一番強いのだ。

 だから逃げる。最強であるために、スヴェルは逃げる。

 逃げ切れずに差し切られても、ゲートでずっこけて笑われても。

 そのためだけに走ってきたのだ。

 この日のために走ってきたのだ。

 

 日本ダービー。最強のウマ娘を決める舞台。

 ダービーウマ娘。それこそが、世代最強の称号だから。

 

「オータム君! スヴェル君! もう私から言うことは何もないよ! ふたりとも、悔いの無いレースをしたまえ! ダービーの称号は、その先にしかないのだからね!」

 

 いつものように芝居がかって両腕を広げ、岬トレーナーが高らかに言う。

 

「はい~、私が二冠、しっかり獲ってきますね~」

 

 オータムマウンテンが、いつものように能天気な声で応える。

 そのふたりの声を聞きながら、スヴェルは目を閉じて、ひとつ大きく息を吐いた。

 

「おや、スヴェル君? 君ともあろう者が、緊張しているのかい?」

「スヴェルちゃん? リラックスですよ~、リラックス」

 

 岬トレーナーが顔を覗きこんできて、オータムが小首を傾げる。

 スヴェルはその言葉にも応えず――今度は大きく息を吸い込んで、そして。

 

「――最強は、ボクだあああああっ!」

 

 腹の底から、そう叫んだ。

 岬トレーナーがのけぞり、オータムが目をぱちくりさせる。

 大声を出してスッキリしたスヴェルは、「よしっ」と両拳を握りしめる。

 

「トレーナー! オータム! 勝つのはボクだ、このデュオスヴェル様だかんな!」

「あらあら、いつにもまして気合い充分ですね~。でも、二冠目も私がいただきますよ~」

「はっはっは! いつも通りで何よりだよ! ふたりとも、行ってきたまえ! ゴールで待っているよ!」

 

 トレーナーに背中を押され、デュオスヴェルは歩き出す。オータムマウンテンの前を。

 

 

 3番人気、2枠3番、デュオスヴェル。前走、皐月賞(競走中止)。

 

 

       * * *

 

 

 ――ゴルフはね、どこまでも自分自身との戦いなんだ。

 父は、幼いオータムマウンテンに、いつもそう語っていた。

 ――誰の邪魔も入らない。一打一打、全ての結果が、自分の、自分だけの責任だ。その中で、今の自分の力と技術でできる最善、最適解に近づけていく。カップというゴールに向かって。そこがどんなコースかという過去を知り、風や芝目という今の状況を知り、そして自分に何ができて、何ができないを知ること。それがゴルフだ。ゴルフには、人生に必要な全てがあるんだよ。

 子供の頃から繰り返し聞かされてきたその言葉は、オータムマウンテンにとって、自分の在り方の指針だった。

 

 だから、レースも同じだと、オータムマウンテンは思う。

 十数人で一斉に走るレースには、確かに紛れがある。進路を塞がれたり、他のウマ娘にぶつかられたりといったアクシデントはいつだって起こりうる。

 だけど、突き詰めればそういった不確定要素は些末なことに過ぎない。

 必要なのは、父の言った通りのこと。

 コースを知り、相手の力を含めた状況を知り、そして自分の力を知る。

 そして、それを元に、今の自分の力と技術でできる最善、最適解を目指していく。

 それがレースだと、オータムマウンテンは思う。

 

 要は、敵を知り己を知れば百戦危うからずという故事の通りである。

 出走ウマ娘全員の脚質と適性、タイムを見れば、おおよそ展開とラップの想定はつく。

 その展開で、今の自分が勝てるかどうかを想像する。

 勝てる、と結論が出たのなら、あとはそれに向けて最適な走りをすればいい。

 最後の瞬間、1センチでも先にゴール板を通過さえすればいいのだから。

 ゴルフの小さなカップを狙うように、1センチの先頭を目指していけばいい。

 

 データの少ない相手なら、予想外のことは起こりうる。ホープフルステークスでのミニキャクタスのように。模擬レースで彼女の末脚は一度見ていたが、ホープフルのときはそれ以上だった。データが足りず、こちらの想像を超えて来られた。完敗だった。

 けれど、今日はミニキャクタスはいないし、出走メンバーの力関係はわかっている。

 だから、自分自身をゴールまでの最適解に近づけさえすれば、今日も自分が勝つ。皐月賞がそうであったように。

 オータムマウンテンは、そう確信している。

 

 ――だから、見ていてください、お父様。

 お父様が世界のどこにいても、私は勝利を、お父様に届けますから。

 

 

 1番人気、5枠9番、オータムマウンテン。前走、皐月賞1着。

 

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