モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
ブリッジコンプ、1番人気で迎えたデビュー戦は、半バ身差でユイイツムニの2着。
悪い結果ではない。タイムはデビュー戦なら普通は勝っているものだったし、レース展開もほぼ理想的だった。直線でユイイツムニに突き放されず粘った内容も、負けてなお強しと評されるに値するものだった。
中盤の競り合いも決して掛かってしまったというほどではない。ただ、相手が強かった。結局のところ、敗因はそれに尽きる。
――しかし、本人がそれに納得できるかどうかは別の話だ。
「コンプ」
レースを終え、戻ってきたコンプは、視線を落としてぎゅっと唇を引き結んでいた。
駆け寄ろうとしたヒクマとエチュードを制して、私はゆっくりとコンプに歩み寄る。
――負けてしまったときに何と声をかけるべきか、頭の中ではいろいろシミュレートしていたけれど、コンプのその表情を見たら、事前の想定なんて全部吹き飛んでしまった。
レースの勝者はひとり。勝つのは決して簡単なことではない。だからこそ、ひとつの負けで俯いている暇はない。それは正論だけれど、だからといって負けた悔しさが消えてなくなるわけではないし、その悔しさを失ってしまったら、上を目指すことなんて出来はしないのだ。
だから私は――俯いたコンプの頭に、ぽんと手のひらを載せた。
「お疲れ様」
「――――~~~~ッ」
両の拳を握りしめて、肩を震わせたコンプは――きっ、と睨むように私を見上げた。
「トレーナー!」
「うん」
「来週! 未勝利戦組んで! 小倉でも新潟でもどこでもいいから! 絶対勝つから!」
「――解った。でも、さすがに連闘はダメ。来月下旬ね」
「そんなの待てない! 未勝利戦なんてさっさと突破して、あいつ倒しに行かなきゃ――」
「解ってる。ユイイツムニを倒しに行こう。11月の京王杯ジュニアで」
「――――ッ」
「あと3ヶ月ある。次で未勝利戦を勝って、9月末か10月頭に条件戦ひとつ勝って、京王杯ジュニアだ。ユイイツムニはきっと出てくる。必ず倒しに行こう」
ぐしぐしとコンプの頭を撫でてやると、コンプはもう一度大きく肩を震わせて、
「――撫でるな~っ!」
両腕をぶんぶん振り上げて抗議する。よし、いつもの調子が戻ったようで何よりだ。ヒクマとエチュードが駆け寄ってきて、コンプに声をかける。あとはふたりに任せることにして、私はそっと離れた。
負けはしたが、たぶん勝利以上の収穫のあったレースだった。この負けで、コンプはもっと大きく強くなれるはずだ。そのために、私もできる限りのことをしよう――。
そう目を細めていると、ウイナーズサークルの方から歩いてくるウマ娘の姿が目に留まった。――ユイイツムニだ。ウイナーズサークルでのインタビューを終えて戻ってきたところらしい。
コンプがその姿に目を留めて、ヒクマとエチュードを振り切ってそちらに駆け寄る。
「ちょっと、そこのあんた!」
呼びかけに、ユイイツムニは応えない。足を止めることなく通り過ぎようとする。
「ちょっと、あんたよあんた、そこの三つ編み眼鏡!」
その言葉で、ようやくユイイツムニが足を止めた。無言でコンプを振り返る。
「11月の京王杯ジュニア、そこであんたのこと絶対倒すから! 絶対出てきなさいよ!」
「…………」
ユイイツムニは、眼鏡の奥の目を怪訝そうに眇めて――そして、無言で踵を返す。
「あっ、こら、無視すんなー!」
地団駄を踏むコンプをスルーして、ユイイツムニの背中は遠くなっていく。「うがー!」と吼えるコンプを、ヒクマが慌ててなだめに行った。
それを眺めながら、私は不安そうに俯いているエチュードへと歩み寄った。
「エチュード」
「……トレーナーさん」
ヒクマの勝利と、コンプの敗北。明暗の分かれた親友ふたりのデビュー戦を見て、エチュードはどう思っただろう。その内心はただ推し量ることしかできないが、泣いても笑っても明日はエチュード自身のデビュー戦だ。
「怖い?」
「…………っ」
私の問いに、エチュードはぎゅっとスカートを握りしめて、「……はい」と頷いた。
私は、その頭をぽんぽんと撫でてやる。
「じゃあ、今のうちに怖がれるだけ怖がっておこう」
「――え?」
「そうすれば、明日には怖がるのに飽きちゃってるよ」
「――――…………」
怖がることはないとか、開き直れとか、口で言うのは簡単だけれど、言われてそうできれば誰も苦労はしないのだ。自分の競走人生のスタート地点、怖がらないヒクマやコンプの方が珍しい。
怖がって、怖がって、でも挑むしかない。エチュードの性格的に、ヒクマやコンプの真似はできないのだから、エチュードなりの開き直り方を、エチュード自身が見つけるしかないのだ。
「……トレーナーさん」
「うん」
「あの……恥ずかしい、です」
「あ、ごめん」
ヒクマが撫でてやると喜ぶから、どうも癖になってしまっている。ぱっと手を放すと、エチュードはますます身を縮こまらせて、消え入りそうな声で言った。
「…………は、恥ずかしいけど、嫌、じゃ、ないです」
「え?」
「明日……もし、勝てたら……あの、ヒクマちゃんみたいに……褒めて、くれますか?」
「――――ああ、もちろん」
頷いた私に、エチュードは――スカートから手を放し、その両手を拳の形に握りしめた。
* * *
「や、ムニっち、デビュー戦おつかれ~」
「……チョコ」
担当トレーナーとの軽い話し合いを終え、控え室まで戻って来たユイイツムニを出迎えたのは、親友のチョコチョコだった。控え室のドアの横、後頭部で腕を組んで、壁にもたれたチョコチョコに、ユイイツムニは足を止める。
わざわざ札幌まで来ているのは、ふたりとも、同じトレーナーの担当だからである。というか、先にユイイツムニがスカウトされ、担当を決めあぐねていたチョコチョコが「ムニっちと一緒の方が気楽でいいや」とユイイツムニの担当に自分を売り込んだのだが。
「トレーナー、なんだって?」
「……次、カンナステークスだって」
「てことは、次は中山かあ。で、その次が京王杯ジュニアか、ひょっとしたら朝日杯?」
ユイイツムニは頷く。トレーナーが自分に期待していることは理解している。次走はスプリンターズステークスが開催される中山の1200を経験させて、順調ならそのまま東京1400の京王杯ジュニアステークス。もしマイルもいけそうなら、12月の朝日杯FSも視野に入れる――というところか。
スプリントだけではどうしても出られるレースが限られる。マイルもいけるなら、クラシック級の春はNHKマイルカップに挑ませたいというのが、トレーナーの本音だろう。
「さっすが、期待の星は違いますなあ。ま、あたしは年内に重賞出られればいーや。同じ担当のウマ娘をわざわざ同期の期待の星にはぶつけないだろーし」
「…………」
飄々と言うチョコチョコに、ユイイツムニは目を眇める。――口ではそう言っておいて、チョコチョコの実力は同級生でルームメイトのユイイツムニが一番よくわかっている。全く、謙遜もいいところだ。同期で一番のライバルは、間違いなくこの親友になる。
――今日のレースまでは、ユイイツムニもそう思っていた。
「でもさあ――」
と、チョコチョコが不意に顔を引き締めてユイイツムニを見やった。
「ムニっちも安穏とはしてらんないよねえ、今日のレース見たらさ。ムニっちに直線で突き放されずに最後までついてきた子、初めて見たよ」
「――――」
言われるまでもない。そんなことは、あの子と一緒に走った自分が一番よくわかっている。直線で抜け出した瞬間、これであとは突き放すだけだと思った。――なのにあの子は、あの栗毛のウマ娘は、最後まで食らいついてきた。
最後の直線200メートル、ユイイツムニが全力でスパートして、全く差を広げられなかったのは――あの子が、初めてだった。
半バ身後ろに、ぴったりと食らいついてきたその気配は、忘れるべくもない。
「……さっき、あの子に言われた」
「お? なんて?」
「京王杯ジュニアで再戦しろって」
「――どうすんの? ムニっち」
試すように、チョコチョコは笑みを浮かべてユイイツムニを見やる。
答えはひとつだ。考えるまでもない。
「叩き潰す」
「――あはは、そうでなくっちゃねえ」
心底楽しそうに、チョコチョコは拍手するように手を叩いた。
* * *
一方その頃、ブリッジコンプの控え室。
「――あーっ!」
シャワーを浴びて汗を流し、着替えようとロッカーを開けたブリッジコンプは、そこに掛かっている衣裳を見て、大事なことを思い出した。
「どしたの? コンプちゃん」
ドアを薄く開けて、ヒクマとエチュードが覗きこむ。
コンプはその衣裳――ウイニングライブ用の衣裳を手に、固まっていた。
「……1着になることしか考えてなかったから、2着の振り付け全然練習してない」
その言葉に、ヒクマとエチュードは顔を見合わせる。
ウイニングライブは3着までステージに上がる。2着のコンプは、1着のユイイツムニの横で踊らないといけないのである。
「だ、大丈夫……! 私が覚えてるから、今から練習すれば間に合うよ……!」
「じゃ、わたし1着やるから、合わせてやろ!」
「ううっ、助かるぅ……」
――そうして、全レース終了後のウイニングライブの時間までを、ブリッジコンプはひたすら「Make debut!」の2着の振り付けの練習に費やすことになるのだった。