モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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ミニキャクタスさん回です。


第15話 自分はここにいるのだと

 新人トレーナーの小坂御琴がそのウマ娘に目を留めたのは、他の多くのトレーナーと同じく、たまたま開催されているのを見かけた模擬レースでのことだった。

 正直なところ、小坂には自分がなぜ中央のトレセン学園に採用されたのかが未だにわからない。試験の出来はそう悪くなかったと思うが、面接は生来の内気と引っ込み思案のせいでボロボロだった。緊張してほとんど過呼吸状態で、自分が何をどう答えたのかもほとんど記憶にない。かといって、面接を担当していた理事長に、なぜ自分を採用したのかと問いただす度胸もあるはずがなかった。

 そんな性格であるから、選抜レースの際も「ド新米の自分なんかにスカウトされたらウマ娘もいい迷惑ではないか」と気後れしてしまい、担当ウマ娘が見つからずにいた。このままでは担当ウマ娘を持てず、かといってこの性格で集団指導などできるわけもなく、早々にクビになってしまうのでは……と落ちこんでいたところに、その模擬レースを目にしたのである。

 衝撃を受けた。

 直線で抜け出した芦毛のウマ娘の陰から、一瞬で加速して突き抜けた、その鹿毛のウマ娘の走りに。選抜レースで見た、どのウマ娘の走りよりも、腕に鳥肌が立つのを感じた。

 運命、だったのだと思う。

 幽霊みたいと揶揄される長い黒髪で目元を隠す小坂だが、霊感の類いは全くない。スピリチュアルなものは基本的に信じていない。けれど、それでも。彼女は、そのウマ娘の、内でじっと身を潜めて、一瞬で抜け出す走りに、何か直感的な運命を感じた。

 この子の担当トレーナーになりたい、と。

 

 

 けれど、それで小坂の生来の性格が変わるわけではない。

 そのウマ娘はまだ担当が決まっていなかったようで、模擬レース後にはさっそく大勢のトレーナーに追い回されていた。そうなるともう、小坂のあきらめ癖が顔を出す。あれだけのスカウトをよりどりみどりの状態なら、ド新米の自分なんかが声を掛けたって迷惑なだけだ。そう思い込んで、小坂はとぼとぼとグラウンドを後にした。

 そうして、その日の業務を終えて、帰宅しようとした夜――。

 温かい飲み物を買おうとした自販機の前のベンチに、そのウマ娘が座っていた。

 ぽつねんと、たったひとり、誰にも気に留められることなく。

 小坂は固まった。突然訪れた千載一遇の機会に、どうすればいいのか咄嗟にわからなかった。けれど――その子の、目を伏せて、俯きがちな横顔に、どうしても声を掛けたくなった。彼女にとっては、極めて珍しいことに、能動的に。

 だから小坂は、温かいココアを自販機でふたつ買って、そのウマ娘の隣に腰を下ろした。そして、ココアのひとつをそのウマ娘の手元に置いた。

 ウマ娘が顔を上げた。小坂は自分のココアに口をつけ、ココアのカップをそっとウマ娘の方に押し出した。ウマ娘は戸惑ったように小坂とココアを見比べて、湯気をたてるカップを手に取り、口をつけた。

 そうして、ふたりとも無言でそのココアを飲み干して。

 そのウマ娘が立ち上がろうとした瞬間、小坂は咄嗟に、無意識に、その手を掴んでいた。

 ウマ娘が、信じられないという顔で、小坂を見つめた。

 そして――次の瞬間。

 そのウマ娘の瞳から、ぼろぼろと――大粒の涙が溢れ出していた。

 

 

       * * *

 

 

 ミニキャクタスは、物心ついたときから、存在感が極めて薄かった。

 小学校の教室では、いつも隅でひとりきり。積極的に無視されているわけではない。誰も空気のように自分の存在を気に留めない。教師すらも、当たり前のように自分の存在を素通りした。出欠で名前を読み飛ばされても、班分けでどの班にも入れずにいても、そのこと自体に気付かれなかった。どんなときも、自分はいてもいなくても何も変わらない、徹底的に無意味で無価値な存在でしかなかった。

 そんな自分が目立てる場所は、走っているときしかなかった。自分は誰よりも足が速かった。だけどそれも、ウマ娘としては当たり前のことでしかない。人間よりウマ娘の足が速いのは、やはり空気がそこにあるように、当たり前のことでしかなかった。だから、ミニキャクタスは走っていてさえも、誰の目にも留まらなかった。

 テレビの中では、同じウマ娘が、トゥインクル・シリーズで華々しい活躍をしている。

 レースに出られれば、自分も誰かに、気付いてもらえるだろうか?

 トレセン学園を受験したのは、ただそのためだけだった。

 ただ、誰かに気付いてほしいだけだった。

 自分がここにいるということを。

 

 

 けれど、そうして入学したトレセン学園でも、ミニキャクタスはやはり、空気のような存在でしかなかった。自分と同じぐらい足が速く、自分よりもずっと華やかなウマ娘が大勢いるトレセン学園では、なおさらミニキャクタスは空気以外の何物でもなかった。

 誰も話しかけてこない。そもそも、ミニキャクタスというウマ娘がこの学園に在籍していることを、ミニキャクタス自身しか知らないのかもしれない。

 そう思ってしまうほどに、ミニキャクタスはずっとひとりだった。

 

 

 選抜レースに出れば、何かが変わるかもしれないと思った。

 けれどそこでも、前を行くふたりの背中に追いつけず、目立たない3着。強い、本当に強いウマ娘の、華やかな背中はあまりにも遠かった。レースの主役としてスポットライトを浴びるウマ娘と、ミニキャクタスという誰にも気付かれない空気のようなウマ娘との間には、4バ身差という着差以上の絶望的な距離しかなかった。

 そのはずだった。そのはずだったのに。

 

 

『違うよ! 絶対あなただよ! ねえ――ミニキャクタスちゃん!』

 名前を。

 同じレースに出た、自分の名前を、覚えてくれているウマ娘がいた。

『すごいね! すごいすごい! なにあのスピード、どうやったの!?』

 自分の手を掴んで、キラキラした目で、自分を見つめてくる、ウマ娘がいた。

 バイトアルヒクマ。その子の名前が、ミニキャクタスの脳裏に刻み込まれた。

 自分の名前を、誰かが覚えていてくれるなんて、初めてだった。

 ――他人の名前を自分から覚えたいと思ったのも、初めてだった。

 

 

 その子に誘われた模擬レースで、ミニキャクタスはこの学園に来て初めて1着を取った。

 先頭で、前に誰もいないゴールを駆け抜けるのは、全身が震えるような快感で。

 それに浸っているうちに、バイトアルヒクマに手を掴まれて、顔を覗きこまれて。

 何がなんだかわからないうちに、いつの間にか大勢のトレーナーに囲まれていた。

 ――今まで誰にも気付かれなかった自分に、皆が注目している。

 その事実に脳がパンクして、ミニキャクタスはその場から逃げだしてしまった。

 あんなに誰かに気付いてほしいと願っていたのに、いざ大勢の他人から視線を向けられると、それはとんでもない恐怖だった。そんなはずはないのに、なぜか責められているような気がした。自分なんかが一着を取って、目立っていいはずがないのに――。

『キャクタスちゃーん! また勝負しようねー! 約束だよー!』

 だけど、芦毛のあの子の、楽しそうな声だけは、耳からどうしても離れなかった。

 

 

 逃げ回っているうちに、いつの間にか自分を探しているトレーナーの姿はどこにもなくなっていた。ミニキャクタスの周囲には、慣れ親しんだ静寂だけがあった。

 自販機の前に置かれたベンチに腰掛けて、ミニキャクタスは息を吐いてただじっと俯いていた。そうすると、近くを通り過ぎる誰も、もう自分のことを気にも留めなかった。自分を追い回すトレーナーがいたことなんて、まるで夢だったみたいに。

 ああ、そうだ。これが自分のあるべき姿だ。

 あの模擬レースでの勝利も、あの芦毛の子のキラキラした瞳も、彼女が自分という存在を覚えていてくれたことも、スカウトされそうになったのも、全部夢だ。

 ほら、だってもう、誰も自分に気付かない。

 キャクタス、という自分の名前は、サボテンのことだ。ミニキャクタス。小さなサボテン。温室に咲き誇るきらびやかな花の片隅で、誰にも注目されることなく、棘で身を覆っている、ちっぽけなサボテン。

 そんなもの、いてもいなくても同じ。誰も、サボテンなんかに気付きはしないのに。

 

 

 それなのに。

 また、自分の手を掴む人がいた。

 自分を見つめてくる、人がいた。

 温かいココアを差し出して、自分の手を掴んで、何かを訴えるように見上げてくる、名前も知らない人がいた。

 ――その瞬間、ミニキャクタスの中から、堰を切って感情が溢れ出した。

 それは涙になって、もうどうしようもなく、止められなかった。

 

 

 気付いてほしかった。

 認めてほしかった。

 名前を、呼んでほしかった。

 ――自分は、ここにいていいのだと、そう言ってほしかった。

 

 

       * * *

 

 

 深夜の学園で、幽霊めいた風貌の女性トレーナーに話しかけられた、その翌日。

 

「トレーナーさーん、おまたせー!」

「こんにちは。今日も、よろしくお願いします」

「よーっし、今日は何やるの? もう昨日みたいにヘバったりしないんだから!」

 

 午前の授業を終え、ヒクマ、エチュード、コンプがジャージ姿でトレーニングコースにやってきた。いつも元気なヒクマはもちろん、エチュードとコンプも、昨日の疲れを残している様子はない。その様に頷きつつ、私はぐるりと視線を巡らせた。――約束の時間はそろそろだが、どこにいるのだろう?

 

「トレーナー? なーにキョロキョロしてんの」

 

 ジト目でブリッジコンプに睨まれる。「いや」と私は肩を竦めた。

 

「実は今日は、先方からの依頼でもうひとり、一緒にトレーニングに参加させてほしいってウマ娘がいてね」

「え? トレーナー、ちょっと、あたしたち3人も抱えておいてまだ担当増やす気? どんだけ欲張りなのよ」

「いやいやいや、その子はもうちゃんと担当トレーナーいるから――」

 

 私が首を振ったそのとき、不意にヒクマがその瞳をぱっと見開いた。

 

「あっ、キャクタスちゃーん!」

 

 そして、ぶんぶんと両手を頭上で振る。その視線の先を振り向くと、

 

「……………………すみません、お待たせしました………………」

「おわぁっ!?」

 

 いつの間にか、背後に小坂トレーナーと――ミニキャクタスがいた。ま、全く気配に気付かなかった……。このふたり、忍者か何かか。

 

「え、ちょっと、あのふたり、いつからいたの?」

「……あれ、あの子、模擬レースのときの……?」

 

 コンプとエチュードが顔を見合わせる傍らで、ヒクマがぱっとミニキャクタスに駆け寄り、顔を上げたミニキャクタスの手を掴んで身を乗り出した。

 

「キャクタスちゃんも担当トレーナーさん決まったんだね! おめでとう!」

「…………え、あ、ええと……あ、ありが、とう……」

 

 ずい、と顔を近づけるヒクマに、キャクタスはまた気圧されたように後じさる。

 

「あれ? じゃあ、トレーナーさんの言ってた、一緒にトレーニングする子って……」

 

 首を傾げたヒクマに、私は頷いた。

 

「エチュードとコンプにも改めて紹介するよ。こちら、この前の模擬レースに参加してくれたミニキャクタスと、担当の小坂トレーナー。私たちと一緒にトレーニングさせてほしいっていうんだけど、3人とも、いいかな?」

「わ! やったやった! キャクタスちゃんと一緒にトレーニングだ!」

 

 ぴょんぴょんとヒクマは飛び跳ねて喜ぶ。その姿に、ミニキャクタスが驚いたように目を見開いて、呆然とヒクマを見つめていた。

 

「……わ、私なんか、一緒で、いい、の?」

「え? だって友達みんなで一緒にトレーニングした方が楽しいよ!」

「…………とも、だち?」

「うん!」

 

 何のてらいもない、ヒクマの真っ直ぐな言葉に、キャクタスは固まってしまっていた。

 そして、「……とも、だち」と反芻するように呟いて――顔を真っ赤にして俯く。

 

「あー、クマっちの必殺ゼロ距離ストレートアタックだあ。エーちゃんもアレで落ちたんだよねえ、クマっちに」

「……あ、あはは……。ヒクマちゃん、相変わらずだなあ……」

 

 コンプが肩を竦め、エチュードは何か身に覚えがあるのか苦笑している。

 そんな姿を私が微笑しつつ見つめていると、不意に横に小坂トレーナーがやってくる。

 

「…………今日は、ありがとうございます…………」

「あ、いえいえ。こちらとしてもあの子の走りを間近で見られるのは有難いですから」

「…………こちらこそ…………。勇気を出して、貴方に相談して良かったです…………。キャクタスちゃん…………ずっと自分からバイトアルヒクマちゃんに話しかけたいと思っていたようですから…………。あんな嬉しそうな顔…………初めて見ました…………」

 

 ――ミニキャクタスと小坂トレーナーの間に、どんな出来事があって、ふたりが契約することになったのかは、私には知るべくもない。

 けれど、俯きがちでぼそぼそと喋る、よく似た雰囲気のこのふたりは、何か通じ合い、理解し合うところがあるのだろう。ミニキャクタスは、一番いいトレーナーに巡り会えたのかもしれない。

 はしゃいでぴょんぴょん飛び跳ねるヒクマに、手を握られたまま真っ赤になって身を縮こまらせるミニキャクタス。その姿を見ながら、私は思う。

 ――ミニキャクタス。彼女がもし同じティアラ路線を目指すなら、ジャラジャラとエレガンジェネラルに並ぶ強敵になるだろう。

 彼女がヒクマにとって、リボンエチュードと並んで、ともに高め合う最良のライバルになってくれればいい。――私が願うのは、ただそれだけだった。

 

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