モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
向こう正面のゲート前。ブリッジコンプが、ユイイツムニとチョコチョコに歩み寄っていくのが遠目に見える。
私はそれを双眼鏡で覗いていた。コンプがユイイツムニに指を突きつけて何か言っている。リベンジ宣言、宣戦布告――そんなところだろう。意気込みはいいが、空回りしないといいのだけれども……。
今日の京王杯ジュニアステークスは、18人立てのフルゲート。ともに2連勝で乗りこんできたユイイツムニとチョコチョコがほとんど差のない1番人気と2番人気。コンプは前走の敗北で1400は厳しいと見られたか、9番人気の低評価だ。
「コンプちゃーん! がんばれー!」
ヒクマが両手をぶんぶん振り回して声をあげる。エチュードはぎゅっと柵を握りしめて真剣な顔で向こう正面を見つめている。それから――。
「コンプちゃん、いい顔していますね~」
私と同じく双眼鏡を覗いていたビウエラリズムが、ほっとしたように息を吐いた。
「前回負けちゃってどうなるかと心配してましたけど、あれなら大丈夫そう。良かった」
「わかる?」
「わかりますよ~。姉ですから、コンプちゃんのドヤ顔が自信か虚勢かぐらいの区別は。目元が揺れてませんから、今日は自信があるんだってわかります」
私は頷く。意地っ張りのコンプだけれども、目元の感情はごまかせない。今日のコンプは、ユイイツムニとチョコチョコを、絶対に勝つという強い気持ちで睨み付けられている。前走での敗北で折れかけた心は、もう大丈夫だ。
「わたしもいっぱい併走して練習したもんね!」
ヒクマが言い、私は笑ってその頭を撫でた。レース展開は解っている。コンプとユイイツムニがハナを切って逃げ、チョコチョコがそれをマークする展開。他にもメイクデビューや未勝利戦を逃げ・先行で勝ち抜けてきたウマ娘はいるが、コンプがいつも通りのダッシュをつけられれば、ハナを切れるはずだ。
あとは、ヒクマとの併走で練習してきたことをちゃんと本番で出せるか。ユイイツムニとチョコチョコの競りかけに対して、きちんと折り合って1400を走りきるスタミナを保つ。それさえ出来れば――。
勝てる。勝てるはずだ。私にできるのは、そう信じて見守ることだけだった。
* * *
「お? なんだ、出てたんだ? 前回あんなボロ負けしといて、諦めが悪いねえ」
振り返ったチョコチョコが、鼻で笑うように肩を竦めてみせる。
安い挑発だ。コンプはそれを無視して、振り向きもしない芦毛の三つ編みに身体を向け、チョコチョコにはただ横目を流して鼻で笑い返してやる。チョコチョコが眉間に皺を寄せたのを見て、コンプは少しすっとした気分だった。
しかし、それはそれとして――この眼鏡に無視されるのは気に食わない。
「ちょっと、そこのあんた。三つ編み眼鏡!」
大声で呼びかけて、ようやくユイイツムニが眼鏡の奥から視線だけでコンプを振り向く。コンプはその顔に、びしっと指を突きつけた。
「メイクデビューのときの宣言、忘れてないでしょうね。今日は約束通り、あんたを倒しにきてやったんだから、ありがたく思いなさい!」
「…………」
無視。ユイイツムニはこちらに興味などないとばかりに、無言で視線をゲートに戻した。
――なるほど、こいつはこういう奴だ。メイクデビューのときの反応からも予想はしていたからダメージはない。ないが、それはそれとして。
絶対、こいつには負けたくない。
「いやはや――よくもまあ、そこまでデカい態度取れるもんだね? 感心するよ?」
呆れたように、横でチョコチョコが大げさに肩を竦めてみせる。コンプは、ふん、と鼻を鳴らして腰に手を当てた。
解っている。傍から見ればこれが、ひどく滑稽な虚勢だということぐらい。
だったらその虚勢を、あたしは全力で張り通してやる。
「あんた誰だっけ?」
「はあ?」
「あたしはこの三つ編み眼鏡を倒しに来たの。前座の中ボスの名前なんていちいち覚えてらんないっての」
「――言ってくれるじゃん? その中ボスにボロ負けしたのはどこの誰だったっけ?」
「1ヶ月前の戦績なんかでマウント取って、みっともない。恥ずかしくないの?」
「――――」
「今のうちに負けたときの言い訳考えておきなさいよ、これ以上恥かかないように」
それだけ言い残して、コンプはふたりを追い越して、真っ直ぐにゲートへと向かう。
――言ってやった言ってやった! あー、すっとした!
晴れ晴れとした気分でコンプはゲートに収まる。外枠のあのふたりとは離れた内枠なので、あとは気兼ねなく走るだけだ。
これで前回と同じようなボロ負けしたら、恥ずかしいなんて話じゃない。何がなんでも勝たないといけなくなった。頬を叩いて、コンプは気合いを入れ直す。
勝つ。絶対に勝つ! そして、あたしが最強だって証明するんだ!
『全員ゲートイン完了、GⅡ京王杯ジュニアステークス――スタートです!』
* * *
ゲートが開いた。18人のウマ娘たちがターフへと飛び出す。
ダッシュをつけてハナを主張したのは、やはり大方の予想通りのふたりだった。
『さあ先行争いですが、やはり行きましたブリッジコンプが先頭。ユイイツムニがぴったりその横につけて、このふたりがレースを引っぱります。1バ身後ろにチョコチョコ』
よし、いいスタートだ。相変わらずコンプのスタートの良さは天性のものがある。
府中の1400はスタート直後に上り坂があるから、序盤のペースはあまり速くならない。手元のストップウオッチを見ながらラップを確かめる。やはり前走のききょうステークスよりペースは遅め。坂路はみっちりやってきたから、坂への対応は大丈夫そうだ。このぐらいのペースで逃げていければ、今のコンプでも1400は保つだろう。
あとは中盤の折り合いだ。やはりユイイツムニがすぐ横につけ、後ろでぴったりチョコチョコがマークしてくる展開。メイクデビューとききょうステークスの合わせ技のような状況である。ふたりに競りかけられて、コンプは自分の走りができるのか――。
「だいじょぶだよ、トレーナーさん!」
横からヒクマの声がして、私は視線を向けた。ヒクマは向こう正面を走るコンプたちの姿を、柵から身を乗り出すようにして見つめながら、「いけー!」と声をあげた。
「一緒にがんばったんだもん! コンプちゃん、そのまま逃げ切っちゃえー!」
ぶんぶんと腕を振るヒクマ。――ああ、そうだ。心配するより、信じるのだ。
ブリッジコンプが、あのふたりを倒せると。短距離最強のウマ娘になれると。
誰よりも、私が信じずしてどうするというのだ。
「いけええええ!」
コンプたちがコーナーに差し掛かる。私はそう声を張り上げた――。
* * *
無心になんて、なれるわけがない。
クマっちとの併走トレーニングで、そのことは嫌というほど思い知った。
すぐ真横、すぐ真後ろ。自分の近くを誰かが走っていると、とにかく引き離したくなる。誰にも走りを邪魔されたくない。誰かに貼り付かれている状態で、何も考えずに自分の走りに徹することなんて、どうしてもできない。
クマっちがちょっとでも抜こうとしてくれば、どうしてもペースが上がってしまう。
折り合いを付ける――自分のペースで走るということが、こんなに難しいなんて。
この1ヶ月、ただただその難しさを痛感させられ続けてきた。
自分は不器用だ。頭でわかっていても、身体がそれについていってくれない。本能がどうしても、先頭を走りたい、誰もいないところを走りたいと訴えてくる。それはどうしても、抑えようがなかった。
トレーニング中。また掛かってバテた自分に、トレーナーが困ったように言った。
「コンプのその気性と闘争心を、本当は直線で発揮できればいいんだけど……」
「逃げるんじゃなくて……抑えて好位追走しろってこと?」
「できる?」
「……無理」
「だよね。――よし、コンプ」
と、トレーナーは学園の、東京レース場を模したトラックにコンプを連れ出して言った。
「府中の3コーナーと4コーナーを曲がる感覚を、徹底的に身体に覚えさせよう。それこそ、目を瞑ってても曲がれるぐらいに」
――それが言葉通りの意味だと教えられたのは、今日の控え室でのことだった。
『さあ4コーナー、先頭は依然ブリッジコンプ、外からユイイツムニ、そしてチョコチョコが差を詰めてきた』
――きた。トレーナーの言った通りだ。4コーナー入口でチョコチョコがちょっかいをかけてくる。こちらを焦らせて、直線まで息を入れさせないように競りかけてくるはずだと、トレーナーの予測が完璧に当たった。
あの気に食わない芦毛のふたつ結びポニーテールが、視界の脇を掠める。
意地の悪い笑みを浮かべたあいつが、こっちを煽りに来ている。――ああもう、ホントこいつ腹立つ!
ああ、ダメだ。挑発に乗ったら向こうの思うつぼ。トレーナーの言ったその対策は、
――ったく、もう、どうなっても知らないんだからね!
コンプは心の中だけで悪態をついて、そして。
思いきって、内ラチ沿いにコーナーを曲がりながら――目を閉じた。
視界が暗闇になる。周囲の足音とスタンドの歓声だけが聞こえてくる。
目を閉じているから、何も見えない。けれど、身体は自然と走り続ける。
――ふうっ、とコンプはひとつ息を吐いた。
目を閉じた時間はほんの数秒。ゆっくりと、コンプは目を開ける。
ユイイツムニとチョコチョコの、芦毛の髪が前方に揺れていた。
『おっとここで先頭が入れ替わった、ユイイツムニが先頭、それにチョコチョコがぴったりついてブリッジコンプが3番手に下げました。残り600を通過!』
抜かれた。――いや、抜かせてやったんだ。
ちらりとチョコチョコが視線だけでこっちを振り向くのが見えた。その顔を見ても、落ち着いている自分に、コンプは驚いていた。
――4コーナーでチョコチョコが仕掛けてきたら、数秒でいい、目を閉じてごらん。
――え、なにそれ? レース中に危ないでしょ、そんなの!
――大丈夫、そのときコンプは先頭を走ってるはずだから。コーナーを曲がる感覚はこの1ヶ月みっちり叩き込んできた。自分を信じて、目を閉じて数秒、集中してごらん。
控え室でのトレーナーの言葉を思い出す。
ああ、そうか。息を入れるって、こういうことだったんだ。
抜かれるんじゃない。抜かせてやる。
先頭を走りたいのに走れないと思うから掛かってしまう。
相手が自分を抜き去っても、それが計画通りだと思えば――こんなに気が楽だなんて。
『さあ直線に入った、ユイイツムニ先頭、チョコチョコが追ってきた、ブリッジコンプは苦しいか』
――苦しい? バカ言ってんじゃないっての。
今までで、一番楽なラストスパートだってば!
コンプは力強く、ターフを踏みしめて――加速する。
『中団グループはまだもがいている、逃げるユイイツムニ、チョコチョコが並んで、その内からブリッジコンプ! ブリッジコンプが再び伸びてきた!』
もう直線。あとはこいつらを抜いてゴールに飛び込むだけ!
近付いてくる。ユイイツムニの12番のゼッケンと、チョコチョコの13番のゼッケンが、はっきりと近付いてくる。
前は、必死に走っても遠くなるだけだった、このふたりの背中に――届く!
『並んだ! 並んだ! 3人横一線だ!』
坂の途中で、あのふたりに追いついた。
チョコチョコが横目にこちらを見て、信じられないという顔をした。
ユイイツムニは、すまし顔でただ前だけを見ていた。
ブリッジコンプは、そのふたりを振り切るように、雄叫びをあげて坂を駆け上がる。
「最強は、あたしだあああああっ!」
『ブリッジコンプかわすか、ユイイツムニ粘るか、外からチョコチョコも差し返す! ユイイツムニ、チョコチョコ、ブリッジコンプ――横並びで今ゴールッ!』
ゴール板を駆け抜けたとき。
コンプの耳に聞こえていたのは、ただスタンドから響き渡る大歓声だけだった。