モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
夏合宿2日目。今日から本格的なトレーニングの始まりだが――。
「……コンプ、寝不足?」
「いや、大丈夫だから。……正直、あんまり気が休まらなかったのはそうだけど」
あふ、とひとつ欠伸をしたコンプは、溜息混じりに首を振る。懸念していた通り、犬猿の仲のチョコチョコと同室というのは、いささかストレスになっているようだ。
寮長のオイシイパルフェも考えあってこの部屋割りにしたのだろうけれど、逆効果になるようなら私の方から部屋替えを提案してあげるべきか、と私は唸る。
「ヒクマとエチュードはどう?」
「わたしは元気だよ!」
「……あの、はい、大丈夫です」
ジャラジャラとエレガンジェネラルと同室になったふたりは、顔色もよく元気そうだ。ヒクマはともかく、エチュードは世代トップと同室で気疲れしていないだろうかと少し心配していたが、優等生と評判のエレガンジェネラルが気を回してくれたりしたのだろうか。
まあ、何はともあれ――。
「よーっす、ヒクマ! それから、あーっと、エスクード!」
と、そこへジャージ姿のジャラジャラと棚村トレーナーが姿を現した。
「あっ、ジャラジャラちゃん! やっほー!」
「……あの、エチュード、です」
「悪ぃ、名前覚えんの苦手なんだ。それと、そこの栗毛は――」
「あたし? あたしはブリッジコンプ! クマっちの、まー、保護者みたいなもん。あたしはスプリントで最強になるんだから、名前覚えときなさいよ!」
「へえ? おもしれーじゃん。路線は違ってもそーゆー奴は嫌いじゃないぜ」
「あれ? コンプちゃんってわたしの保護者なの?」
コンプの名乗りに、ジャラジャラが楽しそうに獰猛な笑みを浮かべ、ヒクマが不思議そうに首を捻り、エチュードが苦笑する。そんな中で、私は棚村トレーナーと会釈した。
「さて――今回の合宿だけど、棚村トレーナーの好意で、ジャラジャラと一緒にトレーニングさせてもらえることになったんだ」
「わ! やったー!」
「い、いいんですか……?」
ヒクマが両手を挙げ、エチュードが恐縮気味に棚村トレーナーを見やる。
――この件は昨晩、懇親会の後で棚村トレーナーの方から声をかけてもらったことだ。
「ジャラジャラもそっちの方が張り合いがあるかと思ってな。なあ?」
「まーな。さっきジェネの奴も誘ったんだけどな、あいつ合宿のメニューはもう全部決まってるから変えられません、だと。ったく、融通の利かねー奴だぜ」
口を尖らせながらジャラジャラが言う。理論派の王寺トレーナーとエレガンジェネラルのトレーニングも参照させてもらえれば私としても万々歳だったのだが、さすがにそれは虫が良すぎるというものだろう。
「さて、それじゃあしっかり準備して始めようか。――特にエチュードは、週末にはもう復帰戦だからね。しっかり追い切っていくよ!」
「……はっ、はい!」
私の言葉に、エチュードの背筋が伸びる。
そう――今週末の土曜日には札幌で、エチュードの復帰戦、ライラック賞があるのだ。
* * *
かくして、ジャラジャラとの合同トレーニングとなった、合宿の最初の数日はあっという間に過ぎて――。
7月20日、土曜日。札幌レース場。
第10レース、ライラック賞(2勝クラス)、芝2000メートル。
合宿所を離れて飛行機でやって来た、ほぼ1年ぶりの札幌。
札幌開催の初日となるこのレースに、私はエチュードとふたりだけでやって来ていた。
「エチュード、大丈夫? 緊張してない?」
「はっ、はい! 大丈夫、です」
控え室。6枠9番のゼッケンをつけたエチュードは、気合いを入れ直すようにぐっと拳を握りしめた。口とは裏腹に、やはり少し緊張しているように見える。
落鉄で爪を痛めたアネモネステークスから4カ月ぶりの実戦だけれど、爪は完全に治っているし、状態面の不安はなかった。今のエチュードは2勝クラスの条件ウマ娘。本気で秋華賞を目指すなら、ここで躓くわけにはいかない。エチュード自身もそれがわかっているからこその緊張感だろう。
もちろん、アネモネステークスの落鉄のように、レースでは何が起こるかわからない。だけど、今のエチュードなら、実力的には――。そう思うのは、トレーナーとしての贔屓目だけではないはずだ。あとは、エチュードが自分の力を発揮できるかどうか……。
……やっぱり、私ひとりだけより、ヒクマとコンプを連れてくるべきだっただろうか。
――合宿初日の懇親会の後。
『なあ、お前のところのリボンエチュード、札幌のライラック賞行くんだろう? その間、バイトアルヒクマとブリッジコンプはどうするんだ? 連れてくのか、札幌』
棚村トレーナーが、私にそう問うてきた。
『貴重な合宿期間だ、応援のためだけに札幌まで往復させるのも勿体ないだろう? 俺で良かったらその間、ふたりを預かってやれるが、どうだ?』
『……いいんですか?』
『同期3人もいっぺんに抱えてる新人の面倒ぐらい見させろよ、先輩だぞ』
にっ、と白い歯を見せて笑った棚村トレーナーに、私は頭を下げるしかなかった。
というわけで、今ここにヒクマとコンプはいない。棚村トレーナーの指導で、ジャラジャラと一緒にトレーニングをしているはずだ。その方が効率的だと解っているからこそそうしたのだけれど――エチュードのためには、やっぱり私だけじゃなく、親友ふたりの支えがレース前には必要だっただろうか……。
私がそう考えていると、エチュードのスマホが鳴った。
「あ……ヒクマちゃんからLANEだ」
スマホを覗きこんだエチュードが、不意にその顔をほころばせる。
私もその画面を覗きこむと――合宿所近くの砂浜で『エチュードちゃん、がんばれ!』と砂上に大きな文字を書いた、ヒクマとコンプの写真が送られてきていた。
すーっと、エチュードの顔からこわばりが抜けて、リラックスした笑顔に変わる。やっぱり、親友の力は偉大だ。あとでふたりに感謝しておかないとな、と私は思う。
「エチュード」
「はい!」
スマホを仕舞ったエチュードは、私の呼びかけに顔を上げた。
「相手はシニア級だ。でも、大丈夫。――自信をもって行っておいで」
「……はいっ」
ぐっと唇を引き結んで頷いたエチュードの背中を、私は軽く押してやった。
たぶん、くだくだしい言葉は必要ない。今のエチュードに必要なのは――ここまで積み上げてきたものを、レースで自信に変えることだから。
* * *
同時刻、トレセン学園合宿所。
バイトアルヒクマとブリッジコンプを預かった棚村は、札幌10レースが始まる前にトレーニングを一旦切り上げて、預かっているふたりとジャラジャラも連れて合宿所の一番大きなテレビのあるところへと戻ってきていた。
「クマっち、あの写真ちゃんと送った?」
「うん、バッチリ! 既読もついてるよ! エチュードちゃん、がんばれー!」
画面の中でゲート入りしていくウマ娘たちの姿に、バイトアルヒクマが声援をあげる。棚村とジャラジャラは、それを後ろで腕組みしながら見ていた。
「ジャラジャラ。――この数日見てみて、リボンエチュードのこと、どう思った?」
「あー? ま、そーだな。このレース見りゃはっきりすんだろ」
ジャラジャラはそう言って画面を見つめる。――なるほど、ジャラジャラもあのリボンエチュードの実力はまだ図りかねているらしい。
もちろん棚村も、あのリボン家の新人としてチェックはしていたし、菜の花賞での強い勝ち方もしっかり見ている。オープンまで勝ち上がる力はあると見えるが、出遅れがちでバ群を怖がるそぶりが見える、あの臆病そうな気性ではどこかで壁にぶつかるだろう――というのが、リボンエチュードの春の走りぶりを見た棚村の印象だった。
しかし、この夏合宿でバイトアルヒクマとブリッジコンプも含めた4人での合同トレーニングを数日こなして、少し印象が変わったのも事実だった。落鉄で爪を痛めたことは聞いていたが、怪我でクラシックを断念して気持ちが切れた様子も、痛めた部分を庇って変な癖がついているような様子もない。そして、何より――。
「あー、ちょっと! もー、エーちゃんになにしてんのよ!」
ブリッジコンプが声を上げる。画面の中では、ゲートに向かうシニア級のウマ娘が、ゲート前で気合いを入れ直していたリボンエチュードにわざと肩をぶつけて威嚇している様子が映っていた。リボンエチュードが少したじろいでいる。
クラシック級のウマ娘がシニア級を交えた条件戦やオープン特別に出ると、必ず見られる光景である。シニア級でまだこのあたりで燻っているウマ娘の中には、秋の重賞戦線を目指しているようなクラシック級のウマ娘に敵愾心を燃やして威圧する者が出るのだ。相手が名門のお嬢様となれば尚更だろう。
肩をぶつけた、やさぐれた印象のシニア級のウマ娘がリボンエチュードに何かを言ったようだが、さすがにその内容がテレビの音声に拾われることはない。そのやさぐれたウマ娘がゲートに向かい、残ったエチュードは。
画面の中でぱんと頬を叩いて、顔を上げてゲートへ向かった。
――ほう、と棚村は目を見開く。思っていたほど臆病なウマ娘ではないらしい。
『体勢完了! ――スタートしました! さあ1番人気リボンエチュードはやはり後ろからになりました』
ゲートが開く。リボンエチュードは出負けして後方から。あまり積極的に逃げようとするウマ娘はおらず、先行集団が牽制し合うようにしながら、隊列は団子状態になって1コーナーを曲がっていく。
どうやらスローペースの流れになりそうだ。小回りで直線が短く、時計のかかる洋芝の札幌は差しが決まりにくく、前残りで決着しやすい。1000メートルは61秒4。やはりゆったりとした流れ。後ろのウマ娘には厳しい流れだが――。
『おっとリボンエチュードが上がっていきます、遅いと見たか早めの進出』
向こう正面で、早くもリボンエチュードが動いた。外を通って最後方から中団へと進出していく。棚村は眉を寄せた。スローと見て早めに動くのはいいが、小回りの札幌で外回しは下策。まして開催初日、バ場は荒れていない。内ラチ沿いの経済コースが定石――。
そんな棚村の考えをよそに、リボンエチュードはそのまま外を回して3コーナーで早くも先行集団にとりついていく。そしてそのまま4コーナー。
『さあリボンエチュードが外から早くも先頭! 早めに捲って直線です!』
先行集団をかわして、リボンエチュードが直線入口でもう先頭に立った。先行集団を形成していたシニア級のウマ娘たちの顔色が変わる。だが――。
その中で、リボンエチュードは。
引き締まった表情で、前だけを見て、札幌の短い直線を加速していく。
『リボンエチュードだ! リボンエチュード突き放す! これは強い! リボンエチュード、今ゴールイン!』
そのまま、シニア級のウマ娘たちを歯牙にもかけず3バ身差の完勝。立ち止まったエチュードは、掲示板を見上げて、驚いたように目を見開いていた。
『リボンエチュード、早め進出からそのまま押し切りました、快勝です!』
『強かったですねえ』
実況と解説も驚いたように語り、ヒクマとコンプが歓声を上げてハイタッチする。
それを後ろで見ながら、棚村は思わず息を吐いて、隣のジャラジャラを見た。
担当の顔に浮かんでいるのは――楽しげな、獰猛な笑み。
その表情が、リボンエチュードに対するジャラジャラの評価を何より雄弁に示している。
「トレーナー。――こりゃ、秋に向けておもしれー相手がひとり増えたな」
「同感だ。……やれやれ、とんでもない新人トレーナーが出てきたもんだ」
ティアラ路線と短距離路線で活躍するバイトアルヒクマとブリッジコンプを同時に担当するところまではまだわかる。――バイトアルヒクマと同じティアラ路線で、このリボンエチュードを一緒に担当しているのが新人トレーナーだということに、棚村は頭を掻くしかない。
バイトアルヒクマは間違いなく、ジャラジャラとエレガンジェネラルに匹敵する天才だ。それは桜花賞とオークスで戦った棚村もよくわかっている。――親友同士を同じ路線の同期として競わせて、片や世代トップクラス、片や怪我でクラシック断念となれば、後者は折れてしまうのが普通だ。それを折らせず腐らせず、秋華賞へ向けてしっかりと伸ばしてきた。どんなメンタルケアをしてきたのか、こっちが教えを請いたいぐらいだ。
画面の中で、リボンエチュードが観客席へ向けてぺこりと一礼する。
――バイトアルヒクマ、あるいはジャラジャラ。世代トップを間近に見て、それに必死に食らいついてきたリボンエチュードにとって、シニア級相手の2勝クラスはすでに通過点でしかない。あの走りができるならトライアル直行でも優先出走権は狙えるだろうが、つけてきた力を本人に実感させることが必要と見て、条件戦を走らせたのか。
「っし、トレーニング再開すっか!」
拳を打ち鳴らすジャラジャラに、棚村は苦笑して頷く。
ライバルが増えようと、棚村とジャラジャラがやるべきことはひとつ。――秋華賞で、全員まとめて打ち倒すこと。ただ、それだけだ。