モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第20話 デビュー戦へ向けて・1番人気!

 日本ダービーが終わり、6月。いよいよジュニア級メイクデビューの季節がやってきた。

 

「というわけで、ヒクマのデビュー戦が決まったよ。何事もなければ、再来週の日曜、東京、芝、1600だ」

 

 トレーニング後にそう伝えると、エチュードとコンプがヒクマの方を向き、「わっ」とヒクマは目を輝かせる。

 

「やったー! デビューだ!」

「おめでとう、ヒクマちゃん……!」

「エーちゃんまだ早いって。再来週だよ」

 

 そう言うコンプも我がことのように嬉しそうな顔をしていて、私も頷く。ヒクマの担当になって約半年。とうとうこのときが来たか、と私としても感慨深いものがある。

 思えばこの子たちと最初に出会ったのも、学園のすぐ隣にある東京レース場だった。ここから道は始まっていく。バイトアルヒクマとの、トゥインクル・シリーズが。

 トリプルティアラ、そしてドバイシーマクラシック。新人トレーナーにはあまりに大それた目標だが、ヒクマとならきっと走り抜ける。誰よりもまず、私がそのことを信じて、この子を夢に向かって送り出してあげたい。

 

「トレーナー、あたしはまだなの?」

「コンプとエチュードは7月の終わりか8月の頭で調整中。もうちょっと待ってね」

「むー、あたしも早くデビューしたい!」

「まあまあコンプちゃん、トレーナーさんの判断だから……」

 

 地団駄を踏むコンプを、エチュードがなだめる。と、ヒクマが私に抱きつくように駆け寄ってきて、その大きな瞳で私を見上げた。

 

「トレーナーさん! デビューしたらいっぱいレース出られるんだよね!」

「ん、ああ、うん――」

 

 レーススケジュールのプランは色々と考えている。デビュー戦で勝てた場合、勝てなかった場合。まずは1勝を挙げないことには始まらないが、そこを突破した後は順当に条件戦からステップアップを目指すか、いきなり重賞に格上挑戦するか。勝ったときの内容次第ではあるが、色々な道が考えられる。

 

「わたし、いろんなレース出てみたい! いっぱい走るよ!」

「――よしよし」

 

 私は苦笑して、ヒクマの頭をぽんぽんと撫でる。走りたがるのはウマ娘の本能だ。実際、昔は間隔が空くとウマ娘のレース勘が鈍ると言われ、毎月のようにどんどんレースを走らせるのが主流だった。しかし、レースごとに万全に仕上げて全力疾走するという行為は、それ自体にウマ娘の身体に大きな負担をかける。脚を故障して志半ばで引退を余儀なくされた名ウマ娘は数え切れない。

 そのため、現在ではある程度の以上のレベルのウマ娘であれば、走るレースを絞って、そのぶん長く活躍させてあげるのがトレーナーの間でも主流の方針になっている。特にGIでウイニングライブを勝ち取れるレベルのウマ娘であれば、前哨戦もほとんど使わず、クラシック以降はほぼGIだけに絞って走るのも珍しくない。

 ただ、それもウマ娘本人の気性によりけりではある。しっかり休ませた方が結果を出せるウマ娘もいれば、とにかく走らせた方がいいウマ娘もいたりするわけで……。

 ヒクマがどちらのタイプなのかも、これから本格的に見極めていかなければいけない。

 

「とりあえず、今のところは年内に4戦するつもりで予定を立ててるから。レースの結果次第ではあるけれどね」

「4戦……ってことは、えーと?」首を捻るヒクマ。

「2ヵ月に1戦」コンプが横から口を出す。

「えー、もっと走りたい! 毎月でもいいよ!」

「その意気や良しだけど、ヒクマ。ヒクマの目標は、とにかくレースでたくさん走ることだったっけ?」

「う」

「ドバイ、行くんだよね。無理して怪我したら、元も子もないよね?」

「うう……。うん、わかった」

 

 ちょっと不満げに引き下がるヒクマ。レース間隔についてはデビュー戦の後にもう少しゆっくり話し合った方が良さそうだな、と思う。

 

「あ、キャクタスちゃんにもデビュー決まったって伝えなきゃ!」

 

 ぱっと意識を切り替えて、ヒクマは荷物からスマホを取りだしてミニキャクタスに連絡し始める。この切り替えの早さはヒクマの美点……ということに、しておこう。

 

 

       * * *

 

 

 さて、トレセン学園ではデビュー前のウマ娘については、学園の方針としてマスコミの直接取材は基本的にNGということになっている。デビューすれば立派なアスリートだが、デビュー前のウマ娘はいち学生に過ぎないのだから、というわけだ。実際、この方針がなければ有力ウマ娘は学園に入った途端マスコミに囲まれっぱなしになってしまう。トゥインクル・シリーズというのは、この世界でそれだけの人気のある娯楽なのだ。

 その直接取材が部分的に解禁されるのが、デビュー直前のこの時期。メイクデビューの出走が決まると、マスコミからプロフィールアンケートやデビュー戦へ向けた意気込みのコメントが求められるようになる。まだ見ぬ推しウマ娘を求めてメイクデビューを観戦するファンへ向けて、ウマ娘が自分をアピールする、公式では最初の場だ。

 合わせて本人の顔写真、選抜レースのタイム、担当トレーナーなどの情報も学園から公開され、それらを元にメディアはまだ情報の少ないメイクデビューの記事を作っていくことになり、ファンはそれを元にレースの推しウマ娘を選んでいくことになる。

 

 レース2日前の金曜日。ヒクマの出走するメイクデビューの枠番が確定した。

 9人立ての4枠4番。居並ぶウマ娘の中で、ヒクマはというと――。

 

「わっ、クマっち1番人気じゃん!」

「ええー? わたしが?」

 

 スマホで出走表を見ていたコンプが声を上げ、ヒクマとエチュードが覗きこむ。

 私も既に確認していた。何しろまだ競争実績がない以上、メイクデビューの時点での人気は水物、実力よりも知名度や印象が優先みたいなところはあるが、それでも1番人気というのは立派なものだ。

 ウマ娘情報を専門に扱うウマ娘ネットでは、メイクデビューの特集記事も出ている。

 

「ええと……『1番人気はバイトアルヒクマ。母はドバイで活躍したウマ娘で、自身もアラブ生まれという珍しい経歴の持ち主。変わった名前はアラビア語で〈知恵の館〉を意味する。昨年12月の選抜レースでは、注目を集めるジャラジャラとエレガンジェネラルに挑み4着も好タイム、模擬レースでも好走し仕上がり順調。新人トレーナーと二人三脚でトゥインクル・シリーズに挑む』……だって。ヒクマちゃんすごい、写真も出てるよ」

「えへへー」

 

 照れくさそうに頭を掻くヒクマ。と、コンプが肩を竦めた。

 

「……あのさークマっち、記事の掲示板に書いてあること言っていい?」

「ほえ? なあに?」

「『ウマ娘なのにクマ?』『バイトある日熊って着ぐるみのバイトしてるのか』『バイトで寝不足で目元に隈が出来てるのかと』『くまくまカフェでバイトしてそう』『バイトアルヒクマ、レースアルヒウマ』『誰が上手いこと言えと』――」

「わたしクマじゃないよー! ウマ娘だよー!」

 

 やっぱり言われる宿命である。ヒクマの抗議の声が、トレーニングルームに響き渡った。

 

 

       * * *

 

 

 ともあれ――あっという間に、その日はやってきた。

 6月18日、日曜日。東京レース場。春の5週連続東京GIも終わり、春を締めくくる来週の宝塚記念へ向けて中休みといった風情の時期ではあるが、東京レース場には今日も早くから大勢の観客が詰めかけている。

 その歓声もまだ遠い、出走ウマ娘の控え室。

 

「……緊張してる?」

 

 体操服に身を包み、4番のゼッケンをつけたヒクマは、珍しくじっと押し黙っている。私のかけた声にも返事はない。

 いつも明るく能天気なヒクマでも、さすがにデビュー戦ともなれば緊張するのか。緊張をほぐしてあげようと背中を叩こうとした瞬間、

 

「――よしっ!」

 

 と、いきなりヒクマが大きな声をあげ、ぐっと両手を握りしめた。

 思わずのけぞると、ヒクマは振り返って「あ、トレーナーさん!」と今頃私の存在に気付いたように声を上げる。その顔には緊張した様子はなく、いつもの元気いっぱいな笑顔が浮かんでいた。

 

「珍しく静かだから緊張してるかと思ったけど」

「ほえ? ううん、ドキドキはしてるけど大丈夫! すっごい楽しみ!」

 

 両手を大きく広げ、ヒクマはダンスのリズムでも取るみたいに身体を揺らす。

 

「ねえトレーナーさん。ホントに作戦とか特になしでいいのかな?」

「ああ。ヒクマの走りたいように走っておいで。選抜レースや模擬レースと同じ1600メートル、充分練習は積んできてる。いつも通り気分良く走れれば、きっと大丈夫」

「うん、わかった!」

 

 直線が長く、差し・追込が有利と言われる東京レース場だが、ヒクマには先行策でそのまま押しきれるだけの力があるはずだ。自分の走りができれば、結果はついてくる。

 私の言葉に頷いたヒクマは、トコトコと私のすぐ目の前に歩み寄ってきて、その大きな瞳で私を見上げた。褐色の肌に、キラキラと輝くヒクマの銀色の瞳。私は――そう、この子の真っ直ぐな、この瞳に惹かれたのだ。

 

「あのね、トレーナーさん」

「うん」

「……んと、やっぱり、レースのあとで言うね!」

「え、なに? 何か気になることでもある?」

「ううん、ちゃんとレースで勝ってからにするっていうだけ!」

 

 言いかけた言葉を急にはぐらかしたヒクマに、私は首を捻る。

 

「大丈夫? 何か不安があるなら今のうちに――」

「だいじょぶ、だいじょぶだよ!」

 

 心配して覗きこんだ私に、ヒクマは大きく両手と首を横に振る。しかし、そうはぐらかされると気になる。まさか脚に違和感とかあるのだったら大事だし――。

 レース前の不安要素は取り除くに越したことはない。私のその気持ちを感じ取ったのか、ヒクマは困ったように「うう~……」と唸り、それから。

 

「えと、じゃあトレーナーさん、ひとつだけお願いしていい?」

「うん、なに?」

「……頭、撫でてほしい」

 

 ちょっと照れくさそうに、上目遣いで言ったヒクマに。

 なんだ、そんなことか。私は苦笑して、その頭をぽんぽんと撫でてやった。

 

「えへへ~……」

 

 ヒクマは嬉しそうに、尻尾をぶんぶん振る。ウマ娘というより、なんか犬っぽい。

 

「よーし、じゃあトレーナーさん、わたし行ってくるね!」

「ああ。――楽しんでおいで、ヒクマ」

「うん! いってきまーす!」

 

 見送りはここまででいいだろう。控え室を出てパドックへ向かうヒクマを、私は手を振って送り出す。

 

 第5レース、メイクデビュー東京、芝、1600メートル。

 バイトアルヒクマのトゥインクル・シリーズが、ここから始まる――。

 

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