モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
退屈だった。
誰も追いついてくる奴がいない。スタートからゴールまで、何の緊張感もない一人旅。ただのタイムトライアルと変わらない。これじゃあただの公開トレーニングだ。
トゥインクル・シリーズも、デビュー戦じゃこんなものか。過大な期待はしていなかったけれど、それでも軽い失望があった。
あいつ以外に、あたしをワクワクさせてくれる奴はいないのか?
『次のレース、どうする?』
だから、トレーナーにそう問われたとき。
『あー……阪神JF直行でいいか、トレーナー?』
ひどく投げやりに、あたしはそう答えた。戦いたい相手はひとりだけ。そいつが確実に出てくる大舞台以外に、自分が走る意味のあるレースがあるとは思えなかった。
『スカウトしたときの約束だからな。出走レースの選択は君の希望が優先だ。ただ、デビュー勝利だけだと除外の可能性はあるぞ』
『……』
『走りたいレースが出来たら言ってくれ。それまでは阪神JFに向けてみっちり鍛えるメニューを組んでおく。――今日の走りは最高だった。君をスカウトして良かった』
――その言葉に、あたしは返事をしそびれてしまった。
* * *
6月のデビュー戦を終えてひと月ちょっと。
ジャラジャラは――端的に言って、退屈していた。
「……はあ」
自室のベッドに寝転がって、無為に天井を見上げながら溜息をつく。
すると、それを聞きとがめたルームメイトが、読んでいた雑誌から顔を上げた。
「なんですか、ジャラジャラさん」
「別に」
「貴方に溜息なんかつくような繊細さがあったとは驚きです」
「ナチュラルにひでーこと言うなあ、ジェネ」
身体を起こして向き直ると、エレガンジェネラルは雑誌を閉じてこちらに身体を向けた。読んでいたのは『月刊トゥインクル』の8月号のようだった。ジェネラルのことだ、別に自分のインタビュー記事を眺めてニヤニヤしていたわけではなく、あの雑誌の多すぎるデータの細部まで目を凝らして頭に叩き込んでいるのだろう。
「それで、そちらはいつになったら次走を決めるんですか?」
と、ジェネラルは単刀直入に切り込んでくる。ジャラジャラは鼻白んで頬杖をついた。溜息の理由がお見通しなら聞くなと言いたい。
そう、デビュー戦からひと月。ジャラジャラはまだ、2戦目の予定が決まっていなかった。と言っても、別に怪我でもなければゲート審査に引っかかったわけでもない。出走数をなるべく絞ろうというトレーナーの意向――というわけでもない。
端的に言えば、ジャラジャラのわがままの結果である。
「んなこと言われてもなあ。これといって走りたいレースがねーんだもん」
後頭部で腕を組んで、ジャラジャラはぼやく。ジェネラルは大げさに嘆息した。
「そんな理由で次走を決めないウマ娘は、トレセン学園広しと言えどもジャラジャラさんだけですよ? 条件戦でもオープン特別でも、なんでも走ればいいじゃないですか」
「勝って当たり前のレース走って何が楽しいんだよ」
「――そこまで傲慢な理由で次走を決めないのも貴方だけですから」
じろりと睨まれ、ジャラジャラは肩を竦める。事実を述べているだけだというのに。
ジュニア級の間に走れるのは、ジュニア級限定戦だけだ。ジャラジャラにとっては、自分より強い相手がいないことが解っているレースになんて、出る気がしないというだけの話である。
かと言って――。
「だったら、新潟ジュニアステークスに来ればいいでしょう。相手になりますよ」
「あたしは好物はできるだけとっておく派なんでね」
「――光栄です、とは言いませんよ」
エレガンジェネラルの2戦目は、8月下旬のGⅢ新潟ジュニアステークスに決まっている。ジェネラルによれば、その後は10月のアルテミスステークスを挟んで年末の阪神JF。それどころかクラシック級までのローテーションをデビュー前から決めているらしい。RTAのチャートかよ、とジャラジャラは思う。
まあ、ジェネラルならどちらも余程のことがなければ勝つだろう。3連勝で意気揚々と阪神JFに乗りこんできたところで、鼻っ柱を叩き折ってやる――ということは、ジャラジャラも決めてはいるのである。
ただ、相手がジェネラルだけというのは、やはりいかにも寂しい。阪神JFで格付けが済んでしまったら、その後は誰を倒しに行けばいいのか。シニア級のウマ娘と戦えるのはクラシック級の夏からになる。せめてもう2、3人は、倒したいと思えるライバルが同期に欲しいところだ。だが、学内を見渡してもなかなか見当たらない。
以前、ひとり面白いのを見かけたのだが、いかんせん顔も名前も思いだせない。かといって闇雲にそいつを探すのも馬鹿馬鹿しいし、どうしたものか――。
「彼女はどうですか?」
と、ジェネラルは手にしていた雑誌を差し出してきた。なんだよ、と受け取ってみると、ジャラジャラも受けた新人ウマ娘インタビュー記事である。雑誌は送られてきたけれど、自分の言ったことが自分の写真とセット活字になっているというのはどうも落ち着かなくて、並んで載っているジェネラルのところを流し読みしただけだった。
「これあたしとお前の記事じゃんか」
「もうひとり、一緒に載っている子ですよ。選抜レースでも一緒に走った子ですけど、覚えてませんか?」
「選抜レース? ジェネのことしか見てなかったからなあ」
「……そういう微妙に誤解を招くようなことは言わないでください」
何の話だ。首を捻りつつ、ジャラジャラは雑誌の記事に目を落とす。そこには、変わった名前のウマ娘が、緊張気味の顔でインタビューを受けていた。
ざっと流し読む。母親の走ったドバイのGⅠへの出走を目指すというそのウマ娘は、インタビューの最後にこんなやりとりをしていた。
――来年のティアラ路線には、ジャラジャラとエレガンジェネラルという注目のウマ娘がいます。選抜レースでも既に戦われた相手ですが、ふたりに対して意気込みのほどを。
――トリプルティアラで、絶対勝ちます。
「ふうん」
まあ、雑誌のインタビューでこう聞かれれば、こう答えるのは普通だろう。しかし、選抜レースで一緒に走ったと言われても、全く印象に残っていない。まあ、自分はずっと先頭を走っていたのだから、迫ってきたジェネラル以外は元より眼中になかったが。
「彼女のデビュー戦の映像を見ましたけど、強い勝ち方でしたよ。この後はジュニアの重賞に出て、阪神JFにも出てくるんじゃないかと思いますが」
「どれどれ」
手元のスマホで、そのウマ娘の変わった名前を検索してみる。映像はすぐに出てきた。6月のメイクデビュー東京、芝1600。
――へえ。
その映像の走りを見て、少し興味が湧いた。こんなのと同じ選抜レースで走ってたのか。こいつは思わぬ原石かもしれない。実物の走りを改めて見てみたくなった。
ジャラジャラはすぐに手元のスマホで、担当のトレーナーに電話をかける。
「あ、トレーナー? 同期のさあ、バイトなんとかってのと併走してみてーんだけど、そいつのトレーナーに話つけてくんない? ……そうそう、月刊トゥインクルに載ってたそいつ。頼むわ」
通話を切って顔を上げると、ジェネラルが呆れ顔でこっちを見ていた。
「迅速果断というか、考えなしというか……」
「薦めたのはジェネじゃんかよ」
「そうですけど。まあ、同室で腑抜けた顔されてるよりはいいです。手頃な獲物を見つけた動物みたいな顔の方が似合ってますよ、ジャラジャラさんには」
「……ジェネ、そりゃ口説き文句か何かかあ?」
「な、なんですかその反応は」
顔を赤らめるジェネラルに、ジャラジャラは頬杖をついて目を細めた。
* * *
そうして翌日。そのウマ娘――バイトなんとかクマに、ジャラジャラは併走を申し込んだ。結果は言うまでもなくジャラジャラの勝ちである。だが――。
「どうだった? ジャラジャラ」
併走のあと、出迎えたトレーナーの顔を見上げて、ジャラジャラは。
ぱん、と拳を打ち鳴らして、堪えきれずに笑みを漏らした。
「ジェネの見る目は確かだったよ。――あのクマ、化けるよ、トレーナー」
担当トレーナーと拳を上げて気合いを入れ直しているらしいバイトアルヒクマをちらりと見やり、ジャラジャラは目を眇める。
レーススタイルはジェネラルと似ている。逃げる自分をぴったりマークして、ハイペースに果敢についてくる先行押し切り型。ただ――。
向こうが先にスパートをかけて、並びかけてきたとき。
ちらりと見たその横顔に浮かんでいたのは――どこまでも楽しそうな笑顔だった。
ジェネラルだったら、レース中にあんな顔は見せない。すました顔で淡々と自分を追い、どこまでも涼しい顔で迫ってくる。
自分のハイペースはついてくるだけで疲弊するはずだ。それを、涼しい顔をしているだけでなく、あんなに楽しそうに追ってくる奴は――初めて見た。
今回の距離、芝1600ならまだ負ける気はしない。だが、もっと距離が伸びれば。あるいは8ヶ月後、桜花賞でぶつかるときは――どうなっているだろう?
――こうでなくちゃ。せっかくのトゥインクル・シリーズ、同期に強い奴がいなきゃ、張り合いがない。ジェネラル以外にも、強い奴は多ければ多いほどいい。
それでこそ、全部まとめてねじ伏せる楽しみがあるというものだ!
「楽しそうで何よりだ」
腕を組んで、トレーナーは嬉しそうにうんうんと頷く。その顔を見上げて、ジャラジャラは小さく笑みを漏らした。
――まったく、こんなわがままな気性難のウマ娘に、こんなに嬉しそうに付き合ってくれるなんて、なんつー物好きなトレーナーだ。自分のことながら、そう思う。
しゃーねーな。トレーナーのために、重賞ひとつぐらい勝っといてやるか。
「トレーナー。阪神JFまでの間に、新潟ジュニアと札幌ジュニア以外で、なんか適当なマイルか中距離の重賞あるか?」
出るならジェネラルと、あのバイトなんとかクマの出てくる重賞以外だ。
あのふたりを、ジュニアのGⅢなんて半端な舞台で倒しちまうのは、勿体ない。倒すならGⅠ。阪神JFと、トリプルティアラで叩きのめしてやる。
そのジャラジャラの言葉に、トレーナーは待ってましたとばかりに拳を握る。
「10月の府中1600、サウジアラビアロイヤルカップでどうだ?」
「いいじゃん、それで頼むわ。あいつら倒すにしても、あたしもひとつぐらい箔つけてかねーとな」
もう一度拳を打ち鳴らすと、トレーナーは満面の笑みを浮かべて頷いた。
「解った。――ジャラジャラ」
「なんだい?」
「俺は、君のその顔が見たかった。――もっともっと見せてくれ」
トレーナーのその言葉に、ジャラジャラは目をしばたたかせて。
そして――にっ、と笑って、トレーナーに拳を突き出す。
「トレーナー。――だったらもっともっと、あたしより強い奴と戦わせてくれよな!」