モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
9月9日、土曜日。中山第9レース、ジュニア級1勝クラス、アスター賞。
『残り100を切って、内からひとり、ミニキャクタスが抜けてきた、届くか、届くか、届いた、ゴール! どうやらミニキャクタスが差し切りました! 連勝です!』
4番人気のミニキャクタスは、混戦の中でギリギリまでバ群に埋もれていたが、残り100メートルですっと抜けだし、内から加速してアタマ差で差し切り勝ち。
2連勝。だが、デビュー戦に続いて地味といえば非常に地味な勝ち方で、彼女の真の実力はまだベールに包まれたままと言えた。
――本人から現地応援を断られたというヒクマは、それでもテレビの前で歓声を送り、その勝利に喜んでいた。
ミニキャクタスの次走はまだ発表されていないが、2連勝なら文句なく阪神JFに出られるはずだ。おそらくはホープフルステークスを選んだヒクマより一足先に、ジャラジャラとエレガンジェネラルに挑むのだろう――と、このときの私は、そう思っていた。
* * *
翌日――9月10日、日曜日。中山第11レースは、サマーマイルシリーズ最終戦である。
GⅢ京成杯オータムハンデキャップ――私はいつも通り3人を連れて、中山レース場に観戦に訪れていた。いや、正確にはブリッジコンプの付き添いとしてだが。
今日のこのレースには、コンプの姉――ビウエラリズムの、サマーマイルシリーズ優勝がかかっているのだ。
「ビー姉、今まで条件戦とGⅠ以外で掲示板外したことないから大丈夫だと思うけど……。あー、あたしまで緊張してきた」
「すごいよね……。もう2年ぐらい、出たレースでほとんど掲示板に載り続けてるんだもん……」
「それなのに重賞未勝利ってあたりがねえ、ビー姉らしいっちゃらしいんだけど。いつも肝心なところで抜けてるんだもん、ビー姉って」
「ねーねー、5着以内に入れば優勝なんだっけ?」
「そ。GⅢだしビー姉の掲示板力なら大丈夫……のはず! ビー姉! がんばれー!」
柵から身を乗り出すコンプに、エチュードが「あ、危ないよ」とその裾を引っぱる。ヒクマもその横で「ふぁいとー」と手を振っていた。
その声援に気付いているのかいないのか、ビウエラリズムはじっとゲートを見つめている。そして、ひとつ大きく深呼吸すると、ゆっくりとゲートへと足を進めていった。
サマーマイルシリーズ。GⅠのない夏のトゥインクル・シリーズを盛り上げるために行われている、指定されたレースの着順で決まる累計ポイントを競うイベントだ。
スプリント、マイル、2000の3部門があり、マイルの指定レースは6月のリステッド競走・米子ステークス、7月のGⅢ中京記念、8月のGⅢ関屋記念、そしてこの9月のGⅢ京成杯オータムハンデキャップの4レースである。リステッド競走は1着に8ポイント、2着4ポイント、3着3ポイント、4着2ポイント、5着以下1ポイント。GⅢは1着10ポイント、2着5ポイント、以下4、3、2、1ポイントと同様に続く。この合計ポイントで優勝を競うわけだが、優勝資格があるのはどれかのレースで1着を取り、合計で12ポイント以上を獲得したウマ娘に限られる。
全部出るとなると中3週で4カ月連続のレースとなり、夏場ということもあってかなり過酷なスケジュールになるので、そもそも2つ以上に出るウマ娘自体決して多くない。しかしビウエラリズムは、なんとGⅠの安田記念を見送ってまで、この4戦全てに出走するローテを組んだ。
初戦の米子ステークスを勝利し、中京記念4着、関屋記念5着とポイントを重ね、合計13ポイントで現在トップ。既に優勝資格も満たしている。中京記念と関屋記念の勝ちウマ娘は出走していないため、他に優勝の可能性があるのは、中京記念2着で5ポイントを獲得済みのイズカリというウマ娘だけだ。同点なら同時優勝なので、イズカリが1着を取っても、ビウエラリズムは5着以内に入れば優勝である。
そしてコンプの言う通り、ビウエラリズムは重賞未勝利ながら、とにかく安定して掲示板に入ることでじわじわと名が知られてきているウマ娘だった。ここまで23戦5勝ながら、掲示板を外したのはメイクデビューと条件戦、GⅠ安田記念での計3回だけ。昨年はGⅠマイルCSでも5着と健闘している。――思えば、ヒクマたちと最初に出会った昨年の毎日王冠でも、彼女は5着だったっけか。
シニア級の2年目。京成杯AHは去年も3着に入っている好相性のレース。枠番も内枠の2枠3番と悪くない。5着以内とは言わず、重賞初制覇の勲章が、何を置いても欲しいところだろう。
『GⅢ京成杯オータムハンデキャップ、全員ゲートイン、体勢完了――スタート!』
* * *
スタートしてすぐ、ビウエラリズムはやや後方の内寄りにつけた。イズカリは同じような位置でやや外目。まだバ場も目立って荒れてはおらず、緩やかな下り勾配のコースを、先行組が集団になって早めのペースで引っぱっていく中、ビウエラリズムはその集団の4バ身ほど後ろを余裕を持って走っている。
いいポジショニングだ。あの位置なら先行集団のバ群に埋もれる危険が少ない。上手く4コーナーで外に持ち出して集団をかわしていければ――。
考えることは、同じポジションを走るイズカリも同じだったようだ。3コーナーから徐々にイズカリが進出して前との差を詰めていき、ビウエラリズムもそれに続く。
『さあ5コーナーを回って先頭は最内を回っていくジュエルガーネット、外からイズカリ、さらにその後ろからビウエラリズムが追い込んでくる』
直線。粘る先頭、固まったままの先行集団に、外を回ったイズカリが並ぶ。ビウエラリズムはさらにその外。混戦のまま中山の急坂を上る。
『イズカリ先頭、ジュエルガーネット粘る、大外からビウエラリズム!』
残り50メートル。並んだ。先頭は3人がほぼ横一線。
「ビー姉ええええ! いっけええええ!」
コンプがずり落ちそうなほど身を乗り出して叫ぶ。
私は、ヒクマとエチュードとともに、息を詰めて見守っている。
『ビウエラリズム、イズカリ、ジュエルガーネットも差し返す!』
――普段のおっとりした表情とは別人のように、歯を食いしばって。
ビウエラリズムが、ゴール板の前を駆け抜けていく。
歓声の中、掲示板の一番上に点滅したウマ番は――。
* * *
「それじゃあ皆、ビー姉のサマーマイルシリーズ優勝を祝して――かんぱーい!」
『かんぱーい!』
同日夜、トレセン学園内、ビウエラリズムの担当トレーナーのトレーナー室。
そこで開かれたささやかな祝勝会に、私たちは参加させてもらっていた。
なぜかコンプが乾杯の音頭をとり、私たちはジュースで乾杯する。トレーナー室の壁には、コンプが前日から用意しておいた《ビウエラリズム サマーマイルシリーズ優勝 おめでとう!》の垂れ幕。
その真ん中で、ビウエラリズムは照れくさそうににんじんジュースのグラスを抱えるように手にしていた。
「コンプちゃん、トレーナーさん、みんな、ありがとうございます~。……本当は、勝って優勝決めたかったんですけどね~」
「それでも優勝は優勝! 4戦全部走って全部掲示板入りなんだし、ちゃんと最初の米子ステークスは勝ったんだからビー姉はすごい!」
――結局、ビウエラリズムはアタマ差届かず、イズカリの2着だった。それでも5ポイントを積み上げて、文句なしのサマーマイルシリーズ制覇である。胸を張るべき成績だ。
「ふふ、ありがとう、コンプちゃん」
ビウエラリズムがコンプの頭を撫でる。普段は撫でられるのを嫌がるコンプも、姉の手には心地よさそうに身を任せていた。……私に撫でられるのが嫌なだけか?
「トレーナーさん、このにんじんハンバーグ美味しいよ!」
「ヒクマちゃん、ちょっとそれ取り過ぎじゃない……?」
「こらヒクマ、ビウエラリズムの祝勝会なんだからあんまりがっつかない」
「あ、ごめんなさい……」
「あらあら、いいのよ~。ヒクマちゃんも重賞制覇おめでとう。エチュードちゃんもいっぱい食べてね」
「い、いいんですか……?」
「わーい! ありがとうございます!」
主役の許可を得て、遠慮なく料理に手を伸ばすヒクマ。エチュードが困ったように視線を彷徨わせ、私はビウエラリズムとその担当トレーナーにすいませんと会釈するしかない。ふたりは笑って頷いていた。
「それにしても、ヒクマちゃんはすごいわね~。私なんか4年走ってまだ届かないのに、ジュニア級の2戦目でもう重賞勝っちゃうなんて」
「あ、えと、えへへ~……」
ヒクマは料理の皿を手に、困ったように頭を掻く。その姿に目を細めて、ビウエラリズムは――軽く目を伏せて、おもむろに口を開いた。
「……私ね、このサマーマイルシリーズでダメだったら、今年で引退しようと思ってたの」
「ビー姉?」
コンプが目を見開いて姉を見上げる。ビウエラリズムは微笑んで、それから担当トレーナーの方を見やった。
「でも、重賞はまた勝てなかったけど、優勝はできたから。……コンプちゃんたちの走ってるのを見て、もうちょっと頑張ってみようって、そう思ったの」
「ビー姉……」
「お姉ちゃんとして、妹とその友達には、負けてられないなって~。……もう1年がんばれば、来年、どこかでコンプちゃんと一緒に走れるかもしれないから」
コンプが目を見開く。――ビウエラリズムの主戦場はマイル。コンプはスプリント。だが、その中間の1400メートルなら……確かに、戦う機会はあるかもしれない。
「かもしれない、じゃないの、ビー姉!」
と、コンプがビウエラリズムにぐっと拳を突きつける。
「あたし来年、ビー姉と一緒のレースで走るから! 約束!」
そして、コンプは小指を差し出した。ビウエラリズムは目を見開いて――そして、くしゃりとその顔を、泣き出しそうな、笑っているような、そんな顔に歪めて。
「……うん、約束、コンプちゃん」
その小指に、小指を絡めて――指切りをした。
* * *
祝勝会がお開きになった後。栗東寮の入口まで3人を送ると――コンプとエチュードを先に行かせて、ヒクマがその場に残って私を呼び止めた。
「トレーナーさん」
「うん? なに?」
「……んん、あの、えと……うう~」
ヒクマは俯いて、もごもごと口の中で呟き、それからこめかみに拳を当てて首を振る。何かモヤモヤとしているのに、それを上手く言語化できない――という様子で。
私はそんなヒクマに歩み寄ると、その頭にぽんと手を載せた。
――たぶん、それはきっと。親友の姉が4年走って届かない目標に、自分があっさり2戦目で届いてしまった、その現実に対する戸惑いなのだろう。ビウエラリズムが重賞未勝利なことも、自分が重賞を勝ったことも、事実としては理解していても――今日の彼女の表情を見るまで、その事実が実感を伴わなかったのだろう。
しかし、それがトゥインクル・シリーズの世界というものだ。未勝利のまま学園を去るウマ娘、何年も条件戦であがき続けたまま引退するウマ娘――そんな敗者たちの上にしか、勝者は存在できないのだから。
「ヒクマ」
「んに……」
「レースに勝てるのは、いつだってひとりだけだ」
「……ん」
「だから、勝った者は、それを喜んで、胸を張ってなきゃいけない」
「――――」
ヒクマが顔を上げる。私はその芦毛の髪を、くしゃくしゃと撫でた。
「勝つ喜びを噛みしめて、胸を張って、悔しかったら自分の背中を追いかけて来いって、負けた相手に示さなきゃいけない。それが、勝った者の務めだと、私は思うよ。――だからビウエラリズムも、ヒクマが勝ったのを見て、もっと頑張ろうって思ったんだ。ヒクマが嬉しそうだから。勝つことの喜びを、ヒクマがいっぱいに見せたから」
「…………ふえ」
「次の東スポ杯、勝ちたい?」
私の問いに、ヒクマは顔を上げ――。
「――うんっ」
力強く、頷いた。よし、と私はぽんぽんとその頭を叩く。
「勝とう。胸を張って、いっぱい勝って喜ぼう。ヒクマ」
「うん!」
ぐっと拳を握りしめて、ヒクマは両手を振り上げる。私は微笑んで、ヒクマと一緒に夜空を見上げた。初秋の空に、星が瞬く。
夏は終わりだ。秋が来る。――ジュニア戦線の大一番が、徐々に迫ってくる。
ビウエラリズムとは、日本ウマ娘トレーニングセンター学園に所属する、トゥインクル・シリーズシニア級の掲示板力に定評のあるウマ娘。美浦寮。
主な勝ちレース:X2年洛陽ステークス(L)、X3年米子ステークス(L)
ジュニア級11月のメイクデビュー東京(芝・1600)でデビュー。出負けして7着に敗れる。続く12月の未勝利戦(中山)は1着と半バ身差の3着、初のウイニングライブを勝ち取るも、ジュニア級は未勝利で終える。
クラシック級になり、休養を挟んで3月の未勝利戦(中山)で初勝利を挙げる。重賞に登録はするものの除外続きで条件戦を走り続けることになったが、1勝クラスでは5着、2着ときて7月の石狩特別に勝って2勝目。2勝クラスでも8着、4着ときて10月に寺泊特別を勝って3勝目を挙げた。12月にようやく重賞初挑戦となるGⅡ阪神カップに挑み5着。
シニア級では2月の洛陽ステークスを勝利してオープンウマ娘となると、ダービー卿チャレンジトロフィー(GⅢ)2着、谷川岳ステークス(L)2着と好走を続け、GⅠ安田記念に出走したが、さすがに面子が厳しかったか9着。
夏は休養に充て、9月の京成杯オータムハンデキャップを3着。続く毎日王冠はネレイドランデブーとトンボロの2強対決の陰で地味に5着。GⅠマイルチャンピオンシップに挑み、出走メンバー唯一の重賞未勝利で最低人気の17番人気ながら、ネレイドランデブーの5着と健闘した。
シニア級2年目は京都金杯から始動。惜しくもクビ差の2着。続く阪急杯4着、読売マイラーズカップ5着ときて、安田記念は回避し、サマーマイルシリーズに照準を合わせて調整。米子ステークス(L)で久々の勝利を挙げると、4戦全てに出走し、中京記念4着、関屋記念5着、京成杯オータムハンデキャップ2着と全戦で掲示板入りを重ね、見事サマーマイルシリーズ優勝を果たした。
通算24戦5勝[5-5-2-12](X3年9月現在)。未だ重賞未勝利ながら、デビュー以来掲示板を外したのは僅か3回。派手なレースはないものの、オープン特別だろうとGIだろうといつも地味に掲示板にいるマイル戦線の善戦ウマ娘として、着々とファンを増やしている。
(UmaUma大百科より抜粋)