モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
負けを悔やんでいる暇はない。前を向く限りは、走り続けるしかないのだ。
「コンプ! まずは京王杯ジュニアまでに、1400を掛かってもバテないスタミナをつける! はい、坂路あと5本!」
「いや、そんな簡単に言われてもー! うひー、トレーナー、鬼ー!」
「エチュードはスパートのタイミングで焦らないように、もっと瞬発力をつけよう! そのためにはもっと体幹をしっかり鍛えること!」
「は、はひぃ……」
改めて気合いを入れ直し、コンプの京王杯ジュニアと、週末のエチュードの未勝利戦に向けてトレーニング。ちょっと気合いを入れすぎたか、コンプもエチュードもへろへろだ。ふたりとも芝生の上に座り込んでスポーツドリンクを喉に流し込んでいる。
「トレーナーさん、わたしはー?」
で、ヒクマはふたりと同じメニューをこなしつつもまだまだ楽しそうだ。この疲れ知らずの元気さが、ヒクマの一番の才能かもしれない。
「うん。コンプ! 休憩終わったら、ヒクマと併走してくれる?」
「うへー、まだ走るの? いやまあやれって言うならやるけど!」
「よしよし。――さてヒクマ。次の東スポ杯には、デュオスヴェルが出てくることが決まったよ」
「おー、スヴェルちゃんと走れるんだ! 楽しみ!」
ヒクマが両手を挙げ、座り込んでいたコンプが顔を上げる。なんだかんだ言って、やっぱりスヴェルのことは気になるらしい。
先日の芙蓉ステークスを快勝したデュオスヴェルは、東スポ杯を経て朝日杯フューチュリティステークスに向かうと担当トレーナーが明言した。同じトレーナーが担当しているオータムマウンテンは、側聞したところによると京都ジュニアステークスを経由してホープフルステークスに向かうらしい。
つまり、東スポ杯からホープフルSに向かうヒクマには、このふたりが立ちはだかることになる。そして奇しくも――このふたりの脚質は、ヒクマのそばのふたりとよく似ているのだ。
デュオスヴェルは強引にでもハナを切って突っ走る逃げウマ娘。オータムマウンテンは後方からマイペースにいつの間にか上がってくる追い込みスタイル。タイプ的にはそれぞれコンプ、エチュードと近い。
つまり、3人で併せて走ることがそのまま、ヒクマにとっては東スポ杯とホープフルSの有力ウマ娘対策になる。そして、何より――。
「デュオスヴェルは強引にでも前に出て逃げるタイプだ。――つまり、ここでしっかりデュオスヴェル対策をしておくと、それはそのまま、トリプルティアラでのジャラジャラ対策に流用できる」
「あ、そっか!」
「まあ、対策と言っても、要はヒクマのいつも通りの走りを前目で、逃げるデュオスヴェルに離されずにぴったりついていく――それができれば大丈夫。というわけで、ヒクマは逃げるコンプにくっついていく走りをしっかりやってみよう」
「はーい!」
「で、コンプ。自分の課題はわかってるよね?」
「……競りかけられたときの折り合い」
ぶすっと口を尖らせてコンプは答える。その通り、ききょうステークスの敗因はそこだ。マークされ、競りかけられても冷静に自分のペースで走ること。前に誰かがいると抜かずにいられない性格はそう簡単に変えられないとしても、とにかくコンプは相手が自分をマークして来る状況や、同じ逃げウマ娘と競り合う状況でしっかり折り合いをつけ、適切なペース配分ができるようにならないといけない。
「よろしい。というわけで」
「クマっちにマークされながら自分の走りをしろってことでしょ?」
「理解が早くて何よりだよ。休憩が終わったらふたりとも、相手のいる状況で自分の走りをしっかりやってみよう!」
「はーい!」
「了解」
「……あの、トレーナーさん、私は……」
「エチュードは引き続き体幹トレーニングね。あと――」
私はエチュードを見下ろし、ふむ、とひとつ唸ってその背中に手を当てた。
「ひあっ!?」
「ほら、また猫背になってる。もっと普段から意識して背筋を伸ばして――エチュード?」
「は、はひ……」
背中を軽く押してやると背筋が伸びたのはいいが、何やら固くなっているエチュードに、私は首を捻り。コンプが何か、処置なしとでも言いたげに肩を竦めていた。
* * *
「はい、じゃあ今日はここまで! おつかれさま!」
「おつかれさまでしたー!」
「ぐへー、つかれたー」
「コンプちゃん、大丈夫……?」
トレーニングを終え、大の字で倒れこむコンプを、エチュードが心配そうに覗きこむ。苦笑しつつそれを見守っていると、背後から「トレーナーさん!」と声が掛かった。振り向くと、駿川たづなさんが段ボール箱の積まれた台車を押しながら手を振っている。
「たづなさん。どうしました?」
「はい、学園に届いた荷物なんですが」
と、たづなさんは台車に積まれた段ボール箱から大きなひとつを持ち上げる。宛名を見ると私宛の荷物だ。はて、と考えて、数日前にトレーニング用品をまとめて注文していたことを思い出す。それが届いたのか。
「どちらに運びましょう?」
「ああ、お手数おかけしました。それなら自分でトレーナー室に持っていきますよ」
「大丈夫ですか? 重たいですよ」
「いえいえ、こう見えても私だって鍛えてますので――重ッ!?」
たづなさんが軽々と持ち上げていたので、軽い気持ちで段ボール箱を受け取ると、予想外の重さに腕が抜けそうになった。なんとか気合いを入れれば持てなくはないが……。
「……た、たづなさん、意外と力持ちですね」
こんな重いものをあの細腕で軽々と持ち上げていたとは、理事長秘書、侮りがたし。
「大丈夫ですか? やっぱり私がお運びしましょうか」
「い、いえいえ、このぐらい……」
ここで「すみませんお願いします」とたづなさんに返すのは、担当ウマ娘たちの手前いささか情けないものがある。意地を張って、ふんぬ、と抱えていると、
「……あ、あの、トレーナーさん。私、手伝います……」
エチュードが私に駆け寄ってきた。おや、と私は少し意外に思う。この状況で手伝いにくるとすればヒクマか、呆れ顔のコンプだと思っていたのだが……。
「エチュード? いや、大丈夫……」
「大丈夫そうに見えないですよ……。あの、任せてください……」
「で、でも、これ結構重いから」
「ウマ娘は人間より力持ちですから。無理しないでください、トレーナーさん」
真剣な顔でエチュードに言われ、私のプライドは悲鳴を上げる二の腕の筋肉に屈した。
「……ごめん、お願い」
「は、はいっ」
段ボール箱をエチュードに手渡す。エチュードは「よいしょ」とその段ボール箱をしっかり抱え、ふらつくこともなくしっかり支えた。――ううむ、人間とウマ娘の身体能力の差は重々承知している身だけれど、華奢なエチュードが自分よりずっと力持ちという現実をこうもはっきり見せつけられると、いささか複雑な気分である。
「じゃ、エーちゃん、あたしたち先戻ってるね。トレーナー、おつかれさま」
「おつかれさまー! でもコンプちゃん、わたしたちもお手伝いしなくていいの?」
「いーのいーの、エーちゃんのお邪魔しない!」
コンプがヒクマの背中を押して寮の方へと戻っていく。
「えと……トレーナー室に運べばいいですか?」
「うん、ありがとう。じゃあ一緒に行こうか」
「はひっ」
こくんと頷くエチュードを伴い、たづなさんに会釈して私たちは歩き出した。
「大丈夫? 交替しようか」
「い、いえ、平気です。……えと、こうやって抱えてると、背筋も伸びるので……これもトレーニングだと思って、やります」
大きな段ボール箱を抱えて、エチュードはゆっくり階段を上る。担当ウマ娘に重い荷物を持たせている罪悪感を覚えつつ、私はその隣を歩く。
「心がけはいいけど、無理しないでね。週末はレースなんだし」
「……はい。今度こそ、勝ちたいです」
「大丈夫、エチュードなら勝てるよ。勝ってデイリー杯に出よう」
「は、はい……」
そうなれば、11月は3週連続で担当ウマ娘が重賞に挑むことになる。4日のコンプの京王杯ジュニア、11日のエチュードのデイリー杯、18日のヒクマの東スポ杯。息つく間もないスケジュールになるが、新人トレーナーの私がそんなチャンスを得られるだけでもとんでもない僥倖だ。
ヒクマがすごい才能の持ち主なのは間違いないが、コンプとエチュードだって決して資質では負けていない。ゆくゆくは3人ともGⅠウマ娘に――というのは、新人トレーナーの無謀な野望かもしれないけれど。
ヒクマの「世界のウマ娘」、コンプの「短距離最強」という夢に応える自分であるなら、そのぐらい大それた野望を抱くぐらいでなければと、今は改めて思う。トレーナーが夢を大きく持たずして、担当ウマ娘が大きな目標を掲げられるはずもないのだから。
「ねえ、エチュード」
「はい」
――君の一番大きな夢は? と訊ねかけて、私は言葉を飲みこんだ。エチュードなら、たとえ何か目標があっても、まだ未勝利戦も勝ち抜けていない自分がそれを語るなんて、と縮こまってしまいそうな気がした。
だから、代わりに。
「私が初めて現地で見たGⅠは、イッツコーリングがジュエルスフェーンに勝ったエリザベス女王杯なんだけど、見たことある?」
「……あ、はい」
阪神JF、桜花賞、秋華賞、ヴィクトリアマイル連覇と、ティアラ路線の国内GⅠを5勝し、最後は香港マイルを勝利した、ティアラ路線史上最強マイラーとも呼ばれるジュエルスフェーン。その同期のイッツコーリングは、トリプルティアラでは桜花賞で惨敗しただけの地味な条件ウマ娘でしかなかったが、シニア級になってから力を付けて重賞を勝ち、GⅠでも好走を見せるようになり、シニア級2年目のエリザベス女王杯で直線マッチレースの末、ジュエルスフェーンをクビ差で差し切って、GⅠウマ娘の戴きを手にした。『どちらも女王の冠は譲れない! スフェーンの意地か、コーリングの執念か、どっちだ!?』の名実況でも知られる、エリザベス女王杯史上屈指の名勝負だ。
「あのレースのあと、勝ったイッツコーリングが、ターフでトレーナーと抱き合ってふたりで声を上げて泣いていて……それを負けたジュエルスフェーンが爽やかに笑って見守っているのを、現地で見て――ウマ娘のトレーナーになりたい、って思ったんだ」
「…………」
「あんな風に、全身全霊でウマ娘と夢と喜びを分かち合って、同じ夢に向かってひた走るトレーナーになりたいって、ね」
――ああ、そうだ。そんな夢を抱いて、私もこのトレセン学園の門をくぐったのだ。
日々の忙しさ、目の前の担当ウマ娘のことにかまけて忘れかけていた自分の原点を改めて思い出して、私は目を細めてエチュードを振り向く。
「エチュードとも、そんな風に一緒に走っていきたいと思ってる」
「――――」
エチュードはびっくりしたように目を見開いて、それから段ボール箱に顔を伏せるようにして黙りこんでしまった。……しまった、改めて思うとこんな話をするにしても、いささか唐突すぎる。そりゃエチュードだって反応に困るだろう。
「あ、いや、ごめんね、いきなり変な話して」
「い、いえ、そんな……」
エチュードは慌てたように、段ボール箱を抱え直そうとして、
がくん、とその足が、階段の段差を踏み外した。
「――――ッ」
「エチュード!」
ぐらりとエチュードの身体が傾いだのを見て、私は咄嗟に手を伸ばす。危ない、このままではあの重たい段ボール箱ごとエチュードが――。
ゆっくりと、段ボール箱を抱えたままのエチュードの身体が階段の下へと傾いでいくのを、スローモーションのような視界の中、必死で私は支えようとして、
「――危ないっ!」
突然、そこに第三者の声が割り込んだ。
そして、目にも留まらぬ速さで階段を駆け上がってきた影が、しっかりとエチュードの背中を両手で支えた。ぐっとその手がエチュードの背中を押し、私は前に倒れかかってきたエチュードの身体を受け止める。
「あっ、あわっ、わわわっ」
私に受け止められたエチュードが、段ボール箱の向こうで今頃慌てたような声をあげた。
「だ、大丈夫? エチュード」
「……はっ、は、はひ」
エチュードの呼吸が乱れている。私も心臓が止まるかと思った。あのまま階段を転落していたら無事では済まなかったはずだ。後ろからエチュードを支えてくれた誰かは大げさでなく命の恩人である。
私が顔を上げると、その影と目があった。やはりというか、学園のウマ娘である。
――というか、ものすごく見覚えのある顔だった。
「危ないところでしたね……。大丈夫でしたか、リボンエチュードさん」
「え……?」
名前を呼ばれて、エチュードも驚いたように振り返る。
「怪我はしていませんか? 週末はレースなんですから、大事をとって保健室に行った方がいいかもしれませんよ」
心配そうな顔でエチュードを覗きこんだのは――。
「え……エレガンジェネラル、さん?」
おそらくもう、学園内に、少なくともトレーナーの間では知らぬ者のない――ジュニア級の怪物ウマ娘。――エレガンジェネラルだった。