モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第52話 東スポ杯ジュニアステークス・まさかの!

 11月18日、土曜日。東京レース場。

 GⅡ、東京スポーツ杯ジュニアステークス、芝1800メートル。

 

『クラシックへの登竜門、東スポ杯ジュニアステークス! 数多くのGⅠウマ娘を輩出してきたこの出世レースに、今まさに世代の頂きへ駆け上がっていこうとする14人が挑みます!』

「クマっちー! アホスヴェルなんかに負けたら承知しないかんねー!」

「ヒクマちゃん、がんばって……!」

 

 東京芝1800のスタート地点は2コーナー脇のポケット地点。ゴール前の観客席にいる私たちの声は、ゲートのヒクマには届かないだろう。けれど、応援しているという事実は届いているはずだ。双眼鏡を覗きながら、私は頷く。

 

『さあ1番人気、札幌ジュニアステークスは4バ身差圧勝。2戦2勝でティアラ路線から殴り込み、三冠路線のウマ娘たちに挑みます、5番バイトアルヒクマ!』

 

 今日も前走の勝ちっぷりが評価されてか、滅多にないティアラ路線からの参戦ながらヒクマは1番人気に推された。

 そして、それを不満げに、ヒクマのことを睨んでいる鹿毛の三つ編みがいる。

 

『2番人気はデビュー戦、芙蓉ステークスと逃げ切り連勝、今日も変わらず逃げ宣言! ティアラ路線の刺客には負けられない、2番デュオスヴェル!』

 

 デュオスヴェルはヒクマとかなり僅差の2番人気。1番人気を取れなかったことがたいそう腹立たしいらしく、またヒクマに何か指をつきつけて宣戦布告しているようだった。ヒクマはいつもの笑顔で平然とそれを受け止めている。呑気というかなんというか。

 何にせよ、デュオスヴェルが逃げ、ヒクマがそれを追う展開になるのは確実だ。問題はデュオスヴェルがどの程度のペースで逃げるのか。スローならぴったりマークしていけばヒクマなら差し切れると思うが、ハイペースの大逃げを仕掛けてきた場合、2000メートルの芙蓉ステークスを逃げ切ったデュオスヴェルのスタミナは侮れない。仕掛けのタイミングが重要になってくる。

 それと――先日宣戦布告してきた、あの栃栗毛の眼鏡のウマ娘も気になるところだ。

 私が双眼鏡を向けると、ヒクマとスヴェルが言い合っているのを、そのウマ娘――プチフォークロアは静かに見つめていた。

 

 

       * * *

 

 

『5番人気は11番プチフォークロア。前走は中山の短い直線で大外から力強い差し切り勝ち。府中の長い直線で末脚勝負に持ち込めるか』

 

 ――おそらくは、そう甘い勝負にはならないでしょう。

 眼鏡の位置を直しながら、プチフォークロアはゲートの前でそう考えていた。

 先日の模擬レースで観察した結果、展開は予想がついている。デュオスヴェルが逃げ、バイトアルヒクマがそれをマークする。今回の面々でも、地力はこのふたりが頭ひとつ抜けている。ふたりとも、直線の長い府中でも粘れるだけのスタミナがある。おそらく安易な後方待機では差し切れない――ということは既に解っていた。

 ――それならば、私は前目でバイトアルヒクマさんの後ろにつけましょう。バイトアルヒクマさんを風よけにして可能な限り消耗を抑え、ゴール手前で差し切ればいいのです。

 不利な外枠、前目を取るにはスタートが大事。確実にいいスタートを決めなくては。

 

「あっ、ロアちゃーん!」

 

 と、ヒクマがこちらに気付いて駆け寄ってきて、ロアは目をしばたたかせる。

 

「この前は模擬レースしてくれてありがと! 今日はがんばろうね!」

「……いえ、こちらこそ良い勉強になりました。今日はよろしくお願いいたします」

「うん! 負けないよ!」

 

 邪気のない笑顔で拳を握るヒクマに、毒気を抜かれてロアは慌てて首を振る。底抜けに明るいその笑顔は、これから重賞に挑むという緊張感は露ほども見えない。こちらは初重賞、常に頭の中でレースのことを考えていないと脚が震えそうだというのに――。

 ――なるほど、レース前からこの余裕ですか。このメンタルが彼女の強さなのかもしれませんね。あやかりたいものです。

 ロアはそう咳払いして納得し、ゲートの方へ向かうヒクマの長い芦毛を見送る。

 ――こちらこそ、負けはしません。

 顔を上げ、ロアもゲートへと向かって歩いて行く。

 

 

       * * *

 

 

 ――ちっくしょー、なんでボクがあのクマに負けて2番人気なんだよ!

 ゲートの中で、デュオスヴェルはまだ憤りを抑えきれないでいた。

 ボクは最強なんだ。三冠ウマ娘になるんだぞ。こんなところでクマなんかに負けてたまるか! 今日も最初から最後まで、先頭で逃げ切ってやる!

 スヴェルは横を見やる。5番のところに、バイトアルヒクマの横顔が見えた。

 のほほんと楽しそうな顔でターフを見つめるその表情に、スヴェルは唸る。

 

「うがー!」

 

 スヴェルは思わず、ゲートの中で両手を振り上げて吼えた。

 

 ――次の瞬間、ゲートが開く音がした。

 

 

       * * *

 

 

『全員ゲートイン、体勢完了。――スタートです!』

 

 ゲートが開く。ターフにウマ娘たちが飛び出していく。

 湧き上がった歓声は――しかし即座に、大きなどよめきに変わる。

 

『ああっと! ひとり大きく出遅れた! デュオスヴェルです! 2番デュオスヴェルが出遅れ最後方だ!』

「はあっ!? なにやってんのよあのバカ――」

 

 隣でコンプが素っ頓狂な声をあげる。私も思わず双眼鏡を落としそうになった。

 ヒクマが好スタートを決めて先頭集団につけたのはいいのだが、問題はその前を走っているべき鹿毛の三つ編みがずっと後方にいることだ。しまった、確かにデュオスヴェルはあまりスタートが上手くないが、こんな大出遅れは予想してなかった――。

 逃げウマ娘にあの出遅れは致命的だ。もうデュオスヴェルのレースは九分九厘終わったと言っていい。あそこから先頭に出るなんてのはもう折り合いとかそういうレベルではない暴走になる。あの気性でバ群に揉まれながら直線勝負は無理だろう。

 どうするヒクマ? いっそこのまま先頭で逃げるか? それとも別のウマ娘をマークするか?

 私が考えているうちにも二コーナーを回り、ヒクマは流れのままに先頭に立った。先頭集団は5人、ヒクマがそれを引っぱる格好だ。ヒクマの2バ身後ろを、プチフォークロアが追走してくる。他の先行組も、どうやらヒクマをマークする作戦に切り替えたらしい。

 双眼鏡を握り直し、向こう正面を走るヒクマの横顔を見やる。

 ――不安そうな表情はない。いつも通り、楽しそうに走っている。

 その顔を見て、私はほっと一息つく。――よし、大丈夫だ。

 あの表情で走れているなら、ヒクマの天性のレース勘を信じて、任せて大丈夫だ――。

 

 そう思った次の瞬間、ふたたびどよめきが東京レース場に響き渡る。

 まだレース中盤、盛り上がるような場面ではない。何が――と私は双眼鏡をヒクマたちの後方に向けて、がくんと顎が落ちるかと思うほど口を開けていた。

 ――出遅れ最後方のデュオスヴェルが、最終直線と勘違いしているかのようなペースで、どんどん大外から上がって来たのである。

 

『おおっと出遅れたデュオスヴェル、行った行ったどんどん上がっていく! 800メートル通過は48秒台、平均ペースですがさあもう先頭集団に取りつく勢いだ!』

「んな無茶苦茶な……! なにやってんのよアホー!」

 

 コンプが叫ぶが、そんなことはお構いなしに――。

 

『並んだ並んだ、そしてそのまま先頭だ! デュオスヴェル、3コーナーで先頭、そのまま大逃げ体制だ! これは暴走か、それとも勝算ありなのか!?』

 

 

       * * *

 

 

「どけどけどけどけどけどけえええええええ!」

 

 後方からそんな声が響いてきて、プチフォークロアはぎょっとして振り向いた。

 ――デュオスヴェルさん!?

 思わず目を疑う。スタートで大出遅れしたはずのデュオスヴェルが、大外からものすごい勢いで上がってきていた。まだ道中なのに、完全にラストスパートのようなペースで上がってくる。

 後方で中団につけたウマ娘たちも狼狽している。長距離レースでスタミナに任せて中盤からロングスパートを仕掛けるウマ娘はいるが、1800の前半でこんなのは完全な暴走だ。いくら大出遅れで逃げ損ねたからって、無茶苦茶である。

 

「ボクの前を走れると思うなよおおおっ!」

 

 ――いや、出遅れたのは貴方でしょう!

 思わず走りながらそうツッコミを入れたくもなるというものだが、ともかくデュオスヴェルはお構いなしに先頭集団に取りついてきた。ロアの隣を走っていたウマ娘がその勢いに気圧されたように下がっていく。

 そしてデュオスヴェルは、そのまま一気に先頭に出てさらに突き放しにかかった。もうとっくに半分を過ぎて3コーナーである。残り800。追ったらダメだ。こんな暴走、どう考えても直線で潰れるだけである。

 ロアは前を走るバイトアルヒクマを見やる。向こうもわかっているようで、デュオスヴェルの暴走についていく様子はない。――よし、どっちにしろ同じです。デュオスヴェルさんは放置してOK。私は変わらずバイトアルヒクマさんをマークすればいい――。

 

『さあ大変な展開になりました、隊列は乱れたまま4コーナー、デュオスヴェル逃げる逃げる、バイトアルヒクマは現在3番手』

 

 後方はデュオスヴェルの暴走に混乱してぐちゃぐちゃになっていた。先行組からもひとり慌てた様子でデュオスヴェルを追いかけていったが、あの子も潰れるだろう。まだ仕掛けるには早い。バイトアルヒクマさんも仕掛けるなら直線――。

 ――えっ?

 

『おおっとバイトアルヒクマここで追い出した! 4コーナーで仕掛けてきました! 逃げるデュオスヴェルを追っていきます!』

 

 ロアが視線を前に戻した瞬間、バイトアルヒクマの背中が加速する。

 ――直線の長い府中で、四角から仕掛けるんですか!?

 唖然として、ロアは数秒躊躇した。どうする? 追うべきか? デュオスヴェルは待っていれば潰れるはず、こんな早仕掛けは釣られて掛かってしまっただけに決まっている、ついていったら自分も潰れる――。

 ――いや、しかし、バイトアルヒクマさんのスタミナを考えると、ここでついていかないと追いつけない!

 このまま静観して直線勝負でもウイニングライブ圏内は確保できる。だが、勝ちに行くならついていくしかない。躊躇を振り払い、遅れてロアも加速した。

 前をゆくバイトアルヒクマの長い芦毛が揺れる。あの背中を捉えるには、あの背中と同じ土俵に上がるしかない――。

 ――ああもう、作戦がめちゃくちゃです!

 叫び出したいけれど、そんな余裕などあるはずもなかった。

 

 

       * * *

 

 

「うわ、クマっちもう仕掛けた! え、早くない?」

「ヒクマちゃん……!」

 

 4コーナーを曲がって、ウマ娘たちがこちらに駆けてくる。先頭は大暴走のデュオスヴェル、2番手のウマ娘は既に顎が上がっていて、3番手でヒクマが追ってきた。プチフォークロアがそれを追走して直線へ。

 常識的に考えれば、ヒクマの仕掛けは早すぎる。500メートル以上ある府中の直線、あんな暴走をしたデュオスヴェルは勝手に潰れるのを待つのが当然の判断だ。

 だが――。

 一度外した双眼鏡をもう一度目に当てる。先頭を走るデュオスヴェルの表情が見えて、私は息を飲んだ。

 ――なんてことだ。ヒクマの早仕掛けの判断は、たぶん正しい。

 先頭を駆けるデュオスヴェルの表情は、まだ力尽きていない。あんな大暴走をして、まだ余力を残しているのか。それでこのバ身差なら、早めに追わないと逃げ切られる!

 

「行け! ヒクマ! それでいい! そのまま一気にいけ!」

 

 私が叫ぶと、コンプとエチュードが驚いた顔で私を見上げた。

 

『残り400、坂を上る! デュオスヴェル逃げる逃げる粘る粘る! 外からバイトアルヒクマ! バイトアルヒクマが来た! 内からプチフォークロア、バイトアルヒクマ、デュオスヴェル苦しいか、バイトアルヒクマかデュオスヴェルか、プチフォークロアも追いすがる! 後ろは苦しい! この3人の争いだ!』

 

 大歓声。その降りそそぐ中、直線を先頭で3人が駆け抜けていく――。

 

 

       * * *

 

 

 残り200。

 あとちょっとだ。あと少しでゴールだ。どんなもんだ。出遅れたってボクの前を走れる奴なんていないんだ。ボクは逃げ切る。逃げて逃げて逃げ切ってやるんだ!

 デュオスヴェルは歯を食いしばって走る。後ろを振り返る余裕なんてない。あのクマも変な眼鏡も、コーナーで突き放したはずだ。逃げ切ってやる。絶対逃げ切る――。

 

 残り150。

 足音が、した。

 背後から、迫ってくる足音が。

 ターフを軽やかに蹴立てて、追いかけてくる足音が。

 

 残り100。

 風になびいて羽根のように、銀色の芦毛が、スヴェルの横目に広がった。

 そして、それを羽ばたかせるように――。

 バイトアルヒクマが、底抜けに楽しそうな笑顔で、スヴェルを追い抜いていく。

 

『並んだ、並んだ、かわした! かわした! バイトアルヒクマだ! バイトアルヒクマ先頭だ! デュオスヴェル、内からプチフォークロアも迫るが、しかしバイトアルヒクマだ強い強い!』

 

「ちっ、くしょおおおおおおおおおおおっ!」

 

 残り50。

 バイトアルヒクマの背中が遠ざかり、もうひとり、栃栗毛の眼鏡が横に迫ってくるのを感じながら、デュオスヴェルはそう叫ぶしかなかった。

 

 残り0。

 ゴール板の前を、芦毛のウマ娘が先頭で駆け抜けていく。

 

『バイトアルヒクマ、後ろを突き放して今ゴールッ!』

 

 デュオスヴェルは、自分に向けられたものではない大歓声を聞きながら、倒れこむようにゴール板を駆け抜けるしかなかった。

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