モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
大方の予想通り、先陣を切ったのはジャラジャラだった。弾丸のようにゲートを飛び出し、あっという間に先頭に立つ。その瞬発力に、観客がどよめく。私も目を思わず見開いていた。これはもう、他のウマ娘とはバネが違う。
『やはり飛び出したのは1番ジャラジャラ! ためらうことなくハナを主張して逃げを図ります! 続くのは外から10番エレガンジェネラル! やはり注目の2人がレースを引っぱります! 二バ身離れて内から4番バイトアルヒクマ、その外6番オリジナルシャインがそれに続いていく!』
そのジャラジャラに負けない好スタートで、大外からすっと上がってきたのはエレガンジェネラル。こちらは一歩一歩力強くターフを踏みしめるようなパワーのある走りだ。逃げるジャラジャラをマークするように、1バ身差の外目を追走していく。
そして、バイトアルヒクマはそこから2バ身半ほど離れたところで3番手を争っていた。前目につける先行策で2人を追っていく――いや。
あれは――ただ、走れるのが嬉しくて飛び出したら前に出ただけか……?
そう、バイトアルヒクマはやはり、ひたすら楽しそうに走っていた。遠目にも彼女が、ウマ娘らしい前傾姿勢で走りながらも、今にも笑い出しそうな表情をしているのがわかる。ウェーブした長い芦毛が、切り裂く風になびいていて流れる。銀色の風――。
この選抜レースの芝1600は、東京レース場と同じ左回りだ。直線の長さもほぼ同じ。先頭のジャラジャラが第3コーナーに入る。ジャラジャラのペースがかなり速く、後方のウマ娘は既に完全についていけていない。なんとかついていけているのは2番手のエレガンジェネラル以下、せいぜい5番手までだ。
『さあ前5人と後ろ5人が大きく離れました! 依然としてジャラジャラが快調に逃げていきます! 800メートルを通過、タイムは……49秒、切ったかもしれません! 選抜レースでこれはすごい! ああっと6番オリジナルシャイン後退していく! このハイペースについていけません、前4人の争いだ!』
一般に、ハイペースのレースは後方有利とされている。先行組が脚を使い切ってしまうからだが――これは違う。完全に、先行組が地力で後ろを圧倒しているのだ。
『残り600メートルの標識を通過して直線に入る! さあ逃げるジャラジャラ、ここでエレガンジェネラルが仕掛けてきた! ぐんぐん伸びる! だがジャラジャラも粘る粘る、後ろ2人はどうだ!』
直線に入り、エレガンジェネラルがスパートをかけた。このハイペースについていって、まだ仕掛ける脚が残っているのか――。だが、ジャラジャラも粘る。あれだけ飛ばして脚色が衰えない。――この2人、完全に格が違う。
そのマッチレースを見ながら、私はぞくぞくと二の腕に鳥肌が立つのを抑えられなかった。すごい。いや、前を行く2人だけじゃない。あれが将来GIを勝つウマ娘の走りだとしても――。
『後ろ2人も食らいついていくが、さすがに苦しいか! 抜けた抜けた、完全に二強のマッチレースだ! さあ坂を上る! 逃げるジャラジャラ、追うエレガンジェネラル、並んだ並んだ、エレガンジェネラル差すか、ジャラジャラ粘るか、どちらも一歩も譲らない! すごいレースだ! 2人並んでゴールッ!』
まるでGIのように熱の入った実況に、ゴールの瞬間、観客からも大歓声があがる。そして、私たちの周りのトレーナーたちは、一様にどよめいていた。
『勝ったのはジャラジャラ! 僅かにクビ差でエレガンジェネラルを抑えました!』
そのアナウンスに、ジャラジャラが不敵に拳を突き上げ、エレガンジェネラルが悔しそうに首を振る。
「すごい、すごいぞあの2人! どっちも怪物だ!」
「この選抜レース、伝説になるぞ……!」
誰もが、ほぼ同時にゴールを駆け抜けたジャラジャラとエレガンジェネラルのふたりを見つめている。どっちが勝ったかはほとんど問題ではなかった。頭抜けた走りを見せたふたりに、大歓声が注がれる。
『3着は7番ミニキャクタス、4番バイトアルヒクマは4着でゴール! あとは大きく離されて――ようやくゴール!』
その歓声の傍らで、3着には7番の小柄な鹿毛のウマ娘が4バ身差で駆けこみ、バイトアルヒクマはさらに1バ身差の4着でゴールしていた。
よろよろと立ち止まり、膝に手を突いて荒い息を吐く彼女の姿を見ながら、私は鳥肌の収まらない二の腕をさする。
1600メートルでの5バ身差。それは決定的なまでの力の差だ。彼女はまだ、あの怪物ふたりには及ばない。だが――5番手以下は、さらにそこから10バ身は離されていたのである。
5バ身差とは、タイムでおよそ0.8秒。その差は大きい。大きいが――。ジャラジャラの叩き出したタイムは、デビュー前にして既に重賞戦線で出てもおかしくないものだった。それに最後まで脱落せずについていったバイトアルヒクマ。――彼女だって、充分すぎるポテンシャルを秘めている。
私は手元のストップウォッチを見る。バイトアルヒクマの上がり3ハロンのタイムが、そこに表示されている。――この子は、ひょっとしたら大物になるかもしれない。
着順とタイムが確定すると、案の定、トレーナーたちはジャラジャラとエレガンジェネラルのところへ一気に集まっていく。あの走りを見せられれば、誰だってあの2人をスカウトしたいと思うだろう。
「うおっ、なんだなんだ?」
「スカウトに決まってるでしょう、ジャラジャラさんが勝ったんですから」
「うえー、いやこんな大勢で来られても困るって。ジェネ、あとは任せた!」
「あっ、ジャラジャラさん! なんで逃げるんですか、スカウトされるための選抜レースでしょう! って、えっ、ちょ、ちょっと待ってください、私もですか?」
大挙して押し寄せるトレーナーにジャラジャラが逃げだし、エレガンジェネラルがあたふたと対応する、その喧噪を横目に見ながら――私は、バイトアルヒクマに歩み寄った。
レースの終わったターフの上にひとり残り、深呼吸するように顔を上げて空を仰いでいた彼女は、歩み寄ってくる私に気付いて振り返る。
「あっ、トレーナーさん!」
「おつかれさま。選抜レース、どうだった?」
私がそう訊ねると、彼女は――その銀色の瞳を大きく見開き、こちらに身を乗り出して。
「す――っっっっっごく、楽しかったぁ~~~~っ!」
ばっと大きく両手を広げて、満面の笑みでそう歓声をあげた。
「あのねあのね、芝生がすっごく綺麗でね、風がすごく気持ち良くて、もうどこまでだって走っていけそうだったの! 前を走ってる子がすっごく速くてね! 一生懸命追いかけてったら、ぐんぐん前に進んでいってね! いけるいけるって、こんなに気持ち良く走れたの初めてだよ! これなら負けないって、絶対追いつけるって、一着でゴールするんだって、絶対絶対、勝てるって思った――んだけど……」
目を輝かせて、夢中になってそう語っていたバイトアルヒクマの口調が、不意にトーンダウンする。
「どれだけ走っても……全然追いつけなくて……どんどん、先のふたりの背中が遠くなっていって、わたし、すっごく楽しかったのに、すっごく気持ち良く走れたのに、今までで一番速く走れたはずなのに、全然、前に、出られなくて、」
そして――バイトアルヒクマのその笑顔が、くしゃりと歪んだ。
「うっ、……ううううううっ、う~~~~~~~っ! くやしい! すっごく、すっごくくやしい! 勝てると思ったのに! 絶対勝てると思ったのに! 全然追いつけなかった! 楽しかったのに! すっごく楽しかったのに、すっごくくやしい!」
目尻に涙を浮かべて、彼女は両手をぶんぶんと振って、ぎゅっと唇を引き結ぶ。
その表情を見た瞬間、私は――たぶん、トレーナーとして以上に、この子の。バイトアルヒクマという、変わった名前のウマ娘の、ひとりのファンになっていた。
勝ちたい。この子を、あの2人に勝たせてあげたい。今はまだ5バ身の、いやひょっとしたらそれ以上の力の差がある。でも、この子なら――。
この泣き顔を、本当の笑顔にしてあげるために、私にしてあげられることがあるのなら。
「――だったら、一緒に、あの2人に勝とう!」
私の言葉に、バイトアルヒクマはきょとんと顔を上げた。
「ふえ? え? それって――えと、わたしを、スカウトしてくれるってこと?」
私が頷くと、彼女は両手を広げてのけぞる。
「え、えっとえっと、ええええええっ!? い、いいの? わたし、あんなに離されて負けちゃったんだよ?」
「たった5バ身差、1年あれば埋められる! 君ならきっとできる!」
「ほ、ホント? わたし、1着になれる?」
「なれる! なろう! あのふたりを倒して、トリプルティアラのウマ娘になろう!」
気付けば、私の方が身を乗り出していた。無意識に彼女の手を掴んでいた私を、バイトアルヒクマは目をしばたたかせて見つめ返し――。
「……世界のウマ娘にも、なれる?」
「世界?」
「うん。世界一のレースに出られる、ウマ娘になれるかな、わたし」
――世界一のレース。フランスの凱旋門賞、イギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、ドバイのドバイワールドカップ。世界の超一流ウマ娘たちが集まる、間違いなく世界最高峰のレースたち。
世界のウマ娘――ああ、なんてワクワクする響きだろう。新人トレーナーが抱くには大きすぎる夢かもしれない。だけど、それが彼女の夢なら。その大きな夢を、私は一緒に背負いたい。
「なろう! 世界のウマ娘に!」
私の返事に――バイトアルヒクマは。
その顔に、私があの日、最初に彼女を見た瞬間から目に焼き付いた、笑顔を浮かべた。
満面の、ただただ前と夢だけを見つめる、その笑顔に、私は夢を見たのだ。
「うんっ! よろしくお願いします、トレーナーさんっ!」
こうして、バイトアルヒクマと、世界のウマ娘を目指す日々が始まった――。