モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
第29話 ジャラジャラ襲来!
トゥインクル・シリーズのサマーレースも、8月には後半戦に入る。早めにデビューを迎えたウマ娘たちのジュニア戦線が盛りあがってくる季節でもある。
リボンエチュードとブリッジコンプの2戦目となる未勝利戦は、ともに8月26日の札幌に決まった。エチュードが第1レースの芝1800、コンプが第2レースの芝1200。メイクデビューと同条件なので、ふたりとも気楽に走れるだろう。
そしてその翌週、9月2日には、バイトアルヒクマの第2戦、GⅢ札幌ジュニアステークスが待っている。
「よーし、3人とももう一本いこう!」
「はーい!」「オッケー!」「わかりましたっ」
デビュー戦を済ませ、正式にトゥインクル・シリーズでの戦いが始まった3人。デビュー戦の明暗こそ分かれたが、それぞれにレースを体験して、改めて気合いが入ったのだろう。トレーニングにも熱が入っていて、いいことだ。
今日はいないが、ミニキャクタスとの合同トレーニングもちょくちょく続いている。ミニキャクタスの次走は9月、中山芝1600の1勝クラスの条件戦、アスター賞らしい。あの模擬レースで見せたミニキャクタスの素質からすれば、オープン特別や重賞に格上挑戦してもいいと思うのだが、小坂トレーナーには彼女なりの考えもあるのだろう。
「よーし、15分休憩ね」
「ふひー、疲れたぁ」
コンプが芝生に倒れこみ、汗を拭うヒクマとエチュードに私はスポーツドリンクを手渡す。そうして一息ついていたところに。
「よう、やってるな!」
野太い声がかかり、私は振り返る。角刈りで筋肉質のトレーナーがこちらへ手を挙げていた。学園の中堅どころである、棚村トレーナーだ。見た目通りの熱血指導タイプだが、同時にウマ娘の自主性を尊重する方針でも有名で、素質はあるが扱いにくい気性のウマ娘のやる気を引き出す指導に定評がある――という評判を耳にしている。
その傍らには、見覚えのあるウマ娘の姿。――彼の担当ウマ娘であり、ヒクマの同期となる、目下ティアラ路線における最大の強敵のひとりになるだろうウマ娘。選抜レースでも戦った、ジャラジャラだ。
「棚村トレーナー、お疲れ様です。何か?」
「ああ、そっちの担当の、うちのジャラジャラと一緒に『月刊トゥインクル』で取材されてたのがいるだろう」
「バイトアルヒクマですか?」
私がヒクマの方を振り向くと、ヒクマが視線に気付いて首を傾げた。
「ジャラジャラが併走したいって言うんだが、構わないか」
「ジャラジャラが?」
意外だ。同じ選抜レースで走ったとはいえ、あのときのヒクマは勝ったジャラジャラに5バ身も離されていたし、まだデビュー戦を勝っただけで向こうが注目するような実績を挙げたとも言えない。『月刊トゥインクル』の8月号で一緒に特集記事に載ったのだから名前ぐらいは覚えられていてもおかしくないが……。
「こちらとしてはありがたい申し出ですが……」
世代トップ候補との併走なんて機会は逃したくないが、ヒクマの意見も聞いてみないと、と振り向くと、ジャラジャラがヒクマに歩み寄っているところだった。
「おーい、アルバイトスルクマってのはあんたかい?」
「ほえ、わたし? てゆか、違いますー! クマじゃないです! バイトアルヒクマ!」
目をしばたたかせたヒクマは、ぶんぶん両手を振って抗議する。
「わかった、覚えた覚えた。バイトシテルクマ」
「バイト・アル・ヒクマ!」
「あー、もうクマでいいだろ?」
「クマじゃないですー!」
頬を膨らませるヒクマに、ジャラジャラはぐっと拳を突きつけた。ヒクマはきょとんと瞬きする。
「あんた、トリプルティアラであたしに勝つんだって? 雑誌で読んだよ」
「ほえ? あ、『月刊トゥインクル』!」
「その実力、ちっと確かめさせてもらおうと思ってね。併走いいかい?」
「え、あ、うん! いいよ! ……えと、いいです?」
「同期だろ。タメ口でいいよ、クマ」
「クマじゃないですってばー! じゃなくて、クマじゃないのー! バイトアルヒクマ!」
――どうやら当事者同士で話がまとまってしまったようだ。それならまあいいのだが、ジャラジャラとエレガンジェネラルに挑むのはもう少し先にする、と前にヒクマは言っていたのだが、良かったのだろうか?
「ヒクマもOKみたいですので、よろしくお願いします。……でも、どうしてヒクマに?」
「ジャラジャラの希望でね。エレガンジェネラル以外にも、戦いたくなるような同期のライバルが欲しいらしい」
「はあ」
「いや、正確にはジェネラルの他に気になってるのがもうひとりいるらしいんだが、名前が思いだせないとかなんとか……。ともかく、デビュー戦で快勝した同期の注目株の実力を確かめたいんだそうだ」
なるほど、それでヒクマに目をつけたというわけか。同世代の最有力ウマ娘の目に留まったのを光栄に思うべきか、既に選抜レースで戦ったことを忘れられているのを悔しく思うべきか……。まあ、選抜レースではジャラジャラはずっと先頭を走って、ヒクマは影も踏めなかったのだから、視界に入っていなかったのも当然かもしれない。
「君のところの彼女、デビュー戦見させてもらったよ。うちのジャラジャラも、王寺のところのエレガンジェネラルもスルーして、即決で彼女をスカウトしたんだって? 新人にしちゃあしたたかな目利きだ」
「……いや、別にそんな」
私がヒクマをスカウトしたのは、有力ウマ娘に他のスカウトが群がるのを見越しての一本釣りなんて戦略的なスカウトではないのだが……まあ、そう見られても仕方ないか。
ちなみに王寺というのは、エレガンジェネラルの担当トレーナーである。私はあまり関わりはないが、熱血で自主性尊重の棚村トレーナーと違い、管理主義の理論化肌のトレーナーと聞いている。見た目もその評判に違わぬクールな眼鏡青年だ。
閑話休題。私は棚村トレーナーにひとつ会釈して、ヒクマに歩み寄る。
「ヒクマ、いいの? 勝負するのは後でにするって言ってなかった?」
「え? あ、うん。でも向こうから一緒に走りたいって言ってくれたし!」
向こうから挑まれる分には構わないというわけか。無邪気に見えるヒクマだけれど、あのふたりに対して自分から挑むのにはやはり気後れするところがあるのかもしれない。
「おっしゃ。1600の右回りでいいかい?」
ジャラジャラがパンと拳を打ち鳴らす。1600の右回り――阪神JF、そして桜花賞の条件か。桜花賞はこちらも目標だから異存はない。
「芝じゃなくウッドチップだぞ、ジャラジャラ!」
「わーってるよ!」
棚村トレーナーが声をあげる。条件は決まった。
――選抜レースの5バ身差から、果たしてどれだけ距離は詰まっただろうか?
あるいは、もっと差をつけられてしまっているのだろうか……?
* * *
スタートはコンプ、ゴールはエチュードが務めることになり、ウッドチップコースにヒクマとジャラジャラが並ぶ。ちらほらとコースには見物人が集まり始めていた。まあ、目当てはジャラジャラの方だろうが。
「それじゃ、よーい、スタート!」
コンプが右手を挙げると同時、ふたりがコースへと飛び出す。やはりジャラジャラのスタートダッシュは凄い。全身がバネのように勢い良く飛び出していく。
だが、スタートならヒクマだって負けてはいない。ぴったりとジャラジャラの後ろにつけた。ジャラジャラはちらりと背後に視線をやり、何か不敵な笑みを浮かべる。
「ほう――」
私の隣で腕組みをしていた棚村トレーナーが、感嘆したように息を吐いた。
「ジャラジャラのスタートに平然と食らいつくか! こりゃあ――ははっ、ジャラジャラも楽しそうだな! 結構結構!」
呵々と笑う棚村トレーナーの横で、私は拳を握りしめる。
ジャラジャラはウッドチップコースでもお構いなしに、ハイペースで飛ばしている。ヒクマは1バ身後ろを追走。よし、良い形だ。今の風向きは直線の間は向かい風。相手が先頭で風を受けてくれるならそれを利用するに越したことはない。
ジャラジャラをぴったりマークして後ろにつけ、風よけにしながら好位で追走、脚を残して直線で差し切る――先行型のヒクマがハイペースで逃げるジャラジャラに対抗するとすれば、基本はそういう形になるはずだ。
特に指示したわけではないが、ヒクマはそのことをちゃんと解っている。やっぱりこの子は、レースに対する直感と集中力には目を見張るものがある。
もちろん他のウマ娘もいる実際のレースではそう上手くいかない。たとえばエレガンジェネラルも基本は同じことを考えるはずだから、好位の奪い合いは熾烈にならざるを得ないだろう。だが、今は一対一の併走。走りたいように走っていい。
となれば、あとはスタミナと仕掛けのタイミングの勝負――。
「いっけー、クマっち!」
スタート地点から離れて観戦に戻って来たコンプが声をあげる。コーナーに入ったヒクマは、綺麗なコーナリングで最内を回っていくジャラジャラを、やや外目から追う。距離を若干ロスして少し差が開いたが、4コーナーに入れば徐々に追い風に変わる。
コーナーを抜け、直線に入った。ヒクマの視界が開ける。
――行け!
私が心の中でそう叫んだ瞬間、ヒクマがぐっと前に出た。
「よーし、抜いちゃえー!」
コンプが拳を突き上げる。それに応えるように、ヒクマがジャラジャラに並ぶ。
そしてそのまま、先頭へ躍り出る――、
瞬間、ジャラジャラが、隣に視線をやって――獰猛な笑みを浮かべた。
直後、加速。
「――ッ!」
抜けない。抜かせない。ヒクマもスパートをかけているのに、ジャラジャラは半バ身前に出て、そのまま弾丸のように前傾姿勢で突き進む。
なんてスピード。道中は控えて流して直線スパート、なんてレースのセオリーに真っ向から牙を剥くように、ジャラジャラはハイペースで飛ばした脚でなお加速する。
ヒクマとの差が、1バ身。1バ身半。ヒクマは歯を食いしばって食らいつくが、その差は詰まらない。むしろ、残酷に開いていく。
――強い。改めて実感する。これがジャラジャラ。これが世代最強候補。
この背中を捕らえなければ、トリプルティアラには届かないのだ――。
「ごっ、ゴール!」
エチュードが旗を揚げたとき、先頭で駆け抜けたジャラジャラと、届かず敗れたヒクマの着差は、およそ2バ身だった。
* * *
「はぁっ、はぁっ、はぁ――」
ゴールしたヒクマが、膝に手を突いて荒い息を吐き出す。
「ほっ、ほっ、ほ――」
乱れた息を整えるように空を見上げたジャラジャラが、踵を返して、汗を拭うヒクマへとゆっくりと歩み寄った。
「おおい、クマ」
「……クマじゃ、ないって、ばぁ」
「次、どのレースに出るんだ?」
「ほえ? えと、来月の札幌ジュニア」
「ふうん――ティアラ志望だろ? 年末は阪神来るのか?」
「う、うん、その予定……」
顔を上げたヒクマに――ジャラジャラは。
にっ、と、底抜けに楽しそうな、無邪気な子供のような笑みを浮かべた。
「もうちょいだな」
「……え?」
「次にあたしと走るときはもっと鍛えてこいよ! そしたら全力で叩き潰してやる!」
そう言って拳を突き出したジャラジャラに、ヒクマはきょとんと目をしばたたかせ、
「む~~~っ、次は絶対負けない!」
頬を膨らませて、拳を突き出し返した。
グータッチをするわけではない。それとは対極の宣戦布告。
けれど、それを交わすジャラジャラとヒクマは――どこか非常に、楽しそうに見えた。
「お疲れ様、ヒクマ」
ジャラジャラと棚村トレーナーが辞去するのを見送って、私はヒクマに歩み寄る。
「あ、トレーナーさん。……うー、また負けちゃった……」
ヒクマはしょんぼりと肩を落とし、悔しそうに拳を握りしめる。
前は5バ身差、今回は2バ身差。長足の進歩だ。――そう励ますのは容易い。
ただ、たぶんヒクマもわかっている。この2バ身差は、今回詰めた3バ身ぶんより、遥かに遠い距離だということを。
――たぶん、阪神JFまでの4カ月では、まだ届かない。競りかけを許さないハイペースでの逃げ切りを仕掛けるジャラジャラに、正攻法で勝つのは、今のヒクマでは難しい。
もちろんレースに絶対はない。何が起こるか解らないのがレースだ。だが、向こうのミスやアクシデントを期待する時点で精神的に負けている。
だけど。
桜花賞までの8カ月。それだけあれば――追いつくことも、不可能ではないはずだ。
デビュー戦の走りを見たときに思い浮かんだ、ひとつのプラン。
ティアラ路線のウマ娘なら、普通は選ばないローテーション。
――次の札幌ジュニア次第だけれど、本格的にそれでいくことを考えるか。
このローテを走らせてみようと考えるのは、私が物知らずの新人だからだろうか?
だが、ヒクマの大目標はドバイシーマクラシックなのだから――。
「トレーナーさん?」
ヒクマがきょとんと私を見上げる。私は思考を切り替えて、ヒクマの頭を撫でた。
「次、絶対ジャラジャラに勝とう。そのためには、まず来月の札幌ジュニアだ」
「あ、うん! よーし、次は負けないぞー!」
拳を突き上げるヒクマに、私も倣って高く手を挙げる。
手を伸ばせば、届くはずだ。そう信じるように、高く、高く。