モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第50話 欲しいものは

 11月12日、京都レース場。GⅠ、エリザベス女王杯。

 

『さあいざ変則トリプルティアラへ離陸準備完了。7戦6勝、関西では6戦6勝! 1番人気テイクオフプレーン、今日も逃げ切りへ視界良好!』

 

 ――いやあ、これで負けたらノディに何て言われるかなあ。

 ゲートへ向かいながら、プレーンは心の中だけでそう独りごつ。

 秋華賞の快勝と、リボンスレノディの回避で、並み居るシニア級のウマ娘たちを差し置いてのダントツ1番人気。不安要素は200メートルの距離延長だけ――。外野は好き勝手言ってくれるけれど、勝って当たり前はさすがに言い過ぎだとプレーン自身思う。

 もちろん、負ける気はないけれど――。

 ゲートの手前で足を止め、プレーンは背後を振り返った。

 そこに、これまでの四度のGIにいつもいた、あの栗毛の小柄な姿はない。

 ――今日は、追いかけてくるノディはいないのだ。

 頬を叩いて、気合いを入れ直す。ノディがいようといまいと、いつも通り逃げるだけ。強敵はノディだけじゃないのだ。シニア級のGIウマ娘だって複数出てきている。ここで勝って、名実ともにティアラ路線の現役最強ウマ娘になる。

 まだまだ、着陸するのはずっと先だ。もっと上へ、上へ、勝ち続けて、飛び続けてみせる。飛行機みたいに、この身体の燃料が尽きるまで。

 

『体勢完了。――スタートしました!』

 

 ゲートが開く。エンジンスタート、スロットル全開!

 テイクオフプレーンの長い芦毛が、京都のターフに舞いあがる。

 

 

       * * *

 

 

 同時刻、京都レース場外、緑の広場。

 歓声を遠くに聞きながら、リボンエチュードはぼんやりと芝生のベンチに座っていた。

 ヒクマとコンプ、それからリボンスレノディは、トレーナーと一緒にエリザベス女王杯を観戦している。エチュードだけがひとり、レースも見ずにここにこうしてぼんやりと座り込んでいる。すこんと晴れ渡った空を見上げて。

 そうすることを、トレーナーは許してくれた。

 これは昨日の、初の重賞挑戦、ブービー惨敗という現実に、向き直るための時間。

 ――わかっていたつもりだった。自分にそんな才能なんてないことぐらい。

 いつだって比べられてきた。比べられて、そして自分は下の方だった。

 名門、リボン家のウマ娘。その名前を背負うのは、自分よりずっと才能のある、そう、クラシックを勝てるような、従姉のようなウマ娘であって。

 誰も、私に期待なんてしていない。

 誰も、私に注目なんてしていない。

 他のウマ娘の前で萎縮してしまう性格がレースに向いてないと言われた。闘争心がないと言われた。視野が狭いと言われた。ズブい――エンジンのかかりが遅いと言われた。

 そもそも中央のトレセン学園に入れるのか。入れたとしてトレーナーがつくのか。デビューできたとして勝てるのか、良くて条件戦が関の山では。

 そんな風に陰で言われていたことを、知っている。

 中央のトレセン学園を受験して、無事に合格したときだって。

 ――あの子はレースの世界に行くより、別の道を歩ませた方が幸せなんじゃない?

 そんな風に、優しさから心配されていたことを――知っている。

 

 いじめとか陰口とか、そんな話ではないのだ。

 ただ、優しさから心配されていたことぐらい、わかっているのだ。

 厳しいレースの世界には向いていない。レースだけがウマ娘の幸せじゃない。

 みんな優しいから、そう案じてくれていただけだと、わかっている。

 でも――たったひとり。

 ノディ姉さんだけは、そんなことない、と言ってくれた。

 

『エチュードちゃんは才能ありますから。大丈夫、トレセン学園でもやっていけますわ』

 

 そう言って、ノディ姉さんだけが、背中を押してくれたから。

 だからこうして、自分は今、ここにいる。

 

 だけどやっぱり、周りの声の方が正しかったのだろうか。

 自分なんか、やっぱり、誰にも期待されるに値しないウマ娘でしかなかったのか。

 

 ――あのひとが、期待してくれたのに。

 この学園でも、こんな自分に、期待してくれるひとがいたのに。

 トレーナーさんは、自分が重賞で結果を出せると。

 そうしてGⅠにだって挑めると、信じて送り出してくれたのに。

 

 膝の上に、あのひとがくれた初勝利のお祝いがちょこんと置かれている。

 なんてことのない、中ぐらいのサイズの猫のぬいぐるみ。荷物にこっそり忍ばせて京都まで持ってきたお守り。

 1ヶ月前。さすがにぬいぐるみは子供っぽかったかな、と困ったように言いながら、トレーナーさんは「おめでとう」と、初勝利を祝ってくれた。

 ――嬉しかった。泣きそうなぐらい嬉しかった。

 自分を心から信じて、期待して、祝福してくれるひとがいる。

 そのことがどうしようもなく嬉しくて――どうしようもなく、そのひとのことを。

 たぶん、本当に、好きになってしまった。

 

 だから、勝ちたかった。

 リボン家のウマ娘として、よりも、何よりも。

 あのひとのために。自分を信じて期待してくれたあのひとに応えたかったのに。

 胸を張れる自分に、なりたかったのに――。

 

 ぬいぐるみを抱えるように背中を丸めて、エチュードは呻く。

 時間の流れが、どうしようもなく遅い。

 エリザベス女王杯が終わったら、みんなで東京に帰るのだ。そうするとまた、トレーナーさんと顔を合わせないといけない。

 でも、どんな顔をして会えばいいのかわからない――。

 

 そうして悶々としていると、ポケットの中のスマホが通知で震えた。

 のろのろと手に取ると――あのひとからのメッセージが入っていた。

 

《レースが終わったから、今から迎えに行く。帰る前に、少しふたりで今後の話をしよう》

 

 

       * * *

 

 

『先頭はテイクオフプレーン! 譲らない譲らない、テイクオフプレーン1着! リボンスレノディのためにも負けられない! 8戦7勝、堂々3つ目の戴冠です!』

 

 大方の予想通り、エリザベス女王杯はテイクオフプレーンの快勝だった。これでティアラ路線の変則トリプル、GI4勝目。年度代表ウマ娘は厳しいかもしれないが、三冠路線のタイトルが今年はバラけたので、最優秀クラシック級ウマ娘はほぼ当確だろう。

 

「いや、つっよ……」

「プレーンさんホントに強いねー! すごいすごい!」

 

 コンプは呆れたように息を吐き、ヒクマは興奮してぶんぶんと腕を振る。

 

「当たり前ですわ。プレーンさんですもの」

「なんでノディさんが自慢げなの?」

「私の宿敵ですもの。――って、この体たらくじゃそろそろ言えなくなりそうですわね」

 

 ふふんと胸を張ったスレノディは、それから少し自虐的にそう言って頬を掻いた。

 

「もうGⅠ4勝ですか。本気で十冠ウマ娘狙うおつもりかしら。あと2年、阪神と京都のGⅠ3つずつ勝てば十冠ですもの、やりかねないのが怖いですわね、プレーンさんなら」

 

 大阪杯と宝塚記念とエリザベス女王杯を全部連覇か。そんなことをやったら、トゥインクル・シリーズ史上最強の関西の女王として百年ぐらい語り継がれそうだ。

 ともあれ、ヒクマに現地でエリザベス女王杯を見せるという今回の遠征のもうひとつの目的もこれで済んだ。本当はエチュードにも見せるつもりだったのだが……。

 昨日の敗戦をまだ引きずっている様子のエチュードを、さて、果たしてどう励ましたものか。私が頭を悩ませていると、スレノディが私の袖を引いた。

 小柄な彼女は、何か言いたげな目で私を見上げる。私は頷いて、ヒクマとコンプの方を振り向いた。

 

「ふたりとも、私はスレノディと一緒にエチュードを迎えに行ってくるから、先に外で待っててくれる?」

「はいはい、了解。じゃクマっち、その間にお土産買ってこ」

「え、あ、うん、わかった!」

 

 ヒクマとコンプの姿が観客の雑踏に消えるのを見送って、私はスレノディに向き直る。スレノディはぺこりとひとつ頭を下げた。

 

「……エチュードのこと?」

「はい。……昨日のエチュードちゃんのことについては、私も非常に反省していますの。あの子に余計なプレッシャーをかけてしまいました。エチュードちゃんの性格的に、ああいうのは逆効果だってわかっていたはずなのに、自分があの場に立てない悔しさで目が曇ってしまっていましたわ。あの子のお姉ちゃん失格です」

 

 しょんぼりと肩を落とすスレノディ。

 あがり症のエチュードに、本人の自己評価以上の期待を向けて発破を掛けるのは、過度のプレッシャーになってしまって逆効果――というのは、昨日のレースでの完全に自分を見失った、有り体に言えばテンパってしまった姿でよくわかった。

 しかし、だからといって勝てなくてもいい、なんて程度の気概で結果が出せるほどトゥインクル・シリーズは甘い世界でもない。あの人見知りとあがり症を、どうやったら克服させられるのだろう。

 

「……元を質せば、私のせいなんですの」

「え?」

「エチュードちゃん、小さい頃から、周りに何かと私と比較されてしまって……。本当はエチュードちゃんだって私に負けない才能ありますのに、もともと優しくて周りの反応に敏感な子ですから、そういう周囲の気配を自分自身でも信じ込んでしまっているところがあると思いますの。……実際、リボン家の期待があの子よりも私に向いていたことは、私自身自覚しておりましたから。だからって私にもエチュードちゃんにもどうしようもないことではあるんですけれど……」

 

 優秀なきょうだいと比較され続けて、根が卑屈に育ってしまう――人間社会でもよくある話といえばよくある話だ。

 

「だからたぶん、エチュードちゃんは自分が期待されるっていうことに慣れてなくて、その期待を裏切ってしまうのを人一倍恐れたんじゃないかと思いますの」

「……期待を裏切ったら、私からも見捨てられるかもしれない、と?」

「もちろん、本心からトレーナーさんをそう疑っているわけではないと思いますわ。でも、リボン家という名前を背負ってしまった以上、そういう恐怖は私自身にもありますから。もしオークスを勝てていなかったら、私もこんな風に偉そうなことは言っていられませんでしたわ。……トレーナーさん」

 

 きゅっと唇を引き結び、スレノディは私を見上げる。

 

「エチュードちゃんを、決して見捨てないでくださいますか?」

「そんなの、当たり前だ」

 

 何の躊躇もなく、私は即答した。――誰が、見捨てたりするものか。

 私の答えに、スレノディはふっと表情を緩め――「ありがとうございます」と、深々とその場で頭を下げた。

 

 

       * * *

 

 

 どうしよう。トレーナーさんと何を話せばいいんだろう――。

 そうおろおろと考えているうちに、広場に見覚えのある姿が現れて、エチュードは慌てた。もうトレーナーが来てしまった。どうしよう、どうしよう――。

 

「あ、いたいた。エチュード!」

 

 こちらに気付いて、トレーナーが小走りに駆け寄ってくる。エチュードは慌ててベンチから立ち上がり――その拍子に、ぬいぐるみが手からこぼれて芝生を転がった。

 トレーナーがそれに目を留めて、足を止めて拾い上げる。

 

「これ、私が初勝利のお祝いにあげた……。持ってきてたんだ」

「……あ、あの」

 

 恥ずかしくて、トレーナーの顔が見られない。エチュードは顔を伏せる。

 と、その視界に、草を払ったぬいぐるみが差し出された。

 

「はい、大事にしてくれてありがとう」

「――――」

 

 言葉を返せず、エチュードはただそのぬいぐるみを受け取って、ぎゅっと胸元に抱き寄せる。何かにすがるように。

 そんなエチュードの前に立って、トレーナーは。

 

「エチュード。次走はいろいろ考えたけど、来年の1月13日、1勝クラスの菜の花賞でどうかな。中山の芝1600だ」

「……はい」

 

 GI阪神JFは見送り、1勝クラスの条件戦。是非もない。昨日の敗戦を見れば当たり前の判断だ。そう、ジュニア級のうちに未勝利戦を勝ち抜けられただけで充分ではないか。重賞なんて高望みしないで、自分はそのぐらいで頑張れば――。

 

「よし。まずは目の前の階段を一歩一歩、確実に上っていこう」

「はい……」

「それでね、エチュード。――何か、欲しいもの、ある?」

「……え?」

 

 思わず、エチュードは顔を上げた。トレーナーは、少し困ったように頬を掻く。

 

「物で釣るみたいでなんだけど……次、エチュードが勝てたら、今度はそれよりもっと、エチュードが欲しいものをプレゼントしてあげようと思って」

「――――」

「何か、欲しいものないかな。したいことでもいいよ。エチュードの希望を聞かせて」

 

 そんな。

 いきなり、そんなことを言われても――。

 

「なんでもいいよ。気軽に言ってくれれば。……そんなぬいぐるみとかじゃなくて、もっと年頃の女の子らしいものとか欲しいよね」

「いっ、いえっ、そんな! そんなこと、ない、です……」

 

 思わず声をあげてしまい、エチュードはぎゅっとぬいぐるみを抱きしめる。

 

「……こ、これ、嬉しかった……です。本当に……ぬいぐるみ、好き、です」

「そう? それなら良かったけど……」

 

 欲しいもの。したいこと。――私の?

 私が欲しいもの。私がしたいこと。……私、が。

 エチュードは上目遣いにトレーナーを見上げた。トレーナーは優しく微笑んで、エチュードを見つめている。その眼差しがひどく気恥ずかしくて、エチュードは視線を落とした。

 ……なんだかいけない想像が頭を巡りそうになって、慌てて振り払う。

 ああもう、何考えてるんだろう、私。そんな状況じゃないはずなのに――。

 トレーナーさんに、そんなこと言われたら、私、

 

「すぐ決められないなら、トレセン学園に戻ってからでもいいけど」

「あっ、あのっ」

 

 踵を返しかけたトレーナーを引き留めるように、エチュードは思わずその上着の裾を掴んでいた。トレーナーが目を見開き、エチュードはぬいぐるみを抱えたまま俯く。

 ……どうしよう。トレーナーさんがいきなりそんなこと言い出すから、どんどん余計なことばかり考えてしまう。変な妄想が頭の中をぐるぐるする。

 欲しいものなんて、そんなの。

 したいことなんて、そんなの――トレーナーさんとなら、いくらでもある。

 

「……ま、また、ぬいぐるみ、ほしい、です……」

 

 結局、口から出たのはそんな言葉だった。

 

「わかった。じゃあ、次はそれよりもっと大きいのを買ってあげる。どんなのがいい? 猫、犬、それともペンギンとか……」

「とっ、トレーナーさんと、一緒に買いに行きたいです!」

 

 もう、自分でも何を言っているのかわからなかった。言ってしまってから、自分が何を口にしたのか理解して、エチュードは自分の顔がものすごく熱くなるのを感じる。

 そんなエチュードに、トレーナーはただ優しく笑って。

 

「うん、了解。じゃあ、次勝ったら、一緒にぬいぐるみ買いに行こうね」

 

 ぽんぽんと頭を撫でられると、もう恥ずかしすぎて消えてなくなってしまいたかった。

 ――あ、あああっ、こ、これ、ひょっとして、デート……?

 私、トレーナーさんに、デートしたいって言っちゃった……?

 あああああっ! ど、どうしよう、レースで勝てたらトレーナーさんとデートだなんて、そんな、そんな……どうしよう!

 

「よし、じゃあヒクマたちが待ってるから、行こうか」

 

 トレーナーが踵を返して歩き出す。

 エチュードは、真っ赤になった顔を隠すように、手にしたぬいぐるみに顔を埋めるようにして、その背中に隠れるように歩き出すしかなかった。

 

 ――だから、それまで自分の頭を締めていたモヤモヤが全部、トレーナーとのデートの件に掻き消されてしまったことに、エチュードは最後まで気付かなかった。

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