モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
「私が持ちましょうか、そのお荷物」
「え? いや、しかし」
「いいですから。どうぞお任せを」
というわけで、どういうわけか、自分宛の荷物を他人の担当ウマ娘にトレーナー室まで運んでもらうことになってしまった。
「いや、申し訳ない」
「いえいえ、構いませんよ。リボンエチュードさんは大丈夫ですか?」
「はっ、は、はい……」
段ボール箱を抱えたエレガンジェネラルに視線を向けられ、エチュードが背中を丸めて縮こまる。普段から人見知りなエチュードだけに、同期の大物の前では縮こまってしまうのも無理はない。いずれはレースで対決するかもしれない相手なのだが……。
「バイトアルヒクマさんのトレーナーさんですよね。お部屋はどちらでしたっけ?」
「ああ――」
トレーナー室の場所を答えて、私とエチュードはエレガンジェネラルと三人で歩き出す。
しかし、こうして並んで歩いてみると、ごくごく穏やかな物腰の普通の少女という感じだ。前髪を短く切りそろえたストレートボブの鹿毛も、几帳面な優等生という評判通りの印象を与える。レース中に見せる圧倒的な強者のオーラは、ほとんど感じられない。
「しかし、ヒクマはともかく、私やエチュードのことまで覚えていてもらえてるとは」
「とんでもない。同期の顔と名前を覚えておくぐらいは当たり前です。リボンエチュードさんは、名門リボン家の方ですしね」
「…………」
エチュードはますます縮こまる。名門の出身であるということについては、エチュードの内心はいろいろ複雑なようだが、それはエレガンジェネラルに言っても仕方ないことなので、私としてもなんとも返しようがない。
「それに、トレーナーさんは有名ですよ。新人でいきなり3人もウマ娘を担当して、既に3勝、ひとりは重賞勝利なんて並の新人ではない――とトレーナーさん……あ、私の担当の王寺トレーナーが言っていました」
……いや、正面からそう言われるとさすがに面はゆい。私は頭を掻いた。結果が出ているのは私の手柄などではなく、ヒクマたちの力だけれども。
そんなことを言っているうちに、私のトレーナー室にたどり着く。鍵を開けて、部屋の中に段ボール箱を置いてもらい、私は改めてエレガンジェネラルに頭を下げた。エチュードも私の隣で慌てたように頭を下げる。
「ありがとう。君がいなかったらエチュードが怪我をしていたかもしれない。本当に助けられた」
「あっ、ありがとうございました……」
「いえいえ、たまたまですから。怪我がなくて良かったです」
「何か、お礼をさせてもらえない?」
「そんな、とんでもないです」
「いや、そう言わずに。このままだとこっちの気が収まらないから」
大げさではなくエチュードの命の恩人である。せめて何かお礼をしなければ。私がそう言い募ると、エレガンジェネラルは「そうですか……そこまで仰るなら」とひとつ首を捻った。
「そうですね。同期のライバルの担当トレーナーさんに借りを作ったままというのもなんですし……。じゃあ、ひとつだけよろしいですか?」
* * *
「はい、はちみつドリンク、硬め、濃いめ、多めです」
「ありがとうございます」
学園の入口近くには、よくはちみつドリンクのキッチンカーが営業している。値段は高めだが長年に渡ってウマ娘たちに愛されており、誰が作ったのか「はちみーを舐めると足が速くなる」という謎の歌も一部で歌い継がれている。
エレガンジェネラルが希望したのは、そのはちみつドリンクのオプション全部盛りであった。1500円。一介の中学生には確かにいいお値段だが、既に重賞ウマ娘である彼女ならトレーナーからそのぐらいのお小遣いは貰っていそうなものだが……。
「そんなものでよかったの?」
「はい。この全部盛り、一度やってみたかったんです。いただきます」
ストローに口をつけてはちみつドリンクを飲んだエレガンジェネラルは、頬に手を当ててとろんと幸せそうな顔をする。まあ、喜んでもらえたなら何よりだけども。
「エチュードも飲む? 私が出すよ」
「え、い、いいんですか……?」
「遠慮しなくていいから。エチュードも全部盛りにする?」
「い、いえ……じゃ、じゃあ、柔らかめの、あとふつうで……」
注文して手渡すと、エチュードはおっかなびっくり受け取って、「あ、ありがとうございます……」と消え入りそうな声で言って口をつけ、
「……ふわぁ」
とろんとその顔が幸せそうに崩れた。甘いもので幸せになるのはみんな一緒か。
私ははちみつの匂いだけでお腹いっぱいなので、近くの自販機で買ったブラックの缶コーヒーを啜っていると、エレガンジェネラルがエチュードに歩み寄る。
「リボンエチュードさん」
「はっ、はひ」
「そんなに緊張しないでくださいよ。同学年じゃないですか。それとも私、怖い顔でもしてます? ジャラジャラさんからは『もっと楽しそうにしろー』とか言われるんですけど」
「そ、そんなことは……その……」
エチュードは困ったように縮こまってしまう。ヒクマやコンプといるときは明るく笑っているエチュードだけれど、慣れない相手の前だといつもこうだ。この人見知りも、もう少しなんとかしてあげたいものだが……。
「そちらはどの路線を目指しているんですか? デビューから1800を走ってますけど、バイトアルヒクマさんがティアラ路線ですから、貴女は三冠路線でしょうか?」
「…………っ」
来年のトリプルティアラ最有力候補の前で、自分もティアラ路線志望です、なんて言えたら人見知りではないのである。エチュードが助けを求めるように私を見た。私は息をついて、エチュードの肩に手を置く。エチュードが顔を赤くして俯いた。
「いや、エチュードもティアラ路線だよ。だから――君とはライバルになる」
私がそう言うと、エチュードはびくっと身を震わせた。たぶん、まだ未勝利戦も突破できていない自分がエレガンジェネラル相手にライバルだなんて、あまりにも畏れ多い――とか思っているんだろうなあ、と私は内心だけで苦笑する。
「週末の未勝利戦に勝ったら、来月のデイリー杯。そこでの結果次第では、阪神JFに行こうと私は思ってる。ヒクマはホープフルステークスに行くしね」
「と、トレーナーさん!?」
エチュードが目を見開いて私を見上げた。
「言ってなかったっけ? 週末勝って、デイリー杯で掲示板に入れたら、阪神JF出よう」
「そっ、そそそ、そんな、私が……そんな」
ぎゅっと空になったはちみつドリンクのボトルを握りしめるエチュード。大言壮語と笑われるだろうか? いや――この子は、エレガンジェネラルはそういうタイプじゃない。私はそう感じたからこそ、敢えて宣言したのだ。
正直なところ、エチュードのローテーションをどう組むかはずっと悩んでいた。いや、今もまだ悩んでいる。条件戦からゆっくりステップアップさせて、少しずつ自信をつけさせてあげるべきか。それともどんどん重賞に格上挑戦させて、高いレベルで切磋琢磨させるか――。
たぶん、今の段階ではどちらが正解と言い切ることはできない。でも、実績の少ないうちから同世代の最高レベルの戦いを経験できるのはジュニア級、せいぜいクラシック級の春までだ。レベルの違いに打ちのめされて完全に自信を失ってしまう危険性もあるけれど、身近にヒクマという同世代トップクラスの注目株がいる状況で、エチュードは今のところ挫けることなく頑張っている。たぶん、この子の芯は、エチュード自身が思っているほど弱くないし、その実力だって決して、卑下するようなものではないはずだ。
まだエチュードは、ジャラジャラやエレガンジェネラルには勝てないかもしれない。けれど、今のうちの同世代のトップと戦っておく経験は、きっと大きな糧になる。私はそう思う。
――もちろん、最初から負けるつもりで走らせたりはしない。挑むからには、全力で勝つための努力を尽くす。負けてもいいレースなんてないんだと、ブリッジコンプにそう誓ったように。1着でゴールを駆け抜けるエチュードの姿を見るために、私は私にできる限りのことをしよう。
「そうですか――。それは、対戦できるのを楽しみにしています。貴女の後方からの追込、仁川の坂で迎え撃ちますよ、逃げるジャラジャラさんと一緒に」
「――――は、は……はい……」
エチュードは私にも聞こえないほどの声で、俯いたままそう答えた。
エレガンジェネラルは、そんなエチュードの姿にも優しく微笑み、そして私を見上げ。
「そうだ、バイトアルヒクマさんにも伝えてくださいますか?」
「ヒクマに?」
「はい。『ジャラジャラさんが貴女のことをお気に召したようですので、桜花賞で対戦するのを楽しみにしています。ホープフルステークス、同期のティアラ路線代表として、三冠路線に負けないよう頑張ってください』――と」
「……解った。伝えておくよ」
トリプルティアラ最有力候補からの、事実上の挑戦状だ。ジャラジャラに続いて、エレガンジェネラルからもヒクマが意識されていることを、私は少し誇らしく思う。
「はちみつドリンク、ごちそうさまでした」
優雅な所作でぺこりと頭を下げ、エレガンジェネラルは「それでは」と踵を返す。
――と、そこで彼女の制服のポケットで、スマホが音を立てた。
「っと、すみません。――ジャラジャラさん? なんですか、電話なんて――はい? ちょっとジャラジャラさん! どういうことですか! 今どこにいるんですか! ああもうっ、今度は何をやらかしたんですかっ、詳しく説明してください!」
電話に出たエレガンジェネラルは、それまでの穏やかな微笑みが剥がれ落ちて、手の掛かる子供を相手にしている母親のような顔になり――そのままスマホを持ったまま走り出してしまう。私とエチュードはぽかんとそれを見送った。
ジャラジャラとエレガンジェネラルがルームメイトなのは知っていたが、なんというか、苦労しているのだなあ、と詮無いことを思っていると――。
「……あの、トレーナーさん」
と、エチュードが俯いたまま私を呼んで、私は振り返る。
エチュードは、ぎゅっと胸の前で拳を握りしめて、エレガンジェネラルが走り去っていった先を見つめていた。
「……どうして私のこと、名前だけじゃなく……走った距離や、脚質まで覚えられてたんでしょうか……?」
言われてみれば、確かに。メイクデビューと未勝利戦がどちらも1800だったことも、エチュードが最後方からの追込スタイルであることも、エレガンジェネラルは知っているようだった。今のところのエチュードは2戦0勝、既におおぜいデビューしている同期のウマ娘の中でも、決して目立った存在ではないのに。
私だって他のウマ娘の情報収集はしているが、たまたま学園で見かけた任意のウマ娘の戦績と脚質をすぐに諳んじるのは、目立った活躍のあるウマ娘でもないと困難だ。
「エレガンジェネラルが、エチュードにも注目してるってことじゃない?」
「そっ、そんな、そんなこと……! ある、はず……」
エチュードは真っ赤になって俯いてしまう。しかし、それ以外には、それこそエレガンジェネラルが同期全員の全レースを細部まで詳しくチェックして頭に叩き込んでいるという、いささか非現実的な可能性しか考えられない。そんな日がな一日レース動画を眺めているような重度のウマ娘マニアでもあるまいに。
「対戦を楽しみにしてるって、言ってくれたよ、エレガンジェネラルは」
「――――っ」
「どうする? エチュード」
私はその肩を叩いた。エチュードはぎゅっと唇を引き結んで――。
「……週末の未勝利戦、がんばります」
「うん、まずはそこからだね」
私はぽんぽんとエチュードの短い髪を撫でる。エチュードは恥ずかしそうに俯きながら、ぎゅっと握りしめた自分の拳を見つめていた。