モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第117話 ライラック賞・ドキドキの遠征?

「おめでとう、エチュード」

 

 本バ場を出て戻る途中、トレーナーが笑顔でエチュードを待ってくれていた。

 その笑顔を見た瞬間、――ああ、勝ったんだ、という実感がじわじわと湧き上がってきて、エチュードは小さくぶるりと身を震わせる。

 勝った。勝てた。シニア級相手に、1番人気に応えて、ちゃんと、勝てた。

 

「……っ、やりました、トレーナーさん……っ」

「ああ! よくやった! さすがエチュードだ!」

 

 汗まみれの髪をくしゃくしゃと撫でられて、泣き出したくなるほど嬉しかった。

 条件戦だけれど、目標はこれからだけれど――それでもやっと、やっと少し、このひとにお礼ができたような気がして、誇らしかった。

 発走前にシニア級の先輩ウマ娘に肩をぶつけられて睨まれたときは、怖くなかったと言えば嘘になる。でも――トレーナーの期待を裏切ってしまうことに比べたら、怖いことなんてなかった。本当に良かったと、改めてエチュードは思う。

 

「詳しい話は後でするけれど――中盤、随分早めに動いたね?」

「あ……はい」

 

 トレーナーに問われ、エチュードは頷く。

 

「あの……ヒクマちゃんや、ジャラジャラさんと走っているときの感覚より、随分ペースが遅い気がして……。我慢して内側を通った方がいいかなとも、思ったんですけど」

「うん」

「もし、相手がヒクマちゃんだったら、ここで我慢してたら絶対に勝てないと思って……。ヒクマちゃんを捕まえにいくつもりで走ったら……ああ、なりました。あの、ヒクマちゃんにあれで勝てるとは思わないですけど……けど、でも」

 

 だんだん声が細くなる。勝てたから良かったものの、強引なレースをしたという自覚はある。開幕週の札幌で大外ブン回しがトラックバイアスを無視した悪手だということぐらい、エチュード自身も理解していた。ヒクマなら好スタートからスムーズに先行し、経済コースを通って自分を突き放していただろう。エチュードのイメージの中では、親友の背中はまだ何バ身も先にある。

 そんな自分が、無謀な対ヒクマを想定して強引なレースをして、勝てたから良しとしていいのか――と問われたら、返す言葉は無い。いくら一緒に秋華賞に出るのを目標にしているからといって、まだまだ勝ち負けになろうなんていうのは高望みなのに――。

 うう、と縮こまるエチュード。――と。

 再び、その頭にぽんと、トレーナーの手が載せられる。

 エチュードが顔を上げると、トレーナーは――嬉しそうな顔をして、もう一度わしわしと、エチュードの短い栗毛を撫で回した。

 

「――強くなったね、エチュードは」

「えっ……」

「強くなったんだよ。エチュードは強い。胸を張って。自信を持って、秋に向かおう」

「――――は、はいっ」

 

 背筋を伸ばしたエチュードに、トレーナーは微笑んで、ぽんぽんとエチュードを撫で続ける。その手の感触と笑顔とが気恥ずかしくて、結局エチュードはまた俯いてしまうのだった。

 

 

       * * *

 

 

 ウイニングライブが終わる頃には、夏の札幌もすっかり陽が暮れている。

 

「お疲れ様。せっかくだし、ちょっと遅いけど何か美味しいものでも食べに行こうか」

「あ、はい……」

 

 ライブを終え、着替えて戻って来たエチュードをトレーナーが迎える。レースに参加するウマ娘は、レース場の近くにある専用の宿舎に宿泊することになっているが、レース後に打ち上げなどで街に出るのはトレーナー同伴であれば自由だ。

 

「何か食べたいものある? 勝ったんだし、なんでも遠慮なく言っていいよ」

「え、ええと……」

「ジンギスカン? スープカレー? それともお寿司……は、まあ、あんまり高くないところなら……」

 

 あはは、とトレーナーは苦笑する。エチュードも小さく笑って、それから――。

 ヒクマちゃんとコンプちゃんは、と周囲を見回しかけて、親友ふたりがこの場にいないことを思い出した。

 

「エチュード?」

「あっ、はっ、はいっ! なっ、なんでも、いい、です……っ」

 

 そう、今回の遠征はトレーナーとふたりきりなのである。行きは空港までのバスは大勢の他のウマ娘と一緒だったし、新千歳までの飛行機も混んでいてトレーナーと席が離れてしまっていた。札幌に着いてからも翌日のレースのことを考えていたし、レース場に直行して下見をしてすぐ宿舎入りしてしまったから、出発前にコンプやマルシュアスから囃し立てられたほどには、トレーナーとふたりきりということを意識する暇もなかった。

 けれど、レースが終わり、もう一泊して明日合宿所に帰るまでは、もう自由時間で考えることもない。――完全無欠にトレーナーとふたりきりの札幌旅行と変わらないのだ。

 

「そう? じゃあ……去年の札幌遠征で食べ損ねたし、スープカレーでも食べに行こうか」

 

 言いながら、トレーナーはタクシーを捕まえて乗りこむ。エチュードも動悸と顔の火照りを隠すようにしながら、トレーナーの隣に乗りこんだ。

 

「どちらまで?」

「とりあえず、すすきのまで」

「はいよ」

 

 アクセルを踏んだタクシーの運転手は、信号待ちの最中にちらりとバックミラーを見て、こちらに声を掛けてきた。

 

「お客さん、もしかして今日のレースで勝った、リボンエチュードちゃんかい?」

「えっ――あ、は、はい」

「休憩中に見てたよレース。強いねえ! 秋はGI目指すのかい?」

「あ……えと、ええと」

 

 いきなり見知らぬ運転手にそう言われて、上手く言葉が出てこない。トレーナーに肩を叩かれ、返事をトレーナーに任せてしまえると一度安心して、

 トレーナーが口を開き掛けたところで、咄嗟にエチュードはその袖を引いた。

 ――自分の口で言わないと、いけない気がしたのだ。

 

「あの……はい、秋華賞を、目指します」

「おお! そりゃあ楽しみだ。応援してるよ!」

「あ……ありがとう、ございますっ」

 

 エチュードが頭を下げると、運転手は笑って、信号が青になったのを確かめてアクセルを踏む。

 

「いやあ、未来のGIウマ娘さんを乗せたとなりゃあ、同僚に自慢できるなあ」

「そ、そんな……あの」

「今年の秋華賞、凄いことになりそうだけどねえ。ジャラジャラとエレガンジェネラルのふたりだけでGIの取り合いじゃあ面白くないじゃないか。あのふたりの鼻を明かしてやっておくれよ!」

「…………が、がんばり、ます」

 

 結局縮こまってしまうエチュードに、トレーナーがぽんぽんと肩を叩く。エチュードはトレーナーの顔を見上げて――無意識のうちにトレーナーの方に身を寄せていたことに気付いて、慌てて腰をずらして少し距離を置いた。

 

 

       * * *

 

 

「……で? トレーナーと一緒にスープカレー食べて、結局当日はそのあと宿舎に戻って休んだだけ? で、今日は朝イチで新千歳空港行って、お土産買って帰ってきたと?」

 

 翌日。コンプとマルシュアスは、合宿所に戻ってきたエチュードに、さっそく遠征の首尾を詰めていた。なにせ、トレーナーとふたりきりの2泊3日遠征である。このチャンスでトレーナーとの距離を詰められないようでは、先が思いやられる――と、ふたりでやきもきしていたのだが。

 

「エーちゃん、それホントにただの遠征じゃない……」

「もっとこうオトナな出来事なかったの? 千載一遇のチャンスだったじゃん!」

 

 コンプは呆れ、マルシュアスは口を尖らせてエチュードに詰め寄る。

 いや、エチュードにそんな度胸がないことぐらいはふたりとも重々承知している。それでももうちょっとこう、2泊3日ふたりきりであれば、何かあってもいいではないか。ドキドキのハプニングとかそういうのが。

 けれど、どうやら話を聞く限り、今回もどこまでも健全な遠征だったらしい。

 ――ホントに、いつになったら進展するのよ、エーちゃんは……。

 見守る側としては溜息をつくしかない。何より、コンプが呆れているのは――。

 

「えへ、えへへへへへ……」

 

 そんな、千載一遇の進展チャンスを全力で棒に振ったにもかかわらず、当のエチュードがこの上なく幸せそうな顔をしていることだった。

 その腕に抱かれているのは、中ぐらいのサイズのクマのぬいぐるみ。

 レースに勝ったらぬいぐるみプレゼント、というのは、どうやらトレーナーとエチュードの間で決まり事になったらしい。今回は新千歳空港で飛行機を待つ間に買ってもらったそうなのだが。

 

「……これ買ってもらったときに、トレーナーさんに、かわいいね、って言われちゃったから、それで充分だよ。えへへ……」

「エチュードちゃん、それエチュードちゃんに言ったんじゃなくて、そのクマのぬいぐるみに言っただけじゃ……」

「ねえ、このぬいぐるみ……なんだかちょっと、トレーナーさんに雰囲気似てないかな?」

「いや、どっちかっていうとクマっちじゃない?」

「わたしクマじゃないよー!」

 

 横で話を聞いていたヒクマが頬を膨らませ、エチュードは幸せそうにぬいぐるみを抱きしめて「えへへ、えへへ……」と緩んだ笑みでゆらゆらと揺れ続ける。

 ――ああ、これは処置なしだわ。

 ふたりきりの遠征で勝って、トレーナーに祝福されて褒められて、プレゼントまで買ってもらったら、もうエチュード的にはそれ以上は望むべくもない幸せということなのだろう。結局、外野は恋する乙女には勝てないのである。

 コンプとマルシュアスは顔を見合わせ、溜息をつくしかないのだった。

 

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