モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第42話 先輩たちのつかの間の

「〝褐色の弾丸〟ね。――まーた面白そうな子が出てきたなあ。ねえノディ」

 

 10月8日、日曜日。トレセン学園カフェテリア。

 読んでいた《日刊ウマ娘》をテーブルの上に放りだして、テイクオフプレーンは向かいに座るリボンスレノディを見た。お茶を啜っていたスレノディは、顔を上げて呆れたように溜息をついてみせる。

 

「プレーンさんったら、随分と余裕ですこと。来週は秋華賞ですのよ? 後輩のことなど気にしている場合ですかしら」

 

 言いながら、スレノディは啜っていた緑茶に砂糖とミルクを追加する。緑茶に砂糖とミルクを入れるなとプレーンは言いたいが、言っても聞きやしない。

 

「今からピリピリしてたら身が持たないって。誰かさんのおかげで無敗のトリプルティアラの可能性もなくなっちゃったし、ま、気楽にいきましょってなもんだって」

「私が悪いみたいに言わないでくださいまし」

「んなこと言ってないじゃん。オークス負けたのはあたしの実力だもん、それは潔く認めてるんだよ、プレーンさんは。あんときのノディはあたしより強かった、それだけ」

 

 悔しくないといえば嘘になる。「オークスを逃げて勝つのは、ダービーを逃げて勝つより難しい」――そんなどこの誰が言ってんだか知らない風潮なんか、自分が蹴飛ばしてやろうと思っていたのに、結果はその風潮を自ら立証してしまったのだから世話はない。

 桜花賞の1600から、一気に800メートルも伸びる2400のオークス。その800メートルの絶望的な長さは、走ってみた者にしかわからない。府中の直線525メートルが、走っても走っても終わらない気がした。だらだらとどこまでも続く坂に喘いでいるうちに、ひたひたと後ろから迫ってきたこの栗毛の足音。

 

「だからこそ――秋華賞はノディを倒すことにだけ集中できるわけだしさ」

 

 テーブルに肘を突いて、プレーンはスレノディの方へ身を乗り出す。砂糖ミルク入り緑茶を啜ったスレノディは、しれっとしたすまし顔で、

 

「そんなこと言ってると、他の誰かに足元を掬われますわよ。だいたい、私を倒すも何も、貴女はただ逃げるだけでしょうに」

「あ、そいつは聞き捨てならないなあ。ノディ、逃げウマ娘をただ何も考えず先頭走ってタイムトライアルしてるだけだと思ってんの?」

「あら、違うんですの? オークスで残り200でバテて私に抜かれたどこかの逃げウマ娘さんなんか、もう少し考えてペース配分すればよろしかったですのに」

「直線ヨーイドンしか能のないスローペース症候群患者が言ってくれるじゃん?」

 

 見えない火花が散る。逃げのプレーンと追込のスレノディ、根本的にレース観が違うのでこの種の言い合いはいつものことだ。プレーンは最も強いのは逃げて勝つウマ娘だと信じているが、スレノディば逃げて勝つのはレースの駆け引きができない、あるいはする気がない脳筋ウマ娘に過ぎないと言って憚らない。逃げには逃げなりの駆け引きがあるというのに、まったく。

 

「おやおや、秋華賞の1番人気と2番人気が本番前にさっそく場外乱闘? いいけど、ほどほどにね」

「ランデブーさん? あ、ども」

 

 ふたりの間にスポーツドリンクのペットボトルが置かれた。顔を上げると、ふたりの2年先輩にあたるネレイドランデブーが穏やかな微笑みを浮かべている。

 昨年のヴィクトリアマイルとマイルCSを制したランデブーは、今年の春シーズンは高松宮記念から始動の予定が、2月にトレーニング中の怪我で全休になっていた。今月下旬の富士ステークスで復帰して、来月のマイルCSで連覇に挑む予定だと聞いている。

 

「お怪我の具合は、大丈夫なんですの?」

「ああ、うん、もう全然。ホントは今日の毎日王冠に間に合わせたかったんだけどねー。トレーナーが万全を期そうって言うから」

 

 飄々と言いながら、ランデブーは椅子を引いて腰を下ろし、ペットボトルに口をつける。

 

「ふたりとも、秋華賞のあとはどうするんだっけ?」

「エリザベス女王杯から有馬記念の予定です」

「同じくですわ。……なんで1年中プレーンさんと同じレースを走り続けないといけないのですかしら」

「それはこっちの台詞なんだけど? オークス勝ったんだからジャパンカップでも行けばいいじゃん」

 

 嘆息するノディに、プレーンは肩を竦める。プレーンは秋のローテを決める際に、京都に行けるエリザベス女王杯を自分からトレーナーに希望したのだが、まさかスレノディまで同じローテを選ぶとは思わなかった。

 

「私はそれでも良かったのですけれど、トレーナーさんが有馬記念に出ようと熱心でして」

「どっちにしたって、ふたりとも平然とハードなローテ組むねー。今どきそのローテ走るウマ娘もなかなかいないよ?」

 

 ランデブーが苦笑する。確かに、使い詰めを避けるのが主流の現在、秋のGⅠ戦線で3つのGⅠに出るウマ娘がそもそも今は少ない。勝ち負けになるレベルのウマ娘であれば尚更のことだ。

 

「勝てそうなレースがあるのに出ないなんて勿体ないじゃないですか。あたし庶民なもんで、貧乏性が身についちゃってるんですよ」

「貧乏性の庶民が、関西遠征にわざわざ飛行機を使うんですの?」

 

 肩を竦めたプレーンに、スレノディがジト目を向けてくる。む、とプレーンは口を尖らせた。

 

「お嬢様のノディにはわからないかもしんないけど、貧乏人がなけなしの稼ぎで楽しんでる趣味を否定しないでほしいなあ。あたしの夢は引退したらマイル修行がてら、1年中ひたすら飛行機乗り続けて世界のあらゆる空港を制覇することだかんね」

「プレーンさんのその趣味、いつ聞いても全く意味がわかりませんわ……」

「ランデブーさんはわかってくれますよね、飛行機の楽しみ!」

「私はロケットの方が好きだなあ。宇宙なら行ってみたいけどねー」

 

 そんなことを言い合っていると、ランデブーがテーブルの上の《日刊ウマ娘》に目を留めて取り上げる。

 

「おお、ジャラジャラちゃん一面かー。凄かったもんねー、昨日のサウジRC」

「あら、ランデブーさん、お知り合いです?」

「デビュー前に私に併走挑んできた子でねー。そのときから大物になりそうな予感はしてたけど、いやー、度肝抜かれちゃった。ふたりともうかうかしてらんないよ? ま、今はまだ後輩のこと考える時期でもないか」

 

 そう言いながら、ランデブーは紙面を捲り、途中の記事に目を留める。

 

「あれ? このリボンエチュードって子……」

「従妹ですわ」

「ああ、そうなんだ。昨日初勝利かー。ノディちゃん、おめでとうって伝えておいて」

「ありがとうございます。私も安心したところですわ」

 

 ランデブーとスレノディのその会話に、プレーンもその子の顔を思い出す。

 

「桜花賞とオークスのときにノディのとこに来てたあの子? そっか、無事にデビューしてたんだねえ。あれ、そういやあの子と一緒にいたかわいい芦毛の子、前になんか話題になってなかった? あの、なんか変わった名前の」

「バイトアルヒクマちゃんですか? ええ、エチュードちゃんのお友達で、同じトレーナーさんの担当ですわよ。確か札幌ジュニアSを勝ったあと、ティアラ路線なのに阪神JFじゃなくホープフルSに向かうと宣言してましたわね」

「へー、そりゃ珍しい。ま、確かにティアラ路線にその〝褐色の弾丸〟がいるんじゃ、同期のティアラ路線の子はなかなか大変そうだもんねえ」

 

 何の気なしに言ったプレーンの言葉に、スレノディが不意に憂鬱そうに小首を傾げた。

 

「それなんですのよ」

「うん? 何が?」

「エチュードちゃん。ティアラ路線志望なんですの。それで、昨日勝った未勝利戦が、サウジアラビアRCと同じ府中で」

「あ、そりゃメインレース現地で見てるねー」

「そうなんですの。エチュードちゃん、私から見ても充分に才能ありますのに、どうも自己評価が低くて……。同期のすごい走りを見て心が折れちゃったりしていないか、ちょっと心配で。でも、デビューして担当トレーナーさんもついているあの子に、私があまり干渉するのもどうかと思いますし……」

 

 頬に手を当てて、スレノディが心配そうに俯く。全く、秋華賞の1週間前に従妹のメンタルの心配とは、どっちが余裕なんだか。プレーンは息を吐く。

 

「だったら、遠くからでも様子見てみれば? 今はトレーニング中みたいだし」

 

 と、スマホを弄りながらランデブーが言った。

 

「ランデブーさん? どうしてエチュードちゃんが今なにしてるかなんて……」

「リボンエチュードって名前、聞き覚えあると思ったら、私に懐いてる後輩のルームメイトだったから。その子に聞いてみたら、朝からトレーニングしてるって」

 

 それはまた、なんと奇遇と言うべきか。スレノディが目をしばたたかせ、プレーンは「トレセン学園は狭いですね」と肩を竦めた。

 

 

       * * *

 

 

 長い芦毛のウマ娘と、小柄な栗毛のウマ娘が坂路ダッシュをしている。それを見守るトレーナーの傍らで、リボンエチュードは体幹トレーニングをしているようだった。昨日レースをしたばかりだから、今日は軽めのメニューということだろう。

 レース観戦用の双眼鏡から目を外して、傍から見たらこの光景わりと不審者だよねえ、とプレーンは息を吐く。その横でスレノディは、じっと双眼鏡を覗きこんでいた。

 

「ノディ、もういいんじゃないの? 真剣にトレーニングしてるみたいだし」

「ちょっとプレーンさんは黙っててくださいませ!」

 

 強い口調で遮られ、鼻白んでプレーンは土手の草むらに腰を下ろす。

 秋華賞1週間前にふたりして何してるんだか、と思い、そもそもノディの従妹の様子を見るのに自分が付き合う理由も意味も特に無かったということに今さら気付いて、当たり前のようにノディと一緒に行動している自分に嘆息する。

 リボンスレノディ。何の後ろ盾もなく裸一貫でこの中央トレセンに乗りこんだ庶民のプレーンとは違う、名門の期待を背負ったバリバリのお嬢様。教室で初めて顔を合わせたときは、こりゃ住む世界が違う人種だわと思った。

 それが寮で隣の部屋になり、トレーニングしているとやたらとよく顔を合わせ、気が付いたら同期デビューすることになり、なんやかんやで今となっては自他ともに認める同世代最大のライバルになってしまった。

 最初は、苦労知らずのお嬢様なんかに負けてたまるか、と思っていた。今ではもう、名門生まれには名門生まれの苦労があることも知っている。それぞれに背負っているものがあって、だからこそ負けられないと、プレーンは思う。

 スレノディは強い。どれだけ引き離しても、気が付いたらこの小柄な栗毛がゴール前ですぐ後ろに居るプレッシャーは、逃げてみなければわからない。スレノディの強さ、怖さを一番よく知っているのは自分だ。プレーンはそう自負している。だからこそ――。

 ――ノディが自分を見ていないのが、ちょっとムカつく。

 

「むむむ……エチュードちゃん、やっぱりあのトレーナーさんのこと……。あれは絶対、そういう表情ですわよね……。ううん、従姉としてどうすれば……」

「ノーディーイー」

 

 プレーンは、スレノディの無防備な背筋を指でつーっとなぞった。

 

「ひああああああっ!? ななななっ、なにしますのプレーンさん!?」

 

 びくっと身を逸らして悲鳴をあげ、スレノディは顔を赤くしてこちらを振り向く。プレーンはその頬に手を伸ばして――スレノディの顔を両手で挟んで、真剣な顔でスレノディの顔を覗きこんだ。

 

「……ぷ、プレーン、さん?」

「ノディ。――あたしのこと見てよ」

「あ、あの、ええと」

「あたし以外の誰かに夢中になるなんて許さないよ。ノディはあたしだけ見てればいいんだ。あたしはいつだってノディに背中を見せてるのに」

「――――あ、あの、」

「……なーんつって」

 

 ぱっと手を離し、プレーンは笑う。

 赤面して混乱して固まったスレノディの顔なんて、なかなかいいものが見られた。今のは記憶のメモリーに刻んでおこう。プレーンがニヤニヤ笑いながら頷いていると、からかわれたと気付いたスレノディが顔を真っ赤にして頬を膨らませる。

 

「ぷ、プレーンさん! からかわないでくださいまし! 今の少女漫画の台詞でしょう!?」

「あ、お嬢様のノディもああいう庶民的な漫画読むんだ?」

「読みますわ! 大ファンですわ! 今の台詞どういう文脈で捉えろと仰いますの!?」

「えー? うん、ノディに任せるわ。じゃっ、あたしはもう行くから」

「ちょっとプレーンさん! お待ちなさい!」

 

 双眼鏡を振り回しながらスレノディが追いかけてくる。その姿から逃げ回りながら、やっぱりこうじゃないとね、とプレーンは心の中だけで笑う。

 あたしが逃げて、ノディが追いかける。来週の秋華賞も、来月のエリザベス女王杯も、それから先も――。

 ずっとそうであればいい、と思ったことは、もちろん誰にも明かさない、プレーンだけの秘密だった。

 

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