モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
『勝ったのはユイイツムニ! 四角先頭から粘りに粘っての逃げ切りでデビューから3連勝です! 2着チョコチョコはアタマ差届かず、3着ブリッジコンプもハナ差の接戦でした京王杯ジュニアステークス!』
ターフの歓声が遠く響く地下バ道。光を背にして、小柄な栗毛がこちらに歩いてくる。
ヒクマとエチュード、それからビウエラリズムとともに、レースを終えたブリッジコンプを迎えに来た私は――まだ、コンプにかける言葉を決めかねていた。
3着。道中逃げからの4コーナーで一旦下げて、府中の長い直線で粘って食らいつき、1着とアタマ差、2着とハナ差なのだから、負けてなお強しと評されるに相応しいレースだった。何も恥じることはない。胸を張るべき3着だ。
ただ――それでも負けは負けである。〝最強〟を目指すコンプにとって、おそらく今できる最高の走りをした上で、それでもあのふたりに届かなかった事実は――。
もう、あんなコンプの顔は見たくなかった。けれど、結果は結果だ。自分の指導の足りなかった部分は甘んじて受け入れるしかない。その上で、これからどうするか――。
そう、あれこれ思い悩んでいたのだけれど。
「トレーナー」
コンプに呼ばれて顔を上げ――その顔を見て、私は目を見開いた。
てっきり、悔しさに唇を噛んでいるかと思っていたのだけれど。
私を見上げるコンプの顔は、どこかスッキリした、納得のいったという晴れ晴れとした表情だった。
そんなコンプは、私の顔を見て、困ったように苦笑する。
「ちょっとトレーナー、なんて顔してんのよ。泣きそうじゃない」
「……いや、そんなことは」
「ありがと。あたしの分まで悔しがってくれて」
そう言って、コンプは胸元に拳を当てる。
「あたしは悔しいけど、ちょっとスッキリした。今までで一番いい走りができたって自分でもわかる。それでもあのふたりに届かなかった。これが今のあたしの実力」
「コンプ」
「認めるしかないでしょ。――今のあたしはまだ、全然最強なんかじゃない」
その言葉を。ききょうステークスのときは認められずに震えていたその言葉を、どこかサバサバとコンプは口にする。
ただ――その顔は。
私を見上げたその大きな瞳は、全く、光を失っていなかった。
「でも、デビューからずっと勝ち続けるだけが〝最強〟じゃない。でしょ?」
「――――」
「デビューから華やかじゃなくてもいい。泥臭くたっていい。――最初は負け続きのパッとしないウマ娘が、ライバルを順繰りに倒していって〝最強〟に成り上がるサクセスストーリーの方が、かっこいいじゃない」
にっ、とコンプは満面の笑みで、握りしめた拳を私に突き出した。
その笑顔の下の覚悟に、私ができることは、ただ力強く頷くことだけだ。
――そう、今はまだ最強ではないなら、これから最強になろう。
「うん、そうだ。あのふたりを倒して、最強になろう」
コンプの拳に、私は自分の拳を打ち合わせる。それから――その手で、コンプの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「おつかれさま、コンプ。――いいレースだった」
「――――」
その瞬間。
むっと口を尖らせようとしたコンプの表情が、くしゃりと崩れた。
張り詰めていた糸が切れたように――その顔が、ぐしゃぐしゃに歪んでいく。
「――――~~~~~ッ、勝ち、たかった……ッ! 悔しいっ、悔しいよぉ……っ!」
笑顔に封じ込めていた感情が、涙になってボロボロと地下バ道の床にこぼれ落ちていく。
「コンプ……!」
私にできたことは、ただその小さな身体を抱きしめて、その感情の奔流が収まるまで、じっと細い肩を包みこんであげることだけだった。
――腕に包みこんだコンプの身体は、本当に小さくて。
ヒクマとエチュード、ビウエラリズムの3人は、ただ何も言わず、コンプが泣き止むまでじっとその場で待ってくれていた。
* * *
――ああもう、恥ずかしいったらない!
今後のことは学園に戻ってから話し合おう、とトレーナーに言われ、シャワーを浴びて着替えたブリッジコンプは、泣きはらした顔を念入りに洗って、控え室の鏡の前で表情を引き締めた。
泣くつもりなんてなかったのに、トレーナーにねぎらわれた瞬間に化けの皮が剥がれてしまった。トレーナーだけじゃなく、クマっちやエーちゃん、おまけにビー姉まで見てる前であんな醜態、ああもう一生の不覚である。おまけにトレーナーには思いっきり抱きしめられて、うっかりその胸の大きさに安心なんかしちゃったりして――。
って、何考えてんのあたしは! ぶんぶんと首を振ってコンプは余計な考えを振り払う。そりゃまあその、別に嫌だったわけじゃないんだけど……。って、だからそういう考えは今はなし! 終了!
鏡に映った自分の姿を見やる。目の赤みはもう引いた。泣いてしまった痕跡はない。ライブ衣裳の着付けもバッチリ。よし、ブリッジコンプちゃん通常モード!
3着に入ったので、今日はこのあとウイニングライブがある。あのふたりと一緒に歌って踊らないといけないというのは悔しいが、レースが終わればノーサイド、どんなに悔しくてもライブは笑顔で、がトゥインクル・シリーズの掟である。全く、レースの順位でライブの立ち位置が決まるなんてこんなルール、考えたやつは絶対性格が悪い。
ともあれコンプが選手控え室を出ると、
「あ」
「――あっ」
よりにもよって、あのふたりと出くわした。どちらもライブ衣裳に着替えていて、どうやら同じくライブ前の控え室に向かうらしい。
行き先が同じだからって、一緒に肩を並べて歩く義理もない。先に行きなさいよ、とコンプが顎をしゃくると、それに反してふたりとも足を止める。
「――何よ」
大口叩いて負けたことをバカにされるのか。業腹だが言い返しようがない。負けは負けだ。何を言われたって、言い訳する方が格好悪い――。
「……次、どのレース出るの」
初めて聞く声。それが三つ編み眼鏡――ユイイツムニの声だと気付くのに一瞬の時間を要した。……こいつ、ちゃんと喋るんだ。当たり前か。ライブでは歌って踊るんだし。
「――まだ決めてない」
次のクラシック級短距離重賞は3月のフィリーズレビューかファルコンステークス。と言ってもフィリーズレビューは桜花賞トライアルだから、短距離路線で行くならファルコンステークスを目指すことになる。
でも、その前に自分はまず1勝クラスの条件戦だろう、とコンプは思う。今日のレースで1400でも走れる自信はついたけれど、4戦1勝のままじゃ、こいつらに挑む前に抽選で除外されかねないわけだし。
「……そう」
ユイイツムニはもうこちらに興味を失ったみたいに視線を逸らす。そして、壁際に寄ると、片手に持っていた文庫本を開いて読み始めた。コンプは目をしばたたかせる。え、なんでここで本読み始めるの、こいつ。
……こいつ、プライドが高くてこっちを見下してるんじゃなくて、ひょっとしてただ単に死ぬほどマイペースなだけ?
「ムニっち、その本ステージまで持ってく気ぃ?」
「…………」
チョコチョコも呆れたように声を掛けるが、ユイイツムニは微動だにしない。呆れたように肩を竦めたチョコチョコは、それから腰に手を当ててコンプを振り返った。
「はあ、ムニっちの見る目の方が正しかったってのはなんかこー、釈然としないなあ」
「あによ」
「3月のファルコンステークス。次、そこで今度こそ叩き潰してやるから」
それだけ言って、チョコチョコは「ほら行くよぉムニっち」とユイイツムニの肩を強引に押して歩き出す。「ふぁぁぁぁ」と大あくびしながら、本を読み続けるユイイツムニを引きずるように歩くチョコチョコの背中を、コンプはぽかんと見送った。
――何よ、つまり挑戦者として認めてやったってわけ?
何様のつもりだ。あいつ、やっぱりムカつく!
ふたりの背中が見えなくなったところで、憤然とコンプは歩き出す。――と。
「ブリッジコンプさ~ん」
間延びした声が背後からかかる。訝しんで振り返ると、意外な顔がそこにあった。
「オータムさん?」
デュオスヴェルのルームメイト、オータムマウンテンである。ぱたぱたとこちらに駆け寄ってきたオータムの姿に、コンプは思わず周囲を見回した。――デュオスヴェルの姿はない。あれ? てっきり今度はスヴェルの奴が負けた自分をバカにしに来たのかと……。
「ああ、スヴェルちゃんなら、怒って帰っちゃいました~」
「……見に来てたんですか、あいつ」
「ええ~。コンプちゃんに声掛けにいかないのって私が聞いたら、もういい、ブリッコなんて知らない! って。今頃学園のどこかで拗ねてると思います~」
「はあ」
なんであいつが怒るのだ。コンプが眉を寄せると、オータムは苦笑する。
「スヴェルちゃん、楽しみにしてたんですよ~。今日、コンプさんが勝てば、朝日杯FSでコンプさんと対決できるかもしれないからって~」
「――――」
思わずコンプは目を見開いた。――そういえばあいつ、ホープフルSと同条件の芙蓉ステークス勝ったくせに、なんでホープフルSじゃなく朝日杯FS目指すんだろう、とは思ってたけど……。
「……え、あいつ、まさかそのために朝日杯に?」
「あ、いえいえ、それはどっちかっていうとトレーナーさんの意向なんですけど~。芙蓉ステークスは素質だけで勝てたけど、あんな強引な勝ち方のできない短めの距離でもうちょっと経験積んだ方がいいって~」
――なんだ、そりゃそうか。コンプは息を吐く。
だいたい、1400でいっぱいいっぱいの今の自分に、マイルは荷が重い。今日の結果がどうあれ、トレーナーが朝日杯FSに行こうと言うことはなかったはずだ。
……でも、そうか。
短距離路線に向かった以上、中長距離の三冠路線を目指すデュオスヴェルとは、もう二度とレースで戦うことはないと思っていた。でも――あいつがマイルに出てくれば、そしてあたしがマイルも走れるスタミナをつければ……可能性がないわけじゃないのか。
って、誰があいつと戦いたいなんて! んなわけないでしょうが!
ぶんぶんとコンプは首を横に振る。今倒すべきはユイイツムニとチョコチョコのふたり。芦毛の三つ編み眼鏡であって、鹿毛の三つ編みバカのことなんて考えている暇はないのだ。
「あたしの前に、クマっちに勝てるかどーか心配したら? って伝えてやってください、アホスヴェルには。次、再来週の東スポ杯なんでしょ?」
「承知しました~」
クマっちがアホスヴェルなんかに負けるとは思わないけど――ま、あいつが情けない走りするようだったらどやしつけてやろ、とコンプは思い、それからオータムを見上げた。
「……で、オータムさんは何しに来たんです? まさかアホスヴェルが怒ってたって伝えるためだけに?」
「いえ、まあそれもあるんですけど~。スヴェルちゃん素直じゃないですから~。私からははい、今日のレースは残念でしたけど、ライブがんばってください~」
と、オータムが何かを差し出してくる。手のひらでそれを受け取ったコンプは、そこに載せられたものに眉根を寄せた。
麻雀牌ふたつ。白の牌に、「K」と「O」のシールが貼られていた。
「KO牌です~」
「…………………………ありがとうございます」
コンプはレース以外では人間関係に無駄な波風を立てない主義である。
にこにこと笑い続けるオータム。心底邪気のないその笑顔に、コンプは。
――なんであたしの周囲はこんなのばっかりなのよ、と、心の中だけで溜息をついた。