モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
11月25日、土曜日。京都レース場。
第5レース、メイクデビュー京都、芝1600外回り。
『内から抜け出して来たのはハッピーミーク! 並んでそのままかわしてゴール! 白毛のウマ娘、ハッピーミークが差し切りました!』
バ場・距離適性がわからないという理由でなかなかデビューの決まらなかったハッピーミークだったが、京都のマイル戦で無事にデビュー勝利を飾った。
次走は予定通り、中2週で朝日杯FSに向かうという。緊張気味に取材に応える桐生院トレーナーと、相変わらず何を考えているのかよくわからないハッピーミークのぼんやりした顔をテレビで眺めながら、私は心の中で桐生院トレーナーにエールを送った。
同日、第11レース、GⅢ、京都ジュニアステークス。
『外からオータムマウンテン! 1番人気オータムマウンテンが先頭集団をまとめてかわしてそのまま1バ身、2バ身、突き放したゴール! 人気に応えました快勝です!』
『前残りのスローペースをものともしませんでしたね。驚きました』
前評判通り、1番人気のオータムマウンテンが悠然と外からまくって勝利。先行有利のスローな展開で、後方からするするとロングスパートをかけて悠然と上がっていき、平坦な京都の直線で大外をまくって2バ身半差をつけたのだから、着差以上の実力差を見せつけたと言っていい圧勝だった。やはり強い。
「にしんそば、美味しくいただきました~。来年の秋は湯豆腐を食べに来ますね~」
レース後、そんなとぼけた本人のコメントとともに、改めて担当の岬トレーナーがオータムマウンテンのホープフルステークス参戦を表明。これで、ホープフルステークスに参戦する有力ウマ娘の情報はほぼ出揃ったことになる。
「東スポ杯組対、京都ジュニア組、か」
東スポ杯のウイニングライブ3人、ヒクマ、プチフォークロア、デュオスヴェル。これにオータムマウンテンを加えた4人がおそらくは四強という形になるだろう。もちろん、前評判通りにはいかないのがレースだ。未だ見ぬ伏兵にも注意しておかなくては。
コーヒーを飲みながら私が資料を整理していると、不意にトレーナー室の扉がノックされた。誰だろう。ヒクマならノックもせず入ってくるだろうし、エチュードかコンプか。
「どうぞ」
返事をすると、がらりと扉が開き――非常に見覚えのある、けれど直接面識があるわけではない、あまりに有名な顔が現れて、私は思わず背筋を伸ばしていた。
「失礼する。バイトアルヒクマ君の担当トレーナーはキミか?」
「り……リードサスペンス会長?」
長い栃栗毛を揺らし、日に焼けた顔にこちらを見定めるような眼力のある微笑を浮かべて――九冠ウマ娘、トレセン学園生徒会長、リードサスペンスは私を見つめた。
* * *
リードサスペンス。既にトゥインクル・シリーズの一線は退いているが、その名前は近年のトゥインクル・シリーズにおけるひとつの伝説だった。
4年間の現役生活で、通算16戦12勝。うち、クラシック三冠、秋シニア三冠、天皇賞(春)連覇、有馬記念連覇のGⅠ9勝。世界的に1600から2000のマイル~中距離戦が主流になり、長距離レースが不遇といわれるこの時代に、距離が長くなるほど圧倒的な強さを見せた至高のステイヤー。その無限のスタミナが生む異次元の末脚で他のウマ娘を置き去りにし、特に三冠がかかった菊花賞での8バ身差圧勝と、シニア級一年目の天皇賞(春)の7バ身差の大楽勝は、「あまりに強すぎてサスペンスがない」とまで言われたほどだった。
実際、あまりに当然のような顔をして勝ち続けたため、リードサスペンスのレースで一番印象に残っているのは、1年下の善戦ウマ娘・ドカドカにアタマ差敗れ十冠と三連覇を逃したラストランのシニア級2年目有馬記念というファンは多い。それまでGⅠで善戦を続けていたが重賞未勝利、それどころか「主な勝ちレース:クラシック級未勝利」のままだった通算1勝のドカドカが、壮絶なマッチレースの末にリードサスペンスの猛追を振り切ってレコード勝利を挙げた伝説の有馬記念は、私自身、あのとき現地でその瞬間に立ち会う幸運に恵まれた15万人のひとりなのである。
そんなわけで、私にとってはある意味で秋川理事長よりも雲の上の存在である。思わず立ち上がって最敬礼しかけた私を、リードサスペンスは苦笑交じりに軽く手を振って制する。私のような反応には慣れているという仕草だった。
「そう緊張しないでくれ。もう現役を退いたとはいえ、私だって学園のいち生徒だ」
「……いや、そう言われても」
中央のトレセン学園、その生徒会長というのは、単なる学校の生徒会ではない。文字通りの意味でウマ娘界の顔であり、トレセン学園においては事実上、理事長に次ぐ地位の役職である。トゥインクル・シリーズを主催するURAのトップに匹敵する権限を持ち、ウマ娘界のスポークスマンとして何かと表舞台に立つため、本人の実績もあってまさに国民的な知名度を誇る。それだけに生半可な実績では務めることは叶わず、歴代の生徒会長は全てクラシック三冠か、トリプルティアラを達成したウマ娘だ。
既に引退して数年になるリードサスペンスがまだ学園に学生として籍を置いているのも、今のところ彼女のあとに三冠ウマ娘が出ていないからである。本来はとっくに卒業している年齢のはずだが、トレセン学園における「生徒会長」とはそういう役職なのだ。
「後任がなかなか出てこないおかげで、いつまでも学園に居座る羽目になっているだけだ。さっさと後輩に譲って自由になりたいよ」
私の淹れたコーヒーにミルクと砂糖をかなり多めに入れながら、リードサスペンスは冗談めかしてそう言った。意外と甘党らしい。
「それで、生徒会長がどうしてこちらへ?」
「――今年の新人は、将来が実に楽しみな子が多い。我々生徒会も注目している」
コーヒーというよりカフェオレになったカップの中身に口をつけ、リードサスペンスはそう切り出した。
「ティアラ路線からホープフルステークスに挑む、キミのところのバイトアルヒクマ君も、もちろんそのひとりだ。デビュー3連勝、重賞連勝。全くの新人トレーナーのところからこんな逸材が出てくるとは、驚いた。しかもいきなり同期3人を同時に担当して、ほかの2人も既に勝ち上がらせているというのだから」
「……いや、それは彼女たちの努力と才能の結果で」
「その才能を引き出すには、トレーナーが正しい方向の努力へ導いてやらないといけない。トゥインクル・シリーズはウマ娘とトレーナーの二人三脚、トレーナーがウマ娘の力を引き出してやってこそのものだ。キミが謙遜する必要はない」
「は、はあ、ど、どうも……」
雲の上の九冠ウマ娘に褒められてしまった。背中がくすぐったいなんてレベルではない。
「ティアラ路線のジャラジャラ君、エレガンジェネラル君。三冠路線のオータムマウンテン君、デュオスヴェル君。他にもまだ、これからクラシック戦線へ向けて伸びてくる逸材も隠れているだろうが――誰が勝つにせよ、『ジュニア級GⅠを勝ったウマ娘は早熟で伸び悩む』という風評を打破する活躍を期待しているし、皆、それだけの力があるウマ娘だとみている。今年のジュニア級GⅠは、例年以上に盛り上げていきたい」
「はあ」
「というわけで、だ。――バイトアルヒクマ君に、ホープフルSのCMに出て欲しい」
思わず、私は目をしばたたかせた。
* * *
「CM? え、CMってあの、テレビのコマーシャル? クマっちが?」
「ほへ? え、わたしテレビに出るの?」
「テレビにはもう出てるでしょーが、レースとかその後のインタビューとかで」
「あ、そっか」
「でもヒクマちゃん、すごいよ……! テレビのレースCMなんて」
翌日。トレーニング前にリードサスペンス会長からの打診を伝えると、3人はきゃいきゃいとはしゃぎだした。
GⅠレースの宣伝として、そのレースで上位人気が見込まれるウマ娘が広告塔に起用されるのはトゥインクル・シリーズではいつものことである。たとえば今年のトリプルティアラでは、そこら中でテイクオフプレーンとリボンスレノディの二強対決を押し出したポスターやCMを見かけたものだ。
「クマっちで大丈夫なの? 演技とかできそーにないけど、クマっち」
「いや、別に演技するわけじゃないから……。今までのレース映像に加えて、レース前に勝負服で走ってる姿を撮影して使いたいって」
「勝負服!」
3人は顔を見合わせる。――そう、ヒクマの次走はGⅠ。つまり、これまでの体操服にゼッケンではない。ヒクマだけの専用の勝負服を着用しての出走になる。
GⅠで自分だけの勝負服を着用するのは、トゥインクル・シリーズを走るウマ娘の大きな目標のひとつだ。ヒクマたち3人も、デビューが決まった時点で、勝負服のデザイン案は本人の希望を聞きつつデザイナーと打ち合わせ、既に発注が済んでいる。ヒクマは札幌ジュニアSを勝った時点で年末に確実に間に合うように頼んであったので、12月になれば届くはずだ。
「そっか、勝負服届くんだ! たのしみ!」
ヒクマがぶんぶんと尻尾を振ってご機嫌に身体を揺らす。
「いいなー、クマっち。あたしなんか最速で来年の9月だもん」
「勝負服かあ……」
コンプは肩を竦め、エチュードはどこか遠い目。……エチュードもデイリー杯で結果が出ていれば阪神JFに向けて急ぎで勝負服を仕立ててもらう予定だったが、今はそれを言っても仕方が無い。来年の春、桜花賞で着られるようにしてあげたいものである。
「ヒクマちゃん、どんなデザインにしたの?」
「えへへ、ないしょ! ね、トレーナーさん!」
「あたしにも見せてくれなかったもんなあ、クマっち。なんか恥ずかしいデザインじゃないでしょーね、トレーナー?」
「いや、それは大丈夫だよ。私もチェックしたし」
デザイン案と実際の仕上がりはまた別だろうけれども……。何にしても、私もヒクマの勝負服が届くのは楽しみだった。
「よーしヒクマ、CMに出ても恥ずかしくないレースをするために頑張ろう!」
「おー!」
* * *
同じ頃。ジャラジャラと担当の棚村トレーナーの元にも、同じ用件でリードサスペンスが訪れていた。
「阪神JFのCMねえ。めんどくせーなあ」
「こら、ジャラジャラ」
「そう言わないでくれ。サウジアラビアロイヤルカップのあの圧勝劇で、今年の1番人気はまず間違いなくキミなんだから」
九冠ウマ娘の前でも動じないジャラジャラに、リードサスペンスは苦笑する。
「もちろん、エレガンジェネラル君にも既に依頼して承諾を受けている。キミとエレガンジェネラル君が最も大きく扱われることになるはずだ」
「……ジェネも出んのか。しゃーねーなあ、じゃあ出てやるか。トレーナー、あたしの勝負服ってもう出来てんのか?」
「ああ、明日届くはずだ」
「じゃ、明日試着ついでにちゃっちゃと済ませちまおう。会長さん、それでいいか?」
「ああ、問題ない。阪神JFは再来週だから、こちらも早めに撮影を済ませられるとありがたい。今年のティアラ路線では、私はキミに一番注目している。よろしくお願いするよ」
そう言って、リードサスペンスは軽く手を振ってその場を立ち去る。その背中を見送って、棚村トレーナーは溜息をついた。
「全く、物怖じしないと言えば聞こえはいいが、せめてもう少し礼儀もだな」
「ジェネみたいなこと言うなよ、トレーナー」
「伝説の九冠ウマ娘、学園の会長からの打診に『しゃーねー、出てやるか』と答えられるジュニア級のウマ娘は初めて見たよ」
トレーナーの言葉に、ジャラジャラは後頭部で手を組んでひとつ首を捻る。
「なーんかあの会長さん、他人って気がしねーんだよな。運命的な何かを感じるっつーか」
「やれやれ……ま、そのクソ度胸とマイペースさと、自分に対する揺るがない自信が君のいいところだが」
「トレーナー、それ褒めてんのかあ?」
「褒めてるんだ。君のそういうところに惚れ込んでスカウトしたんだから」
「大概トレーナーも物好きだと思うけどな。――さて、トレーニング始めっか」
12月10日、阪神ジュベナイルフィリーズ。
12月17日、朝日杯フューチュリティステークス。
そして12月28日、ホープフルステークス。
――ジュニア級GⅠ戦線が、始まる。