モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
一方その頃、北棟407号室。
「おっし、顔合わせも済んだし、ダラダラしててもしょーがねーな。行くか」
ヒクマとエチュードが同室のふたりに挨拶を済ませたところで、ジャラジャラが立ち上がった。「せっかちですね」と溜息をつきつつエレガンジェネラルもそれに続く。
「え? ……あの、どちらへ?」
「走ってくんに決まってんだろ。クマと、えーと、まあいいや、お前らも来いよ」
「クマじゃないってば! ん、でも走るならわたしも行く! エチュードちゃんも行こ!」
「あ……う、うん」
ヒクマも立ち上がり、エチュードに手を伸ばす。エチュードもその手を取って立ち上がりながら、心の中だけで小さく息を吐いた。――疎外感など、覚えるのもおこがましいという自覚はあるけれども……。
小さな疼きを抱えながらジャージに着替え、4人で合宿所の外に出る。合宿所前の駐車場には、既にジャージに着替えたウマ娘たちが思い思いにストレッチしていた。夕飯の時間まで散歩がてら走ってこようと、みんな考えることは一緒らしい。栗東寮長のオイシイパルフェと、美浦寮長のオリノコリエンテが、ランニングに向かうウマ娘たちに「集合時間に遅れないように!」と声を張り上げている。
「コースは海側、山側、合わせて10種類ほどありますが、どのルートにしますか? 軽くウォーミングアップ程度のランニングなら、海沿いの平坦コースでしょうか」
エチュードたちもその場でストレッチを済ませ、エレガンジェネラルが合宿のしおりについている地図を見ながら言う。
「あー? せっかく合宿来て府中で走れるよーな道走ってどーすんだよ。山行くぞ山! おっしゃ、ビリケツはジュース奢りだぜ! お先!」
「あっ、ジャラジャラさん! もう……」
「あーっ、待ってよジャラジャラちゃん! わたしも行くー!」
「ああ、バイトアルヒクマさんまで……仕方ないですね、私たちも行きましょうか、リボンエチュードさん」
「……は、はい」
レースのように真っ先にジャラジャラが走り出し、ヒクマが楽しそうにそれを追いかけていく。溜息をついたエレガンジェネラルに促され、エチュードも走り出した。
ジャラジャラが先陣を切って向かったのは、合宿所の裏手の小高い丘を登って下って一周してくるコースのようだった。なだらかな上り坂を速歩で駆けていくジャラジャラと、それを追いかけるヒクマの背中を遠くに、そしてエレガンジェネラルの背中を近くに見ながら、一番後ろをエチュードはついていく。
はるか前方で楽しそうにジャラジャラを追うヒクマ。その無邪気な笑顔が向いているのが、はるか後ろの自分などではなく、ただ前であるという当たり前の事実に、エチュードはぎゅっと唇を引き結んだ。
理解はしている。これが即ち、今の自分とヒクマの距離だということ。
春のクラシックで死闘を繰り広げ、勝ちきれないまでも世代三強の一角として絶大な人気を集めているヒクマと、結局クラシックに出られなかった無名の自分との距離。
ヒクマがライバルとして見据えているのは、ジャラジャラであり、エレガンジェネラルであり、ミニキャクタスだ。――自分は、ただの友達でしかない。
そんなことはデビューする前から解っていたことだ。ヒクマと自分の間に絶対的な才能の差があることぐらい。楽しそうに走っているだけでもう重賞を何勝もして、世界の舞台を現実の夢として捉えているヒクマと、せめてリボン家の名前を汚さないように、というレベルでもがいている自分とでは、やっぱり住む世界が違う。
――だからこそ、秋華賞に出たいと思った。
ヒクマちゃんと同じスタートラインに立ちたい、と思った。
だけど、こうして世代三強がそろい踏みした中に紛れ込んでしまうと、やっぱりそんなのは場違いな高望みだった気がしてくる。この3人と同じレースで競い合う――。自分はそんな大層なウマ娘では……。
「リボンエチュードさん」
「はっ、はい!」
いつの間にか、エレガンジェネラルが前ではなく真横を走っていた。ジャラジャラとヒクマを見失わない程度の距離を保ちながら、息も乱さず緩い上り坂を走り続けるエレガンジェネラルは、ちらりとエチュードの脚元を見やった。
「裂蹄の具合は大丈夫ですか?」
「え? え、あ、えと、はい、もう全然――」
アネモネステークスの落鉄で負った爪の怪我はもう治っている。全力で走っても大丈夫なことはトレーナーと確認済みだ。何も心配されることは……。
「……え? あれ、あの、ジェネラルさん、どうして私の怪我のこと――」
「同期のライバルの情報収集は欠かしませんので」
「――――」
エチュードの怪我のことなど、もちろん報道などされていない。休養がニュースになったミニキャクタスとは違うのだ。……それが、裂蹄という怪我の内容まで把握されているなんて。どう反応したらいいのかわからず、エチュードは口ごもる。
そういえばエレガンジェネラルには、以前もレースの予定や走り方のスタイルを把握されていた。彼女がゴリゴリのデータ主義、合理主義者だというのは聞く話だけれども……。まさか、現役ウマ娘全員の動向を頭に入れているとか……?
「ジャラジャラさんの非礼はお詫びします。彼女は記憶力に重大な欠陥がありまして。おそらく3回は一緒に走らないと人の名前を覚えられないようです」
「え? あ、いえ……」
「おいジェネ、わざとこっちに聞こえるよーに言ってんだろ! 誰が鳥頭だ!」
前方からジャラジャラの声。「だいじょーぶだよジャラジャラちゃん! わたしもよくトレーナーさんに会いに行って、なんで会いに行こうと思ったのか忘れるし!」とヒクマが言い、「フォローになってねーよ!」とジャラジャラが唸る。
「まあ、そういうわけですので。合宿の間、ジャラジャラさんがご迷惑をお掛けしたり、貴方に不快な思いをさせるようなことがあれば遠慮なく私へ伝えてください。私の方からきつく言っておきますので」
「そ、そんな……別に、私なんて……」
エチュードが俯く。――と、ジェネラルは小さく鼻を鳴らした。
「……なるほど。ジャラジャラさんの気持ちが少しわかる気がしますね」
「え?」
「もう直ぐこのコースの最高地点ですね。――少し、ペースを上げます。下りで置いていかれますよ」
そう言って、エレガンジェネラルは前のジャラジャラとヒクマへの距離を詰めにかかる。エチュードはぼんやりとその背中を見送り――それから、慌ててそれを追いかけた。
追いかけなければいけない気がした。本能的に、ここで追いかけなければ、本当に、何もかもから置いていかれてしまう――そんな予感がした。
その本能は、エチュードの心に巣くっていた引け目や劣等感を置き去りに、無意識のうちに、その脚を動かしていて。
――ちらりと振り向いたジェネラルが、エチュードがついてきていることに、少し安心したように表情を緩めたことに、エチュードはもちろん気付かなかった。
* * *
オークスの後、王寺トレーナーから問われたことがある。
『ジェネラル。――たとえば、次の大レースで強敵となるだろう相手が明らかに調子を崩していたとする。そして君は、その相手の問題点と改善点に気付いているとする。君は、どうすることが合理的だと考える?』
『……自身の問題は自身と担当トレーナーとで解決するべきです。私が口を出すべきことではないでしょう』
『正論だ。わざわざ敵に塩を送ることは、勝利を目指す上で合理的とは言い難い』
いつも通りの冷徹で合理的な王寺トレーナーの言葉。けれどそのとき、エレガンジェネラルの内心によぎったのは、小骨のような引っかかりだった。
確かにトレーナーの言うことはその通りだ。だが――。
『短期的に見れば、そうかもしれません。ですが――』
つい、そう言葉が口を突いて、はっとジェネラルは押し黙った。
――長期的に見れば、万全の相手を実力でねじ伏せ、勝負付けを済ませることの方が合理的ではないでしょうか。
これではまるで、ジャラジャラの理屈だ、とジェネラルは思う。
トゥインクル・シリーズの常識にも慣例にも栄誉にも背を向けて、ただ強い相手だけを求める戦闘民族の考え方だ。合理性も何もない――。
そう否定しようとしても、ここまでの結果が、ジェネラルの思考を引きずる。
ジャラジャラとのマッチレースの末に惜敗した阪神JF、不良馬場の利を活かして差し切った桜花賞、良馬場での超ハイペース逃げを捕らえきれなかったオークス。――この3戦の結果が、世間でどう言われているかも、もちろんジェネラルは把握している。
――所詮、エレガンジェネラルは道悪専。良馬場ならジャラジャラの方が力が上。
言い訳はできない。結果を見ればその通りだったからだ。桜花賞の不良馬場を、ジャラジャラのハイペース逃げを封じる絶好の利だと自分が考えたのも事実だった。そしてそれは、勝利を目指す上で何ひとつ間違っていない考え方だと、疑いなく信じていた。
けれど。
桜花賞の後、王寺トレーナーが初めて語った夢。トリプルティアラ、エリザベス女王杯、有馬記念のクラシック五冠完全制覇。その夢がオークスで砕け散ったとき、ジェネラルの中で何かが崩れた。
それが何だったのか、ジェネラルはまだ自分の中で言語化できていない。
リボンエチュードのことは、デビュー前から存在はもちろん把握していた。
名門リボン家の新人としては前評判はそれほど高くなかったが、同期になることが決まってからは特に注視していた。バイトアルヒクマと同じトレーナーの担当だから、バイトアルヒクマの情報を集めていれば、自然とリボンエチュードの情報もついてくる。
彼女が初勝利を挙げる前に、少し話す機会もあった。ティアラ路線を目指すと担当トレーナーから聞いて、対戦の機会を楽しみにしている、と伝えた覚えがある。実際、そこまで来る可能性はある相手だとは認識していた。――ただ、それはあくまで対戦するというだけで、少なくとも今の段階で彼女が脅威になるとまでは思っていなかった。
その認識を改めなければならない、と思ったのは、菜の花賞を見たときだ。中山の短い直線で大外一気、上がり33秒7の差し切り。あの末脚は、距離が保つなら府中では充分に脅威になり得る。要注意の相手として、リストの上位に記すことにした。
だから、彼女がアネモネステークスで落鉄して敗れ、裂蹄で春クラシックを断念すると聞いたときは、警戒すべき相手がひとり減ったことを、勝利を目指す上でのプラス材料とだけ考えていた。
――けれど、今は。
『そ、そんな……別に、私なんて……』
明らかにこちらに気後れしている様子のリボンエチュードに、軽い苛立ちを覚えている自分に気付いて、ジェネラルはそのことに自分で驚いていた。
それはまるで、リボンエチュードが自分の見込んだ通りに、秋華賞で脅威となってくれなければ物足りない――という、ジャラジャラのするような考え方だ。
秋華賞はおそらく、ミニキャクタスも戻ってくる。合理的に勝利を目指すのであれば、脅威となる相手がこれ以上増えることは望ましくない。そう頭では理解しているのに。
ふつふつと、ジェネラルの中に湧き上がる思いがある。
ただ勝つだけではダメなのだ。
強い相手に、強い勝ち方をしなければ。
それこそ、スーパーレコードで逃げ切ったオークスのジャラジャラのように。
実力で全てをねじ伏せたと、誰もが認めるようなレースをしなければ。
――そうでなければ、トレーナーの託してくれた夢に報いることができない。
ジャラジャラとバイトアルヒクマを追いながら、ちらりと後ろを振り返る。
ペースを上げた自分に、リボンエチュードが真剣な表情でついてきている。
――そう、リボンエチュードさん。
貴方が自分をどう思っていようと、私は――貴方を、秋華賞の強敵だと思っています。
だから――そうなる前に勝手に潰れてしまわれては、困るのです。
そこまで考えたところで、ジェネラルは小さく首を振って前に向き直る。
――ジャラジャラさんに、毒されすぎですね。
自嘲するようにそう息を吐いたけれど――それは決して、悪い気分ではなかった。