モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
月曜日。いつも通り、トレーニング用トラックで私は3人を迎えた。
「よし、コンプ。前にも伝えた通り、次の目標は1月7日の中山1200、1勝クラスの朱竹賞だ。3月のファルコンステークスへ向けて、まずはここをしっかり勝ち抜けるよう万全の準備をしていこう」
「あったりまえ! 条件戦なんかで躓いてる余裕ないもんね!」
コンプは拳を打ち鳴らす。気合いが入っているようで何よりだ。
「エチュードは今日は軽めの調整。レースの後だから無理はしないようにね」
「はいっ」
一生懸命に背筋を伸ばして、エチュードはそう答える。レースの後の落ち込みも、どうにか払拭できたようで私としても一安心である。
「で、ヒクマ。いよいよ今週末、東スポ杯だ。最終追い切り、みっちり行くから覚悟するように!」
「おー! がんばるぞー!」
この11月の重賞3連戦もいよいよ今週末、土曜日の東スポ杯ジュニアステークスで締めくくりだ。コンプは健闘の3着、エチュードは無念の11着。やはりそう簡単に勝てるほど甘い世界ではないが、ふたりともこの経験を糧にしてくれたと信じたい。そして――ヒクマは、ここを勝って3連勝で堂々とホープフルステークスに送り出してあげたい。
ともあれ、まずは準備体操のストレッチから。今日はヒクマとエチュードが組んだので、私はコンプの背中を押してやる。
「トレーナー、昨日エーちゃんに何言ったの?」
と、小声でコンプがそう問いかけてきた。
「ん? いや、次は1月の条件戦に出ようって」
「そうじゃなくて、エーちゃんって一度落ちこむと結構引きずるのに、今回はあれだけ落ちこんでたのが一発で立ち直ったんだもん。何したの?」
「何って……いや、次の条件戦勝ったら、何か欲しいもの買ってあげるって言っただけなんだけど」
「……ふうん? エーちゃん、それになんて?」
「ぬいぐるみ欲しいから、一緒に買いに行こうって約束したよ」
「――あ、そーゆーこと。なーるほーどねー」
どこか呆れたようにコンプは息を吐く。はて、コンプは何が言いたいのやら。
「コンプ?」
「いや別にー。でもトレーナー、なんでまた急に、そんなわかりやすいニンジンぶら下げる作戦に出たの?」
「……エチュードは、周りの目を気にしすぎてると思ったからね。ただただ、自分のためだけに走っていいと思うんだ。リボン家とかそういうしがらみを抜きに、自分が欲しいもの、自分がしたいことのために。とりあえず、そのためのニンジンかな」
誰かの期待が重圧になってエチュードを押しつぶしてしまったなら、それに応えるため以外の走る理由を作ってあげられればいいと思った。それでプレゼントしか思いつかない自分が少々情けないけれど、とりあえず上手く行ってくれたのなら良かったと思う。
「ふうん……。それがニンジンになるって自覚はあるんだ、トレーナー」
「ん? どういう意味?」
「なーんでもない」
ちょっと拗ねたようにコンプは屈伸しながら口を尖らせる。なんだろう、コンプもぬいぐるみ買ってほしかったのだろうか。
「でも、エチュードがそんなにぬいぐるみ好きだったっていうのは意外だったかな」
「……ん? トレーナー、今なんて?」
「え? いやだから、エチュードはぬいぐるみ好きなんだなって」
「…………はぁ~~~~っ、まったく、これだからトレーナーは」
「ええ? 私なにか変なこと言った?」
「知ーらない」
ジト目で睨まれ、そしてコンプは大げさに溜息をついて視線を逸らした。いや、いったい何を責められているのかさっぱりわからないのだけれど……。
首を捻りながらコンプの背中を押していると、コンプが視線だけで振り向く。
「……あたしには何かないの?」
「ん? コンプもまたぬいぐるみ買ってほしいの?」
「別に、ぬいぐるみとは言ってないけど」
「わかったわかった。コンプにも次の条件戦勝てたらお祝い用意するから。何が欲しい?」
「……ん、考えとく」
視線を逸らして、コンプは「ん~~~っ」と爪先へ指を伸ばす。やれやれ。まあ、そのぐらいのことでモチベーションが高まってくれるなら別に構わないのだけれど――。
* * *
ともあれ、そうしていつも通りのトレーニングをこなしていると。
「やいやいやーい! クマはどこだー!」
聞き覚えのある声が割り込んできて、私たちは足を止めて振り返った。のっしのっしとこちらに歩いてくるのは、もはや見慣れたデュオスヴェルである。後ろには保護者のようにオータムマウンテンがいつも通り付き添っている。
「あ、アホだ」
「アホいうなー! 今日はブリッコなんかに用はないんだぞ!」
コンプにとうとう名前のスヴェルまで略されてしまったデュオスヴェルは、噛みつくように吼えると、それからヒクマを見つけてびしっと指を突きつける。
「やいクマ! 今日はこのボクが直々に宣戦布告にきてやったぞ!」
「ほえ? わたしクマじゃないよお! ヒクマ!」
「どっちでもいい! 土曜日の東スポ杯、お前なんか絶対倒してやるからな! デュオスヴェル様のクマ退治だ!」
「む、わたしだって負けないもん!」
ヒクマはぐっと拳を握って意気込む。そんなヒクマに、スヴェルは自信ありげなドヤ顔。
「ふっふっふー、ボクは賢いからな! 知ってるんだぞ!」
「ほえ、なにを?」
「ティアラ路線から東スポ杯を勝ったウマ娘は、ひとりもいなーい! つまり、クマ! お前は勝てないってことだぁー!」
――いや、それは単にティアラ路線から東スポ杯に出るウマ娘が滅多にいないだけである。普通、阪神JFを目指すなら同じマイル戦で、エチュードのように1週前のデイリー杯か、エレガンジェネラルが勝った3週前のアルテミスステークスに出るのだ。わざわざ1800の東スポ杯に出る理由はないだけである。
「それ、私が調べて教えたんですけどね~」
「言うなよオータムー! とにかく! この最強のデュオスヴェル様に勝てると思ったら大間違いだー! お前なんか、三冠ウマ娘になるボクの敵じゃなーい!」
はっはっはーと笑うデュオスヴェル。――要するに、オータムマウンテンに教えてもらった知識を披露したかっただけらしい。子供だなあ、と私は苦笑。
「ほえー。トレーナーさん、そうなの?」
「ん? ああうん、そうだね。東スポ杯が重賞になってからだとティアラ路線のウマ娘が勝ったことはない。前身のオープン特別時代にはいくつかあるけど」
「じゃあ、わたしが勝ったらはじめてってことだね!」
「そうだね。もちろん、ホープフルSを勝ったティアラ路線のウマ娘もいない」
「よーし、じゃあわたしが両方のはじめてになるよ!」
うん、この前向きさこそヒクマだ。ぽんぽんと私がその頭を撫でてやると、ヒクマは気持ちよさそうに尻尾を振る。
「うぬぬぬぬぅ」
「スヴェルちゃん、帰ります~?」
「ぬがー! 勝つのはボクだって言ってるだろー! 東スポ杯はボクのもんだー!」
ブンブンと両手を振り回すスヴェル。「はいはいもういいでしょ、アホスヴェル」とコンプが呆れ顔で止めに入る。――と。
「おや、それは聞き捨てなりませんね」
今度は知らない声が割り込んだ。振り向くと、栃栗毛をストレートロングにし、眼鏡をかけたツリ目のウマ娘が、眼鏡のツルに指を当てながらこちらに歩み寄ってくる。
「……どちら様?」
「はじめまして、プチフォークロアと申します。9月にデビュー戦を勝利いたしまして、今週末は東京スポーツ杯ジュニアステークスに出走予定です」
私の問いに、眼鏡のウマ娘は聞かれていないことまで答える。
「デュオスヴェルさんにバイトアルヒクマさんとお見受けいたしますが」
「ほえ? あ、うん」
「なんだおまえー! おまえなんか知らないぞー!」
「それは仕方ありません。まだデビュー戦を勝っただけですから、自分の知名度などたかが知れていることは承知しています。ですが、これから貴方たちは私の名前を脳裏に刻むことになるでしょう。まずは東スポ杯、私が勝たせていただきます。いえ、このレース、私が勝つことはもはや定められていると言っていいでしょう」
眼鏡を中指でクイッとやりながら、プチフォークロアは不敵にそう言い放つ。随分と自信ありげだ。それほど強いのだろうか、この子。名前を耳に挟んだ記憶は、あるような、ないような……。
「なぜなら――この私の名前が、プチフォークロアだからです!」
ミステリーで犯人の名前を指摘する名探偵のごとく、ビシッと彼女はそう言った。
「…………」
「……ほえ?」
「なにいってんだおまえ?」
「わからないのですか? なんと嘆かわしい……。いいですか、東京スポーツ杯です」
「……ああ~、そういうことですか~」
私もヒクマもスヴェルも、ついでに言えば蚊帳の外のコンプもエチュードも首を傾げる中、ひとりだけオータムマウンテンがぽんと手を叩いた。
「そうです。東京スポーツといえばオカルトや都市伝説まで扱う夕刊紙。そして私の名前はプチフォークロア、これはいわゆるサインレースというもの。私ほど東スポ杯の勝者にふさわしいウマ娘はいないと言えましょう!」
――サインレースとは、要するにレースの結果が出たあとに、その結果と繋がるような直近の出来事を結びつけて「あれが結果を予告していたんだ!」と言い出す予言メソッドである。後知恵バイアスとも言う。
「というわけで、私のことはどうぞ都市伝説のロアちゃんとお呼びください。以後、お見知りおきを」
「お、おお……?」
「ロアちゃんだね! わたし、ヒクマ! クマじゃないよ! あと東スポ杯も負けないからね!」
「もちろん、東スポ杯の1番人気と2番人気が確実視されるおふたりは詳しく存じ上げております。実は本日は敵情視察に参りました次第です。バイトアルヒクマさんのトレーナーさんですね? 偵察させていただけますか」
「……いや、いいけど、偵察って普通はこっそりやるものじゃ?」
「なるほど、それは検討に値する見解です」
眼鏡を光らせて大真面目な顔で頷くプチフォークロア。
「……というか、せっかくだから3人で追い切りがてら軽く併走でもする?」
「おー! やるやるー! 負けないよー!」
「いい度胸だなー! 勝つのはボクだぞー!」
「受けて立ちましょう。もちろん私が勝たせていただきますが」
「あらあら、私は東スポ杯出ませんけど~、せっかくですから混ぜていただけません~?」
オータムマウンテンも手を挙げて、併走というより模擬レースになってしまった。まあ、直接ライバルの力を確かめるいいチャンスが来たと思おう。
……しかし、なんというか、三冠路線は変わった子ばっかりだな。
自分の担当のことは棚に上げて、私はそんなことを思うのだった。
* * *
なお、模擬レースの結果は。
「私の勝ちですね~。失礼しました~」
「うう~、負けたぁ。ホープフルじゃ負けないよ!」
「なるほど、これは作戦を練り直す必要がありますね。偵察完了です」
「うーがー! ボクが最強なんだぞー!」
――まあ、だいたいそういう順位であった。やっぱり、目下最大の強敵はオータムマウンテンということになりそうである。