モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
4月。いよいよ、春のクラシック戦線の幕が開く季節がやってきた。
その開幕は、トリプルティアラ第1戦、桜花賞。阪神レース場、芝1600メートル。
「ヒクマとエチュードにとっては、来年の目標だ。しっかり現地で見ておこう」
「うん!」
「は、はいっ」
というわけで、私はブリッジコンプも含めた担当ウマ娘3人を引き連れて新幹線で大阪へ。阪神レース場の大観衆の中、トレセン学園関係者の席を確保する。
「…………あの、今日はありがとうございます…………同行させていただいて…………」
「…………ありがとう、ございます」
「いえいえ」
小坂トレーナーとミニキャクタスも一緒である。先月にケーキバイキングで親睦を深めて以来、ミニキャクタスとの合同トレーニングは実を結び始めていた。
ミニキャクタスのトレーニングに対する姿勢はとにかくストイックで、朝も夜も、トレーナーが止めなければいつまででも黙々と走っている。そんなキャクタスの姿勢に感化されたか、ヒクマたちもいっそうトレーニングに熱が入ってきている。もちろんオーバーワークにならないよう、適宜私が様子を見ているけれど、すぐ傍に誰よりも黙々と努力するミニキャクタスがいることは、3人にとって「自分もあのぐらいやらなければ追いつけない」という良い刺激になっているようだった。
「エーちゃん、ホントにノディさんに挨拶しなくていいの?」
「う、うん……。レース前で集中してるところ、お邪魔しちゃ悪いし……」
リボンスレノディの控え室に行って声を掛けてこようかとは私も提案したのだが、エチュードは首を横に振った。スレノディはエチュードのことを心配しているようだけれど、エチュードからすると、既に華々しい注目を集めるスレノディには気後れを感じているのかもしれない。
と、エチュードのスマホに何か通知が来たようで、取りだして画面を覗いたエチュードは、不意にくしゃりと顔を歪めて苦笑した。
「……もう、ノディ姉さんったら……」
《お姉ちゃんがんばってくるね 見ててね~》
画面を覗かせてもらうと、そんな文面とVサインの絵文字。レース前の気負いとは無縁のその明るいメッセージに、ほっとその場の雰囲気が和んだ。
と、そこへ桜花賞の出走ウマ娘が、コースに姿を現し始め、スタンドが歓声で揺れる。
『咲き誇る桜が女王の誕生を待ち望む! クラシック第1弾、桜花賞! 女王の頂きを目指し、阪神の芝1600を駆け抜ける18人のウマ娘たちがターフに姿を現します!』
『絶好の良バ場ですし、いいレースが期待できそうですね』
『楠藤さん、やはりテイクオフプレーンとリボンスレノディ、二強の争いでしょうか』
『そうなるでしょう。昨年の阪神ジュベナイルフィリーズを見る限りでも、やはりこの2人が今年の世代では頭ひとつ抜けています。おそらく今回もテイクオフプレーンが大逃げを仕掛けるでしょうが、リボンスレノディはそれに惑わされず、しっかり直線まで足を貯めていきたいところですね』
『――あっ、現れました! お聞き下さいこの大歓声! ここまで4戦4勝、前走のチューリップ賞も4バ身差の圧勝! 阪神JFに続いて無敗のGⅠ2勝目へ、そして狙うは無敗のトリプルティアラ! 圧倒的1番人気、3番テイクオフプレーン!』
『前走は格の違いを見せつけてくれましたからね。今回は何バ身離して逃げるのか、それとも誰か共倒れ覚悟で競りかけにいくのか。いずれにしても彼女がレースを作ることになるのは間違いないでしょう』
勝負服姿でターフに駆けだしてきたテイクオフプレーンが、スタンドの大観衆へ笑顔で手を振り、蒼天を見上げて指を一本立てる。
『おーっと、これは早くも一冠奪取宣言かー!?』
『自信満々といった表情ですねえ』
中継の実況と解説も盛りあがる中、私のそばの3人も三者三様にターフを見つめる。
「すごい……GⅠなのにあんな余裕……」エチュードは羨むようにそれを見つめ、
「いいなあ、あのパフォーマンス! あたしもやろっかな」コンプは不敵に笑い、
「う~~~っ、楽しそう! わたしも走りたい!」
いつも通りウズウズと身を震わせるヒクマの頭を、「来年ね」と私は撫でてやる。
そして隣の小坂トレーナーとミニキャクタスは、ただ眩しそうにターフを眺めていた。
『さあそして、2番人気、前走の阪神JFはテイクオフプレーンにクビ差の2着! 最もテイクオフプレーンを追いつめたウマ娘、13番リボンスレノディです! 最後方からの驚異の末脚は桜花賞でも炸裂するのか!』
『阪神JFからの直行でレース間隔が空いてるのがやや気がかりですが、仕上がりは良さそうですね。同じ舞台で昨年末のリベンジなるか、期待しましょう』
リボンスレノディがターフに姿を現す。
遠目ながらも、その姿には先日、トレーナー室で見た穏やかな顔とは明らかに違う、レースへ向けた気迫が見て取れる。
「ノディ姉さん……」
リボンエチュードが、祈るように胸の前で手を組んだ。
「スレノディさーん!」
「がんばれー!」
ヒクマとコンプも声援を張り上げる。数多の歓声が入り乱れるレース場のざわめきの中に、ファンファーレが鳴り響き、ウマ娘たちがゲートに収まっていく。
またしてもテイクオフプレーンがゲート入りを嫌がってやや悶着したが、係員に押されてゲートに収まり、体勢完了。
『いざ、桜の栄冠へ――スタートしました!』
* * *
テイクオフプレーンは幼い頃、飛行機になりたかった。
乗りたかった、のではない。飛行機になって、空を飛びたかったのだ。
休日のたびに親にせがんで、飛行機に乗る予定もなく空港に行っては、ジェットエンジンの轟音を響かせて滑走路を疾走し、ふわりと空へ浮き上がってみるみる遠ざかっていく飛行機のシルエットを、展望デッキから一日中飽きることなく眺めていた。
自分も飛行機みたいなスピードで走れば、きっと飛行機になって空を飛べる。
幼い頃は、無邪気にそう信じて、いつも飽きることなく走り回っていた。
今はもう、ウマ娘は空を飛べないということを、当たり前に理解している。
だけど、だからこそ、テイクオフプレーンは飛行機が好きだ。
あの巨体が宙に浮き、何にも遮られない雲の上を行く。乗客になって、機内の小さな窓から、豆粒のような地上の光景と、それを覆う雲を見ているだけでも、幼い頃の憧れを忘れずにいられる。
だから、新幹線の方が楽だとどれだけ言われても、プレーンは飛行機で関西に乗りこむ。羽田から伊丹までのたった一時間のフライトでも、空を飛ばないと気分が上がらない。
そして、空を飛んできた自分は無敵だ。
誰よりも速く、あの蒼天まで駆け抜けてやる。
ただそれだけを念じて――プレーンは、今日も走り出す。
『さあ行った行った! やはり行きますテイクオフプレーン! どんどん軽快に前に出て、あっという間にハナを主張していきます!』
自分の前に誰かがゴチャゴチャ詰まっているなんて、到底我慢がならない。プレーンはいつだって真っ先に先頭に飛び出す。
先頭で風を切り始めると、自分の足が宙に浮いた感じがして、自由な気分になる。
誰にも邪魔されない。空はあたしだけのものだ――。
「いっくよー! ポジティブレート、ギアアップ!」
先頭に飛び出したところで、プレーンはさらに加速して、2番手以下を一気に突き放す。5バ身、6バ身と差が開く。プレーンのスタートダッシュについてこられるウマ娘はいない。無理に競りかければ間違いなく自分が先に潰れてしまうハイペース。そんなリスクを犯してまでプレーンを潰しにくる度胸のあるウマ娘などいるはずもない。
『やはり今日も大逃げだ! テイクオフプレーンがどんどん差を開く!』
快調に飛ばしながら、プレーンは一度だけちらりと後方を視線だけで振り返った。――はるか後方、ごちゃごちゃとまとまった集団に隠れて、あの子の姿は見えない。しかし、おそらく去年の阪神JFと同じく、最後方をマイペースに走っているのだろう。
――リボンスレノディ。あの阪神JFで、プレーンは初めてレースで、すぐ後ろに迫ってくるウマ娘の気配を感じた。そんなことは今までなかった。プレーンがスタートからハイペースでブッ飛ばせば、誰もついてこられなかったのに。
仁川の坂を上りきったとき、外からすぐ後ろに、あの小柄な栗毛は迫ってきていた。
1600だから逃げ切れたが、あと200、いや100あったら逃げ切れたかどうか。自分が間違いなく勝ったという実感を持ちきれなかったのも、あれが初めてだった。
大人しそうな顔をして、こちらを視線で射殺さんばかりに睨み付けてくるリボンスレノディの、あの表情に、プレーンは――震えた。
――勝ちたい。この子を、有無を言わせぬ圧倒的な勝利でねじ伏せて、空を飛べるのは自分だけだと知らしめてやりたい。
『リボンスレノディは現在、後方2番手で3コーナーカーブ。テイクオフプレーンは後続を5、6バ身離して独走しています。さあ残り800を切って4コーナー!』
もう一度ちらりと後ろを見て、プレーンは僅かにほくそ笑む。――皆、かかった。
阪神JFも、前走のチューリップ賞も終始ハイペースで飛ばしての逃げ切り。誰もがプレーンは今回も同じ走りをすると思っている。
けれどプレーンは、先頭に立って後続と差をつけた時点で、少しペースを緩めていた。
直線まで足を残さなければ、スレノディから逃げ切れるかどうかわからない。いつもよりペースが緩いことに後ろが気付かなければ、自分の勝ちだ――。
『おっとリボンスレノディが上がってきた! 外から早めに進出してきます!』
だが。大外から徐々に上がってくる、その栗毛の白い勝負服がちらりと見えた。
プレーンがペースを緩めたことに気付いて、仕掛けてきた。それに釣られるように、他のウマ娘もペースを上げてプレーンとの差を詰めてくる。
『さあ後続との差が詰まってきた! その差は3バ身、2バ身、テイクオフプレーンはこのまま捕まるのか!?』
「あちゃー、さすがに最後までは引っかからないかあ……。でも」
もう遅い。息は充分入れられた。プレーンは晴れ渡った空を見上げ、
「さあ、行っくよ――出力全開、ゴーアラウンド!」
直線に入った瞬間、ターフを踏みしめた足が――宙を舞うように、再び加速する。
『いや、譲らない譲らない! テイクオフプレーン、再び加速して後続を突き放す! 抜けた抜けた、やはりテイクオフプレーンの独壇場か!』
そんなわけないだろ、とプレーンは思う。
来る。あいつは必ず来る。
『外からリボンスレノディ! 大外からリボンスレノディが来た! すごい脚で追い込んでくる!』
――ほら、来た!
「待ってたよ、ノディ!」
阪神JFのときには背筋があわだったその気配が、けれど今は嬉しくて仕方ない。
『残り200! リボンスレノディが迫る! テイクオフプレーン逃げる! 仁川の坂を上る! やはりこのふたりの一騎打ちだ! プレーンの無敗か、スレノディの意地か!』
4コーナーからのゆるやかな下りのあとの、残り200の急坂。
メイクデビューから4度目ともなれば慣れたものだ。
残した脚で、一気に駆け上がる。スレノディの気配は――。
まだ、後ろだ。
『リボンスレノディ迫る! 迫るが! 届かない! またも届きません! テイクオフプレーン、今1着で――ゴールインッ!』
ゴール板を駆け抜けたとき、プレーンの視界には、ただ青空だけが広がっていた。
X3年 桜花賞
その馬は二度、空を飛んだ。
誰にも縛られることのない、逃げの美学。
地上から手を伸ばしても、その背中には届かない。
桜の空へ羽ばたいた、芦毛の翼。
その馬の名は――