モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第111話 王者の目標

 制服姿のまま、逃げるように、ただめちゃくちゃに走っているうちに、チョコチョコはいつの間にか、誰もいない浜辺にたどり着いていた。

 無人の入り江の砂の上に力なく座り込んで、「あーっ」と呻きながら、チョコチョコは頭を掻きむしる。耳の奥ではまだ、バイタルダイナモの言葉が反響していた。

 ――ヤキモチを妬くならちゃんと当の本人に妬くべきだと! 恋敵に当たってもユイさんは振り向いてくれません!

 解っている。そんなことは解っているのだ。この感情が嫉妬だということぐらい。

 なんで。なんでブリッジコンプなのさ。あたしの方が強いのに。あたしの方がいつも一緒にいるのに。なんで――なんで、あたしじゃなくて、あいつを見るのさ。

 あんたのライバルは、あいつじゃない。あたしだ。そうでしょ?

 CBC賞でそれを証明したと思っていた。あの栗毛のチビはシニア級のウマ娘に揉まれて勝手に沈んでいって、自分はきっちり勝ちきった。シニア級相手に重賞タイトルを獲ったのだ、もう何ひとつ文句を言われる筋合いはない。格の違いというものを、あのチビに見せ付けてやったはずだった。

 あんなチビのことは、彼女の意識から綺麗さっぱり消し去ってやった、はずだった。

 ――それなのに。

 彼女は、ユイイツムニは、何も変わらなかった。

 もちろん、重賞初制覇を祝福はしてくれた。おめでとう、と、いつもの木訥とした調子で祝ってくれた。――でも、それだけだった。それだけで、何も変わらなかった。

 だったら、どうしてほしかった? あたしはムニっちに、いったいどんな反応をしてほしかった?

 そんなの、答えはひとつきりだ。

 

 ――震えてほしかった。昂ぶってほしかった。

 葵ステークスの後、あのブリッジコンプのことを語ったときのような顔で。

 倒すべき標的を見つけたという、戦う者の表情を見せてほしかった。

 他の誰でもない、あたしに対して。

 

 あたしは、本当はムニっちにライバルだと思われていないのではないか?

 そんな想像の真偽なんて、無論、本人に確かめることなど出来るはずもない。

 

 あたしとブリッジコンプの、何が違うというのだろう。

 あいつにあって、あたしにないものなんて、何があるというのだろう。

 ――わからない。わからないから、チョコチョコは八つ当たりするしかなかったのだ。

 CBC賞で勝手に沈んでいくブリッジコンプを見ながら、いい気味だと。

 それがひどく醜い感情だと自覚していながら。

 

 全身から吐き出すような溜息をついて、チョコチョコは手元の石を海面に放る。

 ぽちゃん、という波紋は打ち寄せる波に掻き消されて、すぐに消えていく。誰にも吐き出すことのできない自分の感情のように。

 そのままぼんやりと黄昏れていると――不意に、砂を踏みしめる足音が響いた。

 誰かがこの入り江にやって来たのだ。一瞬、脳裏にユイイツムニの顔がよぎって、まさか、と首を振って振り払い、チョコチョコはゆっくりと振り返る。

 そして、そこにあった姿に、さすがのチョコチョコも目を丸くした。

 

「おや、まさかここに先客がいるとは」

「か、会長さん?」

 

 現れたのは、トレセン学園の生徒であれば知らぬ者のない顔。生徒会長のリードサスペンスである。会長も制服姿のまま、鞄を提げてこちらに歩み寄ってくる。

 

「君は、チョコチョコ君か。こんなところで制服のまま何をしているのかな」

「……いや、どっちかというとそれはこっちの台詞なんですけどぉ?」

 

 チョコチョコの返しに、リードサスペンスは目をしばたたかせ、

 

「なるほど、それも道理か」

 

 とひとりで勝手に頷いた。

 

 

       * * *

 

 

「まあ、端的に言えば、ここは合宿期間中の私の秘密の休憩スポットなわけだ」

「……要するに、サボっていらっしゃるぅ?」

「そうとも言うかもしれないね」

 

 ふふっ、と笑って、リードサスペンスはチョコチョコの隣に腰を下ろした。

 

「しかし、ここが見つかってしまったとは困ったな。ドカドカの目を逃れられる絶好の場所だったんだが」

「いや、口外しませんよぉ。会長さんの秘密なんて握ってた方が面白そうですから」

 

 チョコチョコの言葉に、リードサスペンスは目を見開き、そして手を叩いて笑う。

 

「それはありがたい。くれぐれもドカドカには内緒にしてくれたまえよ」

 

 口元に指を立てていたずらっぽく笑うリードサスペンスに、チョコチョコは目をしばたたかせて、この生徒会長に対する印象を大きく改めていた。

 ――なんだ、結構フランクなひとなんだな、会長さん。

 生徒会長を近くで見る機会なんて、式典で格式ばった挨拶をしているときぐらいだ。現役時代の戦績からしても、厳格でストイックな堅物なんだろうと思っていただけに、随分イメージと違う。でも、チョコチョコとしてはこっちの方がずっと好ましいと思う。

 

「ドカドカさんって、そんな口うるさいんです?」

「それはもう。いや、もちろん彼女が真面目に仕事をこなしてくれるからこそ、日々の生徒会の業務が円滑に回っているのだから、なくてはならない存在だけれどね。本来は私なんかより、彼女の方が生徒会長には相応しいと思うんだが」

 

 いや九冠ウマ娘が何を仰いますか、と言いかけてチョコチョコは口を噤む。

 リードサスペンスとドカドカの関係は、この会長の現役時代を知るウマ娘であれば知らぬ者はない。引退レースで絶対王者の十冠を阻止した、通算1勝の挑戦者――。

 

「……会長さんにとって」

「うん?」

「実際、ドカドカさんって、どんな存在なんです?」

 

 クラシックから引退まで、ほぼ国内に敵無しだったリードサスペンス。強すぎてつまらないとまで言われた彼女にとって、引退レースの有馬記念という花道で、重賞未勝利、それどころか主な勝ちレースが「クラシック級未勝利」のドカドカに敗れたというのは、いったいどんな経験だったのだろう。

 単純な好奇心からのその問いに、リードサスペンスは「ふむ」と唸る。

 

「一言で言うのは難しいな。今は頼れる生徒会書記だし、できれば後を継いでほしい後継者候補だし、口うるさいお目付役だし、そういった立場を超えた親友だと、私個人としては思っているよ。ドカドカの方がどう思っているかはわからないけれどね」

「……現役時代は、どうでした?」

 

 チョコチョコの問いに、リードサスペンスは目を細めた。

 

「その答えは、一言で言えそうだ。――現役時代のドカドカは、私の目標だよ」

「…………え?」

 

 聞き間違いかと思った。けれどリードサスペンスは、「おっと、これもドカドカには内緒にしてくれたまえ。混乱させてしまうだろうからね」といたずらっぽく笑った。

 混乱しているのはこっちだ、とチョコチョコは眉根を寄せる。

 目標? それは――どう考えたって、逆だろう。

 ドカドカがリードサスペンスを目標に競走生活を送ったのは周知の事実だ。絶対王者という高すぎる目標に挑み続け、最後の対決で大金星をもぎ取った挑戦者ドカドカの物語は、トゥインクル・シリーズの伝説の一ページとして語り継がれるものだ。

 だが――絶対王者リードサスペンスから見れば、ドカドカは単なるその他大勢ではなかったのか? 挑戦者にとって王者はひとりだが、王者にとって挑戦者は無数にいる。そんな無数の挑戦者のひとりに過ぎなかったのではないのか。

 王者が挑戦者を目標にする? ――意味がわからない。

 

「さて、この場所を内緒にしてもらうかわり、と言ってはなんだけれども」

 

 と、混乱するチョコチョコをよそに、リードサスペンスは立ち上がってひとつ伸びをすると、チョコチョコへと手を差し伸べた。

 

「ひとつ、私と併走してくれないか?」

 

 チョコチョコは、今度こそ思い切り目を見開いた。

 

 

       * * *

 

 

「いや、会長さんのジャージ借りて併走とか、これ会長さんのファンに知られたら刺されますよぉ」

「大げさだな。舗装路ですまないが、君の得意距離で構わない。1400なら、ここから――そうだな、あの標識のあたりまでだろう。どうだい?」

 

 気が付いたら、リードサスペンスの鞄に入っていた予備のジャージを借りて(サイズはちょっと大きかった)、ランニングコースの一角で併走することになっていた。

 

「……本気で行っていいんです?」

「もちろん。一線を退いたとはいえ、まだまだクラシック級のウマ娘に負ける気はないよ」

 

 ストレッチを続けるリードサスペンスに、チョコチョコは鼻を鳴らした。

 ――いくら九冠ウマ娘の会長さんとはいえ、舐められたもんだなあ。

 こちとらシニア級相手のスプリント重賞ウマ娘だ。いくら伝説のリードサスペンス会長といったって、もう現役を退いて何年も経っているウマ娘。しかも距離が長ければ長いほど強かったゴリゴリのステイヤーである。

 いくらなんでも、こっちこそこの条件で負けるわけにはいかない。

 

「それじゃあ――始めようか!」

 

 リードサスペンスがコインを弾き飛ばす。それが地面に落ちて音をたてた瞬間、チョコチョコはレースのように本気のダッシュで駆け出した。たちまちリードサスペンスの姿が後方へ遠ざかる。

 中長距離とスプリントではテンのスピードも道中のペースも全く違うのだ。この条件で勝ったって本来は自慢にもならない。でも、あのリードサスペンス会長に併走で先着――そんな勲章が手に入るなら、遠慮なくいかせてもらう!

 そのまま、後ろのリードサスペンスのことなど気にせずチョコチョコは飛ばしていく。終いの脚を残しつつ先行するいつものペース。前にムニの背中を見るイメージで。イメージの中のムニっちを、残り200で捕まえに行く――。

 

 その瞬間。

 背後から迫ってきた気配に、チョコチョコは――震えた。

 

 目の前のイメージのムニの背中が霧消する。

 そして、ちらりと背後に視線を向けたとき――そこには。

 獲物を前にした肉食獣のような、獰猛な笑みを浮かべた、リードサスペンスの姿。

 ――いや、ウッソでしょ? 会長さん、ステイヤーでしょ!?

 だが、その姿は紛れもない現実だった。

 リードサスペンスの長身が、チョコチョコに迫る。並ぶ。

 そして、半バ身かわされたところが、ゴールに定めた標識だった。

 

「……ふう、さすがに現役バリバリのスプリンター相手は、老骨には堪えるな。1200だったら到底届かなかったところだ」

 

 涼しい顔で額の汗を拭ったリードサスペンスの横で、チョコチョコは膝に手を突いて荒く息を吐き出し、そのまま道路に倒れこんだ。

 ――負けた。ものの見事に差し切られた。

 これが……絶対王者。九冠ウマ娘、リードサスペンス――。

 

「……会長さん、いつからスプリンターに転向したんですぅ……?」

「まさか。スプリンターというのは君のように終いの脚を残しながら飛ばしていける天性のスピードの持ち主のことだよ。私にはとても、そんなスピードはない」

「いや、人に勝っておいてそう言われましても、ねえ……」

「種明かしすれば、私が君のスピードについていくには、スタートからずっと全力でスパートするしかなかった。そうやって、1400メートルかかってやっと君のスピードに追いついただけさ」

 

 ――は。

 唖然として、チョコチョコは地面から茫然とリードサスペンスを見上げる。

 つまりこのひとは――スタートした瞬間から超ロングスパートをかけて1400メートルを全力で走りきって、こっちが倒れこんでいるのに涼しい顔をしている、と?

 ……これが、九冠ウマ娘。

 なるほど。まだまだ、上には上がいる。シニア級のさらなる一線級ともなれば、こんなバケモノとこれからもやり合うわけだ――。

 先が思いやられるねえ、とチョコチョコは大きく息を吐いた。

 

「……会長さん、現役復帰したらどうです? あとGⅠ7つぐらい勝てますよぉ」

「なかなかお世辞が上手いじゃないか」

 

 差し伸べられたリードサスペンスの手を、チョコチョコは掴んで立ち上がる。

 

「ありがとうございました、会長さん。――いい経験させてもらいましたよぉ。ふぁ」

 

 疲れから小さく欠伸が漏れた。リードサスペンスは「それは何より」と微笑む。

 

「ジャージは後で洗って返しますねえ」

「うん、そうして貰えると助かる」

「じゃあ、あたしは戻りますんで。会長さんもドカドカさんに見つからないよーに、気を付けてくださいねぇ」

 

 そう言って、チョコチョコはそのままその場を走り去ろうとして――。

 

「――チョコチョコ君」

 

 リードサスペンスの呼び止める声に、脚を止めて振り返った。

 

「なんです?」

 

 腕組みしたリードサスペンスは――生徒会長の顔をして、チョコチョコを見つめて。

 そして、少し躊躇するように間を置いて、口を開いた。

 

「これは余計なお世話かとも思うが。――おそらく、今の君ではユイイツムニ君には勝てないよ」

「――――――」

「君は確かに強い。強いが――それだけだ。それでは、その先の景色は見えない。……別に、老骨の繰り言と受け流してくれても構わないけれどね。老婆心というやつさ」

 

 それじゃあ、とリードサスペンスは踵を返し、逆方向へと走り出す。

 その背中を、チョコチョコは茫然と見送るしかなかった。

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