モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第21話 メイクデビュー!

 私がパドックに向かうと、エチュードとコンプが最前列を確保して迎えてくれた。

 

「遅ーい! もうクマっちの出番来ちゃうよ!」

「ごめんごめん。ふたりとも、ヒクマに声かけなくていいの?」

「トレーナー、あたしルームメイトよ? クマっちに言いたいことはとっくに全部言ってあるっての」

「……私も、レース場に入るときに伝えたので、あとは見守ります」

 

 なるほど。私が頷いてパドックに目をやると、ちょうどヒクマの出番だった。

 

『4番、バイトアルヒクマ!』

 

 アナウンスとともに、ヒクマが元気いっぱいにパドックに駆けだしてくる。ジャージの上着を脱ぎ捨て、笑顔で観客に向かって大きく手を振った。

 

『本日の1番人気です、4番バイトアルヒクマ』

『元気のいい姿を見せてくれましたね。初めてのレースの緊張もなさそうです。どんな走りを見せてくれるのか、楽しみにしたいと思います』

「バイト? クマ?」

「変な名前ー」

「でも、なんかいいな、明るくて」

「がんばれー、アルバイトクマー」

 

 聞こえてくる観客のそんな声に苦笑しつつ、皆が今日のレースでちゃんと名前を覚えていってくれればいいと思う。

 ……と、そういえば、小坂トレーナーとミニキャクタスは来ているのだろうか?

 

「…………ヒクマちゃん、いつも通りで安心しました…………」

「おわっ! こ、小坂トレーナー、いたんですか」

 

 いつの間にか背後に小坂トレーナーが立っていた。相変わらず心臓に悪い人である。

 真っ昼間のレース場でも、長い黒髪で目元を隠した小坂トレーナーの周囲だけ、なんだか薄暗く感じるのは気のせいだろうか……。

 

「…………はい、キャクタスちゃんが来たいというので…………。同じティアラ路線のライバルの戦いですし…………でも今日は素直にヒクマちゃんを応援します…………」

「それはどうも……ミニキャクタスは?」

「地下バ道に…………。ヒクマちゃんに声を掛けにいきましたよ…………」

 

 

       * * *

 

 

 地下バ道で、ミニキャクタスはバイトアルヒクマが通りがかるのを待っていた。

 静かなバ道で、冷たい壁にもたれて待ちながら、レース直前に自分なんかが声を掛けて迷惑じゃないだろうか、そもそも声を掛けられるだろうか、気付いてくれるだろうか――と詮無い思考がぐるぐると頭をよぎる。自分は、観客席の隅っこで黙ってレースを見ていれば、それでいいのではないか。こんなところまで、友達面して出しゃばるほど、自分はあの子にとって特別な存在なのか? そんなはずはない。自分なんかが――。

 でも――そう思ってしまっても、この場からは立ち去りがたかった。

 せめて、せめて一言だけでも、バイトアルヒクマに、自分から言葉を掛けたかった。

 ……自分が、誰かに対してそう思えることに、ミニキャクタスは戸惑っていたのかもしれない。

 

「あれ? あっ、キャクタスちゃーん!」

 

 地下バ道に、明るく大きな声が反響して、ミニキャクタスは顔を上げた。

 ゼッケンを身につけた体操服姿のバイトアルヒクマが、笑顔でこちらに駆けてくる。

 

「キャクタスちゃんも来てくれたんだ! ありがと!」

「…………あ、う……うん」

「見ててね! わたし、がんばるから!」

 

 ミニキャクタスの手を掴み、バイトアルヒクマはその大きな瞳で覗きこんでくる。近い距離。その目の眩しさに喉がつっかえて、ミニキャクタスは何も言えなくなってしまう。

 言いたいことは、伝えたいことは、頭の中をいくらでもぐるぐるしているのに。

 それがどうしても、言葉になって出てきてくれない。

 何から話せばいいのか、どんな声を掛ければいいのか。考えれば考えるほどわからなくなって、なにひとつ言葉にできなくなってしまって――。

 金魚のように口をぱくぽくさせて、そして泣き出しそうな気持ちで俯いたミニキャクタスに、ヒクマが不思議そうに首を傾げた。

 

「キャクタスちゃん?」

「…………ご、ごめん、なさい…………」

 

 ああ、違う。何を言っているんだ。謝りたいんじゃない――。

 そう思っても、もう混乱しきったミニキャクタスの口からは、自分の意志とは無関係に、その場から逃げ出そうとする言葉がこぼれ落ちそうになって、

 

「キャクタスちゃん!」

 

 ヒクマの大きな声に、顔を上げる。

 こちらを覗きこんだヒクマは――笑顔で、右手の小指を差し出してきた。

 

「約束しよ!」

「…………約束?」

「うん! わたし、キャクタスちゃんに追いつくから! 今はまだキャクタスちゃんの方が速いけど、絶対追いついてみせるから! 一緒におっきなレースに出て、また勝負しようね! 約束!」

 

 どこまでも、どこまでも眩しい笑顔。

 その笑顔に、ミニキャクタスはおずおずと、その小指に自分の右手の小指を絡める。

 

「ゆびきりげんまん、うそついたらニンジン千日間食べちゃダメっ!」

 

 指が離れる。その指切りが、ミニキャクタスの中のもやもやした感情も、全て断ち切ったような気がした。

 

「じゃ、わたし行くね!」

「――ヒクマちゃんっ」

 

 踵を返しかけたヒクマを、ミニキャクタスは呼び止める。

 

「…………私も、負けないから……っ」

 

 言いたかったことは、この十倍ぐらいあったはずだったけれど。

 その一言で、全部伝えられたような、そんな気がした。

 

「うんっ!」

 

 そしてヒクマは、手を振ってターフの光の中へと駆けていく。

 ――ああ、なんて、なんて眩しいんだろう。

 目を細めながら、ミニキャクタスは思う。

 自分も――いつかあんな風に、光り輝けるんだろうか……?

 

 

       * * *

 

 

 東京レース場のターフ。今までは観客席から眺めるだけだった場所に、バイトアルヒクマが立っている。ヒクマは晴天の空を見上げて、大きく深呼吸するように両手を広げた。

 エチュードやコンプ、それからミニキャクタスや小坂トレーナーとともに見守る私は、今さらながらに口の中が渇いてくるのを感じていた。大丈夫、今のヒクマの力なら――そう信じてはいても、何が起こるかわからないのがレースだ。

 きっと勝てる、という確信は、勝ってくれという希望に変わり、いや勝敗はいいからとにかく無事に走りきってくれれば――という祈りにまで変わってしまう。トレーナーの自分が予防線を張ってどうするのだ、ヒクマを信じてやらなくては――と思っても、心臓の音がやけにうるさい。

 自分の指導は間違っていたのではないか? あの選抜レースで感じたヒクマの才能を、自分は本当に引き出せているのか? もし、もし――それがただの幻想でしかなかったとき、私はいったいヒクマに、どんな顔をして向き合えば、

 

「…………勝ちます、ヒクマちゃんは」

「――――」

 

 囁くような声に、私は振り向く。隣に、いつものように存在感を消すかのように佇んでいるミニキャクタスの声だった。

 

「……勝ってくれます、必ず」

 

 ぎゅっと柵を握りしめるミニキャクタスの言葉に、「――ああ」と私は頷く。

 頑張れ、ヒクマ。ここはゴールじゃない。スターティングゲートだ。

 君の夢に併走する道は、ここから始まるんだから――。

 

 

『さあ、今年も新たなウマ娘たちの物語が幕を開けます。第5レース、メイクデビュー東京、芝、1600m、9人立てです。バ場は良と発表されています。3番人気は7番シルバーサザンカ、2番人気は1番ドリーミネスデイズ。そして1番人気は4番バイトアルヒクマ。解説の楠藤さんは誰に注目されていますか?』

『やはり1番人気のバイトアルヒクマですね。先週のメイクデビュー中京で注目株のエレガンジェネラルが期待に応えて圧勝してみせましたが、昨年末の選抜レースでそのエレガンジェネラルや、来週にデビューを控えているジャラジャラと競い合いました。あの時点ではまだ上位ふたりとは力の差がありましたが、どこまで伸びてきたか注目です』

『さあ全員ゲートに収まりました。体勢完了――スタートです!』

 

 ゲートが開く。9人のウマ娘が、ターフに飛び出していく。

 すっと前に出てハナを切ったのは、背の高い鹿毛のウマ娘。2番人気のドリーミネスデイズだ。そして、その後ろ。2番手につけたのが――長い芦毛を揺らす、見慣れた姿。

 

「よーし、いいスタート!」

 

 コンプが叫ぶ。思わず私もほっと息を吐いた。絶好のスタートで、逃げの手を打つ有力ウマ娘にぴったりついていく好位置を確保。先行型のヒクマにとっては理想的な出足だ。

 他に競りかけるウマ娘はなく、残りの7人は府中の長い直線勝負に賭けるのかヒクマから5バ身ほど離れたところに集団を形成する。形としてはドリーミネスデイズとヒクマがふたりで大逃げしているような格好になった。

 

『さあ先頭はドリーミネスデイズ。それをぴったりマークしてバイトアルヒクマと人気のふたりが先行してレースを引っぱります。そこから5、6バ身離れて中団グループ。3番人気シルバーサザンカは現在5番手か』

『ちょっと後方は人気のふたりを自由に行かせすぎじゃないでしょうかね』

『3コーナーにかかります。ペースはやや速いか。さらに差が開いて7、8バ身。ドリーミネスデイズがちょっと後ろを気にしています。おっとシルバーサザンカが上がっていく。早めに仕掛けてきたか』

『追ってきましたね』

 

 大欅の向こうに一旦ウマ娘たちの姿が消える。再び現れ、4コーナーへ。

 ヒクマは――まだ2番手で機をうかがっている。先頭のドリーミネスデイズが、やや掛かり気味にペースを上げていく。

 残り600を切った。4コーナーを越え、府中の長い直線に入る。

 

『さあ直線に入った。先頭はドリーミネスデイズ逃げる、3バ身ほど離れてバイトアルヒクマ、シルバーサザンカが外から迫る!』

 

 ヒクマが顔を上げた。内ラチ沿いを行くドリーミネスデイズ。そのやや外を回ったヒクマの前には、もう視界を遮るものはない。

 

「――行け、ヒクマ!」

 

 思わず、私がそう叫んだ、次の瞬間。

 ヒクマの身体がぐっと沈み込んで、――加速。

 

『バイトアルヒクマが伸びてきた! 坂を上る! ドリーミネスデイズ苦しい! 並んでかわした! かわした! 外からシルバーサザンカ、内からエンコーダーも追ってくるがバイトアルヒクマ完全に抜け出した! これは強い!』

 

「いっけええええ!」コンプとエチュードが身を乗り出して叫ぶ。

 ミニキャクタスが、柵を握りしめて食い入るように見つめる。

 そして私は――息をするのも忘れて、目の前を駆け抜けていくその横顔を見つめた。

 そこには。その横顔に浮かんでいたのは。

 ただただ、走れることが楽しくて仕方ないという、満面の笑顔。

 

 ――ああ、これだ。私が見たいのは、これからもずっと見続けたいのは、この顔だ。

 バイトアルヒクマに、この笑顔で走り続けてほしい。

 私が願うのは、たったそれだけのことでしかないんだ――。

 

『後ろを突き放して――今ゴールッ!』

 

 歓声の中、その笑顔が先頭でゴール板を駆け抜けていく。

 コンプやエチュードやミニキャクタスがそれぞれに喜びを表現する中で、私は改めて、ひとつの確信を噛みしめていた。――バイトアルヒクマと出会えて、良かった。

 

『バイトアルヒクマ、人気に応えてメイクデビュー、堂々の快勝です! これはこの先が楽しみなウマ娘の登場だ!』

 

 実況の声と、観客の歓声が、府中の青空に響いて消えていく。

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