モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第34話 ミニキャクタスの決意

 バイトアルヒクマの札幌ジュニアステークスを、ミニキャクタスは小坂トレーナーと一緒にトレーナー室のテレビで観戦していた。

 文句なしの圧勝。画面の中で笑顔で観客席へ手を振るバイトアルヒクマの姿に、ミニキャクタスはぐっと唇を引き結んで見つめる。

 湧き上がった感情は――嬉しさよりも、まず、悔しさだった。

 先に行かれた。先を行かれた。重賞初制覇。これでヒクマは、一躍トリプルティアラの有力ウマ娘に躍り出た。それなのに――自分はいったい、何をしているのだろう。

 デビュー前の選抜レースも模擬レースも、今となっては何の意味もない。デビューしたウマ娘にとっては、トゥインクル・シリーズで残した結果が全てだ。デビュー戦勝利という自分の実績だって、同期のウマ娘全体の中では今のところは上位だということは解っているけれど、追い抜かれてしまった、という思いばかりがこみ上げてくる。

 いや、自分が前を走っているという認識自体が、そもそも幻想、思い上がりに過ぎなかったのか。そうなのかもしれない。所詮、自分なんて――。

 誰にも注目されない、誰にも気付かれない、南国の白い花が咲き誇る温室の、隅っこに置かれた、小さなサボテンでしかないのに。

 

「…………キャクタスちゃん…………」

 

 膝の上で握りしめた手に、そっと隣から伸ばされた手が重ねられた。顔を上げて振り返ると、小坂トレーナーが長い前髪の下から、キャクタスを見つめていた。

 

「……トレーナー、さん」

「…………焦る必要は、ないですよ…………。キャクタスちゃんが負けたわけじゃないんですから…………。直接対決で、勝てばいいんです…………」

「…………」

 

 直接対決で勝つ。――そんなことが、本当にできるのだろうか?

 そもそも、自分なんかが、あの子と同じ舞台に立てるのか?

 ヒクマはこの後、間違いなくGⅠ戦線に向かうだろう。同期の中でも一握りのウマ娘だけが立つことを許される最高の舞台に。そこに――自分は、そもそも立つことを許されるのだろうか?

 ああ、ダメだ。キャクタスは目を瞑って首を振る。考えれば考えるほど、思考は負のスパイラルに落ちこんでいく。

 そもそも――友達の晴れ舞台での勝利を喜べない自分は、最低じゃないか?

 こんな自分を見つけて、声をかけて、友達と言ってくれたヒクマなのに。

 その勝利を素直に祝福できずに、僻んでばかりいる、卑しい思考回路――。

 こんな自分が、あの子の友達でいる、資格なんて、

 

「――ッ……トレーナーさん、私、走ってきます」

「あ……キャクタスちゃん」

 

 トレーナーの手を振り払うようにしてキャクタスは立ち上がり、そのままトレーナー室を飛び出した。廊下を駆け抜けて外に出て、そのまま学園の敷地の外まで駆け出して、ただがむしゃらに走って行く。

 多くのウマ娘がランニングする河川敷を、レース並のスピードで駆け抜けていく。追い抜かれたウマ娘たちが驚いた顔をするが、それにも構わずキャクタスは走る。

 だけど、走っても走っても、モヤモヤした気持ちは一向に晴れることはなく。

 ――自分はいったい、どうしたいんだろう。

 ヒクマに勝つ、という目標を立てたはずだったのに、あの子の背中がもう手が届かないほど遠くにあるような気がして。

 どうすればいいのだろう。走っても、走っても、答えが見つからなかった。

 

 

       * * *

 

 

 同日夜、札幌市内のホテル。

 

「んー……」

「どったの? クマっち」

 

 ベッドに腹ばいになってスマホを弄っていたヒクマが唸るような声をあげ、隣のベッドに寝転がっていたコンプは振り返った。

 

「キャクタスちゃんに『勝ったよー』ってメッセージ送ったんだけど、既読つかなくて」

「スマホも見ないでトレーニングしてるんじゃないの? 次走、来週じゃなかったっけ」

「あ、そっか」

 

 ヒクマは納得した様子で頷く。コンプは手元のスマホでレーススケジュールを確認した。確かミニキャクタスの次走は1勝クラスのアスター賞。来週、9月9日の土曜日だ。

 

「キャクタスちゃんのレースって中山だよね? 土曜日応援行こうよ!」

「んー、あたしは日曜ビー姉の応援あるからなあ。同じ中山だけど」

 

 来週、コンプの姉のビウエラリズムがGⅢ京成杯オータムハンデキャップに出るのだ。なんとこのレース、姉のサマーマイルシリーズ優勝がかかっている。ビウエラリズムは、初戦の米子ステークスで久々の勝利を挙げたあと、中京記念4着、関屋記念5着で着実にポイントを積み上げていた。中京記念と関屋記念の勝ちウマ娘は京成杯AHに出てこないため、5着に入れば優勝が確定するのだ。

 姉が夏場に中3週で4戦という過酷なローテをこなしてでも掴み取ろうとしている、優勝の二文字。シニア級2年目、未だ重賞未勝利の姉が栄冠を掴み取るところは、妹として見届ける義務がコンプにはある。

 

「じゃあ両方応援行こうよ!」

「そりゃ行けるならあたしも行きたいけど。先週今週と2週続けて3人で札幌遠征して、トレーナー、来週も2日続けてトレーニング休ませてくれると思う?」

「う、うー……そっかあ……」

「ま、一応トレーナーにあとで確認取っとこっか」

「ん、そうだね」

 

 

       * * *

 

 

 翌日、日曜日。晴れないモヤモヤを抱えたまま、ミニキャクタスはランニングを続けていた。走っても走っても、詮無い思考を振り払えない。自分がいったいどうしたいのか、これからヒクマとどう接したらいいのか――何も答えが出ないまま。

 普段のキャクタスであれば、黙々と走っていれば、誰も声をかけてはこない。せいぜい小坂トレーナーだけだ。――だけれど、今は。

 

「あ、キャクタスちゃん見っけ!」

「――――ッ」

 

 背後から、あの子の声がした。思わず立ち止まって振り返ろうとしてしまい、しかしどんな顔で彼女の顔を見ればいいのかわからなくて、キャクタスは逃げるように足を急がせる。――逃げられはずもないのに。

 

「あれ? 聞こえなかったのかな……。おーい、キャクタスちゃーん!」

 

 大きな声。どうして、他の誰にも気付かれないような自分を、あの子は遠くからでもすぐに見つけて、あんな大きな声で呼んでくれるのだろう。

 それが――そのことが、嬉しいのに、今は苦しい。

 

「キャクタスちゃんってばー。むー」

 

 追いかけてくる足音。ペースを上げるのは簡単だった。だけどそうすることは、あまりにも逃げていることが露骨になりすぎて、そこまで明確に彼女を拒絶してしまうことも、キャクタスには出来なかった。

 結局は、その優柔不断によって、向き合いたくない現実が追いついてくる。

 

「キャクタスちゃーん! つかまえたー!」

 

 視界に、並んでこちらを覗きこんでくる彼女の――バイトアルヒクマの大きな瞳が飛び込んできて、キャクタスはゆっくりと足を緩めて立ち止まる。ヒクマも少し行ったところで足を止めて、こちらを振り返った。

 

「えへへ、ただいま!」

「…………」

 

 おかえり、と。その一言すら上手く言えなくて、キャクタスは無言で頷くしかできない。視線を足下に落としたままでいると――そこに、何かが差し出された。

 ビニール袋に包まれた、四角い紙箱。《札幌レース場限定 蹄鉄型クッキー》の文字が見えた。

 

「はい、おみやげ!」

「…………え、私、に?」

「うん、私からキャクタスちゃんに。キャクタスちゃんにお礼言いたかったし!」

 

 ――お礼?

 袋を受け取って、きょとんとキャクタスは目をしばたたかせる。――と、ずいっとヒクマが顔を近づけてきて、キャクタスは思わず身を引いた。

 

「改めてキャクタスちゃん、たくさん一緒にトレーニングしてくれてありがと! キャクタスちゃんに追いつきたくていっぱい頑張れたし、おかげでわたし、重賞勝てたよ!」

「――――」

「えへへ、これでちょっとは、キャクタスちゃんの背中に近づけたかな?」

「――――――――ッ」

 

 キャクタスは息を飲んで、ビニール袋の持ち手を握りしめたまま俯いた。

 何を言っているのだ。もうとっくに、自分は追い抜かれてしまっているのに――。

 それなのにどうして、そんなキラキラした瞳で、私なんかに、追いつきたいなんて。

 そんな、おかしなことを言うの――。

 私の方が、とっくに置いて行かれて、しまっているのに。

 

「…………」

「キャクタスちゃん?」

「…………ヒクマちゃんに、私、もう……とっくに、追い抜かれてるよ……」

 

 絞り出すようにそう答えたキャクタスに、ヒクマは。

 

「ほえ? え、そんなことないよ! だってまだキャクタスちゃんに勝ってないもん!」

「――――ッ」

 

 そんなこと。もう、一緒に走らなくたって、そんなことは。

 

「わたし、トリプルティアラでキャクタスちゃんに勝つから! そのためにね、ホープフルステークスに出るんだ!」

 

 キャクタスは顔を上げた。――なんだって?

 

「……ホープフル、ステークス? ……阪神JFじゃ、なくて?」

「うん! このあと東スポ杯に出て、それからホープフルステークス! それで春になったらチューリップ賞に出て桜花賞!」

 

 ――キャクタスは、ヒクマの異例ローテの話題を、この時までまだ聞いていなかった。

 だから、思いがけないその言葉に、ただ呆然と瞬きするしかできない。

 ティアラ路線からホープフルステークス? 阪神JFではなく、敢えて三冠路線のウマ娘が集まる中山の2000メートル……。明らかにマイルの桜花賞ではなく、2400のオークスに照準を合わせたローテーションだ。

 ぞくり、とキャクタスは身震いする。

 この子は本気だ。目先の桜花賞ではなく、もっと先を見据えている。いや、このローテーションを考えたのは、あのヒクマのトレーナーだろうけれど――。

 1800の札幌ジュニアS、東スポ杯から2000のホープフルSと距離を伸ばして中距離に備えつつ、チューリップ賞に出て桜花賞対策もする。1600の桜花賞も、2400のオークスも勝ちに行く。そのために組まれた常識外れのローテを、どこまでも底抜けに明るく、楽しそうにヒクマは語る。

 ――それを、私に、勝つために?

 

「ヒクマ、ちゃん……」

「えへへ。だってまだまだがんばらないと、キャクタスちゃんに勝てないもん!」

 

 どうしてだろう。

 どうしてこの子は、いつだってこんなにも真っ直ぐなんだろう。

 そんなに真っ直ぐな、キラキラして目で、こんな私なんかを見つめてくれるんだろう。

 ――その瞳に見つめられると、キャクタスは泣き出したくなってしまう。

 あんまりにも眩しくて。綺麗で。

 そんな輝きは、自分には決して、手が届かないはずなのに。

 

 届くのだろうか?

 本番のレースで、ヒクマに勝てれば、そんな輝きに、自分も手が届くだろうか?

 こんな自分が、この子のように、輝けるのなら。

 

 ――勝ちたい。

 この子に、勝ちたい。

 模擬レースなんかでの仮初めの序列ではない。本当のレースで。本当の力で。

 勝って、手に入れたい。こんな輝きを。真っ直ぐな、眩しいばかりの煌めきを。

 

 そうだ。今の立ち位置なんか関係ないのだ。

 直接対決で、GⅠの大舞台で、勝った方がレースの主役だ。

 それまでどれほどみすぼらしい、誰の目にも留まらない小さなサボテンでも。

 勝ちさえすれば、きっと花だって咲かせられるのだから。

 

「…………ヒクマちゃん」

「うん」

「おみやげ、ありがとう……。それから、重賞制覇……おめでとう」

「うん、えへへ、ありがと!」

「私も……来週のアスター賞、勝つから」

 

 自分に言い聞かせるように、キャクタスは拳を握りしめる。

 そう、勝つのだ。自分も勝って、この子みたいに――。

 

「うん、応援行くね!」

 

 ヒクマの言葉に、キャクタスは顔を上げ――唇を引き結んで、首を横に振った。

 何の衒いもなく、この子がそう言えるのは、無邪気か――それとも、傲慢か。

 負けたくない。この眩しい笑顔に――負けたく、ない。

 

「ううん――応援は、いい」

「え? でも」

「――私は、ヒクマちゃんから、応援する相手じゃなく……勝ちたい、倒したい相手だって、思われたい……から」

「――――――」

 

 ヒクマはそのまん丸の目を見開いて、そして。

 ――どこまでも、楽しそうに、力強く両手を握りしめた。

 

「うん、わかった! キャクタスちゃんは――友達だけど、ライバルだもんね!」

「……うん。ヒクマちゃんは、私の……ライバルだから」

 

 ライバル。競い合う相手。倒したい相手。

 絶対に負けたくない相手が、今、目の前にいる。

 

「……実績では先に行かれちゃったけど、レースでは、私が、勝つから」

「うん! 私だって負けないよ!」

 

 握りしめた拳を差し出してきたヒクマに、キャクタスは唇を結んで、自分の拳をぶつける。強く、その腕を押し返そうとするぐらいに強く。

 ――負けない。負けたくない。勝ちたい。この子に、絶対に勝つ。

 この子だけじゃない。誰にも負けない。絶対に負けない。

 勝つ。勝つんだ。どんなレースも――全部、勝つんだ。

 口の中だけで、キャクタスはそう繰り返し続けた。

 

 

       * * *

 

 

 小坂御琴は、担当のミニキャクタスを探していた。

 昨日のバイトアルヒクマのレースを見てから、ミニキャクタスの様子がおかしい。何かと思い詰めがちなところのある子だけれど、それが何か悪い方に向かっている気がした。

 あの子の中に秘められた強い闘争心。それがレースに向かうならいいけれど、もし自分自身を傷つける方向に進んでしまったら――。

 おろおろとしながらトレーニングコースの周辺を探し回っていると――。

 

「あ…………キャクタス、ちゃ…………」

 

 見覚えのある鹿毛のツインテールと、芦毛のロングヘアーが見えた。ミニキャクタスと、バイトアルヒクマだ。何事かふたりは話していて、そしてヒクマが手を振ってキャクタスの元を立ち去っていく。

 後に残されたキャクタスは、ただその場にじっと佇んでいた。

 

「…………キャクタスちゃん?」

 

 その背中に歩み寄った小坂は、びくりと身を竦めた。

 キャクタスの背中から溢れ出す、オーラのような気迫に。

 ――こんな姿は、この子のトレーナーになって、初めて見た。

 

「……トレーナー、さん」

 

 くるりと、キャクタスが振り向いた。いつもは気弱そうに伏せられている目に、今は殺気にも似た、底知れない闘争心が燃えていた。

 こんな……ここまで。この子の中には、どれほどの負けん気が眠っているの……?

 息を飲む小坂を見つめて、キャクタスは口を開く。

 その決意を、人知れぬ宣戦布告を、その口から告げる。

 

 

「――来週のアスター賞に勝てば、私もホープフルステークスに出られますか?」

 

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